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第三十六話 蒼天 後編





──マシュー


 空を目指す少年を引き留めようと、咄嗟に伸ばされたオーリンの右腕は、マシューの表情を見た事により一拍の空白ためらいに遮られてしまう。掴もうとしたものがまたすり抜けてゆく。それはまるで、今まで塞いでいた心の穴を強引に開かれたかのように、苦しみの激流となって押し寄せてくる。また、失ってしまうのか。




──『『そんな事は、許せる訳がない』』──




『どうする? ()()は言葉では止まらぬぞ』

 傍らにたたずむ金狼の問い掛けが、重くオーリンの思考に捻じ込まれる。言葉の意味を理解する前に、オーリンは、空に向けて握り締めていた拳を引き寄せると、ゆっくりと、覗き込むように開いた。そこにあるのは、微かに揺らめく虹色の光。だがそれも刹那の内に消え去る。


 からになった掌をじっと見つめていたオーリンであったが、瞼に落ちる光と影に気付いて、顔を上げた。


「……あぁ」

 オーリンの呟きにつられるように、金狼も空を見る。古の時代に金狼べヘモスより分かたれた半身は、既に人間に手出しできる領域にはいない。マシューという少年がいかに古き神、巨人ヴェルカの力を継いでいようとも、不滅を取り入れ変質した獣は、金狼べヘモスですら制御出来ぬ力を持つ。


 神と対峙した人間の末路は知れている。だというのに、金狼は唯一ただひとつの空を見上げてしまう。そこに、かつて金狼が喪失してしまった何かが、まだ残っているような気がして。





 * * *





「身体が、ある……」

 マシューの肺から僅かな空気と共に溢れ出た言葉は、自身が陥った事態を省みるに実に正直な感想であった。破壊の光に全身を割かれ死ぬ覚悟をしていたマシューであったが、事の成り行きはマシューの予想に反した未来を描いていた。


 マシューの身体は風の流れるさまを表すように、自然な動作で空気を分け宙天を漂う。赤き獣が放った死のみちを、マシューは知らず知らずの内に己が肢体の遥か下方に置いていた。一瞬、視界の端に煌めく何かを見るが、マシューが目を向けた時には、既にそこには何もなかった。


 代わりに、視線の遥か先にマシューを見続けている男を見つける。


 それはマシューが親しくしている、オーリンという名の男。奇縁とでもいうのか、縁を持ち供をした旅の途中、マシューが横で見ていた男の瞳は、ずっと変わらぬ輝きのまま今もマシューへと注がれている。


「ここから見たら、あんなにもちっちゃいのに……」

 米粒ほどの大きさだというのに、はっきりと見える。口元で刻まれる言葉がマシューの名をなぞる。


 オーリンの瞳に込められている願いは、マシューが慣れ親しんだ黄金の瞳にも負けない力だった。それはごく自然に風に乗り、マシューの元にまで届けられると、熱へと変わる。


「あったかくて、おっきいなぁ」

 マシューの身は真っ暗な空の海を揺蕩たゆたう。全身に流れ込んでくる温もりと、隅々を満たす心地よい感触に浸りながら、マシューはゆっくりと瞳を閉じた。


 なぜだろう、今ならば目を瞑っていてもまっすぐ歩けるような気がする。今まで経験した事の全てが、瞼の裏にくっきりと色鮮やかに焼き付いて見える。絡み合う絆の全てがマシューへと繋がっている。そのひとつひとつが、マシューの魂に刻まれた大切な想いのカタチであった。


 生きることは繋がることだ。

 ならば繋がるとはなんだ。

 足を踏み締め、自重を持って大地と繋がる。

 息を吸って吐いて、全てを包み込む空と繋がる。

 身体の内側に流れ行く血潮のように、川を流れてやがて大海へと繋がる。


 刹那に起きた出来事を受けて、全てを思考の内側に招き入れた時、マシューは巡りゆく時間を取り戻してゆく。急速に流れ始めた時と同期するように、頭のてっぺんからつま先まで、その全てが確固たる存在として馴染んでゆく。まるで世界と一体化してゆくかのように。考えるまでもなく、今までがそうであったように。そして、これからもそうであるように。


「そっか……」

 マシューは己が世界の法則から解き放たれ、それ故に、真なるところで繋がれた事を知る。軽く腕を振り、全身で空気を制御し、羽ばたくように空を往く。理屈じゃない。眼の前にあったのは、かつて自分が求め、ずっと待ち望んでいた景色だった。オーリンも、エミリオも、金狼(べへモス)も。脅威を示す分かたれし赤き獣(もう一体のべへモス)も。全てがマシューの内側にある。


「まるで鳥になった気分だ」

 空がマシューの思い通りになる。身体も、世界も。何もかもが自由自在で、マシューはこのままどこまでも飛んで行けそうな気がした。


「気持ちいいなぁ」

 風を掴む。言葉は無意識に身体の内側から出てくる。そこに交じわるのは純粋なまま色褪せぬ願い。眼下にある強大な存在は、マシューの心をどうしようもなく昂ぶらせる。


 幼き日より夢想し続けた物語。赤き獣は怒りをたたえた双眸でマシューを射抜く。


「何がそんなに気に食わないのかわかんないけど、えらく怒ってるなぁ。ならさ……もっと教えてくれよ。お前の中にたぎる、尽きて果てぬ怒りの全てを。大いなる力の底に隠した激情を。この、マシュー・ライザに、余すところなく!!」

 マシューは心に浮かんだ単純明快な言葉を舌に乗せ吐き出すように息と共に放つ。


 断層の裂け目を拓くように陽が進むと、天空を背負ったマシューを照らす。大断層の暗き底までも、光で道を示すように。


 マシューはその場にある全ての目を奪う。


 微笑みをたたえる瞳はいつも変わらぬ空色で、マシューという世界を表していた。





お待たせいたしました!

次回、魔導の果てにて君を待つ、第三十七話。

乞うご期待!

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