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第五話 守るべきもの 中編





 燦然さんぜんと輝く玉座。

 いつか見たものとは少し違い、そこには絢爛華美な色がついていた。


 玉座に座る少年。

 朗らかに笑みを浮かべるその姿。

 たぎる程の自信を象徴するように、少年は威風堂々としていた。


 それに、少年の傍らにはとても多くの者達がいた。

 その光景を見るだけでも、少年が周囲の者達に慕われていることが分かる。

 きっと彼は物語で語られる英雄の一人なのだろう。


 彼のような存在。


 英雄と呼ばれるそれであれば、どんな苦難も乗り越え、関わった人達全てを幸福へと導くことが出来るのであろうか。


 景色が変わる。


 広大なる蒼海。

 陽が照り付ける砂浜。

 風はやさしく気持ちが良い。

 鳥が飛ぶのが見えた。


 オーリンは思う。


 子供の時分よりずっと英雄という物に憧れていた。

 憧れて、目指していた時には、これほどまでに悩むことなどなかったのに。


 どうしてこんなにも弱くなってしまったのか。


 答えは分かっている。

 友を救えなかったからだ。

 だがその答えも今では合っているのかどうかすら分からない。


 わからないことが多すぎる。

 今はただ眠りたい。


──君を待っている


 心地よい微睡まどろみの中、誰かにそう言われたような気がした。





 * * *





 村を救う為に何ができるのか。

 結局のところ、どれだけ悩もうとも男の思考はそこに辿り着く。


 男は救いたいのだ。

 己を救ってくれた人達を。

 村で共に暮らしたみんなを。


 街を守っている騎士が教えてくれたのは、グアラドラの巡礼騎士ヘムグランと、白の導師クインの事。

 大災害の被害を食い止めるために、各地で活動をしている集団。


 導師と呼ばれる存在には、男は彼女以外にも出会ったことがある。

 非常に強力である魔導と呼ばれる技を、呼吸をするように使い、魔獣を滅ぼす導師。


 彼はどうなったのだろうか。

 もはやそれも遠い記憶である。

 考えても答えの出ない事であった。


 テオに預けられていた馬が鼻を鳴らす。


「お前も早く帰りたいんだな」

 空を見れば、また魔鳥が飛んでいる。


 男はベリオドンナの街にいて気付いたことがある。

 この街はもうあの魔鳥共に目を付けられている。


 それも執拗なまでに。


 ベリオドンナ自体を狩場にしようとしているのか、魔鳥の習性なのか、その一点だけは明らかであった。

 そして、ベリオドンナではクイン導師が騎士達と共に魔鳥共を撃退している姿もよく見掛けた。


 襲撃の尽くを、魔導を使いしのいでいる。


 しかし、その魔導の力を持ってしても、数の力の前には有効な手とはなりえなかった。

 男が街に滞在している少しの期間にも幾度となく魔鳥の襲撃があり、騎士達に手を貸して魔鳥狩りを手伝ってはいるが、それすら焼け石に水の状態だ。


 空では魔鳥が獲物を見つけたのか、低い滑空の姿勢を見せた。


 その姿を見逃すことなく、男は馬を走らせ槍で狙いを付ける。

 地上付近にまで迫っていた魔鳥を、騎乗したまま槍で貫く。

 勢いのまま横合いから貫かれた魔鳥は、悲鳴を上げながら地に落ち果てる。


「ふぅ……」

 討ち取った獲物を見ても、男には溜息しか出ない。


 もはや人手が足りないという次元ではない。

 そもそもあの化物の数が異常なのだ。

 狩られる数よりも、飛んでくる数の方が明らかに多い。


 この状況はある意味、街のどこであろうと戦場になりうるという危険性を端的に示していた。


 上空を旋回する魔鳥から、常に獲物を見るような目で見られている住民の精神状態はいかほどか、計り知ることもできない。


 男に出来たのは、ただただ槍を振るうことだけだった。


 現状出来る事は少ない。

 ならば重要なことは何か。

 緊急を要する事態に直面している以上、スルナ村の人間を救うには時間が必要だということだ。


 男は辺りを見渡す。

 まるで戦場のようであった。

 繰り返される魔鳥の襲撃により、人々は怯えて息を潜めながら暮らしている。

 もはや、この街は平和とは程遠い。


 馬を連れて、支度を整えていた男に声が掛かる。


 声を掛けてきたのは、英雄の片割れ。

 その姿は無垢なる白を思わせる。白の導師と呼ばれている女性であった。


「ここを出られるのですね」

「あぁ、この前は迷惑を掛けた」


「貴方の活躍により、私達も十分助けてもらいました」

 そんな事を言われて、男はクインと目を合わせる。

 その目は綺麗な、透き通った翡翠色をしていた。


 所作や佇まいは凛としていて美しい。

 だがそれでも、クインの隠しきれない疲れを、表情の端に男は感じ取った。


「あなたは十分に頑張っている。俺のような無責任な立場から無理をするなとは言えんが、それでも休息は必要だ」

 目を丸くしたように、男を見つめるクインの瞳。


「状況を見れば今がこの街の住民にとっても正念場ということは分かる。一つでも多く人の手が必要だという事も理解している。ヘムグラン殿に手を貸して貰って尚、逃げるような事をしてすまない。それでも、村の皆が心配なんだ」

 男は頭を下げてクインに言葉を捧ぐ。


 それは祈りのように。

 それは願いのように。


 今の男には救おうとしても救えないものの数の方が多い。

 求めるほどに、掴もうとした先からこぼれ落ちてゆくものばかりだ。


 男が守りたい大切なもの。

 己の弱さにどれだけ藻掻き、どれだけ足掻いた姿を晒そうとも。


 そして、男が純粋に願うのは、人の為の献身を一心に背負う彼女が無事であってほしいという事。


 力さえあれば。

 全ての人間を救えるというのに。

 無い物ねだりをしてしまうのは、人の性なのか。


「貴女の武運を祈る」

「ええ、貴方も御健勝で」


 再会を信じて、男は馬を奔らせる。

 物事を成すには、我武者羅なまでにありとあらゆる可能性の糸を手繰る必要がある。

 その身に触れる馬の温もりが、遠い誰かの命のように思えて、男の鼓動を早くする。





 * * *





 コンコン。

 コンコン。

 石を叩く音が響いていた。


「うーむ。どうも様子がおかしい」

 道中で見つけた大きな石に腰を掛け、サイは短剣で鹿を切り分けていた。


「歩いても歩いてもこの石の前に舞い戻る、はてさて」

 かれこれ半刻近く、迷っていた。

 周囲の魔獣を狩り尽くして探索を再開したはいいものの、今度はまた不可思議なことになった。


 歩けど歩けど、ぐるぐる回る。

 まるで迷いの森に入り込んだように。

 遥か遠方の大陸にはそういう場所も存在するという話を聞いた事はあったが、実際に己の身に降り注ぐとなると、途方にくれる。


「しかし進展がなくとも腹は減る」

 迷い込んでから随分と時も経っていた。

 サイは観念して夜を越せるよう準備をしている最中、偶然にも道中で出くわした鹿の血抜きをして、鍋にしていた。


 空は紅くなり、もうすぐ日も沈む。

 着の身着のままで夜を越えるのは流石に無謀である。

 サイは手際よく魔導を使い火を起こす。


「これも自然の思し召しというものか。温かい飯を食えば、心も満たされるというものさ」

 じっくりと熱を通して煮込みながら、胡座をかき、頬杖をつく。

 その場を円と捉えたときの中心点に、無造作に剣が立てられていた。


 魔導結界。


 物質に魔導を付加できるサイの特技を利用して、剣を介して根のように大地に干渉する技である。

 半径にすれば人の足で十歩程の小規模なものだが、それだけあれば十分だ。

 サイが込めた魔導の特性により、魔獣や害獣の類は結界とされた区域に踏み入ることは叶わない。


「明日には合流出来れば良いのだが」

 そう言いながら掬った鍋は、身体を芯から暖める。


「旨い」

 飯が食えて、腹が満たされる。

 人が生きて行くのに必要なものはそう多くない。

 だけれども、多くの人間が困難に直面した時にそれを思い出す余裕がなくなる。


 パチパチとはじける火の粉を見ながら、サイは心地よいまどろみと共に目を瞑る。


 仲間がいて、ヤン導師がいて。

 皆で飯を食う。

 それだけでいい。

 サイは心からそう思うのだった。





 * * *

 




 風が身に沁みる。

 気温が下がり、空は紅から黒へと色を変える。


 冬の時期は木々が乾燥し、地には枯れ葉が多く落ちている。

 その場で座りながら枯れ葉を踏み鳴らして出た音は、どこか幼き日の郷愁きょうしゅうを思い起こさせる。


 何者かが枯れ葉を踏みしめる音がする。

 座したままサイはゆっくりと目を開く。


「ほう、このような場所で珍しいこともあるものだ。迷い子か」

 目の前に現れたのは、とてもちいさな少女であった。


「お兄ちゃん?」

 小さな少女、マルクは怯えたようにサイを見る。


 マルクは蝶を追っていのだが、途中で灯りが見える事に気付いた。

 そこにいたのは、マルクがいつも慕っているお兄ちゃんに似た雰囲気を持つ男。


 くたびれた印象を受けるが、黒く長い髪を後ろに結って、ゆったりとした白い服を着ている。

 その衣服の下には鎧と、腰には剣を下げている。

 男が剣士だということは、マルクにも分かった。


 いつも父に会いに来る人たちに、よく似た格好をしていたからだ。


「俺はサイ・ヒューレ導師だ。ここで悪い化物退治をしているのさ。お嬢ちゃんはどうしたんだい? こんな所に来ては危ないぞ」

「……導師様? マルクは街に行くお兄ちゃんの見送りに来て、途中でオルフェがいなくなったの」


「見送り? ふむ、迷い込んだのか。ここは危険だ、夜が明けたら俺が君を村まで送ろう。いいかな?」

 サイはマルクを怖がらせないように言葉を選ぶ。

 こういう時、年少のクルスがいてくれれば助かるのだが、己しかいないのだから仕方がない。


 そんな時、小さくマルクのおなかが鳴る。


「腹が減ってるのか、まだ鍋は残ってる。食べるか?」

 少しの恥ずかしそうにした後、頷くマルク。


 暖を取りお腹も満たされたのか、焚火の側でマルクはうたた寝をしていた。


「疲れただろう。ゆっくりと眠るといい」

 優しげな声で、サイはそうマルクに話し掛ける。


「手を……」

 横になり、サイに渡された外套に包まれながら、マルクは小さな声を出した。


 その目は眠そうだがジッとサイを見つめている。

 マルクの手は傍らにいるサイを求め中空を漂う。


「……ふむ。まあいいか」

 サイも子供の面倒を見るなど、数年ぶりの事であった。

 逡巡したが、どちらにせよ迷うほどのことでもない。

 差し出されたマルクの手を取る。


 温もりを感じたのか、安心したように目を閉じる少女。


「夜が明けたらディーやクルスと合流しないとな」

 そうぽつりとこぼす。

 サイの手に伝わる温もりは、小さいながらも懸命に命が生きていることを、確かに感じさせた。






いつも閲覧ありがとうございます。

本当に感謝です。


次回投稿予定日は、3月25日木曜日夜の予定となっております。

『魔導の果てにて、君を待つ 第五話 守るべきもの 後編』

乞うご期待!

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