八
暗室、彼はそこでじっとするのが好きだった。彼が感じている感情は好きとは大いにそれる感情であったが、側から見るとそう見えた。
夕焼けは唯一の明かりであったがすぐに消えてまた暗室に戻ってしまった。夜が来ると彼は部屋を出て明るい廊下を歩き居間で妹の作った飯を食って電子機器を立ち上げる。それから飛び込む情報を全て頭に入れて端から端まで覚えきる、一日一に丁寧に朝日が登るまでずっとそのまま続けるのだ。
辛いという感情はとうに消え、日々刻々変わる表示板の文字を絵を全て反芻するのだ。
一年に一度、その行為が報われる時が来る。彼は暗室で書いた綺麗な書類を紐で結んでゆっくり、のっそりと建物の入り口で車を待つ。待ってからきっかり三十分で車は来る。汚い車だ。
彼は全てを知っている、人工知能すら知り得ない情報網から人、社会の全てを吸い上げるのだ。何故できるのかは寡黙な彼は一切話さない、暗室に篭り仕事をする、それが生であり存在理念だと思っていた。
街灯の光は泥まみれの茶色い車と微かに窓から筋を通すが何一つ照らすことは無い。轟く咆哮は彼の耳には聞こえなかったが頭の中では響き渡り、常に焦燥感を生み出していた。
高層建築物の穴は既に塞がれ外からは一切見えなかった、彼は一年前とは一切違う情景を目に焼き付けた。
彼はついにしわがれた声を出した。
「変わりましたね、随分」
誰にも聞こえない、口だけが動いた。
全てを脳へ、あらゆることを脳へ。記憶も感情も情報網に転がりもの全て脳に詰め込み反芻する、彼の頭の中は一つの世界が形成され大まかな未来すら読み解くほどに正確に再現されている。利用されないとは当然、彼は微塵も考えていなかった。母の遺言に彼は従った。協力を仰ぐ政治家は彼にとって最高最適の空間を与え一年に一回、報告を受けることとなった。
ある意味、一人のだけが世界を回していると言っても過言では無い、常に暗室に籠る彼は側から見ると好んでいるように見えた、しかしそれは彼が焦っているだけなのだ。
テーマ無し