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練習・習作  作者: 黒心
39/43

三七

 山奥の地下であろうと、やりにくいものはやりにくい。ベットは堅く、食事はイギリス料理並みに不味い。加えて冷暖房もコーヒーも娯楽もない。全く快適な日常生活を断念した倉庫内の日々、私の大腸はいち早く異常を察知した。


 恐ろしいことに倉庫にトイレという文明の第一歩はない。武器弾薬、ペースト食に石のような乾パンは積みあがっているだけに、簡易トイレが一つもないのはおかしいではないか。倉庫の隅で蹲る私は、世界一情けない声を出して骸となっているだろう。


 それはさておき。


 “次”の準備は整った。



 石膏ボードの箱の中、一定周期で瞬きをする検体の感情は当に失われ、年齢に見合った思考能力を失ったソレは知能持った霊長類の長に君臨する種族の幼体とは思えない。


「……」


 首の後ろに突き刺さる太い管はニューロンに接続されあらゆる種類のデータを取得している。管が伸びる先には冷たい装置が控え、静かに受け取った情報を処理していた。

 茫然自失となっている検体――当然18(エイティーン)だ――記憶の有無・反応速度を調べたところ、ニュークの機械では測定最低値を記録した。

 頭脳を持たない生物でも勝てない数値だが、“珍しい”ものではない。


「必要なのは脳の内部を騙すこと。記憶喪失をしている内に新しいもので塗り変えなくては……」


 人間の記憶は不思議なもので、臓器移植の結果記憶が譲渡されたという話がある。真偽不明の、豚が牛を産むのに等しいと断じる研究者も一定数存在するが、ディープシーのようなものだ。あるないを決めつけるのは早計と言えよう。


 私は麻酔薬を片手に持って、動かない検体に注射を打ち込んだ。


 痛みへの反応は失われていなかったが、すぐに薬によって意識を失った。


 ここからが難しい検証だ。私の持てるすべてを使って推測できる可能性を試していこう。




 数日前、坑道の事務室だったところを改装しあオフィスでニュークと仕事の会話をしていた。そのころは検体18号が過剰なストレスにより記憶を失っている最中で、自己の概念を失いつつあった。


「あんたのお陰で職員に休暇を取らせることが出来た。感謝するぜ。報酬として本社からお望みのものを仕入れる権利が与えられた。自由に使ってくれ」


 自動掃除機が徘徊する床は大理石でそこにニュークの赤いパーカーが鏡のように反射し、オフィスを取り囲むガラスに小さな赤円を作っている。

 いつになく上機嫌な専属上司は横柄な態度を隠しもしなかった。


 キャリアの密度は明らかに彼の方が上で、僅かな研究を行っていた私など会社から援助を受ける彼には象から見た蟻のようなものだ。おおよそ敬意の払う気持ちになどなれない、と言ったところか。


「出来れば人を、と言いたいところだがあの会社は面倒ごとを嫌うのだろう?。屍は用意できても生きた人間は到底……」


「そうだった。話し合いにはコーヒーがつきものだろ。いや、紅茶の方が好きか?」


 大げさな動作で私に質問するニュークへ首を振ると誰もいないオフィスに溶けこんでいった。ガラス面の向こうに見える机の羅列、生活感の残る清潔さばかりで、空気清浄機の青い光がさみしい。本当に彼は全ての職員に休暇を出したようだ。


 手隙の間にメモを書く。今の私が欲しているものを手に入れてもらおう。


 ニュークが残っている理由はここの保守管理も仕事の内だからだろう。ここで彼以上に権利を持っている人間は居ないし、責任を取れる人材もいない。


「ブラジリアンとベトナミース」


「ベトナミース」


「どっちも砂糖を過剰に入れさせてるぜ」


 安っぽいドリンクマシーンに砂糖の微調整を願い出るほど私は夢想家ではない。


「アメリカは過剰が取り柄だ。ありがたく受け取ろう」


 彼は肩を竦めた。


「迷惑な話さ……」


 彼は私がどこの出身かあたりを付けているようだった。


「あんたは仕事さえできたら良い性質(たち)だからな。過剰がいいくらいだ」


 メモを渡し、本題に入るニュークの眉間は前よりも皺が増えたかもしれない。それが気のせいかそうでないか、私の記憶は不正確だった。


「極新鮮な死体が手に入ればいいだけで、ニューク、難しいお願いではない」


「“博士”」


 いけないな、頭角を現す賢い人間を見つけたら揶揄ってしまうのは。いいや、嫉妬心か。自分の醜さに舌打ちを投げかけずにはいられないものだ。しかし表に出してはならない。静かに微笑みをたたえるのだ。


「アメリカンジョークの一つと思ってくれ。ズレた話でもない」


「まぁ……ズレてはないな」


 渋い顔をする彼を横目に私はインスタントコーヒーを飲み干して部屋を出たのだった。







 防護服に梃子摺る私を遠目に、手に入れた臓器は遠隔手術によって丁寧に移植されていく。


 激しい拒絶反応によって検体は死に至る可能性は高い。


 免疫抑制剤を大量の血液を使って一定濃度に保ち、名医に危険な手術を黙秘させ、脳死死体を盗み出すのはさぞ金がかかった事だろう。自前で薬を仕入れたとしてもだ。


「狂気じみてる」


 現場での立会人兼器具調節員として装置の傍に座るニュークは始まって早々に呟いた。

 検体本来の肺は無造作にコンクリートに投げ捨てられ真新しく禍々しい肺が押し込まれる。肝機能腎機能、身体の全てを差し替えるのだ。これを狂気と言わずしてなんと例える?


 この空っぽになる予定の脳死体は不明な州の十一歳のラテン系。容姿、知能、家族関係までほとんど同じだ。唯一違う点は脳死体は“姉”ではなく“妹”だった。


「同意するしかないな。アメリカの規模の大きさと、命の軽さに対するそれに」


「あんたに言われたら会社も嘆くだろうよ」


 道徳的観念からみればニュークの言い分は十分に正しい。しかし、彼は自身の行いを棚上げしているようだった。私は特にそこを指摘しなかったが、ニュークの表情が僅かに褶曲したのを見逃さなかった。


 兎も角、この実験はつつがなく終わったことに改めて感謝する。

 遙か海の向こうから移植手術を行った医者たちには匿名性の高い金品――密輸された金塊若しくはSSDに内封された電子化現金――が支払われることだろう。


 検体の予後は嵐の前のように穏やかだった。


「値は正常。心電図も問題ない。起きれば早速記憶の確認と植え付けからか」


 抗ヒスタミン剤の積み重なった石膏ボードの部屋は新たに追加された一室に必要なものを全て押し込んだ。

 これはニュークの新しい案の一つ、検体18号に自分がどんな人間だったのかを学習させる。そのために世界中から無名の物書きたちの断片を集約し、一つの虚像を作り上げることになったがこの作業は実態よりも結果の伴わないものになるかもしれない。


 私はどうでもいい、よくあることだ。だがニュークはどうだろう。また、失敗のレッテルを張られる。


 私は検体の眠る部屋に入り声を掛けた。


18(エイティーン)18(エイティーン)


 過剰なストレスで髪色がすっかり変わった検体を起こすのは一苦労だった。麻酔薬の投与による昏睡はすでに十五日間続いているが、検体は未だ覚醒を体験していない。脳機能障害は確認されていないことから、単なる昏睡だ。入れ替わった臓器が重たいのか、首に突き刺さっている管が原因だろうか。


18(エイティーン)


 ニュークの機械が僅かに反応した。


18(エイティーン)


 さらに反応が活発になる。


18(エイティーン)


 太陽が雲から音もなく現れる様に、検体の両目は蝶の羽ばたきのように静かなものだった。輸送中の事故によって真っ赤になった瞳は異常なものの、起き上がった検体は特に異常は見られない。


 細くなった太ももではこの小さな体すら支えることは困難なようで、検体はベットから地面に足を付けて早々にこけた。


「まずは筋肉量の回復からか」


「……」


 言語野は手を入れていない。私の言葉は理解しているはずだ。


 煩わしいが私自ら検体の体を持って隣の部屋へ移動する。扉をくぐれば必要不必要を考えずに詰め込んだあらゆる道具、知識がある。当然、その中に軽い運動器具も含まれている。


「これを持て」


 平行に並べた二つの手すりはニュークの考案だ。


「歩け」


 手すりを持って震えているところを見るに、私はより長期の戦略を建てなければいけなくなった。





 通常歩行可能な筋肉の確保に悪戦苦闘し、思いの外時間がかかった。しかしながら記憶喪失状態が自己同一性に過負荷をかけるのか著しく不明だ。


 すなわち時間がない。


 今は人形使いが羨むほど言葉で操ることが出来る検体も、いづれ記憶を取り戻せば当然自己を得る。


 ニュークは偽りの記憶を植え付けることで解決しようと提案してきたが、私の研究はそちらではない。


18(エイティーン)。ノルマを課す」


「……」


「分かるか?」


「んん」


 私は心の中で悪態を吐いてしまった。検体の習熟度は低くなかったが記憶と一緒にどこかにやってしまったらしい。くそがっ。


「これから教えることが出来なければ」


「……」


 真っ赤な目が動いた。


「指を噛め」


「……」


 明らかに動揺している。トラウマを深く植え付けることで記憶の回復を阻む。そして脳以外の置換できる臓器を全て入れ替え万全の準備を施した。


 記憶を司る脳を変換できればより、楽な研究になったはずだ。


「どうした18。早く進め、まだノルマすら課されていない」


 必死に両手両足を動かし検体は汗を流しながら手すりを渡り切った。


「指を噛め、18。ノルマはそれからだ」


「いや……」


 消え入るような否定の言葉。検体の脳はまだ覚えている。


「今日一日中、指を噛み続けるのか?」


「……」


 瞳のように真っ赤になった床で検体はゆっくり私を見上げた。


 弱々しい。


 それでいい。


「今日は自由にしろ。床は綺麗にしておく」


「……」


「返事をしろ」


「イエッサー……」


「違う」


 昔の趣味なのか?


「イエスマスター」


「違う」


「イエスマスター」


「違う」


「イエスマスター」


 検体はまさに壊れた玩具だった。電池が切れたわけではないが、基盤が壊れて本来の動作をしないそれ。


「謎だな。あとで報告書にどう書けばいい」


「……」


 物事は突然現れる奇跡ではないし須く偶然ではない。積み重なった必然の末の結果だ。


 私はこの面倒ごとを“考察”する必要がある。


 ……取り掛かる前に床を拭こうか。






「へぇ、“博士”にも相談のコマンドが残されているとは、絶景だぜ?」


 傲慢なニュークはアメリカンコーヒーを片手に私の出した報告書を読んでいる。


 あれから一二日間、検体にノルマとトラウマを植え付けることを繰り返した。私が得た結果はマスターと呼ぶ検体十八号と基本動作を取り戻しつつある検体十八号のみだ。


 これを成功というか失敗というかはまだ定かでは無い。しかし、マスターと検体が呼ぶ理由は一向に不明だった。


「もっと単純に考えようぜ。あんたは検体の臓器を全部ひっくり返しただろ。置換先の記憶、それの考察が抜けてる。おぉ神よ(ジーザス)──」


「──やめろ。ああそれでその臓器はマスターと誰かを呼ぶように決められていたと?」


 人間から抜き出したものに想像未満はない。

 それよりも私の心を突いたのはニュークは挑発的な目だ。認めよう。今だけ彼は挑戦者だ。


「上から教えられた情報は極端に限られてるが俺だって馬鹿じゃねぇぜ。一つ一つ小さな開示から全体像を掴むことだって可能だ。博士。それは“考察”だぜ。いいか、連邦裁判所に持ち込まれた事件に幼児誘拐とその他諸々がある」


 珍しい話では無いがニュークが話し始めたものは倫理的に払底した人間の末路を予想させた。

 私は冷ややかにニュークを見下したが、興味深い以外の感情は湧かなかった。


「判事はこう言ったらしい。洗脳の末に売り払ったと」


 彼の属する企業は予想以上に優秀なのだろう。実際ニュークの実験に非常に適している検体を持ち込んでいる。あと少しのところで私が割り込んだ形になっているのだろう。


「君の雇い主は想像を超えるゴミ漁りのプロフェショナルだ」


 冷たい目は変わらない。


「あんたにいわれりゃ会社も泣いて喜ぶだろうぜ。何せ、“博士”なんだから。名無しだから調べるのに苦労したけどな……確かに博士号は存在してたがその後の活動記録は全部嘘だ」


「その博士と呼ばれるのは気分が悪くなる」


「マンハッタンで何があったか知らないが、一回消されてよく飄々と……」


 会社の重役たちが面食らった光景が思い起こされる。


「話が盛大にズレてるぞニューク。私の報告書から“考察”するのだろう」


 彼は挑戦者だ。

 私は受けて立つ必要がある。


「俺以前の人がやった検体一号の記録と酷似してる。考察するまでも無いぜ。それに……あんたは検体十八号の両親に面識があるな?」


「無い」


 彼は数少ない事実から私という人物像を導き出そうとしている。いや、すでに導いている。

 しかし、これは実験に関わることでも契約に関することでもない。若いニュークの好奇心と言い換えられよう。


「じゃあ何で検体十八号に“妹”がいると知ってた」


「検体から直接聞いた可能性を排除するな、ニューク。話はそれだけか?私たちは些事に拘ってる暇はない。企業は成果を待ってくれるのか?お前の人生は遊んで成果を得られるほど長いのか?イタリアに行ったのは精神的都合なのだろう。もう君に残された妥協は僅かだ」


 意地の悪いことを言った。若さを目の前にするとどうしてもこうなる。


「……あぁ同意するぜ。時間がない。“博士”の報告書には問題なかった」


 彼は背を向けて立ち去った。

 残されたのは僅かに余ったコーヒーと、私の報告書だけだ。





 四十日目、検体に学力テストを施したところ年齢に依らず良い結果を叩き出した。過去の欠如から創造性の抽出に苦労すると思われたが、実際にはノルマから抽出してるためテスト結果が良いのだ。


「マスター。睡眠を取りたい」


「ノルマ達成後は自己判断だ」


「イエスマスター」


 検体の持つ感情の読み取りは困難を極める。機械のように無表情で、いや、指噛みのときだけ義務的に恐怖したような感情を発露させる。


 ニュークの機械によれば何も感じていないようだ。


 つまり、段階的に難しくなるノルマに含まれるストレスは頭髪に影響するほどではない。しかし、現に検体十八号の髪は白いままだ。


 私や機械の感知しないところでストレスが掛かっているのか……それとも。


「……」


 頭に重たい管を通し、それを引きずって歩くことにも慣れたようだ。もう検体は脳が千切れることを恐れることはない。


「18。何を考えている」


「マスターのこと、だけ」


 機器は沈黙している。


「それ以外のことは何を考えた」


 機器の数値が変動する。


「……」


「私とノルマ以外のことを考えるのは許さない」


 数値が大幅に変動する。


「いいか。“許さない”」


 検体は私が命令するまでもなく、自ら床を血の海にした。


 掃除が面倒だ。






 アイデンティティの破壊と復活。それはまるで溶けたチョコレートを固め直すようだと思ったことがある。


 結論として、成形し直されたアイデンティティは劣化した。


 自己判断に優れ、従順、知力も申し分無い。だが、復活したアイデンティティは人間というよりも機械と言った方がそれらしい。


 検体十八号は私の命令だけに従い、私の罰だけに従い、私の飴だけに希薄な感情を持つ。


「で、完成したのがそのエイティーン。役員の前でお披露目は難しいぜ」


 管が外されたエイティーンはニュークの言葉に反応しているか不明。そして目の焦点が一切動いていない。


「商品化は難しいだろう」


「博士がそれをいっちゃあ……否定できるのは誰もいないか」


「筋を変えよう。罰はわかる。従順なのも、それで飴は?」


 ニュークはアメリカンコーヒーを両手に持ち、片側ずつ交互に飲んでいる。何故そうしているかは聞きたくも無い。


「無い」


「……オーケー。あんた最悪だ。さいっこうにイカれてる。何もしないことが飴なんだろ」


 いつも着ている赤いパーカーが擦れる。


「ストレスは私自身だ。慣れるはずもない諸悪の根源、君なら分かるはずだ」


 私は少し期待した。


「俺が悪?冷たいような顔をしてるあんたも悪なのか?」


 彼の回答は私の予想したものと大いに異なった。彼は両手のコーヒーを机に置いて、片足を組み、私を凝視する。


「俺たちは研究をした。それだけだろう?なぁ、“博士”。この際だ。師匠と呼ばせてもらおうかな」


「マスター」


 エイティーンが無駄なことを言う。

 図に乗る若者は嫌いだ。


「そうか。マスター。じゃあ俺のマスター。マイマスター。おい、入ってこい」


 アイデンティティに関する研究をしているのは私だけではない。当然、目の前にいるシャワーすら浴びていない男もそうだ。


 ニューク。


 私の知る限り、この研究の第一人者だ。


「……木偶人形」


 両手を失った検体が背負っている機械補助によってドアを開け、入室した。


「五体満足は無理だった。あんたのやり方は少々過酷だと思ってたが、俺も人のことは……まぁ、見た限りだ」


 やはりニュークは私以上に天才だ。


「今回は素体が良かった。仕込まれていた」


「博士の執念はよく分かった。一度抹殺されてもまた戻ってきて、たった一つの新聞記事で推薦した俺の手下になって、好かなくてもやり遂げた」


「18。行くぞ」


「イエスマスター」


 これ以上話せば私でもボロが出そうだ。


「報酬は……そうだな。あんたが必ず行くところに送る」


 私は黙って外に出るしかなかった。


 薄暗い坑道を通り、分岐点を間違えずに進み、世界が開ける場所に出る。


 僅かな日常、私の人生にとって大した値打ちのないものが終わった。


「やはり嫌いだ。ニューク」


 一台のハーフトラックが止まっている。汚れた私たちを運転手が見つけると、手招きをしながら大声で言った。


「マンハッタン行き!」




 *




 夕焼けに染まる室内で、新聞紙を広げる。


「FBIが有名製薬会社を調査、か。名前すら出せないとはメディアも随分と堕ちたものだ」


 多額の賄賂に漬け込まれたオールドメディアの残骸たち、今回の騒動はFBIのちょっとした良心からくる最悪の事態……違うな。最良の結末で遅すぎた末路だ。


「マスター。皿洗い終わった」


「分かったエイティーン。昼まで休め」


「イエスマスター」


 教えようと思えばエイティーンはあらゆる事を吸収するだろう。記憶喪失に伴うアイデンティティの喪失の利便性だ。しかし私は知識だけで戦闘術は知らないし伝もない。今は私の知識を流し込んで助手にする事ぐらいだ。


「マスター。客来た」


「……逃げる用意をしておけ」


「イエスマスター」


 最低限の荷物はいつも整えてある。窓を開けて逃走経路が安全な事を確認したら扉を開けるだけだ。


 ギィと築二十年の重みある音が鳴る。


「帰れ」


「まぁまぁ、そんな顔しなさんな“博士”」


 一言一句、抑揚も変わらない第一の挨拶。


「マンハッタンの博士になれて良かったじゃないか。名前も顔も変えて、あぁエイティーンはそのままヴァンパイアみたいな」


 白い髪に赤い目のことだ。


「大金の中に混じって住所と整形外科があったら誰でも分かる。それよりもだ。ニューク。あの失敗作で会社の重役を説得することはできたのか?」


「まさか!」


 赤いパーカーが大げさに擦れ動く。


「首だ。棺桶に入れられてワシントンにいた。ビックリしたよ。起きたら教会だったんだ」


「……それで?」


「何もかも捨ててまた一からやり直しさ。あんたと同じだ。マスター」


 私は自分の表情がわからない。


「でも金もない地位もない名誉も剥奪されたら俺には何もない。わかるな?」


「マスター。臭い」


 ニュークは一瞬酷く落ち込んだ。

 この若者にも羞恥心やら他人の目を気にすることがあるらしい。


「もう一ヶ月はホームレスしてるからな。でだ、博士、あんたの部下にして欲しい。優秀な部下はいくらいても良いだろ」


「エイティーン。出発の準備だ」


「おおっとそう突き返すなよ。土産はある」


 視界外からヌルリと現れたのは黒服の屈強な男女で、私とエイティーンを威嚇するだけの殺気と銃器を持っていた。


「CIAのエージェントだ。協力を」


 二丁の拳銃を突き付けておきながら言った。


「……あぁ分かったニューク。今日から部下だ。但しエイティーンの部下だ」


「イエスマスター」


「ありがとう師匠」


エイティーンの成長には丁度いい。彼は私以上に誰かを育て上げるのに向いているし何より天才だ。その知識を貪欲に吸収するエイティーンなら十分に生かすことが出来る。もし違った結果になっても害はない。


「何をさせるつもりだ?」


 エージェントと名乗る男女は見合ってから私に話した。


「CIAは従順で高性能な下僕を求めている」

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