2人の少女
……頭が、ふわふわしている。気づけば僕は、なにやら白い光の中に包まれていた。
……ここは?
「」
「」
「」
まっしろな空間。僕には、男と誰かが話しているのが見える。言っている事は、よく分からないけれど。
誰か、といえども多分人じゃない。ぼんやりとした後光に縁取られたなだらかなシルエット。ニコニコ笑っているのはわかる。けれども、それには口がない。目もない。ただニコニコ笑って、男の方を見ている。
……否、男、なのだろうか?僕にはその誰かと同時に、もう1人──人間であるほうの姿も見えていた。
その黒い髪は長く、肩にかかるくらいで雑に切られている。目の色も黒。そうして賢そうな黒い制服を着ているというのに、口をぽかんと空けて、馬鹿のように呆けた眼をしているのは。
「まぁ、とりあえず楽しんでよ。だって──」
人でない何かがニコニコ笑っているその側、僕はなんとなく、男の正体に勘づいた。
ああ、僕か。これ。
「……い、お……ー…………、おーい!!!」
空が、見える。どうやら僕はまた道路に寝転がっているらしい。
真っ赤に焼けた、夕空。
──学校に遅刻する!?
「────ハッ!」
「痛ァッ!?!?」
びっくりして起き上がると、何かとおでこがぶつかった。誰かいる。誰?痛みから立ち直って、涙目で見てみる。
誰かが僕と同じようにおでこに手を当て、天を仰いでいた。……女の子、だ。茶色の長い髪をツインテールにして束ねている。服装は……なんだか、ファンタジーな絵本そのもの、というような感じ。
ああそうだ。確か僕は、迷子になって、色々あって、この女の子を助けようとして……それで?
少しでっかい方の男の人の腕が、バチバチと電気を纏ったところまで覚えている。それ以降の記憶がない。もう居なくなってしまったのだろうか?
「わわっ!ごめんなさい!」
「……ああ、いいよ。
そっちこそ、怪我に響くだろう」
「へ?怪我……?」
後ろに引きながら慌てて自分の体を見下ろしてみれば、……まぁなんということでしょう。血らしき赤い汚れが、点々と服に滲んでいたり、布がところどころ破れていたりする。肌にもいくつかの切り傷。
切れた端の部分は、まるで雷に打たれたように焼け焦げており。
「……もしかして僕、一回死にました?」
「治癒魔法を使ったから大事にはなってないと思うぞ。無かったらヤバかっただろうな」
「ちゆ。……すみません。何にも役に立たないどころか、逆に迷惑をかけてしまって」
「別にいーよ。私も、こいつらをどうにかする口実を考えていたところだったしな。
……流石に、怪鳥の鳴き真似しながら来る奴は初めて見たが」
「!?こいつら、って」
もしやまだ居なくなってなかったのか、と。気になった単語を聞き返す間もなく、慌てて彼女が指差す方向を見れば、そこには舌を出して伸びる2人の狼男。
……まさか。どうやら、この人は僕やこの男達よりとても強かったらしい。そんなことがあるのか。
「女ってだけで、ツケが相手持ちになる世の中じゃねぇしな……と、それはまあ良いか。
……なぁ。お前、名前は?どこの国から来た?
そんな上等な衣服に、黒髪に。お前、この町の人間じゃないだろう。怪しい事この上ない」
「え、えっと」
困った。名前も国も分からない。それはさっき自分で確認済みだ。彼女は鋭い目つきでこちらを見ている。
何かないか、とポケットを探ってみる。大きなプラスチックの飾りがついた指輪、神社の安産祈願の謎のお守り、カラスの羽……やっぱり何もないかもしれない!逆になんてものを入れてるんだ、前の僕は。
……その時、指先に少し重めの感触があった。キャンディの袋などを散らしながら引き出してみると──
(──生徒証明証?)
どこかの高校の、見覚えのない校章の。迷わず開いてみれば、1ページ目にそれはあった。
ほとんど血や泥で汚れて読めなかったが、そこには見覚えのある顔写真。性別、男。読みも分からない高校の名前と、
──自分の、名前。漢字の上に、拙い文字でふりがなが振ってあるようだ。下の名前だけ、なんとか読み取れる。
「……トワ、です」
僕の名前は、「幾望途和」であるらしい。
そして下の名前が、トワ。
つきり、と、頭の奥が痛んだ。
「──って、いうかんじなんです」
それから、僕は彼女にここまでのことを話した。気づいたら知らない世界にいた事。記憶がないこと。迷子になったこと。声が聞こえて来たということ。
なにも、分からないのだということ。
彼女はひとしきり目を丸くしたあと、また額に手を当てて言った。
「……失礼。どうやら、なにか辛い事があったようだな」
「ショックで妄想が爆発したとかじゃないです!」
「だが、それくらいしか……結界がある限り、この街に転移魔法で来られる訳がないしな」
「結界?」
まただ。聞き覚えが、無いわけじゃないけど、馴染みのない単語。それこそ勇者の絵本でしか読んだことがない。
おうむ返しにそう言う僕に、本当に何かを察したようだ。彼女はふーっ、と、呆れたように息を吐いた。
「結界を知らないとは……そういや、さっき治癒魔法って言った時も変な顔してたな。
本当に、異世界から飛んできたというわけか?」
「そうみたいです」
「敬語はいい、虫唾が走る。
……私の名前はハレノだ。よろしく」
ここでふと気づいた。言葉は、どうやらごく普通に通じるようである。
今いる場所は、外国のお城のような建物が道の両脇に立ち並ぶ街路。そこそこ治安が悪いところらしい。ハレノさんは買い物の帰りに襲われたそうだ。
「ったく、にしてもこいつらもアホだよなぁ。
魔法に関しちゃ老若男女も関係ないってのに……それとも、もし発動されても自分なら勝てるだろうと高をくくってたのか。本当に馬鹿野郎どもだ」
「あの、ハレノさんはどうして、そんなに強そうな2人を倒せたんです……あ、倒せた、の?」
「……ん、まぁこんくらいなら見せてやってもいいか。
何も、こうしたんだよ」
そう言いつつハレノさんはなんでもないように──男の人2人を、右手で持ち上げた。ちょうど2人の胸ぐらを同時に掴む感じである。
それから、空いた左手で持っていた買い物袋を頭に乗せた。……なぜか、落ちる気配が微塵も感じられない。
「これがいわゆる『魔法』だ。詳しくはここじゃ言えねぇな。誰が聞いてるか分かったもんじゃないし。
……ほら、お前も」
それから、彼女は僕に手を差し伸べた。
「え?どういう、こと?」
「だってお前怪我してるだろ。腹も減ってるだろうしな。
治癒魔法をやったとはいえ、私じゃまだまだ治りかけだし……こいつらを突き出すついでに、私が働いてるとこに連れてってやろうと」
「……ありがとう!!!」
僕は迷わず手を取った。こういうのなんて言うんだっけ。渡りに……何?
とにかく助けてもらえるというならこれ以上のラッキーはないだろう。というより、ここで頼らなきゃ多分死んじゃう。
……にしても。あんなに痛そうな傷が沢山あったのに、なんともないなんて。治癒魔法ってすごいんだなぁ。
そんなわけで、僕は右手に狼男、頭に袋を乗せたハレノさんの左腕に抱えられ、彼女が働いているという店に連れて行かれることとなったのでした。
「ただいま帰りましたー」
「お、おじゃましまーす」
他の人の家に入るときはこれでいいんだろうけど、店に入るときはどうすれば良いんだろう。少なくとも普通は言わないだろう。いらっしゃいませとかかな。
途中で警察官みたいな強そうな人に狼男を引き渡して、そのあと。
相変わらずよく分からない記号が踊る看板。その扉をくぐりつつ下らないことを考えていると、おそらく厨房らしいところから誰かが出てくる。長い銀髪を後ろで束ねた、女の人だ。
「ワー、ようこそ!」
どうやら無事に歓迎してくれたらしい。の割に、口数は少ない……というか、不思議な感じだけど。
「イリシカさん。その圧縮言語、はじめての人にはたぶん通じませんよ……
私だって、半分は分かんないんですから」
「イリシカ・ライドリー!」
「トワ、駄目そうだ」
「……えっと?」
接続詞とかが全くなくて、ほとんど聞き取れなかった。
ひとまず、この女の人の名前が「イリシカ」であることと、ハレノさんより立場が上──多分、この店の店長であることは分かった。
……それ以外は分からない。
「トワ、店!店長……」
「ああ、すみません、文字が読めなくて……」
「ミート・ライドリー!肉売ってる!パン!」
「肉……?パン……???」
「イリシカさん、ちょっと黙っててください」
「ア……」
そう言われて、イリシカさんはしょんぼりしたが……その後、すぐに立ち直り、どこかへ駆けて行った。
ぽかんとしていると、隣にいるハレノさんが詳しく教えてくれる。
「ここは精肉店の『ミート・ライドリー』だ。私はここで働かせてもらっている。
そして、お前の思っている通り……あのイリシカさんが、ここの店長だ」
「あの喋り方は?」
「どうやら意思疎通に言語を介するのが面倒らしくてな。一度に複数のことを話そうとしてああなるらしい」
「どういうことですか?」
それから肝心のイリシカさんは、なにやらスケッチブックのような紙の束とペン、それからガラスの瓶をひとつ持ってきた。……なんとなく幼い子供のように感じられるのは、話し方のせい?
それからイリシカさんは、なにやら飴玉のような物を瓶から取り出して、口に含み……
「……んんっ!よし、ちゃんと喋れるわね。
ということでようこそ、トワくん。突然驚いたでしょう?」
「え。あ、は、はい。すごくびっくりしました。
……あれ?どうして急に?」
「口に何か含むと、舌が回りにくくなって逆に話しやすくなるらしいんだ」
「そうなんです……ね……???」
飴玉を食べながら話せるなんて。僕ならきっと途中で飲み込んじゃうな。それともあれも魔法?……多分違う気がするけど。
困惑し続ける僕を置いていきながら、イリシカさんは続ける。ハレノさんは諦め半分、憐れみ半分の顔でこちらを見ていた。
「で、どしたのハレノちゃん。彼氏?」
「んなわけがありますか。クソ共に絡まれてたところを、こいつが助けてくれたんですよ」
「……ああ、いつもの!」
「いつもではないです」
すると、イリシカさんは急激に距離を詰めて来た。
僕の体を上から下まで眺める、黒色の、目。だがその奥には青色の火花が散っているように見える。
……もしかして、これも魔法?なんだか全部魔法に見えてくる。
「……ほほう、こりゃ酷いねぇ」
「これでも治した方なんですよ。行き倒れてたっぽいんでなんか食わせたいんですけど。
……もろに感電してたんで、もしかしたら内臓イってるかもしれないですね。」
「僕の体、今そんな事になってるんですか!?」
「あー。……騒がない方がいいわね、いま右手の二の腕の肉がずれそうになってるわ」
「ひぇ……」
そんなこんなで、僕は床に寝転がされ、治療を受けることとなった。曰く、「座ってるのはダメなんですか!?」「膝が曲がったまま戻らなくなっても良いならね!」とのこと。こわい。
気持ち的には、さながら追い詰められた草食動物のよう。ハレノさんとイリシカさんが、僕を見下ろしている。
「肉スープと堅パンをご馳走するのは、胃がちゃんと動くようになってから、そうでしょう?」
「あっ、あの!これって本当に大丈──」
「……じゃあ、いくわよー!!!」
「わああああ!!!」
お洒落な照明がぶら下がる天井を背景に、イリシカさんが楽しそうに手を振り上げた。ハレノさんは相変わらず、憐れむような目でこちらを見ている。
なんですかその顔はイリシカさん。本当は手で顔を覆いたかったが、変な風にくっ付いたら困るので我慢した。代わりに目をぎゅっと閉じた、はずなのに。
(……!?眩しい!?)
どういうことだろう。ちゃんと目を閉じたはずなのに。瞼の裏で、淡い色の火花が散っている!
思わず目を開けても、眼前には、あまりにも大量の光が散らばっている。なにも、見えない?
そんなふうにびっくりしているうちに、施術は終わったようだ。光が収まっていく。
「あれ、治ってる……?」
「……あんまり怖がらせないでください、イリシカさん。
そんなんだから、腕良いのに誰も頼みたがらないんですよ」
僕の身体には傷ひとつ全くない。それどころか瘡蓋も、傷痕すらも残っていない。右腕も、なんだか動かしやすくなったような。
「あ、あのイリシカさん!ありがとうございます!!!」
「……ん?ああいいよいいよ。ちょうど使う相手がいなくて、腕が鈍ってたとこだし……」
さっと腕を下ろしたイリシカさん。……あれ?でも今一瞬、不思議そうな顔をしていた気がする。どうしてだろう?
「あ、そうだ!何かお礼できることはありませんか?今、何も渡せるものがなくって」
「……ならトワ、治ったんなら頼みたいことがある。
食事の用意をするって言っただろう?
そこの看板がかかった通路の突き当たり。
右手に倉庫があるから、そこから袋入りの堅パンを3つ持ってきてくれないか?
黒い印がついたやつを頼む」
「……はい!突き当たりの右側、倉庫の黒いマークのパンですね!がんばってお役に立ちます!」
……まぁ治ったしいいか!それよりも今は、元気になった体でお手伝いだ。
どうやらこういうのは大好きらしいのである、前の僕も。僕は無意識にそわそわする体を抑えつつ、少しでも感謝を伝えるべく急いで。でも焦らないように、倉庫へと向かった。
「……で、イリシカさん。どしたんですか?
急に静かになって」
トワがいなくなった、イスとテーブルの群生地。ハレノは袋から、スープの缶を取り出しながら言った。どうやら慣れない気を利かせてくれたらしい。
彼女の問いに、イリシカはもう一粒、飴玉を口に放り込みながら。耳をすまさなければ聞こえないほどの声で、逆に質問した。
「……ハレノぉ。あの子、どっから連れてきたの?」
「さぁ、本人は『異世界から飛んできた』とかなんとか言ってましたけど。どうして?」
「まだ治癒魔法を組み上げただけで、魔力を充填してなかったのに、治った。勝手に」
「……あぁ。つまり、まだ組んだだけの魔法陣に、何もせず魔力が充填された。ということで?」
「そういう事ねぇ」
銀髪の魔法使いはしばし沈黙する。ハレノが紙袋を畳みながらちらりと見れば、その瞳はわざとらしいほどに真剣であった。思わず身震いするほど、冷たい。
「……イリシカさん、貴方は」
「お待たせいたしました!!!」
その瞬間、静寂を破ったのはトワだった。息を切らしながら、黒いマークの白い袋を抱えている。どうやら全速力で帰ってきたようだった。
「おっ、おかえりなさい!
……さてハレノ、この続きが気になるかしら。
けど、今はご飯の方が大切でしょう?」
「はぁ、そうですね。……皿出します」
「良いわね。3枚よ。
トワくんは、今度はハレノの手伝いをしてちょうだい!」
「はーい!」
あとは美味しそうなスープの匂いと、かすかにパンの麦の匂い。隠し味に魔法を効かせた缶詰は、開けただけで白い湯気を立たせる。
例の彼女は、こちらの心などつゆも知らずに、棚から出した乾燥肉を缶の中に放り込んでいた。どうやらこれ以上話す気はないらしい。
ハレノは白い皿に映る自分の顔を横目に、小さくため息をつくのだった。




