120万文字
「拙い文章にこそ愛があると僕は信じているんだよ」
先生はそう言って私の左手を握った。今すぐ大きな声で泣き出したかったけどそれをぐっと我慢して、そうですねと頷きながら先生の弱々しい手を握り返した。
先生ほど美しい文章を綴る人を私は知らない。しかし、その美しすぎる文章に最も魅了されたのは、私のような読者ではなく先生自身だったのだと今ならわかる。そして、それ故に先生は自分の作品に、自分が綴る言葉に喰われたのだと、そう思った。
「君が書く文章には愛があるんだ。」
「それは私の書く文章が拙いという意味ですか?」
微笑を浮かべる先生に対して私は意地悪っぽくそう返すと、先生もまた意地悪そうに小さく笑いながら、
「バレたか...」
そう言いながら先生は深い眠りについた。
葬式は小規模なものだった。元々家族とは疎遠になっていると聞いていたし、先生に友人と呼べる人は私くらいだった。だが、きっと先生は気にしないだろう。何故なら、誰よりも言葉に愛された先生の顔は、先生が世に送り出してきた8冊の小説に綴ってきた約120万文字に愛された人間がする幸せそうな顔そのものだったのだから。