承
ヨーコに指摘されて、サトルは即座に反論しました。
「聞こえてるよ」
あんなに、うるさいんだから。
答えたサトルが、根っこに捕まることはありません。
「……それは、本当の音?」
ヨーコの金色の瞳が、サトルを見据えました。
「ホントウの音だよ」
ヨーコが、ぱちりと目をまたたきました。
「そっか」
こくりと、頷きます。
「サトルは、“ホントウ”の音しか、聞こえないのね。それは、いつから?」
「いつからって?」
「うーん、そうね、じゃあ、ホントウの音が聞こえるようになったのはいつくらい?生まれてから、ずっと聞こえるの?」
サトルは驚いたようにヨーコを見つめました。サトルの話をちゃんと聞いて、答えてくれたのは、今までおばあちゃんだけだったのです。
「ずっと……じゃない」
ちゃんと話を聞いてくれるひとに答えるには、こちらもちゃんとしないといけません。
サトルはいつからホントウの音が聞こえるようになったのか、考えました。
「小学校に、上がる前くらい」
「小学校……7つね」
「七歳じゃないよ。六歳のとき」
「うん。今はそうね」
ヨーコは頷いて、さらに問います。
「そのときは、“ホントウ”じゃない音は聞こえていた?」
「……聞こえてたよ」
サトルが、くしゃりと顔を歪めます。
「みんな、ウソツキで、ホントウのことなんて、誰も言ってなかった」
「誰も?本当に誰も?」
「……ホントウのことを言うひともいたよ。けど、またべつのときにはウソばっかり」
「そっか」
ヨーコの尻尾が、ゆらりと揺れます。
「それはうるさいし、わけがわからないわよね」
「うん」
「ホントウじゃない音が聞こえなくなったのは?いつ?」
「たしか、半年くらい、前」
ヨーコが、くりっとした目を細めます。
「三年と少しは、両方聞こえてたのね」
「うん」
「どうして、ホントウの音しか聞こえなくなったの」
サトルの声まで、音を失ったかのように消えました。音のない森のなか、どこか甘い香りのする風が、サトルのほほをなでます。
ヨーコが、ぴょんっと根っこから飛び降り、サトルを振り向きました。
ふわりと、柔らかな笑みを浮かべます。
「良いよ」
大きく広げた両手は、なにもかもを許すようでした。
「好きなだけ、この森にいると良いわ。住む場所はいくらでもあるんだもの。誰もあなたを追い出したりしないわ」
「でも」
「大丈夫」
やわらかな手が、サトルの顔をつつみます。
「よくばらなければ食べるものにも困らないし、ここは暖かいから凍えることもないもの。いたいならいつまででもいれば良いし、いたくなくなったら去れば良いわ。それとも、この森は嫌い?」
「嫌いじゃないよ。ここは、とても静かだから」
「それなら、良いでしょ?」
目を閉じても、音はしません。おそろしい音も、気配も、ありません。
「うん」
気付けば、サトルはうなずいていました。ヨーコが、ぱっとサトルから手を離します。
「決まりね!それじゃ、寝床を探しましょ!食べるものがあるところも、教えてあげる」
さしだされたヨーコの手を、おびえることなくサトルは取りました。
《気味が悪い》
《変な子》
《たすけて》
《あいつのせいで》
《お前のせいで》
《気持ち悪い》
《こわい》
《くるしい》
《嫌い》
《しんじゃえ》
《しにたくない》
わんわんと、ひびく声。
「どうしたの?」
《迷惑なガキ》
「大丈夫よ」
《痛め付けてやろうか》
ほほえみのうらがわの、どろどろしたもの。
「やだ、この子そんな嘘を言ったの?」
《余計なことを》
《たすけて》
「そんなことないのよ。もう、いたずらっ子なんだから」
《あとできつく、言い聞かせないと》
《たすけて!》
耳をつらぬく、さけび。
「かわいそうに」
《めんどうなことになった》
「もっとちゃんと見て、気付いてあげていれば」
《見て見ぬふりをしていたのに》
なにがホントウ?なにがウソ?
《あいつが気付いた》
《どうして気付いた?》
《気味が悪い》
《あいつのせい》
《余計なことしなければ》
どうすれば、正解だった?
《どうしてたすけてくれなかったの》
「うわあああああああ!!」
「わきゃ!」
叫んで飛び起きたサトルの声に、ヨーコがびょんっと飛び上がりました。ただでさえふっとりとした尻尾が、ぶわりとふくらんでいます。
がくがくと震えて頭を抱えたサトルが、ふ、と力を抜きます。
「音が……しない。そうか、ここは」
「サトル?大丈夫?」
ぶわぶわになった自分の尻尾をなでながら、ヨーコがサトルの顔をのぞきこみました。
「嫌な夢でも見たの?」
「……うん」
「わたしに話す?」
「どうして?」
「悪い夢は、ひとに話すと良いんだって」
『悪い夢は、ひとに話すともう見なくなるよ』
ヨーコの言葉が、おばあちゃんの言葉とかぶります。
おばあちゃんには、おそろしい夢の内容を話しました。でも。
「いいや」
「いいの?」
この夢をヨーコに話して聞かせる気には、なりませんでした。
「嫌なこと、思い出しただけだから」
「そっか」
ヨーコはなにも訊きません。いつもそうです。サトルが話したくないこと、言いたくないこと、考えたくないこと。なにも、ヨーコは掘り返そうとしません。
それはサトルにとって、とてもありがたいことでした。
「今日はなにをする?」
そうしてほほえんで、ヨーコはサトルに手をさしのべるのです。
サトルはヨーコの手を取って、自分をおびやかすもののない森を、歩き出しました。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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