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 さくり、と、足下の草を踏み付ける感触がサトルの足に伝わります。


「……ここが、おとなしの森」


 その森は、とてもとても静かな森でした。

 鳥のさえずりひとつ、虫のさざめきひとつ聞こえないどころか、木々の葉が揺れる音さえもありません。

 サトルが森を歩く足音ですら、地面にのまれてしまったかのように聞こえませんでした。


「違うわ」


 そんな静かな森の静寂を割る声に、サトルはびくりと震えます。


「だれ?」


 恐る恐る振り向いた先にいたのは、変わった格好の女の子です。頭の左右から焦げ茶色をした三角の耳がのぞき、背中ではふかふかの大きな尻尾が揺れています。


「わたしはヨーコ。あなたは?」


 女の子は赤みがかった金茶の髪をゆらして、サトルの顔を覗き込みました。

 サトルはおびえたようにあとずさりながらも答えます。


「サトル」

「そう」


 おびえるサトルを気にした様子もなく、ヨーコはサトルの手を掴みました。


「サトルはどうして、逆さ虹の森に来たの?」

「逆さ虹の森?」

「この森のことよ」


 言ってヨーコは、空を指さします。

 指を追って見上げた空には、おおきなおおきな虹が、真っ逆さまに掛かっていました。


「うわぁ……」

「あの虹が掛かってから、ここは逆さ虹の森って呼ばれてるのよ。もうずっと、消えないままあそこにあるの」

「すごいや」


 ぽかんと空を見上げるサトルに、ヨーコは首をかしげます。


「気付かなかったの?少し上を向けば、虹はずっとそこにあったのに」

「それは……」


 虹から目をそらし、サトルはうつむきました。ここまで来るあいだずっと、サトルは下ばかり向いていたのです。


 言葉をにごすサトルにそれ以上追及することはせず、ヨーコは笑ってサトルの手を引きました。


「おとなしの森は古い呼び名よ。サトル、あなた、遠くから来たのね。だから、新しい名前が伝わってなかったんだわ」


 ヨーコに手を引かれて、サトルは踏み出します。最初はゆっくり、跳ねるように駆けるヨーコにつられて、だんだん速く。


「せっかく遠くから来たんだもの、色々見なくちゃもったいないわ!世界は見方を変えるだけで、いくらでも違って見えるんだもの」


 ヨーコはサトルの手を引いて、静かな森を案内します。


「あれはコマドリよ。歌がとっても上手なの」

「あのヘビはとっても食いしん坊だから、食べられないようにしてね」

「オンボロな橋でしょ?今にも落ちそうで危ないから、よっぽど大事な用事じゃないなら、川向こうには行かない方が良いわ」

「アライグマよ。怒らせると手が付けられないから、そーっと通りましょ」

「ここ、根っこがすごいでしょ?足元に気を付けてね。あと、ここで嘘を吐くと、この根っこに捕まっちゃうから、ここでは嘘を吐いちゃだめよ」

「心配しないで。あのクマはとっても怖がりなだけなの。お家を荒らしたりしなければ、襲って来たりしないわ」

「きゃっ、ちょっと、髪を引っ張らないでよ!あのリス、すぐああやってちょっかいかけて来るの」


 相変わらず小鳥のさえずりひとつしない静かな森のなかで、ヨーコの明るい声が響きます。

 色々な動物たちの姿が見えるし、気配もあるのに、物音はちっともしません。


「疲れた?少し、休みましょうか」


 根っこだらけの広場に戻って、ヨーコは飛び出た根っこに腰掛けました。手を引かれるまま、サトルもヨーコの隣に腰掛けます。


「のどかわいたでしょ。これあげる。美味しいわよ」


 差し出すのは腰に吊り下げていた大きな鬼灯ほおずきです。持てばちゃぷんと揺れる水を感じるのに、水音は聞こえませんでした。


 ふじりんごほどもある鬼灯のひとつをサトルにくれたヨーコは、もうひとつを手に取ってそのヘタを引っ張ります。勢いよくヘタが外れました。そのままヨーコは、鬼灯を傾けてのどを動かします。


 ぷはぁ、と満足げに目を細めるヨーコの真似をしてヘタを引っ張れば、きゅぽん、と言う手応えとともにヘタが外れ、ふんわりと甘酸っぱい香りが広がりました。とたん、のどの渇きを思い出して、サトルは鬼灯を傾けます。


 鬼灯からあふれ出たのは、今まで飲んだどんなものよりも美味しい飲み物でした。

 夢中になって飲むサトルの横で、ヨーコがふらふらと足を揺らします。


 とてもとても、静かでした。

 休息時間をわずらわせる喧騒は、どこにもありません。


『おとなしの森へ行くと良い』


 騒音に頭を抱えるサトルの耳をふさぎ、おばあちゃんが言った言葉を思い出します。


『あそこは、とても静かだからね』


 胸の悪くなる雑音のなか、おばあちゃんの声だけは確かにサトルの心に響きました。

 泣き腫らした目を上げたサトルに笑いかけて、それにとおばあちゃんは続けました。


『おとなしの森にはびっくりするくらいにお人好しのキツネがいるからね。きっとサトルのことも、助けてくれるよ』


 ヨーコが案内してくれたなかに、キツネはいませんでした。

 ヨーコは『おとなしの森』は古い呼び名だと言いました。キツネがいた、と言うのも古い情報で、もう、キツネはいなくなってしまったのでしょうか。


「ヨーコ」

「なあに?」


 サトルより、おばあちゃんより、この森に詳しいのは、ヨーコです。それに、今いるのは嘘を吐いてはいけない場所。


「この森に、キツネはいる?」


 きょとん、とヨーコが首をかしげます。三角の耳がぴこんと震え、ふさふさの尻尾がふわりと揺れました。


「キツネ?」

「そう。キツネ」

「サトルは、キツネに会いに来たの?」


 そう言えば、ヨーコの耳と尻尾はなんなのだろう。サトルはふと疑問に思いながら頷きました。


「どうして?」


 質問しているのはサトルの方なのに、ヨーコは訊ねます。


 こんなに静かな森では、どこまでもどこまでも声が届いてしまうんじゃないだろうか。サトルは思って、答えるのをためらいました。


「そう言えば、まだ教えて貰ってなかったわ」


 サトルの返事を待つことはせず、ヨーコは問いを変えます。


「どうしてサトルは、逆さ虹の森に来たの?キツネに会うのが、目的?」


 ごまかそうにもここでは嘘が吐けません。サトルはふるりと首を振り、うつむきました。


「うるさくて」


 苦しまぎれに出たのは、か細い声でした。


「逃げて来たんだ。ここは、静かだって、聞いたから」

「静か?」


 まんまるに目を見開いて、ヨーコは森を見回しました。


「この、森が?」

「静かだよ。ここは、とても」


 サトルを脅かす音は、ひとつもありません。


 ヨーコは目をまたたくと手を伸ばし、そっと、サトルの耳に触れました。


「あなた」


 触れた手は温かく血を流しているのに、その音はサトルに届きません。小鳥のさえずりも、虫のさざめきも、木々のざわめきも、なにも。


「音が、聞こえないのね?」


 問い掛けの形を取ったそれはけれど、確信を含んで響きました。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございます

続きも読んで頂けると嬉しいです

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