3-1:見知らぬ者
朽無博人が荒泣神社に住み着いて数週間のことである。
『いい加減に働かないと空腹になっちゃうんだよ!? そうなったら絹にヒロの異能の本質がバレて絶対に怒られるんだよ!? 絹に怒られるのは嫌なんだよね!?』
人々行き交うスーパーの出入り口にて求人の冊子を手に内容を渋い顔で読む朽無博人の姿があった。
「わかってるんだけど。でも日給の仕事って怖くって……こういう本に載ってる仕事の方がちゃんとしたやつって感じない?」
『そこに載ってるのはほぼ全部……今調べたらほぼじゃなくて全部が月給! お給料もらうまで何回倒れるつもりなんだよ!? それに履歴書になんて書くつもりなの? 最低条件は履歴書不要で日給! 一番大事なのは今日食べるご飯代!』
「はーい。……いくつか漢字がわかんねえ」
携帯を耳に当て電話をしているふうに装い求人冊子を神妙に立ち読みするその様は、通り掛かる人々の目を幾ばくかは奪うだろう。
別に店内で電話をする状況はおかしくは無いのに、暗黙の了解でみんながしないだけの行為が目立って視線を集める。
その視線の1つが声を発する。
「ねえねえミコト姉さん。あの人」
その声は同伴者である人物によって無言で手を引っ張られて遠ざかって行く。
けれど朽無博人の頁を進める手はその声一つで止まった。
「ミコト……?」
朽無博人は声の方に視線をやる。
そこに居るのは妹、朽無幸ほどの少女を連れている朽無博人ほどの女性。
朽無博人が視線をやると視線を逸らし、後ろを振り向く少女の手を掴んで足早に立ち去って行く。
少し間をおいて、ニコが心配そうな声色で『知り合い?』と尋ねると、朽無博人は寂しそうに頷く。
「うん。
大きくなっててちょっと自信ないけど多分知り合い。
連れてる子がオレの妹とは一個下の宮ちゃんと。
オレと同い年の命ちゃん。
……友達、だったんだ」
たははとわざとらしく口角を上げて戯ける朽無博人は、静かに仕事探しの冊子あさりの場所を変えるのであった。
結局これだと思う仕事は見つからず。
悩みに悩んでジリジリとした振動するような熱を頭の奥で覚えながら朽無博人は荒泣神社へと帰り、多少は掃除された社務所の戸を開く。
「よう朽無君」
社務所の中には何とも分かりやすく「あわあわ」と狼狽えている絹纏童子荒泣神を尻目に、朽無博人より歳上そうな腫れぼったい目をしたスキンヘッドの男と、その男と同年と思わしき前髪の毛先が緑のメッシュでインナーカラーが白いミディアムヘアの女性、朽無博人と同じ歳くらいの首に何ともゴツいカメラをぶら下げた茶髪でツインテールの女性の三人組が座布団を敷いて座り込んでいた。
女性の横には大きなリュックサックがあり中身が詰まっているのか膨らんでいて何とも重そうである。
男が立ち上がって朽無博人の前にまで歩み寄って朽無博人の顔を覗き込んで「……あーお前が朽無博人だな。はじめまして。私は「この人は大沢先生。私は木下芳奈。 どうか良しなに」」と。
自己紹介をしようとしたら、濃い緑をベースに毛先が白のメッシュの女性。木下芳奈が大沢先生の両肩を掴んで後ろからひょっこりと顔を出して割り込んだ。
「君なあ」と、大沢先生に顔をしかめられて居るが、木下芳奈はそれに悪びれる様子も無くいたずらっぽく笑って「それでこっちの子が」ともう一人の女性に自己紹介を促した。
「ミィは文月見世デス! 明るく正しくがモットーでニュースをデリバリーするデスのでご贔屓に!」
朽無博人は困惑の果てに動きを止めて、しばらく頭の中が真っ白になる。
この人たちは誰なんだろう。
何で神社に居るんだろう。
「あー、フリーズしたな。 ……おい見世、ローラーつけとけ」
「ホワイ?」
……そうだ。ここに居るのは見られちゃダメなんだっけ。
逃げなきゃ。
そう、困惑の果てに混乱した朽無博人の脳は結論づけ、戸を閉めて踵を返して走り出した。
朽無博人は背後から風を切る音を聞いて横に飛んで何かを避ける。
飛来してきたものが白い物体であり粘着性をもって床に付着したのを見た朽無博人は、逃げなければという意識を強くし、神社の出入り口である鳥居に向かおうとしているが。
コロコロと何かプラスチック製のローラーが転がる音が響いて、速度をつけるためかそれともただの格好つけか、ローラーシューズで地面を滑って曲線を描く文月見世が朽無博人の視界内に躍り出た。
「ヘーイ」
「なあにがへーいじゃ!」
朽無博人を護ろうと猛烈な速度で追いついた絹纏童子荒泣神が間に割り込んで来るが、文月見世は「フゥー!」と、そのままの勢いで絹纏童子荒泣神の肩を掴んで飛び込むような前転をし、朽無博人をそのまま押し倒そうと掴み掛かる
朽無博人は自身の肩を掴んだ文月見世の腕を掴んで、その勢いを流すように回転して放り投げようとした所で、ネチャリと文月見世と朽無博人の接している面に白く柔らかい粘着質のものが付着した。
コレによって勢いを手放せなくなって朽無博人は文月見世ごと地面に倒れ込んだ。
「ホワッ⁉︎ ちょっと大沢先生!」
飛んできた方向に目をやると、得意げに投石機をくるくると回転させている大沢先生がゆっくりと歩み寄っていた。
「大荷物抱えて逃げるのは難しいよな?」
「ミィはヘビィじゃあ無いデスよ!?」
「そうは言ってねえよ」
ため息をひとつ吐いて、大沢先生は倒れ込んだ朽無博人の前でしゃがみ、視線を合わせた。
「おい人間。その子を離せ」
視界を埋める文月見世の隙間から見える絹纏童子荒泣神は明らかに怒りを覚えており、以前見た時よりも素早く姿を変貌させていく。
真っ白な髪は朱く染まっていき、額が出っ張ったと思えば皮膚が破れて赤黒いツノが出現、赤黒い瞳へと変色する。
「冷静になってくださいよ。貴女が力の片鱗を見せちゃあ私たちは手も足も出ないから怖くてしゃあねえや。
私たちはただ話をしにきたんですよ。あわよくば勧誘もしますが」
「であればその子が冷静になって帰ってくるまで待てば良かろう! 有無を言わさず追いかけといて信じられるか! 傷つけてみろ! 族滅してやる」
「怖いなあ。でもこっちは予定が詰まってるんで時間をかけたくないんです。
それに追いかけたのは文月の独断だし」
「さっきのローラーつけろってチェイスって意味じゃないんデス!?」
「いや、追いかけろって意味だけど」
「このマザーファ◯カー!」
「ええい汚い言葉を使うな。花も恥じらえよ女の子。
そんでっと」
再び大沢先生の瞳が朽無博人の視線を捉える。
「先ず君に粘着した女をよーく見てみろ」
「ユーが粘着させたんデスよ!?」
朽無博人は言われるがままに文月見世の素顔をよくよく見る。
文月見世は自身の方に視線が向くのを感じると、その大きな眼で朽無博人の若干閉じた眼を覗き込んでにへらと笑って見せた。
ツインテール部分以外にも前髪の分け目に真下に伸びる二本の髪がやけに印象に残る。
「何か感じるか?」
「……なんか前髪が特徴的な可愛らしい人としか」
「ホ、ホワッ!?」
「そいつの髪は癖毛だ。
そいつの持つクッソめんどくせえ野次馬精神の進化系、ジャーナリズムも相まって私からは忌避感を込めてチャバネと呼んでいる」
「コックローチはやめてほしいんデスけど?」
「だったら関わる人間全員に対して定期的に身辺調査すんのやめろ。
全く…それでその感じは覚えがねえのか。
それなら直球に答えといこう。
チャバネは君が壊滅させた村上病院の第四病棟の地下に監禁されていた1人だ」
村上病院。その名に朽無博人は聞き覚えはないのだが。自身を担当していた人物の名前と病院という要素から用意に自身を捉えていた場所だと紐付けられた。
だがやはり文月見世のことは記憶にはない。
「イエーイ! その節はサンキューデス! ……わかんないみたいデスね。まあひどく乱暴なエスケープでしたからねえ。
覚えられてなくとも納得感はあるデスよ」
そう言いつつ、たははと笑う表情からは寂しさが感じられて朽無博人はなんだか申し訳なくなった。
「よし漸く目的の一つ。チャバネが君に感謝の意を伝えるって奴は進んだな。
絵面が最悪だが」
「大沢先生が作ったシチュエーションデスが!?」
絹纏童子荒泣神が「なににせよ強引が過ぎるわ」と呆れながら朽無博人をお越し、朽無博人の背中の砂を払い落とすと、朽無博人と文月見世をつなぐ粘着質な物体に触れる。
すると粘着質な物体は熱を帯びたかと思えば粉々の灰となって風に運ばれていく。
落ち着いたのか変貌しつつあった姿からもとに戻っていく絹纏童子荒泣神の不思議な力によって、朽無博人は文月見世から開放される。
「それで。目的の一つというたがまだあるんじゃろ? さっき言うとったあわよくば勧誘したいって奴か」
「そうですね。
まあ頭も冷えてきたので混乱して逃げるなんてもう無いでしょうし屋内で話しませんか?」