2-3:力足りぬ自信に憤慨して
絹纏童子荒泣神が泣き止んで、社務所内の掃除が終わった頃。
絹纏童子荒泣神が小さな脚でホコリのない床をペタペタと素足でせわしなく走り周り、ようやく見つけた座布団を床に敷いて梔子博人に座らせてようやく語らいの状況と相成った。
絹纏童子荒泣神は赤く腫れた目尻を手で拭いながら「では何があったか話してみい」と朽無博人が今に至る経緯を話すように促した。
そして朽無博人は語る。
己は怪物に襲われた後、病院で目が覚めたことを。
そしてその病院で出会った井矢見懐木という声しか知らない少女と語らった日々を。
朽無博人は日々が重なるにつれて声しか知らない彼女に好意を持ったことを。
記憶が消されていたが故に何度も同じような会話を繰り返し、記憶が消えていない少女を困惑させていたことを。
状況が動いたのはつい数ヶ月前。朽無博人は16歳になった今になって異能を獲得し、その代償に好意を持った井矢見懐木が死んでしまったことを。
異能を獲得した時、朽無博人は自由の身にあったが。
11歳の時の意識を繰り返していただけにすぎない16歳に何ができるだろうか。
朽無博人は再び囚われの身となった。
だがどういうわけか朽無博人を捕らえていた者達は朽無博人を忘れていて、脱走した者ではなく侵入した者として地下牢へと入れられた。
訳もわからないまま牢に入れられて衰弱した果てに朽無博人の異能が発動し、再び朽無博人を捕らえた者たちは彼を忘却。
軽い食事さえ配給されなくなる。
衰弱を繰り返す朽無博人に目をつけたのが向かい側に囚われた者。
その名を中田文兵であった。
中田文兵は囚われて居るのにも関わらず大柄で筋肉隆々。
他の囚われた人たちと違って壁から伸びた鎖によって四肢の全てを繋がれた厳重に囚われて居た人だった。
彼は鉄格子の隙間から手を伸ばし、朽無博人博人を朽無博人の能力を利用して脱出させ、牢屋と枷の鍵を持って来させた。
自由となった中田文兵が大暴れした事によって晴れて囚われた者たちは全員が脱獄したのだと語る。
ニコは、朽無博人が牢屋と枷の鍵を探す際に再会した井矢見懐木との橋渡し役であり友達だと改めて紹介し、ようやく自由になった後は行く当てもなく何日も歩き回っていたら四結町に帰って来たのだそうだ。
帰ってきた結果は異能のせいかそれとも単純に月日のせいか。妹に忘れられて家に帰るに帰れなくなったという始末だが。
この話を聞いている間、絹纏童子荒泣神は真剣に聞いていた様子から、涙を堪えていたと思えば、いつしか表情はスンッと静かなものになっていた。
「今から運命を司るとのたまう神々を滅ぼし、この腹を切って償ったる」
「いやいやいやいやいや神様たち多分関係ないから」
「いいや! 運命を司ると言っとる以上は関係ある! 無いなら無いで博人君の運命をこれからはもうちょいマシな方向へと進めてやれと直談判したるからな!
それに! それにだ! 儂はこの地の守り神じゃ!……信仰されなくなったと言っても君等を守る責務があるのに、最も身近に居た親しい子供さえ守れんとはなんだ! 君をその不幸から守る事ができなんだ! 何て情けない! それでは居ないも同然じゃ。
居ないも同然なら……消えてしまえば良いのに……不甲斐なくて恥ずかしくて自身の首を掻っ切ってしまいそうじゃ……不甲斐ない 嗚呼なんと不甲斐ない!」
絹纏童子荒泣神は情緒不安定になり、泣きながら顔……顔どころか全身が赤になっていく。
黒い髪はルビーのような髪色へ、一般的大和撫子を思わせる肌は赤みがやや強い赤褐色の肌へと変色していく。ただでさえ赤い瞳は燃えるように揺らいで見える。
それに呼応するように額の二ヶ所が小さなたんこぶのように膨らみ始めていく。
「そんな事言わないでよ絹お姉ちゃん」
梔子博人はそんな絹纏童子荒泣神の顔を覗き込むように肩に触れて顔を覗き込む。
変貌していく様に恐怖はない。
「オレはほとんどの人に忘れられたみたいだからさ……ニコも居てくれるけど昔から知ってる人はもう居ないのかなって寂しくなっててさ。
そんな中で絹お姉ちゃんはオレの事を忘れないでいてくれたのがすごく嬉しいんだよ。
なのにオレは絹お姉ちゃんを忘れればってのはそんなの嫌だよ」
それは慰めだけが込められた言葉ではない、今このときの梔子博人にとって絹纏童子荒泣神を無かったことにするということはそれはとどのつまり再会までに感じていた孤独の続きを味わうと同義なのである。
この言葉は悲痛な縋りであり、願いでもあったのだ。
「忘れられて寂しい……そうか。
そうだな……寂しくて辛かったな。
あいや悪かった。
さっきの言葉は忘れてくれ」
絹纏童子荒泣神の表情が、追い詰められて内心がグチャグチャになり、何するかわからない張り詰めた表情ながらに涙を流す子供のような表情から。
「君の気持ちが全てとはとても言えんが解ろうとは思えるんじゃ。
何せなぁ、儂もなあ……時折人と関わっては忘れられて其奴の人生から切り捨てられるんじゃ。
人間は自分より下だと考える人間が自身の知らないものを知っていることを納得できぬ自尊心を持っている事が多い。
親やら先生やらに言われるんじゃなぁ……荒波神社にそんな子は居らんと。
最初は下の者も居るとは言ってくれるのだろうが、上が悉く否定するものだから下の者は自信を疑い、そして私が見えなくなって自身が間違っていたと確信してしまう。
儂との縁はそれで断絶される。
そんな流れをどれだけ見たことか。
大きくなっとっても儂の事を覚えててくれた君を見てどれだけ胸が弾んだか」
ただ悲しいからと素直な子供のようにクシャクシャに泣き始めた。
髪の変色が止まって真っ白に戻りつつ、突起のように変質していたタンコブのような出っ張りが引っ込んでいく様を見て。
朽無博人はそれを興味深そうに(おー改めて神様というか人じゃないんだあ)なんて思って眺めて居ると視界が真っ暗になる。
どうやら朽無博人は感極まった絹纏童子荒泣神に抱きしめられているらしい。
「居なくならんでおくれ、もう居なくならんでおくれよう。
そうじゃ、今は帰る場所がないんじゃろ? ではここ! ここに住め! 毎日会ってくれるんじゃろ? なら住んでも問題なかろうて」
「住んでいいの!? わぷっ……あの、絹お姉ちゃん?」
髪をクシャクシャに撫でられながら揉みくちゃにされている朽無博人の手に持っている携帯端末がパシャリと音を立てて光
瞬いて、言いづらそうに語りだす。
『ヒロの言葉から推察するに荒泣神社に住む流れになってるけど、それはあんまり良くはないんだよ。
人が来ないとはいえ「うっ」荒泣神社は四結町の四大神社なんだよ? バチが当たっちゃうし「当てんが?」 そこに住み始めたほとんどの人の記憶にない人「ぐっ」とか存在を知られたらきっと良い事は起こらないとニコは思うんだ。
それにね、その絹お姉ちゃん? は普通の人には見えないんだよね? すると傍から見ればヒロは独り言をいいながら珍妙な動きをする不審に不審を重ねた不審人物になっちゃうんだよ。
端末の画面を見て』
ニコの声で動きが止まった朽無博人と絹纏童子荒泣神は携帯端末を覗き込むと。
朽無博人が一人膝立ちで前傾姿勢になっている。
実際は背の低い絹纏童子荒泣神に抱き寄せられているのだが。
「あー……話をするときは屋内でだけじゃな……うむ。
それで居て出るときは人に見られぬように裏口からじゃ」
「……人に見られて困るなら、オレ、みんなからオレの記憶を消せるよ? オレ、ここに居られるなら居たいし できることなんだって───」
『「やめて」』
重く深く冷たいそんな声色で携帯端末からも神様からも却下されて朽無博人は縮こまるのであった。