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1:理不尽は起きるものさ

 とある病室、台風の雨風が騒がしい窓際のベッドの上にて。女性が安らかに眠っている赤子を愛おしそうに抱いて、小さく揺らす。


 そんな彼女の隣には年甲斐にもなく、今にも零れそうな涙を目に溜めた男が嬉しそうにはしゃいでいる。


 男が「この子が僕たちの!」なんて声を上げて喜ぶものだから女は「起きちゃうわ」と優しく怒る。


「ゴメンね。でも嬉しくてさ。

 えっと、抱っこしても大丈夫かい?」


 女は微笑ましそうに笑って「頭を支えて優しくね?」と赤子をゆっくりと託す。


 じんわりと。赤子特有の高い体温が布越しなのに男の腕に伝わる。


 するとそこに居る我が子という実感が湧いたのだろうか、男は目に溜めていた涙を溢して喜んだ。


「さっきまで起きていたんだけどね。この子は私たちに似ているところが多くて面白かったのよ?」


 男が赤子の抱き心地を噛み締めていると。女は楽しそうに、それでいて悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開いた。


「例えば目。哲也君みたいに眠たそう舐めをしているの。それなのに全然寝てくれなくてね? 今の哲也君みたいに泣いてるの。 ほら、哲也君に似てるでしょ?」


 心の底から可笑しそうに、楽しそうに口元を軽く握った手で隠して笑う女の言葉に男、徹夜は「僕と似てて嬉しいやら、気にしているところが受け継がれちゃって悲しいやら」と恥ずかしそうに赤面した。


「恥ずかしがらないで?

 私は哲也君の目が好きよ?

 とても優しい光を宿した黒真珠のような目。

 私を見つめているとき、私だけが独り占めできるここにしかない宝石。

 この子にその視線を分けちゃうことに嫉妬しちゃいそう」


 ただでさえ赤面していた哲也は赤みが増し、その赤面が写ったのか「い、今のなしでお願い」と女も恥ずかしそうに赤面する。


「はは、自分で言ってて恥ずかしくなるなんて刹那ちゃんらしい」


 はにかむ女、刹那に。今度は哲也が笑う。

 哲也は布団に口元を隠して恥ずかしさを隠す刹那に可威らしさを覚えた後、赤子に視線を戻す。


「こんな僕たちの間に産まれてくれて有り難う。博人(ヒロト)……」


 赤子、博人の名前を呼んで感謝を伝える。


 すると博人は答えるかのように目を覚まして鳴き始める。


 哲也は慌ててぎこちなく何処かで見た程度の知識でぎこちなくあやそうとするが泣き止む兆しは無く。


 見かねた刹那が、哲也の裾を引っ張って気を向かせ、自身の胸をたたいて招くような仕草をする。


 哲也が申し訳なさそうに博人を刹那に渡した後、台風の中の病室で、博人の泣き声がどれだけ響いていたのか、何故泣いていたのかは最早誰も記憶に残っていないだろう。




 朽無博人一番古い映像記憶は二歳頃の、少し買い物に出かけると言った母の姿だった。


 「少し」なんて朽無博人の母は言っておきながら言葉とは裏腹に、永遠にこの家に帰ってくることは無かった。


 暇ができれば警察に電話するか、自分で探しに行く父、朽無哲也の姿を朽無博人は今でも覚えている。


 泣き叫び疲れては眠る朽無哲也につられて、泣くことしかできない雪の日の冬である。




 朽無博人の母が居なくなって半年後の夏。


 朽無博哲也がまだ幼い朽無博人には母が必要だと、職場で親交があった女性と再婚を果たす。


 再婚した相手には連れ子が居て。朽無博人には義母と義姉ができた。


 朽無博人は義母の名前は聞いたことが無いため知るよしは無い。


 また、朽無博人の二歳年上である義

は【(ココロ)】と言った。


 この頃は朽無博人に友好的ではなく冷たくあしらってくる。




  朽無博人が四歳になってしばらくの秋頃に新しい家族になる女の子が産まれた。


 朽無博人の妹は(サチ)と名付けられた。


 どうか、どうか幸せな人生を送れますようにと───。





「帰ったら神社行くのー 友達とねーゲコゲコ取りに行くんだあ」


 太陽のように笑顔弾かせる少女がエコバック片手に帰路につく兄と姉の周りを飛び跳ねている。


 彼女は赤子から小学1年生の少女へと成長した朽無幸であり。おてんばで元気な子に育っている。


 気の抜けたような目つきと声色ではあるものの、走り回りたい盛りのおてんばであることから幼年期は同年の少女よりも少年の方が馬が合いそうである。


 そんな性格だからこそよく駆け回って怪我をしては、姉兄(キョウダイ)をよく青ざめさせる。


「神社って南の?」

「そうだよぉ」


「そうかー、ボクは命ちゃんの家に山下さんから貰った柿を分けにいくんだけど、(サチ)は来ない?」

「……()


「そうかー……」


「えー。2人とも出かけるの?

 あんなオンボロ神社や、暴力集団の家に行くくらいなら、お家でお姉ちゃんと過ごしたくないの?」


(っや)!」


「……博人ちゃあん。幸ちゃんがぁ」


「別に嫌われてないから大丈夫だよ姉ちゃん」


 朽無心は中学1年生となった。


 母譲りの豊満な成長性であり、現在その片鱗がすでに随所(ずいしょ)から見受けられる。


 コレで性格が明るければ、これで身なりを気にしているのならば女性としての人気を獲得できただろうが。


 彼女は寄ろうとする者を敵かと思っているのかと思うほど鋭く冷ややかな睨みで一蹴する。


 なお、弟妹(きょうだい)には、やたら心配性であったり、ふと友好関係を絶交させようとお願いする事から、今に執着する過激な保守派と言える。


「でも嫌って言った! 私と居てくれないってぇ……あっ博人ちゃんも何処かに行くんだったあ」

「直ぐに帰るって。なっ? なっ?」


「……本当?」

「本当だって」


「お姉ちゃんめんどくさーい」

「あっ」

「う、うぅうう……」


「ね、姉ちゃん? 別に面倒くさいって言葉は嫌いって意味じゃ無いから! な、泣かないで。

 え、えっと、なあ幸、お姉ちゃんのこと嫌いじゃ無いよな? なっ?」


 そして朽無博人は小学5年生。


 父の朽無哲也と同じ眠たげな(まぶた)の奥には黒真珠のように輝く瞳がある。


「お兄ちゃん、早く帰ろうよ」


「お、おぉ帰りたいか。

 えーっと、姉ちゃんが嫌いじゃないって言って欲しいんだけど、その、あー、帰りたいなら先に帰ってて。兄ちゃんはお姉ちゃんを連れて後で帰るから。ほら鍵」


()! お兄ちゃんとお姉ちゃん居ない家は(ウチ)怖いもん!」


「そ、そっかー」


「うぅ、博人ちゃあん」


「お兄ちゃん早く帰ろうよー」


「どうしたらいいんだがや……」


 この12年の人生の間に、朽無博人は額は割れたような傷と、左瞼の上に刺し傷が付けられている。


 人間の人生とは十人十色、12歳にして顔面傷だらけで既に親は居ない子だって居る。その内の1人が朽無博人だ。


 父は働き過ぎたのか突然衰弱死して。義母はソレで精神を病んで後を追うように病死した。


 今では姉妹と共に父方の祖父の保護下で過ごしている。


 残された家族仲はすごぶる良好。

 

 朽無心の髪型は、美容室という店だろうが他人に髪を触らせたくないので、自分で切った結果、利き手などの要素から偏っただけである。


 だがそんな少し不格好な髪型を、妹、朽無幸が真似するくらいには仲が良い。 


 そんな仲の良い家族の、少し面倒くさそうな日常の一端。


「まいったなあ……ん?」


「どうしたの?」


「いやあそこ、なんか変な感じで……なんか居る!!」


 ソレが壊れるのを。ふと見かけた陽炎のような空間の揺らぎから瞼を開けるように目が出現したことで朽無博人は感じた。


 何かが飛んでくるのを感じて朽無博人は咄嗟に姉、朽無心を突き飛ばした。


 そして何かが飛んでくると言う感覚は正しかったのだと己の腹部を貫く、空間に揺らめく何かが大口を開いて伸ばした舌が示す。


 貫かれたというのに不思議と痛みを感じない朽無博人は己の姉妹に手を伸ばすけれど。


 強く揺らめく何かの舌に引っ張られて、日常は暗転した。


 勢いで舌が抜けないのは、粘着質な唾液と舌の先端近くに見える逆棘(カエリ)のせいだろう。


 残念ながらこれで朽無博人の日常は終了である。


 日常が壊れるのに予兆など必要無い。老人の手によってミサイルと化した車で日常が壊れたりもする。


 理不尽ではあるが、世界ではいつも誰かがその理不尽に晒される。


 今回はその理不尽が朽無博人に降りかかっただけのことであった。




 朽無博人の意識が浮上したとき、ぼやける頭で認識できたのは極限られたものだった。


 ぼやけてても分かる。コンクリ仕立ての無機質な天井。


「おい、───たいが目を────ぞ」


「───の────がきれたんだ。────投与──」


「了解」


 そして聞こえるのは知らない人たちの声である。


 此処は何処か、姉妹は大丈夫か、あなたたちは誰かと、朽無博人は色々訪ねたく思うけれど、浮上したと思った意識は再度奥深くへと沈んでいく。




 また朽無博人の意識が浮上する。

 今度は何にも邪魔をされること無く目を覚ます。


 右手首に違和感を覚え、視線を向けるとドラマで見たような心電図を映し出している機械の腕輪であった。


 軽く引っ張るが外れる気配が無い。


「なに……が」


 朽無博人の視界のぼやけが晴れていく。


 どうやら白く無機質な場所にどうやら閉じ込められているようだ。


 天井から物音がする。

 

 朽無博人が目を覚ましたのを関知されたのだろうか。


 何か来るのかと身構えているとダクトのような管に繋がる穴から、蜘蛛のように機械が這い出てきてオレンジ色に光るレンズのようなものと目が合う。


『目が覚めましたか? 大丈夫ですか? ちゃんと目が覚めていますか?』


 機械から少女の声が聞こえた。


「……だれ。ですか?」


『あっ、えっと、えっとですね? 私は射矢見懐木(イヤミナツキ)です!

 

 漢字は確か、射った弓矢の矢を見ると書いて射矢見。懐かしい木と書いて懐木です! お隣の部屋に同年代の男の子が来ると聞いたのでお話ししたく思ってきました。


 私の声を届けてくれるのはUA_5225ちゃんです。私はニコちゃんって私は呼んでいます。仲良くしてあげてくださいね。


 それとえっと、えっと……。あっ、私は答えました。


 では、あなたの名前は何ですか? 聞きたいです。とても聞きたいです!』


 クラスで聞くような声の感じと類似している事から、朽無博人は大体同年だろうかと少女を想像する。

 少女も捕らわれているのだろうか。


 自身にはめられた首輪やらを見る限り同僚か犯行者と考えるべきだろう。


 犯行者にしろ同じ境遇の者にしろ無邪気で明るい声色は、余りにも場違いで朽無博人を戸惑わせる。


 そんな声が朽無博人にも自己紹介を求めた。

 

「ジブンは朽無博人クチナシヒロト12歳です。


 朽ちる事が無いと書いて朽無、博士の人と書いて博人です]


 戸惑いつつも名乗った。


 場が動かないと思って朽無博人は名乗ってみたのだ。


「ヒロト……博人君ですね! 覚えました。覚えましたよ!


 今日からよろしくお願いしますね! ほらニコちゃんも!


 『……UA_5225もですか。』


 勿論(もちろん)


 ……了解。朽無博人様、よろしくお願いします」


 少女の声は弾む。


 その弾んだ声の中に、機械的な声が混ざっている。


 朽無博人はそれが少し不気味に感じられるけれども、不思議と悪い気はしなかった。


 朽無博人は射矢見懐木に状況を尋ねてみる。


 結果として射矢見懐木は此処のことをほぼ知らなかった。


 射矢見懐木自身は物心ついた頃にはここに居たらしいのにもかかわらずだ。


 ただ朽無博人に分かるのは、決まった時間に3食、

 決まった時間に大人の人に連れ出されてお勉強をして、決まった時間に清められて、部屋に帰る。


 と言うのを繰り返していると言うこと。


 ……ここまで聞いて朽無博人がやるべき事は定まった。


(勉強ってのに連れて行く大人に聞くしか無いか。


 ……こんな拘束具付けるような場所の大人かあ)


 やることは決まった。


 けれども期待はそれほどできそうに無いなと朽無博人は思った。


「あ、あの」


 朽無博人が少し考え込んでいると、射矢見懐木が話しかけてきた。


 朽無博人は「はい?」と何の要件かを聞き返すと射矢見懐木は「えっと、あのですね。あのですね?」とはにかんだ声色で「博人君とお話がしたいです」と言った。


 どうして話すのか。


 どんな話をするのかという根本的なことを朽無博人が訪ねようとする前に、その答えは帰ってきた。


「私、ここの外に出たことが無いんです。


 お隣さんの博人君は外から来たと聞きました。


 どうかお外のお話を聞かせてください! 聞きたいんです! とても聞きたいです! お願いします!」


 朽無博人はその声に懇願を感じた。


 まあ軽く此処のことも教えて貰ったし、大人の人が来るまで暇だしという考えもあるが。


 その懇願の声を袖にするのは、脳裏によぎるだけで罪悪感を感じるほどだったので。


 朽無博人は己の少ない人生で見てきた狭いながらも彼女にとって“外の世界”というものを語ることにした。


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 扉のロックが開く音がする。


 誰かが来たようだ。

 件の大人という奴だろうかと朽無博人は身構えていると防護服の男、大人の人間がやってきた。


 首にぶら下げた社員証から名前が『上村亮太』と分かる唇がやや出っ張っている男は朽無博人を見ると目に見えて子供に向けるような作った笑顔を浮かべた。


「様子を見に来て正解だったね。目を覚ましたようでよかったよ朽無博人君。


 ん? あーUA_5225。御免だけど私は博人君とお話があるから席を外しなさい」」


 上村亮太がシッシとここから居なくなれと言いたげな仕草をするとUA_5225はダクトの穴へと姿を消す。


 また、名前を知られていることが発言からわかり、朽無博人の警戒が高まった。


「おっと怖がらないで。僕は医者だよ。


 博人君はモンスターに襲われたのが分かるかな?」


 朽無博人は少し間を開けてコクンと頷く。


「そっか、そっか。怖かったね。


 でも君は運が良かった。


 あのモンスターはね。


 獲物を身体の中に溜めておくためか唾液に麻酔っていう痛みを感じにくくして、死ににくくする成分みたいなのがあったみたいなんだ。


 それのおかげで君は生きていられたんだよ」


 上村亮太はなだめるような声で別に聞いても無いことを語るが、朽無博人が知りたいのは別にそんなことでは無かった。


 朽無博人が知りたいのは2つあり。どちらも至極単純でもっと別のことである。


「そんなことよりも此処は何処ですか? ジブンの家族は大丈夫なんですか?」


「君の家族は大丈夫だよ。あのモンスターは体内で獲物を保存して少しずつ消化、なんて事をするくらいには小食のようだ。


 博人君1人で満足したんだ。

 

 そして此処は何処かって話だけど。此処はね、病院みたいなものだよ。


 博人君をあのモンスターから助け出したのは良いけど。


 モンスターは僕らも見たことが無いような存在、唾液に麻酔のような効能を持っているくらいに不可思議だ。


 もしかしたら変な黴菌を持ってるかも知れないし。遅れてやってくる毒を盛っているかも知れない


 僕達はソレを調べなきゃいけない。そもそも君のお腹の傷が大きく開かなくなるまで様子を見なければいけないしね。


 右手首に輪っかがついてるだろう? ソレは君が元気かどうかを見るものだよ」


 朽無博人は上村亮太の後半の発言は流し聞きに、家族は無事だという情報に安堵して胸をなで下ろす。


「あの、いつ帰れますか」


「どうだろうね。お腹の傷は兎も角。


 在るかも解らない何もかも未知な病気を調べるのは難しいことなんだ。1ヶ月か半年か1年か、もしかしたらそれ以上かも」


 朽無博人は言葉に詰まる。何時帰れるかも分からない、もしかしたら知念以上も帰れないかも知れない。


 速く返してよと文句を言いたかったが、それはこの人にはどうしようも無いことなのかもと思いとどまり、憤りを飲み込んだ。


「……君は善い子だね。


 じゃあ早速色々と検査をしたいところだけど……お腹におっきな傷があるし。


ソレが治ってからだね」


「……お腹は何時治るの?」

「少なくても3ヶ月は待った方が良いかな」


「そっか……じゃあやること無い?」


「えっ、あーそうだね。じゃあ折角だから先生とおはな「ごめんなさい寝ます」……あー、うん。わかったお休み」


 待ち、待ち、待ち。

 

 朽無博人は待つしか無いのかと流石に拗ねて。ふて寝するように部屋のベッドに入って布団を頭まで深く被る。


 上村亮太が部屋から出て行くのを聞きながら、その日、朽無博人は暫く布団の仲で不安に震える事となった。


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 朽無博人の部屋にはカレンダーが無いために細かい日数は不安だけれども。


 寝て起きての、自然的な日課の回数から日数を導き出しているだけなのだけれども。


 朽無博人の体感、半年が経った。


 家族は大丈夫だろうか、大事は無いだろうか。


 朽無博人がそれを考えない日は今現在の所無い。


サチはね、耳が良いんだ。


 だから昔は姉ちゃんが2階の自室で日々の不満不平に1人癇癪を起こしたり、すすり泣いてるのを聞いて、気分を悪くしていたんだ。


 1階の居間に居るのにもかかわらずにね。


 そのせいか、暫く前までは姉ちゃんとは仲がそんなに良くなかったんだ」


「ふふ、博人君またご家族さんのお話になってますよ」


「おっと。えっと本筋本筋……昔なじみと山に放り込まれて猿の群れに住み込みすることになった奴だっけ……何で家族の話になったんだ」


「えーと確か、森とか木などの、ものが多くて見えにくいところでは耳でしっかり音を聞くようにって話から、音を聞くと言えば-って感じだったと思います」


 だからだろうか、射矢見懐木に朽無博人は自分の人生の未だ短い軌跡を話していると家族がふと語りに混ざる。


 日が募るほどに、射矢見懐木に語るほどに、朽無博人の帰りたいという思いが募る。


 どうしたら直ぐに帰れるのかを担当医である上村亮太に朽無博人は訪ねたことはある。


 その結果、“気持ちは分かるけど君にはできることは無いよ”と帰ってきた。


 だからただ大人しくしている。


 迷惑をかけないように、円滑に進むように。


 大人しく、射矢見懐木との語らいに浸るのだ。


「ゴッホゴッホ…・…フー。ちょっと休憩」

「しゃべり疲れましたか?」


「御免ね。生まれつき肺が弱くて。


 運動どころかしゃべり続けることもままならない」


「解ってます。


 はい、博人君が毎日お話をしてくれているから解っていますとも」


 語る。


「博人君にはお兄さんかお姉さんになったかも知れない人が居るんですね!」


「居るというか‘居たかも’だけど。リュウザン? ってので産まれなかったみたいで。


 でも、もし居たなら。……お姉ちゃんはもう居るしお兄ちゃんが欲しかったなあ」


 それ以外は無いのだからただ語り続ける。


「海! 本やテレビで見たことがありますよ。


 私も行ってみたいです! とても行ってみたいです!


 えぇはい、私は色んな所に行きたいんです! 博人君が言ってたお姉さんとよく遊んでた神社とかも見てみたいんです!」


 その語りを射矢見懐木は楽しそうに聞いた。


「博人君はその時そうしたんですね! 私なら───」


 自身ならと朽無博人の語りから外で自由を得た自信を空想し、語り疲れた朽無博人の代わりに何をするかを語る。


「雀を飼ってたんですか!? 雀ってちっちゃくて可愛いあの鳥ですよね? わぁ、いいなあ ……えっ!? 元気になったら逃がしちゃったんですか? えー飼いましょうよー 飼って愛でましょうよ。

 きっとその子は新しい家族になってくれたと思うんです。


 ……家で飼おうとしたら元の場所に逃がすように言われたから、元気になるまで隠れて飼ってたんですか!?」


 射矢見懐木は無邪気で。


「ふ、んふふ。あは、あはは! 幸ちゃんなんでぞうきんをお願いしたのにヒ、ヒロ君のパンツを持ってきちゃうんですか」


 明るくて。


「な、なんでですか!? ヒロはただ友達の命ちゃんがケイコ? をしたくないから一緒にケイコをしたくないですってお願いしに行ったんですよね?


 なんでヒロが叩かれないと駄目なんですか!!


 私がそこに居たならぜーったいヒロに痛い思いはさせませんし、叩くなんて悪いことをその人にさせません!


 どうやってですか? ……どうやるんでしょう? えっと、えっと……困りました」


 優しかった。


「はぁ、お外。


 出てみたいです。


 せめて放課後? みたいに短くても自由に歩き回るような時間が欲しいです。


 歩き回れる時間があったら……そうですねヒロの顔が見てみたいです。


 おでこには叩かれた傷。目のちょっと上にはお姉さんが後ろから押してできちゃった傷。


 きっとワイルドって奴で格好良い顔だと思うんです! なのでヒロに会いたいです!」


「いや、そんな格好いい顔では無いよ。生まれつき眠そうな顔で、本当に眠そうだって勘違いした先生に注意されるような顔。


 でも、そうだね。ジブンもナッキーに会ってみたい」


 毎日語り合う中で、いつの間にか朽無博人は射矢見懐木に好意を抱いていた。


 語らいの時にふと、朽無博人は射矢見懐木という人物と外で過ごすことを考えるようになっている


 顔も見たことが無い。声しか聞いたことが無い隣の部屋の女性に初恋をしたのだ。


「ですよね! そうですよね! 今度、先生にお願いしてみましょうよ!」


「まだ駄目だよ。ジブンにはどんな黴菌がついているのかもわかんないし。それでナッキーが病気になったら嫌だよ」


「そう、ですか。残念です。すごく残念です」


「え、えっと。あっ病気と言えばなんだけど姉ちゃんがインフルエンザにかかった時ね、泣きながら1人にしないでって───」


「ヒロ、そのお話はえーと。1,2,3,4......12回くらいしてますよ?」


「……そうだっけ?」


「はい。ヒロ君は忘れんぼさんですね」


「あっれぇ? ジブン、そんな物忘れ酷かったっけ」


「ふふ、ヒロのその反応も何回も聞きました」


「……そっかー、ジブン物忘れ酷い人だったかぁ。ちょっと、いや、だいぶ落ち込む」


「でも何回も言いたくなるような大事な思い出なんですよね? とても素敵だと思います。


 私あの話好きですよ? 妹さんがお姉ちゃんとヒロと一緒に居る絵を描いたときのヒロの泣きそうな声。


 すっごく家族が好きなんだなあって。


 ヒロの家族はそんなに愛されててちょっと羨ましいですし、家族大好きなそんなヒロが私は大好きですよ」


「お、おぉう」


 そんな射矢見懐木との会話で朽無博人がふと気づいたことがあった。


 何時話したっけなあと記憶の中で日にちを遡っている内に気が付いたことなのだが。


 部屋のものが、半年前よりも小さくなっているように感じるのだ。


 一度気が付けば、どうも気になってしまう。

 

「えっ、ちょっと何をするんですか!?」


 射矢見懐木との対話はまだかまだかと待っていたある日、上村亮太は白衣のポケットからリモコンのようなものを取り出しソレを朽無博人に向けてボタンを押す。


 すると朽無博人の手首に備え付けられた腕輪が作動し、電流が走ったと思うと朽無博人の腕の感覚がなくなった。


「来なさい」


 異常。


 状況が異常という事だけが解る。


 けれど朽無博人に何ができるというのだろう。


 上村亮太の言うがまま、成されるがままに部屋から連れ出され、見知った廊下を歩き、見知らぬ廊下を歩かされる。


 そうしていると一つの部屋に朽無博人は通された。


 噎せ返るような鉄の匂い、無機質な石造りの部屋に状況的に感じざるを得なかった嫌な予感が確信めいたものになる。


「今から真実を伝える」


 上村亮太がそう言うと検査中に時折見たような白衣の男達が、困惑しか抱けていない朽無博人の前に樽と大きな桶のようなものを持ってきた。


 樽の蓋を白衣の男の1人が開けると、鼻が曲がりそうな鉄の匂いと、微かなアルコールの匂いが樽からあふれ出した。


 朽無博人が樽を上からのぞき込めば、赤い液体が入っているのと、その水面(みなも)に少年から青年へと移り変わろうとしつつ在る段階の男が映っているのが見えるだろう。


「我々は大いなる目的が為、知恵を求めた。


 我々は知恵を得る為、禁断の果実を求めた。


 禁断の果実を得る為、この世に満ちんとする不可思議に縋ってでも、その方法を模索する」


 樽が開いたのを合図にしたのだろうか、上村亮太は朽無博人にとってどうしてそんな話をしているのか理解しがたいことを語り始める。


「禁断の果実の一つ、知恵の果実は林檎(リンゴ)以外に、無花果(イチジク)甘蕉(バナナ)葡萄(ブドウ)とされる説がある」


 上村亮太の声は、朽無博人の記憶にある作り物のような暖かさは無く何処までも冷ややかで、普段の作り物のようだ。なんて感覚は覚えなかった。


「果実に関連するまた別の話として。ジーザス・クライストの身はパンとされ。その血は葡萄のワインとされている」


 何となく。


 朽無博人の把握状況はは何となくながらではあるが、上村亮太の言葉を聞いていく内に顔が険しくなっていく。


「我々はコレらに目を付けた。


 紐付け、聖人を作ることにした。


 博人君。君に理解できるだろうか。


 目の前にあるものがとれだけの罪と力が詰まっているかを」


 朽無博人は。


 朽無博人は。


 理解した。理解してしまった。


「い、いつから。いつからジブンはここに居て、いつからナッキー、射矢見懐木を……!」


「純粋な感情でよろしい……調整終了。USJ_5_()24はUSO_2_()9と紐付けられた。


 下準備は終了。


 始めてください。純粋なる(カラの)者にアダムとエバを紐付けました。


 知恵の果実を我が主に捧げて頂きましょう」


 途端、怒号をあげた朽無博人に備えられた脚輪から電流が走り、脚の感覚が消失。


 大きな桶の中へと突き飛ばされる。


 拘束を外され、服を脱がされ、上から樽の中身をぶちまけられる。


 葡萄のワインはどう造られるものだったか。

 

 たかが桶溜まった数センチに、朽無博人はまともに藻掻(もが)けずに溺れながら、素足の誰かに踏みつけられていく。


 朽無博人が最終的に動かなくなった原因は(でき)死か、(れき)死? か。


 ともあれ朽無博人は死亡する。


666666


 ……ここからだ。ここから世界の異常性が朽無博人に向かって動き始める。


 上村亮太は言った。知恵の果実を得るための行為だと。


 だがソレを成すための、並べていった概念的とも言える材料を紐付け、調合するには余りに不安定だ。


 その模索の結果が全くの別物なら、例えば、そう例えばもう一つの禁忌の果実、生命の果実を得うるならば。


 そのワインを飲んだ者は、材料が模索物故に不出来ではあるだろうが……永遠の命を得るだろう。


 永遠の命を得るという結果であるならば英知の果実を食べたアダムとエバの男女二組は必要ない。


 代償、贄にするとしても葡萄のワインをだせそうな聖人と紐付けられた人間1人で十分である。


 そうなった場合。


 朽無博人の初恋であった彼女、エバやら聖人やらと、あらゆる方向性で紐付けられるよう調整された射矢見懐木を踏み潰して、製造されたワインを最初に飲んだのは───見て解るだろう。


 ある倉庫に酒樽が移された。


 その酒樽からは赤い液体がにじみ出て、水たまりとなり、指向性を持って伸びていく。


 伸びて。


 伸びて。


 生きているかのように壁を這い、ダクトを這い。


 ワインの異物として取り除かれた果肉のように、何かに使えるかもと冷凍庫に保管された朽無博人の亡骸の中へと入り込んでいく。


 入っていく。


 樽の中身が全て朽無博人の亡骸へと入っていく。


 すると次は、潰された身が動き出し泥をこねるように、整合するように朽無博人の形を整え。


 そして、朽無博人はまた動き出す。


 とっかかりを見つける為に多くの要素を詰め込んだ素材を使用したんだ。バグりもするさ。


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