こわくねぇ!
「た、たすけてくれっ! いのちだけは、どうか!」
赤鬼の姿を見るなり、旅の男はそう言って、震えながらしゃがみこみました。
――おら、なんもしてねぇのに。
赤鬼は、走ってその場を逃げていきました。
「お、おのれ化け物! そこへなおれ! 成敗してくれるわ!」
赤鬼の姿を見るなり、若い侍は震える手で刀を抜き放ち、襲い掛かってきました。
――おら、なんもしてねぇのに。
赤鬼は、走ってその場を逃げていきました。
逃げて、逃げて、小高い丘の上まで来たとき、赤鬼は石につまづいて転んでしまいました。ひざも、手も、ほおも、すりむいてしまいました。地面にうつぶせになったまま、赤鬼はふと、もういいか、と思いました。今までずっと、逃げ続けてきました。逃げるのは、もう、いいんじゃないだろうか。
赤鬼は立ち上がることをやめて、ゆっくりと目を閉じました。穏やかな眠りが訪れ、赤鬼の意識は、暗い、深い闇へと落ちていきました。
そんな赤鬼の様子を、丘の上の小さな御堂の中にいる、お地蔵様が見つめていました。
太助が不思議な夢を見たのは、昨夜のことでした。夢の中にお地蔵様が現れ、太助にこう言ったのです。
「私は丘の上の御堂におる地蔵だ。太助よ。やさしい子よ。どうか私のところへ来ておくれ。
そして、この哀れな鬼を救ってやっておくれ」
朝、目覚めると、太助は「これは大変なことだ」と思い、まず両親に夢の内容を伝えました。両親は半信半疑でしたが、太助があまりに一生懸命に話すので、夢のことを村長に伝えてくれました。村長もまた、信じられないという顔をして話を聞いていましたが、
「もし本当にお地蔵様のお告げだとしたら、しらんふりさすることはできね」
と、太助と村の若衆を三人ばかり、丘の上の御堂に向かわせることにしました。お地蔵様は丘の上から村を見守って下さっている、この村の守り仏であり、粗末に扱うことは許されないのです。
太助たちは、村の裏手から丘の上に続く道を通って、お地蔵様の安置されている御堂に向かいました。するとどうでしょう。御堂の前に、太助が夢で言われた通りに、鬼が倒れていたのです。
「お、おに、鬼だっ!」
三人の若衆は、初めて見た鬼の姿に驚き、地面にへたりこんでしまいました。本当は逃げたいのでしょうが、腰でも抜かしたのか、ただ慌てふためき、手足をばたばたとするばかりです。
太助も鬼を見るのは初めてでしたが、恐いとは思いませんでした。赤鬼は、穏やかな顔をして眠っています。太助は赤鬼の傍に駆け寄ると、身体を抱え起こそうとしました。しかし赤鬼の身体は重く、太助の力では少しも動かすことができません。太助は若衆たちのほうを向くと、手伝ってくれるよう頼みました。
「この鬼さを村長の家まで運びてぇんだ。手伝ってけろ」
腰を抜かしていた若衆たちは、太助が触ってもピクリとも動かない赤鬼の様子を見て、ようやく落ち着いたようでした。若衆たちは自力で何とか立ち上がると、気恥ずかしそうに咳払いをしてから太助に言いました。
「本当に村に連れてってええんだか? 鬼なんぞ村に入れたらどんな厄を呼ぶことか」
太助は自分よりもずっと年上の若衆をきっとにらむと、
「お地蔵様のお告げだ。この鬼さは必ず助けねばなんね」
と言いました。若衆たちは太助に気圧されるように「わかった」と言うと、みんなで力を合わせて赤鬼を担ぎ上げ、村長の家に運びました。
赤鬼は土ぼこりにまみれ、身体のあちこちに傷がありました。古い傷も、まだ新しい傷もありました。太助たちは赤鬼を柔らかい布団の上に寝かせると、固く絞った手拭いで身体を丁寧に拭きました。そして、よくもんだ薬草を傷に貼り、薬草が落ちないよう布を巻きました。
赤鬼は村に運ばれてくる間も、手当てをしてもらっている間も、まるで目覚めることを拒むように、昏々と眠り続けていました。
その日の午後、村長の家の客間に村中の人々が集められ、朝に起こった出来事の説明を受けることになりました。赤鬼は客間の奥に寝かされ、傍には太助が付き添っています。村長は太助が見た夢のこと、夢の中で聞いたお地蔵様のお告げに従って丘の上の御堂の前に行くと赤鬼が倒れていたこと、赤鬼をここまで運んで手当てをしたことをみなに伝えました。説明を聞きながら、村人たちは村長の肩越しに見える赤鬼の姿が気になって仕方がありませんでした。
お地蔵様のお告げと聞いても、実際に赤鬼の姿を見た村人たちは、不安を隠せない様子でした。額に生えた二本の角、口から覗く鋭い牙、大人の倍はあろうかという大きな身体、そして赤い色の肌。うわさに聞く『鬼』というものと、寸分違わぬ姿をしていました。そしてうわさは、『鬼』は人を喰らい、土地を腐らせ、作物を病気にし、さらにはあやしげな術を使って人に害をなす、ということを伝えていました。
「……本当に大丈夫なんだべか?」
「お地蔵様のお告げだべ。間違いがあるはずもねぇ」
「それは、そうだども……」
村人たちは互いに顔を寄せ合い、鬼がこの村に災いをもたらすのではないかとささやき合っていました。村長は村人たちの様子を見ながら、なにごとか考えているようでした。そんな中、太助だけはひとり、赤鬼の様子を心配そうに見つめていました。
周囲にたくさんの人の気配を感じて、赤鬼は目を覚ましました。人々は不安そうに、声をひそめて何事かを話し合っているようでした。
ああ、人に捕まってしまったのかと、赤鬼は他人事のようにそう思いました。まるで心が凍ってしまったかのように、何の感情も沸いてはきませんでした。周りにいる人々は赤鬼が目覚めたことに気付いていないようです。赤鬼はゆっくりと、身体を起こしました。
「起きたぞっ!」
誰かの、悲鳴のような鋭い声が部屋に響き、今まであちこちで聞こえていたひそひそ声が一斉に途絶えました。村人たちは怯えた瞳で赤鬼を見つめています。赤鬼はぼんやりと村人たちを見つめ返しました。目が覚めたばかりだからでしょうか。まるで頭の中に霞がかかったようで、何も考えることができません。張りつめた静けさが部屋を包みました。しかしその静けさはすぐに、はずむような明るい声によって破られることになりました。
「目が覚めただか! よかったぁ。起きてだいじょうぶか? 痛いところはねぇか?」
太助はうれしそうに、しかし心配そうに、赤鬼の顔を覗き込んでいました。太助の大きな黒い瞳を見ていると、すこしずつ、霞が晴れていくように意識がはっきりとしてきて、赤鬼はようやく自分が布団の上に寝かされていたことに気付きました。視線を下ろすと、汚れていた自分の身体がきれいになっています。あちこちにあった傷も、丁寧に手当てされていました。でも、どうして? 今まで誰かに手当などされたことのなかった赤鬼は、今のこの状況がまったく理解できずにいました。
戸惑いながら顔を上げると、赤鬼は太助がじっとこちらを見ていることに気が付きました。大丈夫かと問われていたのを思い出して、赤鬼は、
「……おら、だいじょうぶだ」
と答えました。
ほうっ、と息を吐いて、太助はにっこりと笑うと、「よかったなぁ」と繰り返しました。赤鬼は喜ぶ太助の顔を、不思議な気持ちで眺めていました。
「ワシの言葉は、分かるだな?」
村長が赤鬼の前に進み出て、硬い声でそう尋ねました。赤鬼は黙ってうなずきました。
「んだば、話を聞かせてくろ」
村長は太助を下がらせると、緊張した面持ちで赤鬼に問いかけました。
「おまえさまは、人を、喰うだか?」
村人たちの間に、さっと緊張が走りました。村人たちは顔色を蒼くしながら、赤鬼の言葉に耳をそばだてていました。
赤鬼はゆっくりとかぶりを振って、村長の問いに答えました。
「おら、人なんぞ喰ったことはねぇ」
周りにいた村人たちのどよめきが聞こえてきました。安心したという気持ちと、信じられないという気持ちがないまぜになっているようでした。
「じ、じゃあいったい、普段は何を食うとるんだ?」
信じられない気持ちが強かったのか、村人の一人が横から赤鬼に問いました。赤鬼は問うた村人のほうを向くと、穏やかに言いました。
「川で魚採ったり、木の実拾ったり、そんなだ」
「……なんだ。ワシらと、おんなじでねぇか」
調子抜けしたように、誰かがそうつぶやきました。村人たちの緊張が少し、和らいだようでした。
「お、鬼は触っただけで畑の土を腐らせるとか、稲を病気にするとか、聞いたぞ!」
また別の村人が、赤鬼に向かって言いました。赤鬼はその村人に向き直ると、静かな口調で答えました。
「おら、人里に下りたことはねぇから、おらが畑や稲を触ったらどうなるか、
本当のところはわからねぇ。
だども、今までおらが触っただけで土が腐ったことはねぇし、病気になった草花もねぇ」
「赤鬼さがたおれとったところの土は腐ってねかったし、草も枯れてねかっただよ」
赤鬼を助けるように、太助がみなに向かってそう言いました。
「……ただのうわさだったんだべか」
「ワシらが勝手にこわがってただけっちゅうことかい?」
村人たちの緊張が解け、部屋を覆っていた雰囲気が和らかくなりました。村長だけは難しい顔をしたまま、何かを考えているようでしたが、やがて赤鬼を試すように見据え、厳しい声で問いかけました。
「おまえさまの言葉に、うそはねぇか?」
赤鬼は村長の視線をしっかりと受け止め、はっきりとした言葉で答えました。
「うそは、ねぇ」
村長はその答えに納得したようにうなずくと、赤鬼に向かってこう言いました。
「おまえさまがよければ、この村に住んでもらってかまわね。どうだ?」
急な村長の申し出に、赤鬼は思わず「えぇっ?」と声を上げました。人の村に住むなんて、今まで考えたこともありませんでした。赤鬼は目を白黒させて答えました。
「だ、だども、おら、鬼だで……」
赤鬼は村人たちのほうに視線を向けました。赤鬼と目が合った何人かの村人は、びくっと肩を震わせると、慌てたように視線を逸らせました。
村長は村人たちを振り返って言いました。
「お地蔵様のお告げによって、この赤鬼さはワシらの村に来た。
これはきっと、お地蔵様の深いお考えによるもんだとワシは思う。
だから、ワシはこの村の長として、赤鬼さをこの村に迎えようと思う。
反対のもんは、おるだか?」
村人たちはお互いに顔を見合わせ、小声で周りと話したりしていましたが、結局反対するものは誰もいませんでした。村長は再び赤鬼のほうを向くと、
「みな、ええと言うとるで。おまえさましだいだ」
と言いました。赤鬼は戸惑いながら、おそるおそる、村長に聞き返しました。
「おらが、この村におって、ええだか?」
村長はうなずくと、少し柔らかい表情で答えました。
「今日からここは、おまえさまの村だで」
その言葉を聞いた途端、赤鬼の目からぽろぽろ、ぽろぽろと涙がこぼれました。涙は次から次へとあふれ、やがて赤鬼は、うおぉぉん、と声を上げて泣き始めました。誰かが、誰にともなくポツリと、
「……苦労してきたんだべなぁ」
と言いました。赤鬼はそれから、すっかり日が暮れるまで、ずっと泣き続けました。
村に迎えられた赤鬼は、村人たちと一緒に一生懸命働きました。赤鬼は穏やかで優しい性格をしていて、働き者で、そしてなにより泣き虫でした。うれしいと言っては泣き、幸せだと言っては泣き、誰かが辛い思いや悲しい思いをしているとぽろぽろと涙を流しました。村人たちの中には、最初は赤鬼のことを快く思わない人もいましたが、そんな赤鬼と一緒に過ごしているうちに、少しずつ、赤鬼を受け入れてくれるようになりました。
その日も赤鬼は、村近くの荒地を開墾するために、一生懸命クワを振るっていました。その場所は大小さまざまな岩がたくさん埋まっていて、村人たちが耕すのを諦めた土地でした。赤鬼の隣では、太助が木の根や小石を取り除く作業をしています。空は雲一つない、いいお天気で、二人は玉のような汗をかきながら働いていました。
赤鬼は埋もれていた大きな岩を掘り出すと、軽々と抱えて岩積み場まで運びました。その様子を見た太助は、あらためて感心したように言いました。
「赤鬼さは力持ちだなぁ。オラたちが束になったって、そげな大岩は持ち上がらね」
赤鬼は照れたように微笑むと、どすんと岩を岩積み場に置きました。
「太助はまだちいせぇから。大きゅうなったらできるようになるだよ」
汗を手拭いで拭きながら戻ってくると、赤鬼は「ちょっと休むべ」と言って太助の隣に腰を下ろしました。赤鬼の身体が陽射しを遮り、太助は赤鬼の影にすっぽりと入ってしまいました。
「村の大人のだれだって、赤鬼さにはかなわねぇだよ。それに、赤鬼さほどのはたらきもんは他には
おらねってじいちゃが言っとった。じいちゃはめったに人をほめねんだ。赤鬼さはすげぇんだ」
赤鬼の遠慮がちな様子が不満だったのか、太助は少しむきになったように言いました。赤鬼は太助の頭をぽんぽんとなでました。
「おら、みんなの役に立つことがうれしいんだ。ただ、そんだけだ」
その答えも不満だったのか、太助が口をとがらせ、頭をなでていた赤鬼の手を払いのけました。機嫌を損ねてしまったなというように、赤鬼は苦笑いしました。
ふと、赤鬼が何か思いついたように視線を上げました。そして、右手の人差し指を立てると、くるくるとまわし始めました。興味を持ったのか、不思議そうに赤鬼を見る太助に、赤鬼は「風を呼ぶおまじないだ」と言いました。しばらくそうしていると、山のほうから穏やかな風が、さあっと吹いてきました。汗をかいてほてった身体に心地いい風でした。
本当に風が吹いてきたことにびっくりして、さっきの不機嫌な顔はどこへやら、太助は興奮したように「すごい、すごい!」と繰り返しました。そして赤鬼をまねて、自分でも人差し指を立てると、くるくるとまわし始めました。「早くまわすと強い風が吹くの?」「何回まわすと吹き始めるの?」と赤鬼に尋ねながら、太助は一生懸命に指をまわしています。太助の様子を見ながら、赤鬼は幸せそうに目を細めました。
赤鬼が村に来てからしばらくの時が過ぎ、村に新しい年がやってきました。今日は節分、豆まきの日です。村長の家に村人たちが呼ばれ、ささやかな宴が催されました。庭では子供たちがきゃあきゃあと歓声を上げながら、手に持ったいり豆を赤鬼にぶつけています。赤鬼はにこにこ顔で、「やられたぁー」とか「こうさん、こうさん」とか言いながら子供たちから逃げ回っていました。
縁側でその様子を見ながら、村の大人たちは改めて、村に赤鬼がいる不思議さを思いました。
「赤鬼さは優しいだなぁ。本当に鬼なんだべか」
手に持った盃からちびりと、なめるようにお酒を飲みながら、村人の一人が言いました。ふるまい酒にも限りがあり、水のように飲むわけにはいかないのです。
「角はあるし、牙は生えとるし、図体はでけぇし、鬼だっちゅうのは間違いなかんべぇ」
別の村人が、やはりなめるようにお酒を飲みながら答えました。
「だども、鬼ちゅうんはもっと恐ろしいもんだべ。人を喰うたり、畑荒らしたり。雷呼んだり大風吹かす
っちゅう話も聞いたことあるだ。ところがよ、赤鬼さは全然、そんなことしそうにねぇべさ」
赤鬼が悪さをしたり、暴れたりする姿を、村人は想像できませんでした。赤鬼は誰かがひざをすりむいただけでも痛そうだと言って泣いてしまうような、優しい、弱い性格なのです。わざわざ人を困らせたり、傷つけたりするなんて考えられませんでした。
「そりゃあおめぇ、鬼にもきっといろいろおるんだべ。やさしい鬼もいりゃ、悪さをする鬼もおるんだ。
人だって同じだべ。善人もおりゃ悪人もおる」
その言葉は、村人の胸にすとんと収まった気がしました。鬼だから悪いわけではない。人だから良いわけでもない。優しい鬼がいても、何もおかしくはないのです。
「なるほど。そうかもしんねぇなぁ」
赤鬼は鬼だけれど、優しい鬼。うわさが伝える鬼はやはり鬼だけれど、悪い鬼。きっとただ、それだけのことなのでしょう。得心がいって、村人はぐいっと盃をあおりました。
「いかーんっ!」
いつの間にか背後にいた村長が突然発した叫び声にびっくりして、村人はあやうく口に入れたお酒を吹き出しそうになりました。振り向くと村長は、かなり酔いが回ったような真っ赤な顔をして、仁王立ちしていました。
「ど、どしただ村長。急に大声出して」
むせてしまったもう一人の背中をさすりながら村人がそう尋ねると、村長は空のとっくりを振り回しながら言いました。
「ワシらは赤鬼さに、どんだけ世話になっとるかわからねぇ。それなのに、今、ワシらは赤鬼さに
豆ぶつけとる。追い回しとる。こりゃどう考えてもおかしいことだで」
明らかに飲みすぎている様子の村長に向かって、村人は諭すようにこう言いました。
「だども、豆まきちゅうんはそういうもんだべ。鬼は外、福は内っちゅうて」
しかし村長はかたくなに首を振ると、強い口調で宣言しました。
「いんや、このままでええはずはねぇ。決めたど。この村は今年から、福は内、鬼も内だ!」
「鬼も内にしてしもうたら、何に豆ぶつけりゃええんだ?」
豆まきは豆をまく行事です。鬼を内に招くと豆をまく相手がいなくなってしまいます。なかばあきれ顔の村人に向かって、村長はなぜか少し自慢げに胸を張って答えました。
「豆はぶつけねぇんだ。みんなで分けて食べればいいべさ」
「……それじゃ、たんにみんなで豆食うだけの行事になっちまうでねぇか」
「おーい! こどもたち。ちょっとこっちゃこーい」
村人のつぶやきを無視して、村長は庭に降りると、子供たちを集めて新しい豆まきのあり方を説明しました。子供たちは酔いの回った村長の言葉を一生懸命聞いて、最後に村長が「わかったか?」と言うと、元気よく「はいっ」と返事をしました。そして赤鬼のところに走っていって、持っていたいり豆を半分差し出すと、村長から聞いた話を赤鬼に聞かせました。赤鬼は照れたように笑って豆を受け取ると、お礼だと言って四人の子供を肩に乗せ、庭を駆け回りました。肩に乗った子供は「たかーいっ」「はやーいっ」とおおはしゃぎです。乗せてもらっていない子供は「ぼくも、ぼくも」と言って赤鬼のまわりにまとわりついています。赤鬼は「順番だ」と笑いながら、何度も何度も子供を乗せては庭を駆け回りました。
「……うちの村は、これでええのかもしれん」
福は内、鬼も内。それはこの村にとって一番幸せな方法かもしれない。村人は子供たちと遊ぶ赤鬼の姿を見ながら、そんなことを思いました。
穏やかに、季節はめぐっていきました。春が来て、夏が過ぎ、秋を喜び、そして、また冬がやってきました。こんな穏やかな日々がずっと続いていくのだと、誰もが信じ、疑ってはいませんでした。
村に思いもよらぬ報せが飛び込んできたのは、冬の寒さがようやく和らいできた、ある日の朝のことでした。村人の一人が血相を変えて、村長の家の戸を叩きました。
「たいへんだっ! 都の侍どもが、この村に向かって来とる!」
村長はあわてて村人を家の中に招き入れました。こんな田舎に都の侍が来るなど、普通では考えられないことです。よほど急いできたのか、ぜぇぜぇと肩で息をしている村人に水を与えると、村長は詳しい話を聞かせてくれるよう村人を促しました。村人はなじみの行商人から聞いたと言って、村の誰もが思いもしないようなことを話しはじめました。
「赤鬼さのことが、いつの間にか都まで伝わっとったんだ。それも、なにがどうなってそうなったのか
わからんけんど、赤鬼さは悪ぃ鬼で、村は赤鬼さにひどく苦しめられとるっちゅうことになって
しもとる。それを真に受けた都の侍が、赤鬼さを退治するちゅうて、大勢引き連れてこの村に
むかっとるんだで」
その話を聞いた村長は、大きく顔をしかめて吐き捨てるように言いました。
「なんちゅうことだ。侍どもめ。必要なときには何もせんくせに、くだらんことばかり熱心にしよる。
おおかた、功をあせった無役の侍が、出世のためにやっとるんだで」
悪態をつきながら、村長はこれからどうすべきかを考えていました。侍が赤鬼を退治するためにこの村にやってくるのだとしたら、たとえ赤鬼が悪い鬼でないことをどれだけ説明しようと、赤鬼は退治されてしまうでしょう。下手に赤鬼をかばえば、村人たちまで危険にさらすことになってしまうかもしれません。いいえ、もしかしたら赤鬼と村人が一緒に生活していたと知られるだけでも、村人全員が『鬼の仲間』とみなされて、退治されてしまうかもしれないのです。村長は厳しい顔で村人に尋ねました。
「侍どもが来るのは、いつだ?」
「早ければ、昼前」
村長は目をつむり、大きく息を吸うと、目を開けて、絞り出すように村人に言いました。
「……赤鬼さを、連れてきてけろ」
朝から太助と一緒に畑仕事をしていた赤鬼は、硬い表情の村人に呼ばれ、村長の家まで連れてこられました。呼びに来た村人の表情は暗く、言いようのない不安が赤鬼の胸をよぎりました。それは太助も同じだったらしく、太助は呼ばれていないにも関わらず、赤鬼についてきたのでした。
「……太助。おまえもついてきただか」
村長はそう言って少し顔を曇らせましたが、怒ったり、出ていくように言ったりはしませんでした。
「村長さま。いったいおらに何の用だべか?」
赤鬼は、緊張した面持ちで村長に尋ねました。村長は今までに見たこともないほど厳しい顔をして、そして感情の無い冷たい声でこう答えました。
「今、都の侍どもがこの村に向かっとる。赤鬼さ。おまえさんを退治するためだ」
赤鬼はハッと息をのみました。侍が自分を退治しにくる。つまり、命を奪いに来るのです。赤鬼の身体がカタカタと震え始め、赤鬼は自分の腕を自分で強くつかみました。
「な、なして赤鬼さが退治されねばなんねぇんだ? 赤鬼さはなぁんも悪いことしてねぇべさ!」
思わず身を乗り出した太助を手で制して、村人が言いました。
「侍どもにとっちゃ、赤鬼さがええか悪ぃかはどうでもええんだ。あいつらは鬼の首を都に持って
かえりてぇだけなんだべ。そうすりゃ都で出世ができる」
村人の言葉に、太助は激しい怒りの表情を浮かべて叫びました。
「そんなのおかしいべさ! なしてそんなごとのために赤鬼さが殺されねばなんねぇ!」
「おめぇの言うとおりだ。だども、道理が通る相手ではねんだ」
村人は太助の両肩に手を置いて、そして押さえつけるように力を込めました。太助は納得できない様子で村人をにらみつけていました。
村長は厳しい表情を変えないまま、静かに赤鬼に告げました。
「……赤鬼さ。村を、出てくろ」
赤鬼の身体がびくっと震えました。それは、赤鬼が一番聞きたくないと思っていた言葉でした。しかし、きっと言われるであろうと覚悟していた言葉でもありました。きっと他に方法がないだろうことを、赤鬼は分かっていたからです。
「そんな! 赤鬼さを追い出すだか?」
信じられないものを見るように、太助は村長に顔を向けました。そして、自分を抑えつけている村人の手を払おうともがきながら、村長に向かって叫びました。
「赤鬼さは村の仲間でねぇか! それなのに、なして助けようとしねぇんだ!
今まで赤鬼さにたくさんたくさん助けてもらったに、赤鬼さが一番困ってるときに
赤鬼さを見捨てるだか! そんな、そんなことしてええはずがねぇ!」
「聞き分けろ太助! ワシらも好きで言ってんでねぇんだ!」
もがく太助を抑えながら、村人は苦い表情を浮かべました。村長は太助の言葉にも表情を変えることはありませんでした。
「いやだっ! 赤鬼さはなんも悪くねぇ! 悪ぃのは全部、侍どもでねぇか!」
なおも納得しない太助を冷たく見下ろして、村長は言いました。
「侍どもが赤鬼さを見れば、必ず襲い掛かってくる。
だどもワシらに、侍どもと戦って赤鬼さを守る力はねぇ。
それどころか、赤鬼さと一緒に暮らしとったことが分かれば、侍どもはワシら村人全員を
『鬼の仲間』だと言うかもしれねぇ。赤鬼さ、おまえさんなら分かるはずだべ。
おまえさんも、村のみんなも助かる方法は、侍どもがこの村に着く前に、おまえさんが
村を出るしかねぇんだ。最初から鬼なんぞいなかったと、うわさは間違いだったんだと、
そう言うしかねぇんだ」
「……そうすりゃ、みんな助かるだな?」
かみつくように太助が何か言おうとしたのを遮って、今まで黙っていた赤鬼が口を開きました。身体の震えはもう止まっていました。赤鬼は自分の腕をつかんでいた手を離し、まっすぐに立つと、村長をじっと見つめました。村長はゆっくりと、深くうなずきました。
「……わかった。村を、出るだよ」
「赤鬼さ!」
太助は涙をいっぱいに浮かべて、赤鬼を見上げました。赤鬼はさびしげに微笑むと、大きな手で太助の頭を優しくなでました。
「……村に迷惑はかけらんねぇ。仕方ねぇんだ」
太助は村人の手を振りほどくと、赤鬼にすがりつきました。村人はもう、太助を強く抑えてはいなかったのです。太助は赤鬼の足にぎゅっと顔を押し付けて、声を殺して泣いていました。村人は赤鬼のほうに向きなおると、頭を下げました。
「堪忍してくろ。侍どもの目当てはあんただで。あんたがこの村におったら、みんなの命はねぇんだ。
あんたがおらねば、言い訳はいくらでもできんだ」
「わかっとるよ。……おらは、だいじょうぶだ」
村人と、そして太助に向かって、赤鬼はそう言いました。そして、すがりつく太助の肩をそっと押しました。太助は赤鬼の足に回した腕に一度ぎゅっと力を込めると、ゆっくりと手を離し、赤鬼から離れていきました。
「さあ、もう時間がねぇ。裏手から丘の上に逃げなせ。大丈夫。お地蔵様がきっと守ってくださる。
侍どもに見つからんよう、遠くへ逃げてくろ。だあれも追って来られんくらい、遠いところへ」
村長の言葉にうなずくと、赤鬼は念を押すように、こう尋ねました。
「侍は、みんなには手をださねぇんだな?」
村長はこの日初めて、少しだけ表情を緩めて赤鬼に答えました。
「ワシらの心配はいらね。侍どももケモノではねんだ。鬼がいねぇと分かれば、ワシらに
手出しすることもねぇだよ」
赤鬼は少しほっとした表情を浮かべると、裏口から外へ出て、丘の上に続く道を駆けていきました。
赤鬼の後姿をしばらく見送ったあと、村長は村人に命じました。
「みんなを村の入り口に集めてけろ。侍どもを出迎えねばなんね。
それから、みんなに赤鬼さを逃がしたことと、この村には鬼なんぞ最初からいねぇっちゅうことで
話を合わせるようにと、必ず伝えんだ。太助、おまえも手伝え」
村人はうなずき、家を飛び出していきました。太助は憤りを込めた瞳で村長を厳しくにらむと、無言のまま出ていきました。
一人になると、村長は我知らずため息をつきました。太助は賢い子です。納得はできなくても、きっと自分の役割を果たしてくれるでしょう。
村長はこれから自分が果たすべき役割を考えました。侍たちを出迎え、機嫌を損なわぬよう応対し、鬼などいないことを納得させて帰ってもらわねばなりません。何かひとつ間違えれば、村人たちの命に関わるでしょう。都の侍にとって、こんな田舎の村人など、そこらの雑草や石ころと同じなのです。
――せめて、誰の命も失われることがありませんように。
祈りにも似た思いで天に願うと、村長は家を出て、村の入り口に向かいました。
たくさんの馬のひづめの音が、遠くから響いてくるのが聞こえてきました。
ついに、村に侍たちがやってきました。侍たちは馬に乗り、きらびやかな鎧兜をまとい、太刀を佩き、槍や弓を携えています。その数は百を優に超え、まるで戦でも始めるかのような、ものものしい雰囲気をまとっていました。
村の入り口には村人たちが集まり、地面に伏して侍たちを迎えていました。村長も村人たちの少し前に出て、地面に額づいています。
侍たちの中からひときわ豪奢な鎧に身を包んだ侍が進み出て、
「面を上げよ!」
と言いました。その声はまだ年若く、そして年若いことを繕うように威圧的で、尊大な雰囲気をまとっていました。きっとこの男が侍の大将なのでしょう。村長は顔を上げると、馬の上からこちらを見下ろす侍の大将の顔をじっと見つめました。
侍の大将は腰の太刀をすらりと抜き放つと、天に掲げ、芝居がかった大袈裟な調子で高らかに口上を述べ始めました。
「我こそは武家の棟梁、清和源氏の流れをくむ武士の中の武士にして、
かの源頼光の血に連なる鬼斬りの益荒男なり!
村の者たちよ、安心せいっ!
この村に巣食う鬼は我らが見事退治てくれようぞっ!」
正義はまさに我にあらん、とでも言いたげに、高揚した様子の大将を見て、村長はわずかな希望を覚えました。この大将はあまり頭が良くなさそうですし、村を鬼から救いに来たと宣言した以上、村に危害を加えることはできないはずです。鬼がいないと分かっても、暴れだすことはないでしょう。村長は乾いた唇を湿らせると、できるだけ平静を装って侍の大将に言いました。
「おそれながらお武家さま。この村にゃ鬼なぞおらんです。何かの、お間違いじゃねぇでしょうか?」
侍の大将は、村長の言ったことが理解できない様子で眉をひそめると、おかしなことを言うなという風情で村長に言い返しました。
「そんなはずはない。この村に赤い肌をした大きな鬼が出て、お前たちを苦しめておるのだろう?」
村長はごくりとつばを飲み込みました。我々は鬼のことなど何も知らないと、この侍に信じさせなければなりません。しかし、村長は嘘をつくことに慣れていませんでした。本当にうまくいくのか。村長は不安を必死で押し殺していました。
「いいえ、お武家さま。ワシらはここで普通の生活をしております。何にも苦しめられてはおらんです」
侍の大将はしばらく、村長の顔をじっと見つめていましたが、やがて合点が言ったようにうなずくと、
「もしや鬼におどされておるのか? ウソを言って我らを追い払えと、そう言われておるのだな?
だがそのようなおどしに従う必要はない。我ら、鬼ごときに後れは取らぬ。さあ、鬼のところへ
案内せいっ! そっ首叩き落としてくれるわっ!」
と言って、鬼の首を落とすように、びゅんっと太刀を振り下ろしました。
ええい、物わかりの悪い侍め。早く納得して都へ帰ってくれ。村長は心の中でつぶやくと、侍の大将に向かってさらに言い募りました。
「いいえ、いいえ、お武家さま。この村には本当に、鬼などおらんのです。おらんもののところへ
案内するのは無理でございます。ワシらを助けにきていただいた、そのお心はほんに
ありがてぇことですけんども、ワシらは助けていただかんでも、なんも困ってはおらんのです」
これで分かってくれと祈りながら、村長は侍の大将を見上げました。侍の大将の顔から徐々に高揚した様子が消え、戸惑いの色が強くなっていくのが分かりました。侍の大将は力が抜けたように肩を落とすと、呆然とした様子で村長に尋ねました。
「……本当に、おらんのか?」
「おらんです」
村長は即座にそう答えました。侍の大将はひどくがっかりした様子でうつむきました。その様子を見て、村長はほっと胸をなでおろしました。がっかりした、ということは、鬼がいないということを受け入れてくれたということだからです。あとは、侍たちがわざわざ都からこんな田舎の村まで来たことの労をねぎらい、お酒や料理をふるまって、気持ちよく都に帰ってもらえば、それでおしまいです。心の中でこれからの算段をしながら、侍の大将に声を掛けようとして、村長は侍の大将の様子がおかしいことに気が付きました。
「……ぐぬぬぬぬ」
よく見ると、侍の大将は太刀を強く握りしめ、歯を食いしばり、顔を真っ赤にして震えていました。村長は、自分の心臓が大きな音を立てて鼓動を早めていくのを感じました。背筋に冷たいものが走り、村長は何か決定的に間違ってしまったのだということを直観的に理解しました。
「そんなバカな話があるか!
我らは鬼のうわさを聞きつけ、わざわざ都よりこの村まで参ったのだぞ!
必ずや武勲を立てると父母に誓い、八幡大菩薩の加護を賜るための荒行をこなし、
一族総出の見送りを受けてここまで来たのだ!
妹は我が身の無事を願って、毎日お百度を踏んでおる!
それを、いまさら間違いでしたなどと、そんな、そんなバカな話、あってはならぬ!
絶対にあってはならぬ!」
口から泡を飛ばし、太刀を振り回しながら、侍の大将は叫びました。そしてひとしきりわめき散らした後、不意に何かいいことを思いついたように、静かになりました。侍の大将はゆっくりと太刀を村長に向けると、薄笑いを浮かべて言いました。
「さてはおぬしら、人ではないな?
本物の村人は鬼に喰われ、おぬしらは鬼が人に化けておるのだ。
鬼はあやしげな術を使い、人を惑わすという。あやうくだまされるところであった。
ずるがしこい鬼どもめ、我らが成敗してくれるわ!」
なんということでしょう。この侍の大将は、村長が思っていたよりずっと、愚かで、自分勝手で、他人のことを何とも思わない人間だったのです。
「そ、そんな。お待ちくだされ! ワシらは本当にただの村人だで!」
村長は何とか怒りを鎮めようと、立ち上がって侍の大将の足にすがりつきました。しかし侍の大将は村長を蹴り飛ばすと、聞く耳を持たぬ様子で叫びました。
「ええい、だまれ! 我らはここに鬼がおると聞いてやってきたのだ!
つまり、ここにいる者こそが鬼なのだ!
皆の者、この村におるはすべて人に化けた鬼ぞ!
一人残らず討ち果たし、我らの武勇を知らしめよ!」
蹴り飛ばされ、しりもちをついた村長に近づき、侍の大将は手に持った太刀を大きく振りかぶりました。村長は恐ろしさのあまり、その場を動くことができずにいました。侍の大将はうれしそうな笑みを浮かべると、太刀を振り下ろしながら家臣に命じました。
「かかれっ!」
「どこへ行くのかね?」
村の裏手から道をたどり、丘の上まで来たとき、赤鬼は誰かが自分を呼び止める声を聞きました。
「だ、だれだ!」
慌てて振り返りますが、そこには誰もいません。赤鬼がきょろきょろと辺りを見回していると、再び誰かが話しかける声がしました。
「私だよ。ほれ、おまえの目の前におる、小さな地蔵だ」
「お、お地蔵様?」
赤鬼が身をかがめて御堂を覗き込むと、そこには確かにお地蔵様が安置されていました。しかし、お地蔵様に話しかけられることなど初めてだったので、赤鬼はどうしていいか分からず、戸惑ってしまいました。すると、
「どこへ行くのかね?」
お地蔵様が赤鬼に最初と同じ質問をしました。赤鬼は少しうつむくと、沈んだ声でお地蔵様に答えました。
「……ここから、逃げんだ。おらがいると、みんなに迷惑がかかっから」
「そうなのかね?」
村の様子をまるで知らないのか、お地蔵様はのんきに問い返しました。赤鬼はお地蔵様に事情を説明することにしました。
「おらを退治しに、都から侍が来ただ。おらが村のみんなと仲良くしてたことが知れたら、
侍はみんなを鬼の仲間だっちゅうて殺してしまうかもしれねぇ。おらがいなきゃ、
いくらでも言い訳は立つんだ。おらは、ここにいねぇほうがいいんだ」
説明をしながら、赤鬼は涙があふれてくるのを感じました。初めて自分を受け入れてくれたこの村を、出ていきたくありませんでした。優しい村のみんなと、お別れなどしたくありませんでした。
「さびしくはないのかね?」
同情をした風もなく、お地蔵様は淡々と赤鬼に問いかけます。どうしてお地蔵様はそんなことを聞くのか、分からないまま赤鬼は答えました。
「さびしいけんど、しかたねぇんだ。みんなの命にはかえらんねぇ」
赤鬼はうつむき、必死に涙をこらえました。赤鬼が村を出るのは、仕方のないことなのです。赤鬼が村に居座れば、赤鬼自身も侍に斬られてしまうでしょうし、村のみんなも危険にさらすことになります。赤鬼自身はともかく、村のみんなまで傷付くのは、赤鬼にはとうてい耐えられないことでした。
赤鬼の答えを聞いたお地蔵様は、やはり平然とした様子で、こう言いました。
「そうか。では、私からおまえに、ひとつ贈り物をしよう。
おまえが旅立つ前に、村が今どんな様子なのかを見せてやろう。
名残を惜しみなさい。行けば帰ってくることはできないかもしれないのだから」
お地蔵様がそう言うと、突然、赤鬼の目の前に、丘の上からでは見えるはずのない村の入り口の様子がはっきりと浮かび上がりました。村の入り口には村人たちが集まり、侍たちを出迎えているようです。百を超えるほどの数の侍たちが、村の入り口を挟んで村人の反対側に集まっています。侍たちは馬に乗り、鎧兜で身を固め、手には武器を持っていました。村長は村人の少し前にいて、侍たちの中でもひときわきらびやかな鎧を着た、おそらく大将であろう侍と、何事か話しているようでした。お地蔵様は村の様子をまるで目の前にいるように見せてくれましたが、音を伝えてはくれませんでした。
突然、侍の大将が何ごとか叫び始めたようでした。すると、村長は慌てたように立ち上がり、侍の大将の足にすがりつきました。侍の大将は村長を蹴り飛ばすと、正気を失った様子でまた何か叫んだようでした。
赤鬼は、目の前の光景を信じられない気持ちで見つめていました。村を出ればみんなが助かると思えばこそ、赤鬼は村を出る決意をしたのです。ところが、今、村人の前にいる侍たちは、今にも村人に襲い掛かりそうです。これはいったいどういうことだ? 赤鬼は呆然と、村の様子を見つめました。
侍の大将が村長に向かって、大きく太刀を振り上げました。赤鬼は大きく目を見開いて、身を乗り出しました。大将の背後に控えていた大勢の侍たちが、村人たちに向かって槍を、弓を構えるのが見えました。赤鬼は村人たちを助けようと手を伸ばしましたが、その手は空を掴むばかりでした。そしてついに、侍の大将が何か叫びながら太刀を振り下ろし――
赤鬼は、我を失いました。
オオオオオオオオォォォォォォ―――――
大気を押しつぶすような、恐ろしいうなり声が村に響き渡りました。突然聞こえてきたその声に驚いて、侍たちが乗っていた馬が暴れ始めました。村人たちに襲い掛かろうとしていた侍たちは、振り落とされないよう必死で馬をなだめなければなりませんでした。晴れていた空はにわかにかき曇り、ゴロゴロと雷が鳴り始めました。
「こ、これはいったい何事か!」
馬にしがみつきながら、わけがわからないといった表情で侍の大将が周りの侍に問いかけました。周りにいた侍たちはそれに答えず、空を指さして、「あれはなんだ?」「なにか降ってくるぞ!」と口々に叫びました。
侍たちの指の先には、小さな黒い影がありました。その黒い影はみるみるうちに大きくなり、どおぉぉぉんっ! というものすごい音を立てて地面に落ちてきました。辺りには土煙がもうもうと立ち込め、何も見えなくなってしまいました。馬はますます怯え、何人かの侍が振り落とされてしまったようでした。侍たちは馬をなだめることを諦めて地面に降りると、村人たちに襲い掛かることをやめ、武器を構えて空から来たものを遠巻きに見ていました。
土煙はすぐに晴れ、その場にいた人々は空から来たものの正体に気付きました。そこにいたのは、怒りに目を血走らせ、牙をむき出しにしてうなり声を上げる、赤鬼の姿でした。
「お、鬼だ! 鬼が出たぞ!」
侍たちは赤鬼の恐ろしい姿におののき、槍を刀を前に突き出しながら、動けずにいました。みな、腰が引けて、武器を持つ手は震えています。誰もが鬼を見るのは初めてで、そして目の前にいる鬼の姿は、想像していたどんな鬼の姿よりもはるかに恐ろしく、醜いものだったのです。
怯む侍たちの後ろに、隠れるように下がりながら、侍の大将が叫びました。
「なにをしておる! 矢をつがえよ、槍を構えよ! あの化け物を討ち取るのだ!」
その声に自分たちの役割を思い出したのか、侍たちは自らを奮い立たせるように「おぉっ!」と声を上げると、一斉に動き始めました。槍を持つものが前に出て赤鬼をけん制し、弓を持つものが槍持ちたちの隙間から赤鬼に狙いを定めました。
「放てぇっ!」
侍の大将の掛け声とともに、赤鬼に向かって一斉に矢が放たれます。誰もが無数の矢に貫かれる赤鬼の姿を思い描きました。ところが。
赤鬼がその怒りに燃える瞳でギロリとにらむと、赤鬼を貫くはずだった矢はことごとく炎に包まれ、赤鬼に届く前に燃え尽きてしまいました。何が起こったのか分からず、侍たちはぽかんと口を開けたまま、呆然と立っていました。
「お、鬼を取り囲み、手の届かぬ距離から槍で串刺しにせよっ!」
ひきつったような声を上げて、侍の大将は再び侍たちに命令しました。侍たちは槍を持った手にぐっと力を込めると、赤鬼に向かって走っていきました。
赤鬼は迫りくる侍たちに向けて、ぶぅん、と大きく右の腕を振りました。するとたちまち突風が巻き起こり、侍たちの半分を吹き飛ばしてしまいました。吹き飛ばされた侍たちはしたたかに背中を打ち、動けなくなりました。
「ふ、懐に入り込み、太刀にて鬼の首をはねよっ!」
侍の大将は、安全な場所に控えたまま、みたび侍たちに命令しました。侍たちは一瞬だけ大将を見やり、奥歯をかみしめると、腰の太刀を抜き放ち、赤鬼に斬りかかっていきました。
赤鬼は侍たちに向かって、ぐぉん、と大きく左の腕を振りました。するとたちまちつむじ風が巻き起こり、侍たちを空高く舞いあげました。侍たちははるか山のほうまで飛ばされ、木の枝に引っかかったりやぶに突っ込んだりして、気を失ってしまいました。
残るは侍の大将と、そのそばにいた数人の侍だけになりました。侍の大将は意味もなく太刀を振り回しながら、悲鳴のような声で叫びました。
「だ、だれでもよい! あの鬼の首を取れ! 褒美は思いのままぞっ!」
しかし、その声に応える侍はもう誰もいません。駄々をこねる幼子のように鬼を討てと繰り返す侍の大将に目をやると、赤鬼は大きく息を吸い込み、
グオオォォォォ―――――
天を引き裂くような雄たけびを上げました。その声に応えるように、辺りに雷鳴が響いたかと思うと、
ゴロゴロ、どどぉーーーんっ!
侍の大将のすぐそばに雷が落ち、すさまじい威力でその身体を吹き飛ばしました。地面に叩きつけられた侍の大将は、白目をむいて気を失いました。残った侍たちは、大将が気を失ったのを見て取ると、
「御大将がやられたっ! ひけっ! ひけーっ!」
大将を抱えて一目散に逃げ出しました。突風に蹴散らされて倒れていた侍たちも、よろよろと立ちあがると、動けない仲間を背に抱えて逃げていきました。こうして鬼退治に来た侍たちは、一人残らず村から追い払われたのでした。
「みんな、無事だか!」
侍たちがいなくなったのを確かめて、赤鬼は村人たちのほうに顔を向けました。そして村人たちのほうに駆け寄ろうと一歩を踏み出して、そのまま凍りついたように動けなくなりました。村人たちは声もなく、じっと赤鬼を見つめていました。
村人たちは知ってしまったのです。今、目の前にいる赤鬼が『鬼』であること。その視線は迫りくる矢を焼きつくし、腕の一振りは突風を巻き起こし、咆哮は雷を呼ぶということ。鎧兜に身を固めた侍たちを、まるで赤子の手をひねるように退ける力を持っているということを、知ってしまったのです。
村人はみな、恐怖に目を見開き、蒼白になって震えていました。そこには、昨日まで当たり前のように一緒にいて、笑ったり、泣いたりしながら過ごしてきた温かいものはもうありませんでした。まるで初めて会った何か恐ろしいものを見るように、村人たちは赤鬼を見ていました。今、村人たちは、かつて赤鬼に会うなり命を乞うてきた旅の男や、震える手で刀を抜いた若武者と、同じ目をしていました。
赤鬼は少しの間、うつむいていました。そして顔を上げると、申し訳なさそうに微笑んで、こう言いました。
「……こえぇ思いさ、させて、すまねがったなぁ」
村人たちはその言葉にはっとしました。赤鬼がこの後どうしようとしているのか、はっきりと分かったからです。赤鬼は村に背を向けると、ひとり、歩き始めました。
今、この時に声を上げなければ、赤鬼がこの村に戻ることは決してないことを、みんな分かっていました。しかし、誰もが口を開くことができずにいました。赤鬼の後姿がゆっくりと遠くなっていきました。このままではやがて声さえも届かなくなってしまう。村人の誰もが、そう思っていました。それでも、誰も声を上げることができませんでした。ただ、ひとりを除いて。
「こわくねぇ!」
重苦しい沈黙を引き裂いて、少年の叫びが鋭く響き渡りました。その声に驚いて、赤鬼は歩みを止めると、村のほうを振り返りました。太助はその目にいっぱい涙をためて、あらん限りの力を込めた大きな声で叫んでいました。
「オラ、なんもこわいことねぇんだ! だってオラ知ってんだ! 赤鬼さはいつだって、オラたちを
助けてくれるんだ! だから、こわいことなんてなんもねぇんだ!」
太助は周りの村人たちを見回すと、涙でかすれた声で言葉をぶつけました。
「みんなも言っとったでねぇか! これからは福は内、鬼も内だって!
赤鬼さが村に来て、悪いことなんてなんもなかったでねぇか!
ええことばっかりだったでねぇか!
今だって、赤鬼さは侍どもから オラたちを守ってくれたんでねぇか!」
太助の目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれました。太助はぎゅっと目をつむって天を仰ぎましたが、涙はあとからあとからあふれて止まりませんでした。
「なのに、なのに……!」
ついには言葉にならなくなり、太助は大声を上げて泣き始めました。しかしその声は村人たちのこわばった心をほぐし、その涙は恐れを洗い流してくれました。村長は目を閉じて大きく息を吐くと、悔いるようにつぶやきました。
「……太助の言うとおりだ。ワシらは、とんでもねぇ間違いをするとこだった」
そして村長は赤鬼に向かって大きな声で、
「赤鬼さ。堪忍してくろ。ワシら、おまえさんをよぉく知っとったつもりだったに、心から信じることが
できてなかったんだべな。申し訳なかった。この通りだ」
と言って、深々と頭を下げました。他の村人たちも、口々に「悪かった」「堪忍してくろ」と言いながら、村長にならって頭を下げました。
「い、いや、そんな、とんでもねぇ。おら、そんな……」
赤鬼は慌ててみんなに頭を上げるよう頼みました。そもそも、恐い思いをさせてしまったのは赤鬼なのです。恐いものを恐いと感じることが悪いはずもありません。謝らなければならないのは赤鬼であって、村人のほうではないのです。
赤鬼の言葉に、みんなは頭を上げました。みんなが赤鬼を見ていましたが、その目からもう恐れの色は消えていました。
村長が一歩、赤鬼のほうに踏み出して言いました。
「いかねぇでくれ。この村におってくれ。いまさらと、思うかもしんねぇけんど、
ワシらはおまえさんに、この村にいてほしいんだ」
その言葉に、赤鬼はうつむいて答えました。
「……でも、おら、鬼だで……」
「そんなこと、みぃんな知っとる」
赤鬼の言葉を聞いた村人のひとりが、すぐにこう答えました。赤鬼は驚いたように顔を上げましたが、またすぐにうつむいてしまいました。
「だども、おらがいたら、また侍が来るかもしんねぇ」
別の村人がまたすぐに答えます。
「来たらまた追っ払えばええだ。今度は、みんなで」
「んだ。今度はオラたちがクワで侍どものケツひっぱたいて、追い返してやるだよ」
村の若者がおどけたように言葉を継いで、村人たちの中に笑いが起こりました。
「……だけど……でも……」
自分がここにいることで、いつかこの村に取り返しのつかない災いを招くのではないか。そんな思いが赤鬼の心をうつむかせていました。赤鬼はこの村が大好きでした。この村の人々が大好きでした。でも、だからこそ、ここにいたいと、この村にいさせてほしいと、言うことができませんでした。招く災いに見合うだけの福が、赤鬼の中に見つからないのです。どうして災いをもたらす者を、わざわざ迎える必要があるというのでしょう。
うつむく赤鬼に、村長はまた一歩踏み出すと、ゆっくり、大きな声で伝えました。
「ワシらには、赤鬼さが、必要なんだで」
赤鬼は、心の底から驚いたような顔をして、村長を見つめました。不安そうに揺れる赤鬼の瞳に、村長は微笑んでうなずきました。赤鬼は、おそるおそる、村人たちに向かって尋ねました。
「……おら、ここにいて、ええだか?」
「ええもわりぃも」
何を今さら、とでも言うように、村人はお互いに顔を見合わせて笑いました。そして村人たち全員が、赤鬼に向かって、口をそろえて言いました。
「ここは、おまえさんの村だで」
その言葉を聞いて、赤鬼は地面にひざをつくと、うおぉぉーん、と大きな声で泣き始めました。太助が赤鬼のところまで走って行って、赤鬼に抱きつきました。太助の後を追うように、村の子供たちが赤鬼のところへ駆けていきました。赤鬼は子供たちをぎゅっと抱きしめながら、ずっとずっと泣き続けました。
「……ワシら、本当にどうかしてただな。赤鬼さをこえぇだなんて思っちまって」
目に涙を浮かべながら、村人が隣にいた村人にそう言いました。隣にいた村人は大きくうなずいて、こう答えました。
「んだな。赤鬼さは、あんなに泣き虫だで」
村の裏手には小高い丘があって、そのてっぺんには小さな御堂がありました。御堂の中にはお地蔵様が安置されていて、いつも村を見守っていました。今、村では赤鬼が大声を上げて泣いています。何もかもうまくいくことを最初から知っていたように、お地蔵様はいつもと何も変わらない様子で、やさしく微笑んでいました。




