実家のように慣れ親しんでいる厄介事の気配
「あの……ここならご飯食べさせてもらえると思います」
「おう、ありがとうよ」
少年に案内された建物は、何というかみっしりと詰まっていた。
古びた木戸の先は、おおよそ小さめなコンビニほどの広さだろうか。
そんな中に石造りのテーブルが四つ備え付けられていて、カウンターも含めるとぎっしりと詰まった印象を受ける。
今は誰もいないが席が全て埋まってしまえば、通るのにも苦労しそうだ。
店の奥には上に上がるための階段があるが、これまたすれ違うだけでも苦労しそうなくらいに狭い。
カウンターの奥に設置された棚も石造りで、何かの液体が入ったガラスの瓶がぎっしりと詰まっていて、暖簾で区切られた部屋もある。
とにかく狭い店内の天井を見てみれば、光の球が三つばかり浮いている。
「異世界情緒だなあ……」
「知らないの、イセ!あれが魔法よ!」
「見ればわかるわ」
「なんでよ!?」
むしろ、あれで科学技術と言われる方がびっくりする。
異世界特有の科学技術もあるのかもしれないが、そこはシンプルに魔法で通して欲しい所だ。
「あの、僕はこの辺で……」
「まぁ待てよ」
サマがぎゃあぎゃあと喚く中、踵を返そう少年の肩を掴む。
「ひぃ!?殺さないで!?帰りを待つ妹がいるんです!?」
「人を何だと思ってやがる。というか、お前なかなかやるよな」
「あれ、幼女がいないわよ!?幼女どこに行ったの!?」
ふええとか言っていた幼女の姿は、ここにはない。
少年は案内している最中、やたら入りくんだ路地でこっそりと幼女を逃がしていた。
あまりに自然に逃がす物だから、サマなんて本当に気付かなかったほどだ。
バレたら俺達の怒りを買う可能性もあるだろうに堂々と逃がして来る辺り、この少年は何気に修羅場をくぐってきているのかもしれない。
「こ、殺すなら僕だけにしてください……」
「殺さないって」
「ほ、本当ですか……?」
上目遣いだった。
涙を湛えた大きめの蒼い瞳は何ともあざとく、蜜色の髪は着ている服のように痛んではいるが、その痛み具合が奇妙な生々しさ。
テレビの向こうのアイドルのような遠さではなく、同じ教室にいるクラスで一番可愛い子のような生々しさのような愛らしさ。
縮んだ俺の身長と大して変わらないせいもあり、顔と顔の距離は近い。
鼻に届く妙な甘やかな薫りは、一体なんだというのか。
見つめていると変な気分になってくる辺り、妙なフェロモンでも出ている気がする。
「お客さん?ごめんね、少し席を外してたわ」
階段の奥から聞こえてきたのは、しっとりとした色気のある声だった。
落ち着いた、だけれど耳の奥に妙に残る声だ。
そのくせ背筋がざわめき、そわそわと落ち着かなくなるような華やぎもあって、この店に入ってからの俺は、何だか奇妙なまでに浮わついているのが自覚出来る。
「あら、ショータ。こんな時間にどうしたの?そちらさんは……初めて見る顔だし、血まみれだし、どうしたのかしら」
階段から降りてきたのは、どこかちぐはぐな女だった。
年の頃は二十代も半ば、三十路に差し掛かったくらいか。
洗いざらしの木綿のシャツと、長い髪をざっくりとひっつめた姿はどこにでもいるような女だ。
化粧していない素顔はどれだけよく言っても地味で、長い足だけが印象に残るだろう。
「あ……っ」
だというのに、俺は何故だか彼女から目が離せないでいた。
それどころかまるで中学生のように胸が高鳴って、言葉が出てこない。
これはひょっとして……恋?
紙風船のような俺の生も、彼女という中身があれば意味がある物に出来るだろう。
俺は生きる意味を今、見付けたのかもしれなかった。
「イセーイセー、ちょっと後ろを向きなさい」
「なんだよ、サマ。俺は今、恋の炎が」
「いいから、早く」
サマの顔に浮かぶのは、好奇心に輝くいつもの表情ではなく、露骨なまでに嫌そうな表情だ。
やれやれ、今まで気付いてなかったけど、恋を知った俺の魅力はこいつにまで届いていたようだな、なんて下らない事を考えてしまうくらいに世界は輝いて、
「いいから、早く」
「お、おう」
小さな手で俺の頬を押すサマの勢いに負けて振り返ってみれば、
「おや」
驚くほどに高まっていた恋心が、初めから無かったかのように萎んでいくのが実感出来た。
「ああ、ごめんね。あんたには少し早かったみたいね」
「イセ、あなた魅了スキルに引っ掛けられてるわ」
「なんだそれ」
聞けば何となくわかるが、そんな物があるのか。
「そう、その名の通り見る者を魅了するスキルね」
「あ、うん、わかるわ」
「なんなのよ、もう!?」
「それより対抗策は?さすがにこのままは辛いんだけど」
「んふふ、お願いは?」
「しません」
「でも、今回は私が助けてあげるわ。ふふふ、感謝しなさい」
「どういう風の吹き回しだ」
「こういう風よ」
そう言ったサマは、俺にふうと息を吹きかけた。
キラキラと輝くようなエフェクトも効果音もなく、ただ息を吹きかけただけに見える。
「大丈夫?少し刺激が強すぎたかしら?」
「あー……はい、もう大丈夫です」
なのに、声を聞くだけで吹き上がっていた胸の内が、すっかり収まっていた。
女を見ても、どこにでもいそうな女だと改めて思う程度だ。
「よかった。それじゃあショータ、少し手伝ってちょうだい」
「はい、アンヌさん」
そう言うとアンヌと呼ばれた女と、ショータと呼ばれた少年はカウンターの奥へと消えていく。
残された俺とサマは、適当に近くの椅子に腰を下ろした。
「なあ、サマ。スキルって俺にも取れるのか?」
「え、無理に決まってるじゃない?イセは世界の基盤が違うもの。取りたかったら、私に頼みなさい」
「それは嫌だ」
そうかー、駄目なのかー……。
正直に言えば物凄いスキル、というか魔法を使ってみたい。
純粋に便利そうだ、というのもあるが、やはりロマン重視だ。
隕石とか落として、目の前を更地にするくらいはしてみたいものである。
そんなもんどこで使うんだ、という話だが、あるならぶちかましてみたいのが男心だろう。
「それよりも感謝の言葉はどうしたのかしら!」
「……俺に何をしたんだ、さっき」
「とりあえず対精神スキルへの耐性を付けてあげたわ。全て無効化とは言わないけれど、今のイセに精神攻撃を通すつもりなら、それなりにスキルレベル上げないと無理ね」
「ぐっ……」
聞くだけで相当に有効ではある。
混乱を食らって全滅した経験は、それなりにゲームをした事があるなら一度や二度はあるだろう。
魅了スキルも自分で経験してみれば、この凶悪さがよくわかった。
もし魅了されている状態で頼まれれば、なけなしの財布を渡すくらいなら迷わずしていたに違いない。
かと言って素直に感謝するのは、とてもとても腹立たしかった。
元々、お前のせいだろ。
「ほら、ありがとうは?」
「な、なんの目的が」
あるんだ、と続けようとした時だった。
「お待たせ。大した物出せないけど、よかったかな?」
「あ、はい」
「うち、夜のお店だからさ。まだ早いのよね」
「すみません……」
カウンターの奥から現れたアンヌが持つお盆の上には、大小二枚の皿がある。
皿の上に乗せられているのは、ほかほかと湯気を上げている……何だか見覚えのある色合いの代物だった。
恐らく肉、なのだろう。
焦げ目の付いたどぎつい緑色の肉が、スライスして皿に乗っている。
付け合わせのネギのような野菜よりも、その肉は深い緑色をしていた。
植物の緑ではない、何だか見覚えのある緑は、
「はい、お待たせしました。ゴブリンの野菜炒めよ」
やっぱりか。
派手な緑色をしたゴブリン肉は、匂いだけは普通の肉といった感じだった。
「いただきます。イセ、これ久しぶりのご飯よ!」
「ははは、たくさんお食べ」
まずはサマが食べているのを見てからにしよう。
フォークを逆手に握ったサマは、力一杯ゴブリン肉へと突き刺すと、何ら躊躇いもなく口へと運んだ。
「……普通ね!」
それだけを言うとぱくぱくと口に運んでいくサマに、苦しげな様子はまるで見えない。
……行けるか。
フォークで刺すゴブリン肉の感触は、まるで鶏肉のような感じで、鼻に伝わる匂いも、肉だ。
目をつぶれば、とても食欲をくすぐる事だろう。
しかし、色だけがどうしても気になって仕方ない。
アメリカの真っ青なケーキのように、明らかにおかしな色合いをされると食べ物として脳が受け取ってくれないのだ。
「そう言えば、ショータを助けてくれたんですってね」
肉をフォークに刺したまま悩んでいると、アンヌが話し始めた。
「まー、成り行きでしたんで」
「それでもありがとうね。アーマラさんの所の若いの三人ばかりノシてやったんだってね?」
「はあ」
愛想のない対応しか出来ない俺に対しても、アンヌはにこにこと笑顔を浮かべて話を続ける。
「先代さんはよかったんだけど今のアーマラさんになってから、場所代がとんでもなく上がっちゃってね。少しでも逆らうと、ショータみたいな子供相手でも刃物ちらつかせるのよね、あいつら」
嫌な予感がしてきた。
「だからね、貴方がショータを助けてくれたって聞いた時は本当にすっとしたね。今時、珍しいくらいの出来た探索者だよ」
「や、そんなことはないです」
間を持たせるために見もせずに口に運んだゴブリンの肉は、なんということもない。
普通の、少し塩気が足りない鶏肉だ。
「そういえばあんた達、どこから来たんだい?この辺りでは見ない顔だね」
「ちょっとぶらぶらしてまして。反対側くらいです」
「ははあ、東かね?あんたみたいな腕のいい探索者さんなら噂くらい聞いた事がありそうなんだけどねえ」
にこにこと笑顔を浮かべながら話を続けるアンヌは、露骨なまでに探りを入れてくる。
さて、困ったもんだ。
彼女は明らかに俺を利用しようとしていた。
こういう異世界物のお約束って、初めて会った相手はお人好しで、主人公を助けてくれるもんじゃないんだろうか。
お人好しどころか、ひたすら巻き込まれそうな気がしてるんだが。
助けたショータ本人の姿は、店の中には見えない。
アンヌとショータがどういう関係なのかはわからないが、感謝するつもりなら本人がいないのはいかにもおかしかった。
アーマラさんとやらは、何やら調子に乗った探索者(と思われている)俺の事を気に入らないに違いない。
そして、そのアーマラさんとやらも、どうやら町の人間にとって邪魔でもあり、かと言って町の人間がアーマラさんに直接立ち向かおうとはしていないらしい。
どこから来たのかわからない流れ者を、アーマラさんとやらに噛み合わせようと考えるのはとてもよくわかる話だ。
どういう流れにしろアーマラさんとやらに伝われば、さて何がどうなる事でしょう。
ショータ本人がわざわざアーマラさんとやらに俺の居場所を教えに行かなくても、町の人間にアーマラさんと繋がりのある奴はいるはずだ。
勿論、これは全て俺の勘でしかない。
が、果たして異世界人は、日本よりも親切だとはまったく思えなかった。
人間、本当に困った時に助けてもらえるなら遠慮はしないし、それがタダならなおいいだろう。
「ねえ、イセ。私は考えたのよ」
「何をだよ」
「イセに望みがないのは、欲を知らないからよ」
遠くから石畳を叩く音が連続するのが、聞こえてきた。
「だから、イセは手に入れなさい。お金を手に入れて、名誉を手に入れて。満ちて満ちて、どこまでも満ちて。そのためなら、ほんの少しだけ手伝ってあげる」
一人、二人、三人……恐らく十二人だ。
少し遅れてアンヌも気付いたらしく、少しずつ俺から距離を取り始める。
一方的に利用されて喜ぶ趣味はないが堂々と笑顔のまま、じりじり逃げ始めるアンヌを見ていると、怒るよりもいっそ感心してしまう。
「欲を満たしなさい、イセ。人の世界で得られる全てを手に入れるの。そして、その先で」
「オラァ!ここにアーマラさんに逆らったボケがいるんじゃろう!詫び入れろや、ボケナスがァ!アーマラさんはお怒りじゃぞう!」
そんな大声と共にがやがやと押し入って来たのは、いかにもなチンピラ達だ。
「人では絶対に届かない望みを、私に願いなさい」