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浮遊世界のホワイトノート  作者: 久保日
4/8

お前の話は聞きたくない

「ねえ、イセ。粘膜の擦り付け合いと、肉と鉄の擦り付け合いにどの程度の差があるのかしら」


 人間の価値観では童貞には、価値がないらしい。

 砦を破った事のない軍隊と、難攻不落の砦ではどちらに価値があるのか、という例えは頷ける。

 しかし、人間の価値観では鉄で肉を摩擦で切るというのは、どういう風に並ぶのだろう?


「……童貞に聞くな」


「私、童貞に偏見はないわよ。粘膜擦り付け合った所で魂の器が広がるわけでもないでしょうし」


「うるせえ」


 下を向き、ぜえぜえと荒い息を吐いていたイセはゆっくりと顔を上げた。

 足元に転がった二体のゴブリンの死体をまたいで前に進むイセの膝は、微妙に揺れていて、見るからに追い込まれている。

 初めの一匹を仕留めてから、イセはすでに十四匹のゴブリンを斬り捨てていた。


「もうっ、少しはお話しましょう!イセが追い込まれるのは狙い通りだけど、お話出来ないとつまらないわ!」


「追い込むのが目的の奴と仲良くしてもなあ……戻せよ、身体」


「きちんとお願いしなさい。いつでもいいのよ?」


「ふん」


 答えるのも面倒だ、と背中で語るイセの後を、私はとぼとぼと着いていく。

 傷口から血が滲み、白かったシャツを真っ赤に染めた背中は、ひどく力がない。

 だからといって、私とお話しないとかふざけていると思うのだけれど。


「ねえ、イセ。私、思ったの」


 暗闇の奥から現れたのは、三叉路だ。

 左を進めば上る階段、右を進むと下る階段がある。

 勿論、人間に感知出来る範囲ではないし、教えてやる気もないけど。

 

「イセ?イセ!聞きなさい!」


「なんだよ、うるせえな……」


 イセは面倒くさげに答えながら、とりあえず右へと進み出す。


「私の好感度を上げれば、きっといい事があるわよ」


「……例えば?」


「……さあ?」


 無条件無制限で願いを叶える以上のいい事とか、何かあるだろうか。

 

「私とお話出来るわ」


「俺に何の得がある」


「神様とお話が出来るわ」


 どういう訳だろう、無視されてしまった。

 人間にとっては神様と話せるのは、物凄い名誉だったのではないだろうか?

 風は動かず、じめじめとした空気が何とも不愉快なのだから、せめて愉快なトークで私を楽しませて欲しいのだけれど。

 子供の肉体になって筋力が落ち、水もなく三時間ほど歩きっぱなし程度で機嫌を悪くしないで欲しいものだ。


「ねえ、イセ。街ってどんな所なの?」


「家とか店がある」


「お金を出せば物と交換出来るのよね。知ってるわ!私やってみたい!」


「金なんてねーよ」


「大丈夫よ、イセにはその刀があるでしょう?それでずばっと!」


「なんでいきなり強盗させようとしてるんだ!?しねえよ、そんな事!」


「えー。私が言ってるのよ、やりなさいよ。ねえねえ」


「傷口を突っつくな!?」


「わかったわ、こうしましょう。お話してくれたら……そうね、水をあげるわ」


「水滴一粒とかそういうオチじゃないだろうな」


「勿論、そんなケチケチした事は言わないわ」


「……ならいい。何の話をしたいんだ」


 いっそ水だけ出したけど、器はないから全部溢れちゃいました☆とかやろうかな、と一瞬考えたけれど、さすがにそれはやめておいてあげよう。

 契約はきちんと詰めないと触った物は全て金になるよ、食べ物もね!になるから気をつけるべきだ。

 とはいえ神様的にどちらが正しいのかは、迷う所でもある。

 言われた通り厳密に願いを叶えてやるのが正しいのか、それとも本人のぼんやりとした願いを汲み取ってやるのが正しいのか。

 どちらを選んだ所で人は神を試すのだから、神がどちらを選んだ所で文句を言われる筋合いはないと思うのだけれど。

 神様が動かせない石を、神様は作れるのか、なんてパラドックスがあるけれど、答えは作れる、だ。

 その作り出した石を動かせないのなら神様は全能ではない、動かせない石を作り出せないなら全能ではない。しかし、全能は存在する。

 人間からすれば矛盾だけど、それはただ人間が、理解出来ないだけでしかない。

 人間という存在はひどく狭くて、ひどく哀れな生き物だと、私は思う。


「そういえばイセには親がいるのよね。どんな感じなの?」


 広い範囲で言うのなら、そう在れと望まれた私の親は人間になるのだろうか。

 その辺りは視点によると結論は変わるけど、私の意識からするとまったくそんな気はないからどうでもいい。


「親か……」


「木の股から生まれてきたの?」


「俺を何だと思ってるんだ。……いや、俺は捨てられた子供だったからさ、親の顔も知らなくて」


「何よ、使えないわね!」


「孤児だって打ち明けたのに、そんなリアクションされたのは初めてだな!?」


「私が聞きたかった事、何一つ聞けないじゃない!」


「あー、うん……それは悪かった」


「でも、一応は答えてくれたからね。契約は契約よ!はい、水あげるわ」


「アルプスの天然水……」


 何の前触れもなく手の中に現れたペットボトルに入った水を見て、イセはどこか困ったように微妙な表情を浮かべた。

 何の不満があるのか。


「……感謝はする」


「神様は?」


「ありがとうよ、サマ!」


「いいわよ!」


 よしよし、この分ならイセが願いを言う日は近い。

 小さな一歩も積み重なれば、神様としての大きな一歩に近付くはずだ。

 早速、イセはペットボトルのキャップを回すと、一口だけ口に含む。


「あら、もういいの?」


「……この場所がどの程度続くかわからないんだし、節約は必要だ」


「なんだ、そんな無駄な心配してたの」


 すたすたと歩いていたイセが、歩を止めた。

 暗闇の中から現れたのは、下りの階段だ。

 しっかりとした作りの階段は、通路と同じように数人はすれ違えるほどの広さがある。


「お前にはわからないのかもしれないけど、人間は水が無かったらすぐに死ぬんだよ」


「ふふん、馬鹿ね!私だってきちんと知ってるわ、そんな事!」


「じゃあ、なんだよ、無駄な心配って」


「だって、そこ降りたらすぐ出口だもの」


 イセは力一杯、ペットボトルを地面に叩き付けた。


「早く言えよ!?」


「教えて欲しいならお願いしなさい!」


「改めて思ったわ、絶対に嫌だ!」


「なんてわがままなの!」


 まったく!イセはなんてひどいのだろう!

 私がせっかく水をあげたというのに、無駄にするなんて。

 人間は物をもらったら、喜ぶ浅ましい生き物ではなかったのか。

 今なら恩は売れるけど、すぐに無駄になるだろう手札を切ったのだから、今すぐ五体倒地からの神様ありがとうございます、と言うべきだろうに。


「くそっ、サマはともかく、水には罪はない……!」


「私にも罪はないわよ」


 力一杯叩き付けられたペットボトルは、子供の力ではどうしようもなかったのか、少しばかりくしゃっと傷んでしまっただけで済んでいる。

 イセは残った水をぐびぐびと飲むと、


「よし、行くか」


 覚悟を決めた声を上げ、階段を下り始めた。


「大丈夫よ、そんなに大した事はないもの」


「……本当かよ。というより、そうやって教えてくれるのが怪しい」


「本当よ。下に人間たくさんいるもの」


 イセのスニーカーが、階段を叩く事三十二回。

 階段を降り切ったイセの視界は、ぱっと光に包まれた。

 これまでのように範囲外は暗闇でまったく見えないという事はなく、それどころか半径五十メートルほどの円筒の内壁がはっきりと見える。

 緩やかなカーブを描く内壁を細かく見ていけば、何やら細やかな像や装飾が施されていくのが見えるだろうが、イセに見ている余裕はあるだろうか。

 入り口を背にして、降りてきた階段を見張る男が二人。

 その向こう側には、更に結構な人数の気配がある。


「おい、お前!」


「は、はい!?」


 階段を降りた所で足を止めていたイセに声をかけてきたのは、一人の男だった。

 子供の身長しかない今のイセが見上げるほどの、かと言って大人の身長としてはまぁ普通だろう。

 そんな男ががしゃがしゃと、鉄と鉄がぶつかり合う音を立てながら向かってくる。


「す、すげえ……鎧だ」


「シャツが真っ赤だぞ、怪我してるみたいじゃないか!」


「あ、はい。ちょっとゴブリンにやられて……」


「大丈夫か?ここまで戻ってこれたとはいえ、あいつらの錆びだらけの武器で刺されたのなら、きちんと治療しなければなるまい」


「あ、その……ありがとうございます」


 フルフェイスの兜のせいで表情は見えないが、その声に含まれた如何にも心配しているという声音に、イセは安堵の溜め息を吐いた。


「よし、早速外の医務室に……いや、その前に許可書を確認させてくれないか?」


「へ?」


「だから、許可書だ。最近、無許可で塔に入り込むスラムのガキが多くてなあ……あいつら、武器も持たないで入り込むからひどいもんなんだ……。いや、怪我してる所で愚痴を言ってすまなかったな。さ、許可書を見せてくれ」


「…………」


「……きちんと武器を買えるだけの金もあるし、妖精ファミリアも連れる余裕があるんだ。まさか持っていないという事はないだろう?」


 イセは、僅かに後ずさった。

 それは間合いを取ろう、という動きではなく、反射的な動きだ。


「……許可書だ。いいか、探索許可書だ。持ってるんだろう?」


 鎧の男も、僅かに腰を落とす。

 それは反射的な動きではなく、明確なまでにイセを追い詰めようとする動き。

 入り口を動かなかったもう一人の男も、イセを刺激しないようにするためなのか、ゆっくりと動き出している。


「腰の物には手をやるなよ、それをされたら我々もやらねばならん」


「うふふ」


 何だか楽しくなりそう。

 

「悪いようにはしない!」


 男は大きく右足を踏み出すと、イセに向かって左手を突き出した。

 その手は五指が開かれ、イセを掴もうとする動きだ。


「信じられるか!」


「うおっ!?」


 対するイセはその小柄な身体を更に縮め、男の懐に飛び込むと踏み出された右足に全身で掴みかかる。


「すげえ痛い!」


 そりゃあそうだろう。

 鉄で覆われた左足に蹴りを入れれば、当然のように痛いはずだ。

 しかし、すでに右足を浮かされ、残った左足を刈り蹴られれば、人間が立っていられるはずもなく、派手な音を立てながら転倒。


「貴様、抵抗するか!」


「抜くな!子供を斬ってどうする!」


「……っ!悪いが!」


 もう一人いた鎧は腰の剣に手を伸ばすが、倒れた鎧に制止される。

 その隙を突くように、イセはすでに走り出していた。

 全身鎧を着込んだ男と、刀以外は何も持っていないイセとでは、比べるまでもなく速度が違う。

 左に小さなステップ、鎧が追随するように動き、動いた所でイセは大きく右へと避ける。

 あっさりと鎧をかわしたイセを遮る物はすでになく、


「許可書無しの子供が外に出るぞ!」


 しかし、声の波が伝わる速度とでは、イセの足は遅すぎた。

 左右を見渡した所で、出入り口は正面の一つで、がしゃがしゃと鎧が動く音は複数聞こえてくる。


「本当にサマのせいで……!」


「え、私関係なくない?」


 これが八つ当たりってやつなのだろうか。

 でも初めての経験で、ちょっと楽しい。

 そんな私の内心を気にする事なく、イセは速度を上げると、慌ただしくなる外の気配に飛び込むように、出入り口に飛び込んだ。


「おお、太陽だ!」


 外に出れば、頭上には雲一つない真っ青な空が広がっていた。

 久しぶりに……いや、封印される前はずっと嵐として在ったのだから、こうして空を見上げる事が初めてかもしれない。

 そう思ってしまうくらい、鮮烈な光景だった。


「待てっ!」


「待てと言われて待つ奴があるか!」


 薄暗い空間から、いきなり鮮やかな光に晒された私の目は、まだ光量の調整に手間取っている。

 しかし、そのもどかしい動きすら心地いい。

 冷たい、だけど強く吹く風も、一体いつぶりなのだろう。

 味すら感じられそうな久方ぶりの強い風、それは――


「くそっ、タモンがやられた!応援を呼べ!」


「何人来るんだ!?」


「…………」


 がしゃがしゃと響く鉄の音と、男達がぎゃあぎゃあと喚く声。

 十人ほどの鎧に囲まれながらも、イセはちょこまかと動き回って必死になって逃げ惑う。

 抜ける道は塞がれているが、それでも諦める事のないイセは……イセのせいで。


「うるさいわ、人間ども!」


 それをどう表現するのか、私の感性で言うのなら波だった。

 世界を流れる力の流れ、その濃淡。角度で変わる色合い。


「私が浸ってるのに!」


 そういう物を重ねて、重ねて、私は音に乗せて、


「邪魔するんじゃないわ!」


 力一杯、わさわさと集まる人間どものど真ん中に投げ付けた。

 重なった力の波は人間の目では捉えられない代物。

 しかし、結果となる現象は、鉄の鎧を纏った男達をまとめて吹き飛ばす豪風となった。


「うん、すっきり」


 着弾点で蠢いていた人間達は声もなく吹き飛び、それでいて命に別状もない程度に被害が抑えられている。

 自画自賛するほどの完璧なコントロールだ。

 消し飛ばしてやってもよかったのだけれど、さすがにイセを巻き込んでしまっては困ってしまう。

 倒れたまま、ぴくりとも動かないイセの首根っこを掴んで、私は飛び上がる。


「あら、凄い」


 落ち着いて眼下を見下ろせば、そこは雲の海に浮かぶ大地だった。

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