そんな事より合コンだ!
「イヒッ」
肌触りは、すっかりと変わっていた。
風の流れる山の中ではなく、辺りを見回してみれば左右には石壁、前後は薄暗い通路が広がっている。
光源らしい光源がないのに、ある程度の視界は確保されていた。
しかし、かと言って遠くへと視界を向けてみれば、光一つない暗闇が広がっていて、私は無事に世界を超えたのだと確信する。
明らかに、世界の法則が違っていた。
変わった肌触りは物質的な空気の動きだけではなくて、もっと根源的な物であり、
「わからないよねえ、人間には」
私の足元で倒れている人間の感覚では、絶対に掴めない物だ。
空気の組成はコンマ数パーセントは違う程度で人体に問題があるような物ではなく、倒れている石畳だって薄ぼんやりと光っているだけで、彼が触った感覚ではただの石だろう。
原子レベルで見れる目があれば、また違うだろうが、彼からすればいきなり場所が変わっただけだ。
「ところで人間。もう起きてるでしょう?」
「……ちっ」
私が声をかけると、人間は即座に飛び退く。
刀を抱くように身体を捻った構えから覗く右目は、露骨なまでに私への警戒と、
「なんだ、お前。えらく縮んでるじゃないか」
「んふ」
少しばかりの驚きを含んでいた。
それもそうだろう。
今の私は身長三十センチほどで、ぷかぷかと宙に浮いている。
初めに彼の前に姿を現した時は、おおよそ百七十センチほどだったのだから、物質的な目で見れば驚くに決まっていた。
これまでずっと涼しい顔をしていた人間が驚くのを見ていると、少しだけ溜飲が下がる。
まぁそれでも彼の理想的なスタイル(巨乳好きだ)と、私の趣味で踝まで届く長い銀髪。
彼の好みを繁栄して少し気が強そうな顔立ちをしているが、それでも私の美しさを否定出来る人類はいないに決まっている。
「……まぁいい。ここはどこだ」
「さあ?とりあえず別の世界だとは思うのだけれど」
「ああ……?」
「いやだわ。そんなに凄んで、まるでチンピラねえ。頼み方って物があるんじゃない?」
「はっ!教えてください、お願いします、とでも言えばいいのかよ」
「神様、も付けてね?」
「やなこった!」
まるで子供のように言い切った人間は、苛立ちを露にしている。
その様子からすれば、満足し切って魂が燃え尽きる様子もなく、少しばかり安心した。
他者の魂に触れた事も初めてなら、無理矢理縛り付けて治したのも初めてだったわけで、力の大半を使い果たして不具合が出ていたら笑えもしない。
まぁ人格を保ったまま生きていれば、不具合の内には入らないだろう。
「……んん?」
男はにぎにぎと刀を握った手を動かす。
どうも収まりが悪いらしく、あれこれ動かしているが、まぁ収まるはずもあるまい。
「なんだ、刀が大きく……じゃない!?なんじゃこりゃあ!?」
「んふふ」
慌てふためいて自分の身体を触りまくる人間の手は、まるで、なんて付ける必要のないくらいに子供の手だった。
握り慣れた刀の柄が馴染むわけないわよねえ、そりゃあ。
身長も子供並みで、いっそ可愛いとすら思えてくる。
「貴方の魂は燃え尽きてかけていて、修復している最中に、ふと思ったの。あ、ちょっと力をケチれるなって」
「ケチるなよ、そこを!?」
例えば足を失った人がいたとして、無くしたはずの足が痛む事がある。
それは欠けた肉から魂が飛び出したままになっていて、魂を痛ませるのだ。
焼け落ちた人間の魂は、その総量が減ってしまった。
その分、肉も減らして調整しておいたから、幻肢痛ならぬ幻魂痛なんて物はないはずだ。
それに何年かして成長すれば、戻る……んじゃないかなあ、と思っている。
残念ながら私は全知ではないのだ。
知らない事は結構ある。
「ねえ、元に戻して欲しい?」
「あ?戻してくれるなら、戻してくれよ」
「うふふ、それならきちんと頼んでみなさい」
まだ私の天秤は、どちらに傾いているのか自分ですらわからない。
「元の身体に戻してくださいって」
善き神様として在るのか。
「元の世界に戻してくださいって」
それとも元の荒れ狂う嵐として在るのか。
「お願いします、神様って頼んだら、私は貴方の願いを叶えてあげる」
封印を解かれた時に比べれば、私の力はひどく失われている。
海と鯨程度には違う。
しかし、それでも人間一人を元の身体に戻して、もう一度世界を渡らせるくらいの力は残しているし、人間程度の想像力の限界くらいの願いなら叶えられる。
それでも人間一人くらいの肉と魂を粉々に砕くくらいの力は、残してしている。
「さあ、どうするの?」
「……嫌だね!」
「あらやだ、意地っぱり。少し頼めばしてあげるのに」
まぁ答えは何となくわかっていた。
それは人間の魂に触れたせいなのか、それとも少しばかり話したせいなのか。
「……俺は満足して死ねるはずだったんだよ」
「死にたいの?」
「死にたくはない。けど、生きていたくもない」
「それは、どうして?」
「……きっと、俺は満足して死ねないと思ってたんだよ。俺には日本はひどく息苦しい。でも、ただ死にたくもなかった」
「ふーん」
「聞いてきたくせに興味なさそうだな……一応、真面目に答えたんだけど」
「実際、無いもの」
「さよか……くそっ、なんなんだ、この状況。目が覚めたら異世界で、子供になってるとか意味がわからん」
「うふふ、いつでもお願いしていいのよ、人間」
「絶対に嫌だね!」
そう吐き捨てると、人間は構えを解いて、頭をがりがりとかきはじめた。
「あら、私を斬らないの?」
「……斬ってやりたいが、斬れない気がする」
「私は神様だもの、鉄をどんなに速くぶつけた所で斬れるわけないわ」
「そうかよ」
人間の視線が、私の身体をなぞる。
可視化された真っ赤な殺意の線は、私の腰から肩口に抜け、股下から頭までを流れていく。
もし人間が私を斬れる確信があるのならば……まぁ多分、斬りかかってこないだろう。
殺意の線はどこか薄く、どこか本気ではなかった。
「んふふふふ、じろじろと私の身体を舐めるように見つめてたのにねえ。どうだった?興奮した?お願いしたら……いいのよ?」
それが不思議と腹立たしくて、ついついからかってしまう。
本気なら……どう対応すればいいのか。
人間と接して、まだ僅かな時間だというのに次々とわからない事が浮かび上がってくる。
それは楽しいような、もどかしいような。
「やめろよ、そういう惑わせ方!?」
神様だって、肉の交わりは結構好きだと話が残っている気がするんだけど。
「あーもう、ちくしょう!わけわからん!こうなったら!」
「こうなったら?」
「とりあえず進む!詳しくは進んでから考える!」
「導いてあげるのに」
「頼めば、だろ。絶対に嫌だね」
人間は私に背を向けると、すたすたと通路を歩き始めた。
暗闇を恐れる事もないのか、やたらと堂々とした歩の進め方だ。
背筋はぴんと伸びたままで、二本足という構造なのに肩の上下が異様に少ない。
暗闇から何が出てこようと、即座に反応出来る歩き方だ。
よくもまぁこんな指先にまで意識を通すような動きを、ずっと続けられるものだと私は感心半分、呆れ半分に思う。
ものすごく面倒くさそうだ。
「ところで人間、どうしてそんなに私に頼むのが嫌なの?」
歩を進めると、やはり世界の法則が変わっている事を実感した。
光源もないのに目に光を感じて、数メートルは視界が確保され続けている。
「そりゃあお前あれだよ」
この世界では"そういう物"なのだから、そういう物なのだが、それでも法則が切り替わっているのを見ると、どうしても奇妙な感覚を覚えてしまう。
「あれって?」
「……何か気に食わない」
「……それだけ?」
「それだけってなんだ!そういうのは大切だぞ!」
「その、それだけが私にとって大切な事なのよ!」
「お前だって、俺の大切な事を踏みにじった!」
人間はまだいくらかも進まない内に、こちらを振り返った。
はっきりとした怒りを浮かべた人間、だけれどこれに関しては私の方が怒っている。
「俺はあそこで終わってもよかった。終わりたかった!」
「終わりたいなら勝手に終わりなさい!でもね、それなら私を認めてから終われ!」
「そんなの知った事か!俺にはきっと、あれ以上はないんだよ!」
「いいから、私を認めなさい!私が神様なのだと!ほら、呼んでみなさい!」
「絶対にやだね!」
「子供か!?」
「子供だよ、お前が俺を子供にしたんだよ!」
「こ、この野郎……絶対に後悔させてやる!私に願いを叶えられて、幸福になって死ね!」
「誰がお前に頼むか。俺がお前を神様だなんて認めるか」
「私は絶対にあんたに、私を認めさせてやる」
「俺はお前が嫌いだ。絶対に認めてやるもんか」
脳が若返ったら、魂まで若返ったのかこの野郎、とでも言ってやろうかと思ったが、やめておくとしよう。
なにせ私は千年や二千年どころではなく、存在している。
人間がうほうほやっていた頃から存在している、大人だ。
脳の若返りと、精神と魂はそこまで関係なく、元々この人間がガキのような人間性なだけだとは言わないでおいてやろう。
大人だから!
「わかったわ、私達はまず相互理解が必要よ」
「お、おう。なんだ、いきなり気持ち悪い」
この野郎……!
「そう、まずは名前よ。貴方の名前は……イセ……イセだかイワだかよね」
「最初ので当たってたわい」
魂に触れた時、読んだような気がするけど、どうでもよすぎて忘れていた。
「伊勢誠一郎だ」
「ふーん」
「こ、この野郎……!」
「さ、私の事はなんて呼べばいいのかわかっているわよね?きちんと様付けして呼びなさい?高らかにね!」
「絶対に……っと」
イセは何やら思い付いたのか、にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべ始める。
気色悪いわ。
「じゃあ、サマって呼んでやる。やったな、様付けだぞ」
「様しかないじゃない!?意味がわからないわ!?」
「まぁ待てよ、とりあえずは一歩前進だぜ?」
「あ、あら?なら、いいのかしら?」
「……いいんだ」
とりあえずゼロと一には、大きな差が有るのは確かだろうに。
これだから人間はいけない。
万物の礎は、いつだって驚くほど小さな存在から出来ている。
人間だって組織から、細胞から、原子から、もっともっと小さな物で出来ていて、それは決して零ではないのだから。
「まぁそれはともかく、イセ」
「……うるさい」
「何言われるのかわかってるでしょう?素直に認める事って大事よ」
私は神様だから、間違えても謝らないけれど。
神様だって間違える事は結構あるけれど、それはそれだ。
「むしろ、それはちょっと恥ずかしいと思うわ」
「くそっ、わかってるよ!」
そう言うとイセは腰に差していた刀を持つと、ベルトを外し、襷がけのようにして何とか刀を背中に差し直している。
身長が縮んだのに、元のままのつもりで歩いていたから、ガンガン床に当たって結構な音を立てていたのだ。
「ぷぷー!ぷぷー!」
「うるせー!仕方ないだろ、慣れてないんだ!」
「まぁそれはいいわ!それよりイセは何をしていた人なの?学生?無職?」
「なんだ、その二択」
封印の中に流れ込んできていたここ最近の物語の主人公は、大体その二つだった気がする。
『俺は普通の学生だ』みたいな入り方をしている話が多かったのだけれど、普通の学生や普通の無職が主人公の普通の話が多いのだから、きっと世の中の大部分は学生か無職なのだろう。
あと童貞も多いらしいし、向こうの世界はよほど婚前交渉は忌避されていたようだ。
荒れ狂う嵐としては無秩序に拡散していく物なのだから、婚前交渉もおっけーだと個人的には思う。
「いいから教えなさいよ、ねえねえ」
「うるせえな……大学生だよ、ほとんど行ってなかったけど」
「大学生!初めて見たわ!あれでしょう?合コンとかするのよね」
「……まぁする奴はいるな」
「イセは?合コンしたことあるの?どんな事をするの?」
「あー……何かおしゃれな飲み屋で集まって」
「まぁ!私知ってるわ!あれよね、かくてるね!あと王様ゲーム!」
「王様ゲームなんてやってたかなあ……」
「よし、今度私と王様ゲームをしてみましょう。王様だーれだ!って言うのよね、私知ってるわ!」
「二人で王様ゲームって何の罰ゲームだよ……ってうおっ!?」
と、イセが慌てて飛び退く。
暗闇から突然現れたのは、
「ゴブリン!?」
イセと大して変わらない背丈の、緑色の小鬼だった。
洗っていない犬のような悪臭と、口の端から溢れる涎が如何にも汚ならしい。
緑色の肌を隠すのは、まるで踏みにじられた枯れ葉のような布切れと、どこかから拾ってきたかのような錆び付いたナイフを持っている。
それに明るく見える範囲が何故か広がっているが、光る範囲はその生物を基点にしているのだろうか。
「イセ」
「……なんだよ。こいつと会話の余地はあるのか……?」
「それより合コンの話をしましょう?」
「そんな場合か!?」
「ギヒェ!?」
突然、大声をあげたイセに驚いた小鬼は、錆び付いたナイフをかざすと勢いよく飛びかかってくる。
その動きには洗練の気配はどこにも見えず、如何にも力任せだ。
しかし、
「……抜けねえ!?」
そりゃそうだ。
背丈が縮んで慣れる間もなく、とりあえず背中に担いだ刀。
抜き方はこれまでと大きく変わっているのだから、簡単に抜けるはずもない。
とはいえ、力任せに振り回されるナイフに当たるほど間抜けではなかったらしく、イセは右に左に避けながら、襷がけにしていたベルトを外す。
「向かって来るなら斬るぞ!」
鞘が付いたままの刀を両手で握ると、イセは大声をあげた。
どこか迷いのある声で、しかし手指の動きには迷いがない。
真っ直ぐに切っ先を小鬼に向けたイセは、手首の動きだけで刀を上下に揺すると鯉口を切る。
僅かに覗いた銀色の光に、小鬼は更に怯えた声を上げ、ナイフを振り上げた。
「シッ」
と、鋭い呼気と共に、イセは大きく刀を引く。
鯉口の支えを失った鞘が空中に取り残され、銀色の線がイセの周りをぐるりと包む。
目の前の生き物と同じ時間軸に生きているのが信じられないくらいに、素早く身を回したイセの刃は、的確に小鬼の喉笛を通り過ぎた。
「よし」
小さな納得一つと共に、イセは空中に残ったままの鞘をぱしりと掴むと、そのまま刀を納める。
鉄の棒を振り回しているだけの児戯だと思っていたけれど、こうして実際に見てみると、とても綺麗な動きだった。
綺麗過ぎる動きだった。
「おい、サマ。なんなんだ、この……あれだ、このゴブリンは」
イセは斬り捨てた小鬼――ゴブリンに背を向けると、私に戸惑ったように声をかける。
「さあ?私の担当じゃないもの、知るわけないじゃない。この世界の神様に聞いて。それよりも」
ゴブリンの喉笛から、ようやく血が吹き出す。
イセの剣筋のあまりの鋭さに、やっと傷口が開いたのだ。
生の元たる血液は流れ出し、ゴブリンの魂がみるみるとすり減っていくが、
「私だって知ってるわ。殺す時はちゃんと殺さなきゃ駄目よ」
この瞬間に限って言えば、まだ死んでいない。
ようやく自分の喉元に死に到る傷を負ったのだと、ゴブリンが気付いたのは動き出した後だった。
「何を……っ!?」
喉笛から血を吹き出させながらも、ゴブリンはイセの身体に覆い被さるように抱き着く。
ぐちゃり、と肉が貫かれる音と、イセの無防備な腹が石畳に叩き付けられる音がしたのはほぼ同時だった。
石畳に広がる真っ赤な血は、果たしてどちらの物なのだろう。
ゴブリンが右手に握り締めていたナイフは、イセの右肩に深々と埋まっていた。
「あっ……!」
「まぁ痛そう」
肉の痛みは知らないのだけれど。
元の世界では技術はあっても、イセは何かを殺す人ではなかったのだろう。
きちんとトドメを刺すまでが殺しであって、暴れる神様である私だってその事は知っている。
先手を取る事なく、対話の気配すら見せてしまっていた。
殺しの技術を磨いているくせに、殺し自体はよくわかっていないのだから、ひどく不思議だ。
「お馬鹿さんねえ、イセ」
血を失い、すでに魂を霧散させてひどく硬直したゴブリンの肉の下でもがくイセを見ながら、私はそんな事を考えていた。