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「父がどういうことを考えていたのか。それは究極的にはわかりません。私にも」

「そうですよね」

 そうだ。確かに人が何を考えているかなんて、わかりっこない。

 私はふと、列車であったあの青年を思い出した。彼こそ、何を考えているかよくわからなかったから。

「父はそこらへん意地悪で、なかなか自分の考えていることも言わないし、なぜそんなに優しいのかということも、教えてくれなかったんですよね」

「ニコラさんやご家族にも教えてくれなかったんですね」

「多分、それは父なりのメッセージで。自分で考えてみなさいということなのだと思う。だから私も思うけれど、やっぱり、この人生に正解はなくて、自分なりに答えを見つけだしていかなくちゃならないって、最近切にそう思うんだわ」

「そうなのね。それは確かにその通りだと思うわ」

「私は父のそういう姿を見て、どこかで自分の人生の答えを見出していきたいと思う。父はそんなこと気にせず、自由に生きろって、言うと思うけれど。最後に、父はこれだけ教えてくれたわ。聞きたい?」

「うん!」

「全部に感謝出来る瞬間が、いつか訪れるんだって」

「全部?」

「そう。全部。その全部っていうのが、何を指しているのか、私には少し検討もつかないところだったのだけど、父が死ぬ三日前に、そう言い残してくれた。普段言わないことだったから。いずれ、理解出来る時が来るといいなって思っているわ」

「全部……」

 私にも、それはちょっとよくわからなかった。そもそも、感謝出来る対象なんて、限られている。たまにおいしいものを食べたときに、あ、生きててよかったと思う。それと近いのかしら。


   ・     


「ごめんなさい。ユーミさん。私、オリバさんとは会えなかった」

 どういうべきか、悩んだ結果だった。彼がすでにこの世にいないということを告げれば、傷つけてしまうかと思ったのだ。

 愛する人はまだどこかで生きている、そう信じてユーミさんは残りの命を全うして欲しかった。そういう希望を持てるのであれば、私が嘘をついてもよいと思えた。もちろん、嘘をつくのは……とても心苦しかった。何が正解なのか、ぜんぜんわからなかったけれど、

 ユーミさんは、私のことをじっと見つめた。

「もしかして、既に……亡くなっているのかしら」

 私は目を見開いた。驚く。一体どうして……

「あら、そうだったのかしらね」

 動転している私とは逆に、ユーミさんは落ち着いたままだった。

「どうして」と口にしてからしまったと思う。こういってしまえば、ユーミさんの言っていることを肯定してしまうからだ。

「チェスカちゃん。あまり嘘をついたことがないでしょう。私はね、嘘をついている人を、なんとなくわかるの」

 悔しくなって、歯がゆくなった。

 私は、ユーミさんにそんなことを伝えたかったんじゃない。生きていないってわかったら、それでまた絶望してしまうじゃない。なんでベッドで生活している人に私は……

「違うの、ユーミさん私は……」

「ううん。いいのよ。チェスカちゃんは優しい子ね」

 それから、間があった。重苦しくなく。さわやかでもなく。自然でもなく、不自然でもなく。おばあちゃんは、ただずっと遠くを見ていた。

私は私で、「優しい子」と、そう言われた意味を考えていた。

「会えなくても、いいのよ。もうこの世に、いなくてもいいのよ。やっぱり、私には思い出があるから」

「そんな……違うよ」

 ユーミさんはただにこやかに笑うだけだった。

「あなたにも、わかるかもしれないわ。私がいい、って言っていることの意味をね」

 もう会えないということは、どういうことなのだろう。思い出があれば、本当にそれでいいのだろうか。

「私はね、端から見たらただのおばあさんかもしれない。けれど、君より長く生きているのよ。それはもう、ずっと長くね。だから、色々なことも考えている。彼のことも。それ以外の、色々なことも」

 私はおばあちゃんがその時流した涙の意味を、理解することができなかった。悲しいのでもなく、嬉しいのでもないような、そんな涙。やっぱりそれは正体不明で、私を突き動かした。その涙を見て、私の憤りはまるで冷め、今度は申し訳なさを感じてしまった。

「君は人と出逢うということを、どういうふうに思う?」

 おばあさんは私に聞いた。おばあさんの涙は頬を伝っているけれど、それは何か自然なものに見えた。そうなって当然、というか。流されていてしかるべき、みたいな。

「人と、出逢うことを?」

「人と出逢って、話をして、距離を取ったり、取られたり。一緒に喜んで、悲しんで。喧嘩をしたり。ある時は誰かに騙されるかもしれない。騙されて、裏切られたり。それからまた、優しくされたり、抱きしめられたり。ぬくもりを感じたり。色々な出逢いが、色々にあるはずよね。そんなだれかと逢って、共に過ごす時間を、どう思う?」

 おばあさんはゆっくりと言葉を紡いだ。それは私に問いかけるようでいて、それでいて、自分で自分に、問いかけるようでもあった。思い出すように、思い出せるように、言葉を紡いでいた。

 私は何も答えなかった。いや、答えられないでいた。

「そういうことを、考えたりしているのよね」

 私の中にあった、ユーミさんと彼をもう一度出逢わせなければいけないという使命感はもうすっかり、これしきもなくなっていた。しぼんだ、というよりも、むしろ膨らんだから。その気持ちが。鮮やかに膨らんで、私の胸に刺さった。

「最後に、聞きたいのだけど。おばあさんは永遠の命って、あると思いますか?」

 私自身、一体どんな質問なのか、もはや言っていてよくわからなかったし、おばあさんにする質問でもないと思ったのだけど、おばあさんは大して意外というふうではまるでなかった。

 おばあさんは何も答えなかった。ただにこりと笑うだけで。でも、私はそれがしっくりきた。ひどく、合点がいった。

「君と会えてよかったわ。それじゃあね」

 ユーミさんは代わりに別れの挨拶をした。私もさよならを告げた。さよならを言ってから、とても寂しい気持ちが胸に満たされた。

 でも、なぜだろう。

 その一瞬後で少しの暖かさを覚えたのは。


   ・


 その後はすぐだった。

 はっとしたのね。何がどうはっとしたのか。まずさを感じていなかったの。まったくなくなったわけじゃないし、多分、どこかにまだ埋もれているのかもしれない。けれど、形を変えているのがわかった。それが何ものなのか、どういうふうに変わったのか、まだはっきりと掴めないのだけどね。でも否定はしていない。そのまずさがあること。まずさがあったこと。私は否定的でない。いい調子だとさえ思える。これは形を変えるものなんだって。

 それが見えただけで、この旅は終幕を迎えるべきだと思った。そもそもそれが目的だったのだから。

 でもお金がなかった。

 もうずっとその事実の元生活していたのに、私ったらまたそう思い直して途方に暮れたわ。あきれるわよね。でも、そんなお茶目な自分がちょっと、おもしろかったのだけど。

 はっきりいって誰かにお金を無心したくはなかった。一体これ以上どうやって迷惑をかけられようか。

 いい調子だと、悪いことが起きるというけど、このときの私はいい調子続きだった。

 とんでもないことが起きた。

 まぁ、元々の私のものが戻ってきただけなのだけど。彼、例の正義少年が私の鞄を持って立ち尽くしていたのだった。

 焦った。入り口を開けたところに、まるで幽霊のようにいたから。せめて戸をノックするなり、自分から動けよ、と思った。一体どれくらいここで待っていたのだろう。

 そして彼は言った。

「ごめん。これを盗んだのは僕だ」

 頭を下げた。なんだそれは。

 張っ倒したくなったのは事実だし、手が動きかかったのも事実なのだけど、彼の反省しきった目を見て、私は許すことが出来た。なにせわざわざ本人の前まで現れる覚悟をしてやってきたのだ。

「ふん! せいぜい反省するといいわ! 妙ちくりん野郎!」

 私は怒鳴り、鞄をひったくった。

 まさか「もういいわ」なんて、やれ感動的な再会として迎えるわけもなかった。ちょっと薄気味悪いし。 でもふと、彼もまた何か、えもいえぬものの答えを探していたのだろうか、ということが想像できた。それが彼にとっては正義ということで、私の鞄を盗んでみたりすることが、一つの答えを結実させるきっかけになれば……ぜんぜんよかない。それとこれは別ね。反省しなさい。

 ともあれ、私は無事鞄を手にしたのだった。

 中のものを見て唖然とする。

 全部、お金も含めて何もなくなっていなかったのだ。なんとなくそんな気はしていたのだが、本当にそうだとは思わなかった。

 そして私は、自分が作った服達を見たとき、叫んでしまった。うわぁ! って。やっぱり愛おしかった。それを再確認した。

「僕の正義の話を聞きたい?」

「ぜんぜん! でも自分で大事にしたら!」

 なんか自意識過剰なのよね、彼。

 彼には悪いけれど、聞きたくなかったし、もうあんまり関わりたくもなかったので、戸を思い切り閉めた。ありがとうなんて言うわけない。けれど、もし彼が鞄を盗まなかったら、私はこの再発見。私の服への愛おしさには気がつけなかったろう。うん。まぁ、やっぱりありがとうは言わないんだけどね。

「モーリス。私もう行くわ。出発の時よ! 本当に今までありがとう」

 もちろんモーリスには言う。

「あら。残念。もっといてもよかったのに」

「さすがにこれ以上お世話になるわけにはいかないから。でもまたくる。そのときはまたのろけ話と、おいしい料理をごちそうしてね」

「ふふ。いつでも来なさい」

 そう。私はいつでも来れる。

 今では旅立ちの日のことが、とても遠い昔のことのように思えた。あのときのどきどきはもう持てないかもしれない。だけど、これからのどきどきと、もっともっとのわくわくが、私を刺激してくれるような。そんな未来が見える。


   ・


「このクソ野郎!」

 故郷に戻ったときの、父の第一声だった。私の言葉の汚さは、親譲りだったらしいと再認識する。

 そして蹴られる家具。主に椅子。堅そうだっていうのに。

 一通り家具が散らかった後に、父はいつものところに座って、また気難しそうに本を読み始めた。その感情の落差が私をひどく落ち着けた。どうやって謝ろうか悩んでいたから。

「わかったらとっとと行け」

 と、父はそれだけ言ってくれた。

 父にとって、そうやって一通り暴れることが、何より愛情表現だったのだろうと理解した。

 暴れ狂ったのは父だけだったし、むしろ学校の連中は誰一人私が行方不明になっていたことなど知らなかった。父が誰にも言わなかったようなのだ。そう気がついて、私は父の私に対する信頼を実感した。もちろん、例えば今日帰らなかったら誰かに相談しようと、期限を設けていたのかもしれないけれど。

 そして、また始まった。

 私の、いつも通りの日常。

 でも驚いた。とても驚いた。どこから沸いて出てくるのか、この落ち着きは。また少ししたら、どっとかき乱される何かが出てくるのかとも思うけれど、どれだけビビアン一派にちょっかい出されたって、私の心は平静なのだ。

 窓の外で白鳥をみた。

 あのときみた白鳥と同じかはわからないけれど、あのときの私と今の私は、同じではない。変わっている。そうだ、変わっているんだ!


 放課後、門の前で私はアンネと待ち合わせた。

 彼女を見て、思わず抱きしめた。


「私、言葉に出来ないの。この気持ちを。でも気がついた。大切なことって、きっと言葉に出来ないものなんじゃないかって」

 海が静かに波打っている。

 風もまた、静かにそよいでいる。

 アンネが、オカリナを吹いた。

 言葉に出来ないのは、アンネも同じなのだろうか。

 その旋律は、再会を祝福してくれているように聞こえた。

 そして、世界がすべて、色に変わった。アンネのオカリナの音と、海と白鳥と、私が今まで出逢った人々の思い出。それらが、とても鮮やかな色で目まぐるしく私の眼前を駆けていったわ。うねり、猛り、そして優しく。

 私は涙を流していた。悲しくなんか、ないのだけれど。今度の涙は、おばあちゃんの流したものと、少し似ていたかもしれない。

 でも、アンネのオカリナがやっぱり下手なままだったから、その後また笑った。

 最後に、おじさんのこの言葉を添えたいと思う。

「生きてるってのはさ、大層ふざけたもんだよ。いやぁ本当! びっくりしたね、おりゃぁ!」


   ・


 後日談を少しだけしようか? 私はそのまま学舎で、以前となんら変わらない学徒を続けたわ。歴史のボ……そう、歴史のボナード先生には目をつけられて、ビビアン達にもまだ囲われてね。授業はてんで聞かなきゃ、白鳥を目で追っている。色はやっぱり好きね。裁縫では単色のものを創る傾向が多かったのだけど、いろんな色を織り込んで、お洒落な、私にしかできないものを創ったりしているわ。将来、私は服のお店を開きたいの。自分の店に、自分が創った服が並んでいる。それだけでわくわくしちゃうけど、それで誰かが喜んでくれれば、もっと素敵よね! でも、それ以外のことはてんで未定なのね。何をしようか何をしたいのか。わからないの。でもそれがまずさとは思わないわ。そう思えば思うほど、私の心は弾んでいくのよね! なんでこれだけ、私が好きな物が一層輝きを増していくのか、自分でもわからないけれど、抱きしめて生きていきたいと思うの。別に誰にも理解されなくたっていいから、これが私の好きなものなんだって。 

 で、ここからその先はどうなるのかってのは、君が想像してみるといいよ。そして、もしなにか見えるものがあるんだったら、それはそれでいいし、なんにも思いつかないっていうのなら、それもそれでいいわ。

 もしこの物語を読んで、「ふむ」ってなったのか、何かを感じ取ったのか、私にはわからないけれど、君がまた私に会いたくなったら、またその時来なよ。君の、君にしかないその先でさ。それじゃ。ばいばい。


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