4月5日
今朝は変な夢を見ていた。
ぼんやりとしていて、心地がいいのか悪いのかなんてのも分からないけれど、これだけは確かに言える。
――長かった。いやなんか体感的に二ヶ月くらい長い夢を見ていたなぁとか。とにかくそのくらい長かった。
夢が六月病でも患っていたに違いない。
どんな夢を見ていたっけと、俺はぼうっと眼下の町並みを眺めつつ今朝まで見ていた夢の内容に浸っている。
俺が小学生くらいの夢で、確か誰かと馬鹿のように外で遊んでた気はするんだけれど……やっぱり夢ってのはすぐに忘れてしまうもんだ。
ちなみに今の時間はだいたい分かってるとは思うけど、夕方の四時過ぎである。
この時期、ここから眺める景色が夕焼けで橙色に染まり出す頃合いで、紅に染まりゆく町並みが壮観なのだ。
ただぼうっと眺めているだけで時間の流れを感じることができる貴重な時間。
俺は取るに足らないことを頭の片隅で考えつつ、ベンチの横に両手をついた。
「ねぇ、ねぇ、なんでいっつも無視するの? ひどくない? 恒例行事にしてもやっていいことと悪いことがあってこれはやってはいけないことだと私は思うのさ、それっていじめの類だよ? 女の子を虐めてるんだよ? よくないことだと思わない?」
今日は特に静かな日だ。
穏やかな風が頬を撫でて行く気持ちの良さを感じながら、景色は自分のちっぽけな存在と世界の雄大さを再認識させてくれる。
どこまでも続く町並みを眺め続けるだけ。
いつもと変わらない景色で、光景で、しかしそれがいい。
常日頃の自分はあの中の景色の一つとして動いているけれど、今だけは傍観者だ。
いや、別に見下してるとかではなくて。
「あぁーあー……イヤだなぁ……本当はこんなことしたくないんだけど、そっか……ムツヤ君が頑なに私のことを無視するんなら、仕方ないよね」
ただ俺は、いつまでもこんな景色が見られたらいいなとは思っているだけだった。
多分きっと、本当にそれだけのことなのだろう。
俺が俺でいる限り、いつまでも変わらない日常は続いていく。
俺がそれを望んでいる限りは、この景色は変わらずそこに在るだろう。
「ごめんね。ごめんね……ムツヤ君。もう後ワンクリックなんだ、ちゃんと編集はしといたよ……ごめんね……ごめんね……」
あ、景色の中にゴミが混ざってる。
なんかこう、あれ。
分類的には生ゴミみたいなの。
「アップロ――」
殺す。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「う、嘘! うそうそうそだから……! ごめんなさい嘘です昨日の音声は何も編集してないしゴリラとかに喋らせて動画にしたわけじゃ決してないです!」
「おい余計な情報漏らしてんぞわざとらしいな、さては喧嘩売ってる? 買うよ? 第一そんなの投稿して何になるわけ? 身内ネタほど寒いものはこの世に存在しないぞ?」
俺は先ほどから景色がちらつかせていたスマホをひったくっていた。認証画面から動かないので当然その先には進めないのだが、俺は暗証番号を一回わざと間違えて押す。
その間に襲い来る景色の魔手は、まるで蝶のように華麗に避けている。
「あーそれだめ! 一回落ち着こう!?」
「ククク……こいつを俺に奪われてしまったのが運の尽きだなァ!」
そして蜂のように刺す!
俺の人差し指がスマホの画面を連打した。適当に連打されたスマホの認証画面が振動し、番号が間違っていることをお知らせしてくれる。
「さぁどうだ……? あと一回、ただ一回俺がミスポチをするだけでお前の携帯は自動ロックが掛かって一時間ほど動かなくなるぞ……? どうだ? 今なら謝れば許してやる」
「さっきから謝ってるじゃん!」
「誠意が見えないな、日本伝統の謝罪っていったら一つしかないだろう?」
「そこまでしなきゃいけないの!?」
「あっそこまでとか言っちゃうーあーやだやだ、そんな打算的な謝罪でどうにかなっちゃうとか考えるなんて……人生はそんなに甘くないんだぜ」
俺はミスポチした。
「あああああああああ……! ああ……! 私の携帯がムツヤくんに蹂躙されてるよ……嬲られて好き放題弄くられてる……でも屈しない! 私は屈しないんだから!」
「次ミスったら一日だけど謝る?」
「しかも一時間も携帯返してくれないの!? 普通に酷くない!?」
「謝る?」
「う……ごめんなさい、私が……くっ、悪かったです……」
「そっか。流石に地面の上での土下座は鬼畜だろうから、ベンチの上でいいよ」
「うう……十分に鬼畜だよぉ~……」
「ところでさ」
結局、優しい俺は景色に土下座をさせることなくスマホを返してやり、二人並んでいつものようにベンチに座っていた。整備のされていないベンチもこう毎日毎日人が座っていれば、それなりには綺麗になっている。
俺たちのケツが定期的に掃除しているからだけど。
「どしたの」
「今日で四月も五日目に突入するわけだけど」
「うん、まだ序盤も序盤だね」
「お前毎日ここに足運んでるわけだけど」
「ムツヤ君もだよね」
「……まぁ、それは置いといて」
俺はここに来ると気分転換になったり落ち着くから来るわけであって。
「何で毎日来るんだ? 冗談でも馬鹿にしてるわけでもなく、たまに来ることはあっても毎日見に来るほどの場所じゃないだろうに」
「え……それ、鏡の前で言ってみなよ」
「いや、ぶっちゃけた話をするとな、ここの景色が特段いいってわけじゃないんだよ。絶景ではあるけれど、そんなに景色が見たけりゃ土日に旅でもして絶景スポット潜った方が絶対いい」
「じゃあ何でムツヤ君は毎日来るの?」
「俺はこの場所に思い入れもあるから。それに来るったってこの時間だけだしな」
俺だって、土日は多分来ない。
学校帰りに寄るだけだから、流石に休日にまで足を運ぶことはないのだろう。
そういえば、明日は土曜日だしな。
こいつは来るのだろうか。
「でも、普通は違うだろ。ほら、こう女ってのは放課後は友達とどっかキャピキャピしたとこ行ったりパフェとか食ったりそういうのするんじゃないの?」
「偏見だなぁ、皆が皆パフェ食べるんだったら私の将来の夢はパフェ店経営だよ」
「……ま、まあ今のは言い過ぎだとしても、もう五日目だぜ。俺は置いといて、女子校ってそんなぼっちになったりするのか?」
「ぼっちじゃないっちゅーに。あ、そうそうムツヤくん」
「ねぇいい加減その呼び方止めない? で、何」
「はい、これ」
景色が渡してきた何かのチケットを見て、俺は首を傾げた。
「あ、これ近所のアイス屋さんの無料券じゃん。なんで俺に?」
「知り合いが経営しててね、私ここでお手伝いしてるんだー。で結構西鈴校の近くじゃない、よかったら食べてって」
「お、おう。ありがとう。んじゃ貰っとく」
俺がチケットを受け取ると、彼女はにかっと笑ってからベンチを立った。
「うん、今日は帰ろうかな。それじゃあね、睦人君」
「え、おう。じゃあな」
「……――あ、そうだ。無料券来週までだから、早めにおいでよー」
そう残して景色は視界から離れていく。
俺はぼんやりとアイスの無料券を眺めつつ、その姿を見送り。
「俺もそろそろ帰ろうと思ってたんだけど、なんかタイミング逃したな……」
景色が帰るタイミングで帰るってのも少し癪ではあるし。
たまには夜景でも眺めてから、帰るとするか。
景色「月曜日が四月一日ってことは今年は2013年? それとも2024年?」
睦人「何年だったっけ」