4月2日
4月2日
夕暮れ時、昨日とほとんど同じ時間。
俺は一人ベンチに座り、物憂げな表情で景色を見つめる。数十分。流れるように沈む太陽。
澄んだ青色に橙が差し込み、それらのグラデーションはやがて暗い夜に浸食されて消えゆく。儚い数十分だけの、この時間。
町並みは目まぐるしく変わる空の色と共に移り変わり、やがて街灯が点灯する頃には美しい夜景が広がっている。
俺はその夜景を名残惜しそうに少しだけ眺め、そうして帰るのだ。
「……え?」
俺が右へと視線を移すと、そこには女がいた。
先ほどからこちらをガン見しているその顔は、そう。昨日と同じ顔をした人間だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「何でそんなわざとらしく驚いてるのさ」
「……え?」
「しれっとベンチに座ってきて無言のまま五分が過ぎたわけだけど、私先に座ってたからね? 幽霊か何かと勘違いしてない?」
「……え?」
「えいっ」
すねを蹴られた。ちょっと痛かった。
「……いや。なんか嫌な予感がしたんだよ。心に語り掛けてくるような感じで、明日もお前が来るっていうような気がしたんだよ。でも普通に考えて二日連続でこんな辺境の地に来るとは思わないじゃん? 何でいるの?」
「うわ私もこの場所も凄い言われよう。でもそれ私もあなたに聞きたいことでもあるんだけど」
「俺は景色を見に来たの! 昨日は変な奴に邪魔されて素直に見れなかったからな!」
「そっか……寂しい子なんだね。よしよし」
「あぁ!?」
そうだ、俺は景色に見に来ただけだったのだ。だから隣にこいつがいようがいまいが関係はない。特等席のベンチに座られていても全く関係ない。ここは俺の所有物じゃないから蹴落とすことはできないけど、無言で知らぬ存ぜぬを通しながら隣に座って景色を貪り食うように見つめても何も問題はないわけだ。
俺は心を雄大な自然に任せてなんかこう良い感じの気分になりたかっただけなのに。
「それはそうと今日は節分だからね、豆持ってきたよ!」
「お前頭おかしいんじゃねぇの?」
今日は4月2日だよ。
エイプリルフールは昨日だぞ天然女。いや天然っていうか……どう間違えるんだ?
「って本当に豆持ってきてるんだね! ちょっと投げてくんな! 誰が掃除すると思ってやがる!」
袋の中に手を突っ込んで、手いっぱいに掴んだ豆を投げてくる。
「俺は鬼じゃねぇよ」
「男なら誰でも股間に一本角~~」
「は、はぁ? な、何言ってんだよ! いいから止めろ!」
「ところであなたは何歳? 年齢分の豆食べるんだよ、豆撒きに使う炒り豆は福豆って言って、その福を身体に取り入れることで今年一年の健康を祈願するんだからね、食べなきゃだめだよ」
「そのピキペディアで調べて丸覚えしたみたいな台詞はなんなんだ! ってか今日は節分でもなんでもないからな?」
「こことはまた違う別の世界の今日は節分の日なんだよ。だから私も豆撒きしようかなって」
うわぁ。
正直ちょっとあまりすごく関わりたくない。
「なんかの電波受信してんじゃねぇのか? もう相手にするのも面倒臭くなってきたから無視するわ……ってかだから無視してたんだよずっと、なんでずっと見てくるんだよ」
「ああぁねー、確かに電波受信してるかも。上手いねぇこの、このこの」
「……」
ふぅ。俺は気を取り直して夕暮れ時の短い景色を見やる。
「あっ、襟首に豆ついてるよ?」
今日も心が癒されるなぁ。
「髪の毛にも一個ついてるよ、取ったげる」
……。
「ねぇねぇ」
「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇなぁお前!」
「無視するなら完全完璧完膚無きまでに無視決め込まないとだめじゃないの、はいカット一からやり直し」
「分かった……相手してやるから……頼む……俺に平穏をくれ……」
「あ、節分だけど恵方捲きは持ってきてないよ」
「聞いてねぇから!」
「そう言えばあなたの名前聞いてなかったね」
「聞いてねぇし聞かれてねぇしそもそも二度と会うつもりもなかったからな!」
あの後は土下座してまで頼み込んで五分間だけ時間を貰い、俺は景色をしばらく堪能していた。
ずっと見られている気がして全く集中できなかった。そんなんで心が休まるわけがなかった。
「でもこうして会ったのも何かの縁ってやつだよね、そうは思わない?」
「なんでそんなに慣れ慣れしいの? お前も景色見に来たんだろ、ちょっと一緒に見てようぜ。なぁ、頼むから、無言になろうぜ。できれば存在も消してくれると有り難い」
「私はずっと景色見てるよ」
「俺を見ながら言われても困るんですがねぇ……」
「ほら私今すっごく景色堪能してるからパシャパシャ」
「おいなんで写メ撮ってんだ今すぐ消せ肖像権の侵害で訴えるぞ」
「あ、なんか景色に異物映ってる……ハッまっまさかこれは噂の幽霊――? 早くフォトクラフトで消さなきゃ」
「テメェ……」
「君って言ったりお前って言ったりテメェって言ったりどんどん私の扱い雑になってない? それってもしかして私の気のせいだったりするのかな」
「それだけのことを俺にしてきたよな? この二日間で」
「でしょ? だからそろそろ名前で呼び合う仲にシフトしても私的にはいいと思うんですよ、ほら言ってみ?」
どうして俺がここまで冷たく対応しているのにこう、ずっとねちねちと話し掛けてくるんだろう。早くいなくならないかなって期待はずっとしているんだよ俺。
というか同じ言語で話してるのかな。会話通じてんのかな。若干会話繋がってない気がする。
「……いや教えないよ?」
「なんで!? 全く知らない赤の他人のお兄さんとか架空業者からの電話とか聞いたことのない宗教団体とかならともかく、私だよ?」
「どんだけ具体的な例出すの? 私ってなんだよ嫌だよ」
「……あ、そう。じゃあ勝手に名付ける」
「あーはいはいどうぞご勝手に何でも好きなように呼んでくれ」
「じゃああなたはむっつりスケベ野郎だからムツヤ君だね、ねぇムツヤ君」
「妙にそれっぽいのが腹立たしいな! なんで俺がむっつりスケベなんだよ可笑しいだろ!」
「えぇ……だってムツヤ君隣にこんなに可愛い女の子が居てしかも生い茂る木々の中でなんて密室よりも凄い状況なのに恥ずかしがって話してもくれないんだもん」
「色々突っ込みたいことあるけどムツヤ君て呼ぶな!」
「えーだって勝手に呼べっていったのムツヤ君じゃん。分かった、じゃあこうするよ。仲睦まじいの睦に……“也”で睦也! これで文句ないでしょ?」
「や? やって何? 弓矢?」
「いや也は也だよ」
「わかんねぇし気にいらねぇから却下」
「あ、そうだよ、なりだよなり。ナリナリ。“ムツナリ”君」
「もっと嫌だ……」
「じゃあむっつりスケベ野郎で“剥けや”君」
「てめぇ漢字おかしいぞこの野郎」
「さぁ堪忍して名前を吐け! このむっつり!」
「お前何回むっつりって言うんだこの野郎! 俺はそんな陰気じゃねぇから!」
「え、むっつりじゃないんだったら私のおっぱい揉めるはずだよね」
「いやそれただの性犯罪」
「え? 揉めないならむっつりだよ」
「じゃあ揉むぞ? 遠慮なく揉むぞ? ああ?」
「まあ勿論当たり前だけど警察は呼ばないなんて言ってないんですけどね」
「……じゃあとりあえずお前の名前教えろよ。それで手打ちにしてやるから」
「え? ごめん寝てた。もっかい言って?」
「あ?」
「お願い」
「……お前の名前、教えろって言ったの」
「はてさて人に物を頼む言い方ではありませぬな、カットやり直し」
「……殺すぞ……」
「いやぁやっぱりむっつりスケベだとこの程度のストレスで怒っちゃうんだなぁ。むっつりじゃなかったらこの程度のことは難なく切り抜けるのになぁやっぱりむっつりだと対人技能が追い付いてないだろうなぁこれだからむっ」
「あ、な、た、の、お名前はなんて言うんですかぁ!? これでいいんだろ!」
「あ、ごめんねムツヤ君。知らない人に名前教えちゃいけないってお母さんに言われてるから」
「あ゛あ゛あ゛ああああああ!」
いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていて、やっぱり今日も景色は見れなかった。
少女「ピキペディアってなに?」
少年「俺がピキピキしてるからだよ」
少女「なるほどぉ……」
※2月3日に書きました。はい。
おまめ。