表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

ファイナル・ステージ

 いつの間にか、ヘリコプターの音も聞こえなくなっていた。私は広い国道を横切り、静かな住宅街をまっすぐエリカの家に向かって歩き始めた。

 エリカ、まだいるかな。今となっては、エリカがまだまともな人間でいることを信じて、その可能性にすがるしか前に進むことはできなかった。

 エリカのところへ戻って、もうこの街から出ることは出来ないんだよ、とエリカに告げよう。それから先のことは、エリカと二人で考えよう。

 サエキさんを失って、ほんとは抜け殻のようになっていた。張りつめていた糸は切れてしまったのに、寄り添う相手がいない。

 それでも、何かを支えにしなければ、次に進めなかった。今とりあえず心の支えにしているエリカだって、今頃どうなっているかわからない。

 こんなことなら、最初からサエキさんになんか会わない方が良かった。

 そう思おうとしたけれど、やっぱりだめ。

 サエキさんと過ごした数日間は、私が今まで生きてきた中でいちばんすてきな日々だった。あんな日々は、ふつうの中学二年生には絶対に味わえない、理想的な映画の1シーンのようだった。

 もしかしたら、あの日々のためにこんなひどいことが起こったのかもしれない、とすら思った。

 首、肩、腕がしびれている。風邪は治ったと思っていたのに、またぶり返したのかな。仕方ない、まともな生活をしていないんだもの。

 誰もいない街を歩きながら、私は自分が家に帰る途中のような気がしていた。

家に帰る。なんて、ほっとする言葉だろう、なんて安心できるシチュエーションだろう。

 家に帰る道は、いつも心の中から続いている。どんなに疲れていても、心が帰ろう、って言うから、次々と足が前に進む。

 もう一度、家に帰ってみようかな。お母さんはまだいるだろうか。お母さんにもう一度あのスープを勧められたら、私はそれを喜んで飲むだろう。おいしいのかな。味はどうなんだろう。甘いのか、しょっぱいのか、苦いのか、すっぱいのか、それとも・・・。


 午後の日差しは柔らかく、私はちょっと眠くなってきた。

 傍らに公園があって、噴水の止まった池のそばにベンチが並んでいた。

 私はその一つに腰を下ろす。そしてそのままごろんと横になった。

 よく晴れた秋晴れの空、薄いちぎれ雲がゆっくり流れていく。私は両手を上に伸ばした。自分の手の影がくっきりと黒いシルエットになって空からの光をさえぎった。

 まぶしい。まぶしすぎる。目が疲れているのかな。早く夜になればいい。きっと、月の光が寝心地のいい布団のように私を包むに違いない。

 さわさわと街路樹の葉ずれの音がかすかに風に乗って遠くからやってきた。

 だるくなった腕をおろして、私は狭いベンチの上で寝返りを打った。真横になって公園を見渡すと、鳥も野良猫もいないがらんどうの公園にふと人影が見えたような気がした。

 私はびっくりして目をこすった。次の瞬間、私の中で全ての動きが止まった。手も足も、息も、思考さえも。

 目をこすった指先は、淡い黄緑色に染まっていた。


 ああ。

 そうか。


 《奴ら》が何も仕掛けてこないわけがわかった。

 抗体のある人間なんて、きっと一人もいない。サエキさんだって、変化しかかっていた。ただ、早いか遅いかの違いがあるだけなんだ。

 お母さんが私を助けてくれたなんて、思いこみもいいところだった。

 《奴ら》は、急がない。ただ、静かにゆっくりと自然に任せて繁殖を続けるだけでいいのだった。


 人影のように見えたのは、折れかかった街路樹の太い枝の影だった。それは、きいっとかすかにきしんだ音を立てて、いつか折れる時を静かに待っていた。

こんな風に自分が安らかに気持ちよく微笑めるなんて、知らなかった。

 私はとても充実した気分だった。抵抗するだけ、抵抗した。やるだけのことはやったんだ。そして、生きられる限り生きた。

 重たい体を持ち上げる。博物館の剥製になるのは厭だった。中身も自分のままでなくちゃ、生きているとは言えない。

 私が《奴ら》に勝ったかどうか、誰が見届けてくれるのか知らないけど。

 かっこよく決めたサエキさんのVIPみたいなポーズがよみがえる。

 境界線に戻ろう。生まれてからこれまで一度もないぐらい、たくさんの人たちに注目されに行こう。どんな演技でも、台詞でも、何もしなくても、私の人生最大級の注目を集めるのは間違いなかった。

 ひょっとして、テレビ中継なんかもしてるかもしれない。

 公園のトイレの曇った鏡に顔を映して、とりあえずぼさぼさの髪の毛を手ぐしで整えた。右の肩をちょっと上げて、首を傾けてにこっと笑ってみた。うん、悪くない。

 それから私は公園の広場に出て、並のアイドルじゃ決して味わえない最初で最後の大ステージのために、リハーサルのつもりで軽やかにステップを踏み始めた。


            〈終〉


「剥製になりたくない」というアキの想いは、現代社会のいろいろな側面で感じられることです。果たして自分は、いつまで本当の自分らしく生きられるだろうか。サエキさんやアキの選択は間違っていないと信じたいのですが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ