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バカンスと、その終わり

アキとサエキは、境界線のこちら側で、二人だけのバカンスを過ごす。

 境界線が見えるところで、私とサエキさんは数日を過ごした。

 見張られているのか、気づかれていないのかわからないが、向こうからは私たちに何も言ってこなかった。バリバリとうるさいヘリコプターの音さえなければ、秋の初めのさわやかな風に吹かれて雑木林で過ごすのは楽しかった。サエキさんが以前来たときに置いていったテントで寝泊まりした。二人の関係は、いい雰囲気になりつつある友達、ってところかな。

 私はまだバージンだったし、サエキさんはガキは趣味じゃないと笑って手を出してこなかったけれど、ひょっとしたら他に大事な人がいたのかもしれない。そういう人がいたとして、その人がどうなってしまったか、私に聞く勇気はなかったけれど。

 サエキさんは何の計画も見通しもない分、その時々を気楽に楽しく過ごすのが上手だった。

 色づき始めた木々の中、石を集めて作ったかまどで、木の枝を薪にして火をたき、二人でコーヒーを湧かして飲んだ。なだらかな斜面をダンボールをそりにして滑り降りて遊んだ。サエキさんは太い木の枝にぶらんこを作ってくれて、私が乗ると背中を押してくれた。

「サエキさん、だいぶハイになってるよね」

 と私が言うと、

「おまえみたいな年頃の女子は、四六時中ケタケタ笑ってるもんだ。そうじゃないと気が滅入ってくる」

 とサエキさんは照れたように言った。それで私は、サエキさんが一生懸命私を楽しい気分にさせようとしてくれているのだとわかった。

 だから、私たちは大いに楽しんだ。林間学校の続きを、たった二人でしているようだった。ううん、林間学校よりもずっと楽しい。生まれて初めて味わう、とっておきのバカンス。誰にも邪魔されない、指図されない、楽しむためだけの夢のパラダイスの日々だった。

 

 そして何日目かの朝。

 不意に、拡声器から風に乗ってゆがんだ声が響いてきた。

「・・・・ヲ・・・・テ。・・・ニ、・・・ナサイ。」

 何だって?聞き返そうとしてサエキさんを振り返ると、サエキさんは何故かじっと自分の手を見つめていた。

「どうかしたの?」

 私が尋ねると、サエキさんは目をつぶって大きく深呼吸した。

「おれは今から、人間であることを証明しに行くことにする。おまえはここに残るか?」

「ちょっと、早まらないでよ。私一人で、どうすればいいのよ」

 私はあせった。目の前でサエキさんが撃ち殺されるのなんて、絶対に見たくなかった。

「それに私、おまえじゃないし。マツナガ・アキって名前あるし」

「わかった」

 サエキさんはゆっくりうなづいて、私の肩に手を置いた。私たちはとても近い距離で向かい合ったので、私はさすがに胸がどきどきしてしまった。顔もほてって赤くなっていただろう。

「アキ。幸運を祈る。今の俺は、それしか言えない」

 まずい。サエキさんは、本当に向こう側に行く気だ。

「ねえ、それって無駄死にだよね?自殺行為だよね?」

 私は必死で平静を装い、サエキさんを止めようとした。だけど。

 サエキさんはにっこり微笑んで、片方の手のひらを私に見せた。何?と私は面食らったけれど、その手をよく見てみたら、頭の中が真っ白になった。

 サエキさんの手のひら全体が、くすんだ緑色になっていた。

「いつから・・・?」

「さっき、気がついた。ここんとこずっとしびれていたけど、こういう事になっているとは自分でも気づかなかった。残念だな」

 手の甲に生えた産毛が、かすかに蠢いている。ああ、これはもう産毛じゃなくて胞子だ。

「おれは、人間のまま終わりたいんだ。アキ、おれが撃たれるとこ、よく見ててくれよ。緑の風にならなかったら、おれの勝ちだ」

 そんな、厭だよ。私は黙って首を横に振った。自分では永遠にわからないままじゃない。私に確認させて、どうするのよ。

 でも、それが逃げだとか甘えだとか、そんな風には言えなかった。サエキさんもあれを見たんだろう。月の光を浴びて、言葉を失い恍惚とする《奴ら》たちを。

 まだ、別のものに変わってしまうならわかる。でも、姿はそのままっていうのがあんまりだ。小学校の社会科見学で博物館に行ったときに見た、動物の剥製と同じ。あんなものを大人達はよく平然と展示していると思う。外側だけ残すなんて、ひどいと思った。命と姿は、切りはなして考えちゃいけない。全部土に返してあげればいいのに、と子供心に思った記憶がよみがえって、私は目を閉じた。

「じゃ、な、アキ。元気で」

 そう行ったかと思うと、サエキさんはさっと身を翻してあっという間に斜面を降りていった。両手を上げて、まるでアイドルがファンに向かって手を振るみたいにして。

 パァン、と運動会の時のような音が響いた。サエキさんの体はちょっとよろめいて、草むらにどさっと倒れた。私は目を開けてじっと見ていた。サエキさんは、緑の風にはならなかった。

 良かった。良かったね、サエキさん。勝ったよ。私、ちゃんと見ててあげたよ。

 私は木の陰をたどりながら少しずつ後退した。涙で周囲が曇ったけれど、流れるほどは出なかった。もう泣くことには飽きてしまっていた。境界線が見えなくなるまで、雑木林の奥へ奥へ、ゆっくりと後ずさりしている内に、腰や背中が痛くなってしまった。結局どんなことが起こっても、体の苦痛に勝るものはないんだと思い知った。サエキさんはもういない。人間なんて、なんてあっけないんだろう。いなくなるまでの時間なんて、一瞬だ。サエキさんと一緒に過ごした思い出も、サエキさんと共にどんどん記憶の向こうに消えていった。


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