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サエキさん

ようやく出会った、「まとも」な人間。それは、元警官の若い男、サエキさんだった。

二つ並んだ隣のベンチに、ぞうきんみたいなボロを着た浮浪者がいた。一つもらった、って、缶詰のことかな。

「まあ、その辺のお店から失敬すればいいんだが、面倒だったから」

 目が妙にぎらぎらかがやいて見えるのは、頭にかぶったつばのある帽子も、ほこりだらけの髪の毛も、薄汚れた顔も、全体的にくすんでいるからなのだろう。唯一光を反射するのは、水分を含んだ瞳だけだったから。

「あんた、誰?」

 私はなるべく怖がらずに尋ねた。敵か味方かまだわからない。

「もと、警官で、今浮浪者」

 そう言って笑ったら、歯も意外と白かった。そういえば私、もう何日も歯磨きしてないや。そう思ったら急に気持ち悪くなった。虫歯になって痛くなったらどうしよう、なんて、唐突に心配になった。歯医者さんなんてもういないのに。

「あんたが私をここに連れてきたの?」

 私の問いには答えず、彼は全然違う質問をしてきた。

「お嬢ちゃんは一人?誰か他の人もいるの?」

 もと警官の浮浪者は、声の感じからして、若そうな男の人だった。

「一人だったらどうするの?仲間がいたら、どうするの?」

 私はちょっと警戒して尋ねた。まだ世界がまともだった頃、世間を騒がせていた数々のまともじゃない事件が頭の中をよぎった。用心に越したことはない。

「別にどっちでもいいけどさ。どこへ行こうとしてるのかな、と思って」

「あんたは?」

 行く当てがある人なんて、いるのだろうか。世界がこういうふうになってしまってから、特に。

「どこへ行ったらいいか、途方に暮れてる所さ」

 ああ、私と同じだ。そう思ったら、急にほっとした。この人はたぶん、私と同じ、まともな人間の生き残りなのだろう。

「私もわからないの」

 そう言ったとたん、ふうっと肩の力が抜けた。それまでずっと張りつめていた見えない糸がぷっつんと切れてしまったようだった。もう二度とあんな糸は張れない。

「なんだ、そうか。期待はずれだったな」

 もと警官・浮浪者はさも残念そうにそう言った。そして、名前をサエキユウジと名乗った。


 サエキさんは、つい先ごろ、上司を自分の拳銃で射殺してしまったのだそうだ。もちろん、彼曰く「元上司の皮をかぶった、得体の知れないもの」であって、本物の元上司はその得体の知れないものにすでに殺されてしまっていたのだった。

「こう、銃を突きつけてさ、バンッ!てやったときはちょっと怖かったけど、それよりもっと怖かったのは、元上司の体が緑の風になって飛んでいってしまったことだったな」

 上司の体の中は、もはやあのカビの胞子でいっぱいだったらしい。体は跡形もなく消えて、数え切れない緑の胞子が風に乗って飛んでいったんだそうだ。

「死んだら緑の風になるなんて、キレイな詩みたいだろ」

 そう言って、サエキさんはへらへらと笑った。私はあまり笑えなかった。胞子って、空気中にどんどん拡散するんだよね?

「空気は、大丈夫なのかな」

 私がぽつりとつぶやくと、サエキさんのへらへら笑いが激しくなった。

「そこまで考えちゃったら、もう無理。なあんも出来ない」

 そうだね。私はうなづいた。考えないようにしよう。なのに、サエキさんは憂うつな話を続ける。

「人類は菌類に変化したんだ。もはや共存じゃない。完全に乗っ取られたんだ」

そんなことはもう、私だって知ってる。私は露骨に鼻で笑ってやった。

「そう、厭な顔するなよ。とっても頭のいい、心の優しい、完璧な神様みたいなカビさんたちが、人間達をずっと観察していて、気がついたんだな。そうか、こうすればいいんだって」

 それでも私は、久しぶりに聞くまともな人の声を聞いていたくて、我慢して黙って聞いていてあげた。

 サエキさんによると、《奴ら》は人間が地球にはえたカビのようなものだと気づいた。自分たちもそうだが、栄養分がなくなれば共倒れだ。人間はそのことに気づいているだろうか?自分たちなら、ずっと長く共生する道を知っている。そう思ったカビ達が、人間と共生することによって地球と出来る限り長く共存していくことにしたのだった。

「それで、サエキさんはこれからどうするの?」

 サエキさんがふと黙り込んだので、私はようやくサエキさんの話に割り込むことに成功した。

「それを聞きたくて、あんたをここに連れてきたんだけどなあ」

 それで期待はずれだったなんて失礼なことを言ったんだ。私に、もっと仲間がいて、情報が得られると思って。

 残念でした、と言ってやろうと思ったがやめた。私だって、サエキさんに会った時は、すごく期待したもの。

「何か計画とか、あるの?この街を脱出する、とか」

 この街を脱出する。それは当然まともな考えのように思えた。だが、サエキさんは首を横に振った。

「ない。ここを脱出できるかどうかも、自信がない」

「《奴ら》は、私たちみたいな人間を見つけたらどうするの?無理矢理仲間にするの?それとも殺されちゃうの?」

 私はずっと疑問に思っていたことをサエキさんに尋ねた。それがわからないから、私はひたすら逃げ続けていた。でも、よく考えたら、《奴ら》が私に仕掛けてきたのは、母親が私に差し出した最初のスープだけだった。

「怖いのは、カビ達じゃないのさ」

 サエキさんに言われて、私は面食らった。


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