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隠れ家

高校時代に書きなぐったものを、大幅に改稿しました。



 新しい隠れ家は、錆びた鉄と湿ったコンクリートのにおいがした。低い天井から規則的にしずくが垂れる耳障りな音がゆっくりと私の耳から入り込み、疲れた体を冷たい骸に変えようとしているように聞こえた。ここは国道に面した大きなショッピングセンターが取り囲む広い駐車場の片隅の倉庫だ。

 悪寒は一向に消えなかった。こんなところでずっとしているわけにはいかない。風邪をこじらせても、病院も薬もないのだ。かといってあったかい布団も、横になるベッドもないのだから、やっぱりこうして膝を抱えて少しでも体力の消耗を防ぐしかない。

 時々黒い影がちらちらと動いた。初めに見たときは本当に驚いた。動物園以外で本物の生きているネズミを見るのは初めてだったから。それも、しっぽの長い、でっぷりしたドブネズミを。ぬいぐるみやアニメのネズミとは似ても似つかない、肌色のミミズみたいなしっぽに、私は気が遠くなりそうだった。それでも、いつしか目が慣れると、それは私にとって、ただの動く影になった。

 このままこうしていたら、いつのまにか私は死んでいて、私の死体はネズミやゴキブリやいろんな虫の餌になるのかもしれない。そう思うと情けないやら気が滅入るやらで、じんわり目の後ろが熱くなった。いや、それでもその方がいいのかも、と、私は自暴自棄になって考えた。ネズミはまだ私と同じ、血の通う温かい生き物なのだから。《奴ら》の手の内に捕らわれて、無理矢理私の体を《奴ら》に乗っ取られるよりは。


 それから私はエリカのことを考えた。私と二人、この街で《人間》の最後の生き残りになった、あの泣き虫の子。

 いい隠れ家が見つかったら、きっと迎えに来るから、と口を酸っぱくして言ってやったのに、いざ私が出発しようとすると、さんざん泣いた後なのによくまあまだ涙のストックが体内にあったものだとあきれるほどボロボロ泣き出した。アキちゃん、足手まといになったから私を捨てるのね。マジに私を恨んだ目をするものだから、私は一気に冷めた気分になって、何も言わずに出てきてしまった。片足を骨折して思うように動けない可哀相なあの子を。

 でも今私はここにこうしてうずくまって、彼女を迎えに行く元気なんてもうない。だからあんな風にケンカみたいに出てきてしまって、よかったんだ。信じられたままだったら、きっと良心が痛んだに違いない。


 薄暗い資材置き場の倉庫は、天井に網を張った小さな通気口があるだけで、そこから差し込む光がまるで天国への階段に見える。光を反射してきらめく埃の粒は、さしずめ天使達かな。私も光になれたらいいのに、とふと思ってしまった。《奴ら》を出し抜いて逃げ切るには、もうそれぐらいしか手がないじゃないか。

 ここが私の部屋のベッドの上だったら。風邪をひいて熱があるんだもの、いつもならベッドでごろごろ寝ながら漫画を読んだりゲームしたりネット見たりして、目が疲れたら眠って、おなかが空けばキッチンに行ってカップ麺かインスタントスープか、何かあったかいものを・・・。

 そこまで考えて、また目頭が熱くなってきた。半分は熱のせい。ナップザックの中から、ありったけの缶詰を出して、目の前に積み上げてみた。ドアが開いたままのコンビニから適当にいただいてきたものだ。店員さんもいないし、お巡りさんもいないのだから、これはもう万引きとも言えない。お金を払う人も、事情を話す人もいなかったんだから。だけど、これで何日持つのかな。結局、飢えに耐えきれなくなって、あの糸を吹いた胞子を差し出されても何のためらいもなくむさぼり食う時が来るのだろう。先は見えてる。


 夏の終わり、林間学校先で風邪で熱を出した私と、足を怪我したエリカが一日遅れで帰った街は、もうすっかり《奴ら》に占領されていた。

 いつもは小うるさい母親がやけに穏やかに優しい顔をして、緑色のスープを私に差し出した。

オエッ、グリーンピースかほうれん草のスープだ。私は母に顔をしかめてこんなの無理、と皿を向こうに押し出した。いつもなら母親は目を三角につり上げて、何言ってんのよ、出されたものは何でも食べなさいよ、だからあんたは・・・・あれこれあれこれ、言うところだった。

それなのに、母親は穏やかな笑顔のまま、抑揚のない口調でもう一度私にこう言った。さあ食べなさい。全部残さずに。

私はもちろん、手をつけなかった。それでも母親は怒りはしなかった。

だってもう、「怒り」なんて感情は、《奴ら》によって消されてしまっていたんだから。


 一体、いつからカビが人間に成り代わって地球を支配しようなんて考えたのだろう。ううん、最初に考えたのは人間の方だった。

 気まぐれに見た新聞の科学欄に載っていた記事を私は何故か鮮明に覚えていた。精神安定剤として画期的なワクチンが登場!初めは不眠や極度な不安に悩まされている気の毒な人たちに投与された。気分が落ち込むこともハイになりすぎることもなく、凪いだ海面のように心が平らかになる。続いて、夜勤で昼夜逆転の生活で不眠に悩まされる人たちに。それから、学校や職場でうまくやっていけずにストレスがたまった人たちに・・・。

 それは本当によく聞くワクチンだった。どんな精神状態も、あっという間に安らかに、幸せになった。それもそのはず、カビが、目に見えない無数の菌が人間の細胞の一つ一つに取り憑いて、その人間を完全に乗っ取ってしまうんだから。

 私の住むこの街には、大きな精神科の病院があった。入院施設も充実していて、広い敷地にたくさんの患者や職員が暮らしていた。そして、あの夏の朝に《奴ら》は病院を抜け出し、街を襲撃したのだった。誰も気づかない、密やかな襲撃を。


家を出て逃げ歩いて、街じゅうが《奴ら》に支配されていることを知るまでに三日かかった。エリカは両親がどこにいるかもわからないまま、たった一人で家に閉じこもっていた。私が訪ねていったら最初奥の部屋に隠れたきり出てこなかったっけ。しばらくエリカの家に居候してまず風邪を治した。それから、少しずつ街の中を歩き回った。学校はもぬけの殻、私たちを連れて帰った引率の先生の姿もなく、どこへ行ってしまったかわからない。そもそも、街の中にほとんど人影はなく、走る車すらなかった。人々は、それぞれの家に大人しくこもっているらしい。あとでわかったことだが、《奴ら》に取り憑かれたらもう食べ物は必要ないので、人は働く必要もなければ買い物をする必要もなくなっていたのだった。

人々がそれぞれの家にこもって出てこなくなったら、ゴーストタウンと一緒だ。街はだんだん荒れてきた。埃が貯まり、雑草がはびこり、電気を通さなくなった電線は切れ、水道は止まり・・・。


私は情報が欲しかった。だから、この街を出ようと思った。そしたら、エリカが私を置いて行かないで、と泣きついてきた。それで、適当にいい隠れ家を見つけに行くから、と言ってエリカを置いて出てきたのだった。

初めの情報は、もちろん母親から仕入れた。もう母親でもなくなってしまった、私を生んだ人の皮をかぶった《奴ら》の一人に。いや、《奴ら》は全体で一人のようなものだから、一人じゃなくて部分、かな。

母親だったものは、私にとても優しくにこやかに、この街で起こったことを事細かに説明してくれた。《奴ら》は人間の役に立ちたくてそうしているんだそうだ。何故なら、それが《奴ら》の使命だから。でも、《奴ら》は、人間を知っているようでまるで知らない。だから本当にいい迷惑なのだ。大人達が私たちのことをまるで知らずに、自分たちの都合のいい大人になるように「しつけ」るように、《奴ら》は自分の都合のいいように人間を「改良」してしまったのだった。

それを知って、私は家を飛び出した。おなか減ってないから、スープは明日ね。そう言ったら、穏やかな顔の母親もどきはそれ以上無理強いをしてこなかった。だから、私は夜中に二階の部屋の窓からこっそり抜け出した。ちょろいものだった。不思議なくらい。


 いつの間にか眠ってしまっていた。瞼は鉄のように重くて熱かった。それでも目を覚ましたのは、月の青白い光が通気口から私の顔にもろに降り注いでいたからだ。こんなに明るいと言うことは、きっと今夜当たり満月なのだろう。

 そっと天井の通気口をあげて、外を覗いた。街は静かだった。だがよく耳を澄ますと、あちこちからたくさんの足音が聞こえてくる。

 やがてそこらじゅうから、まるで映画に出てくるゾンビのような重く弱々しい足取りで、人が、いや、人の姿をした《奴ら》が次々と現れた。もうすっかり肌も淡い緑色に染まって、産毛の代わりに胞子の糸が毛穴から芽を出している。あのいまいましいカビは、それでも寄生主を殺すことはしない。ちゃんと生かして、自分たちの役に立てようとしているんだ。

 ひどい光景を、何で我慢して見続けているんだろう。私はまるでオカルト映画でも観ているように、静かな恐怖とこれから何かが起こるその期待とで、その場に凍り付いたように立ちつくしていた。


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