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図書館及び『僕』を名乗る女性について

 5月、相も変わらずの5月だ。5月といえばゴールデンウィーク。休日と祝日を嫌う人間がこの世にいるだろうか?いや、いるはずがない。このお話の中ではゴールデンウィークはすでに終わっている。受験生の中晴と家庭教師の外雨にとって連休は嬉しくとも何とも無い。なぜなら二人とも働いていないので毎日が休日だからだ。厳密には外雨は家庭教師という仕事をしているが、金を貰っていないから無職と呼んでも差し支えないだろう。さて、受験生が休日にすることは何であろうか?もちろん勉強である。平日も休日も祝日も勉強、勉強、勉強。毎日が休日ならば毎日勉強なのだ。


 中晴の部屋を覗いてみるとやはり彼は勉強している。外雨もやはり彼の隣に座って家庭教師をしている。彼女は赤ペンでプリントに丸をつけていた。


「よく出来ました。ちょうどいいから10分ほど休憩を入れましょうか」


 その言葉を聞いた中晴はすぐさま襖で隔てた隣の居間になだれ込む。


「ふー。がんばったがんばった」


 彼はちゃぶ台の上に置いてあるリモコンを手に取り、テレビの電源をつけて寝っ転がった。それを見た外雨がやんわりと注意をする。


「中晴君、行儀が悪いですよ」

「俺も本当はこんな姿勢は取りたくないんだけど、身体がどうしてもって。過度な勉強が身体に負担をかけているせいに違いないね」

「そうですか。毎度毎度、中晴君の使う言い訳の豊富さには驚きますね」

「褒めても言い訳しか出ないんだなあ、これが」


 テレビの中では身体が裏返しになったようなネコとネズミが追いかけっこをしている。中晴はテレビを眺めながら、ちゃぶ台の上に置いてあるせんべいを手探りで掴み口元へと運んだ。外雨は彼のやる気の無さそうな姿を見ながら勉強机の前で考え事をしていた。


「中晴君、勉強は楽しいですか?」

「ん?いや……やっぱり、あんまり楽しくないなあ」


 中晴は彼女のほうを振り返りながら答えた。


「朝から晩まで机に向かって鉛筆をカリカリと動かすだけじゃん。それを毎日毎日毎日……。これで楽しいと思える方がどうかしてると思うよ。外雨さんが付きっきりで隣にいるから、かろうじてがんばってはいるけどさ」


 その返事を聞いた外雨は少し落胆した。


「そうですか……。中晴君が楽しいと感じられないのは、私のせいですね」

「いや、外雨さんがどうこうっていう問題じゃなくて……」


 中晴はすかさず彼女を弁護しようとしたが、外雨はそれを遮って言い出しづらそうに言葉を続けた。


「えーと、あのですね、中晴君……。中晴君の頭が悪……学力が思った以上に低かったので、最初からかなりの詰め込み教育をしているのです」

「ああ……俺のせいか……」


 彼女の言葉を聞いて中晴も落胆する。彼の落ち込んだ表情を見て今度は外雨があわてて弁護しようとした。


「いえ、だから私のせいです。本当はもっとゆとりをもって教えていきたいのですけど、今年G大に合格することを目標にしていますから、どうしても急がないと……」


 それを聞いて中晴は落胆するのをやめて、起き上がりちゃぶ台の上のせんべいにまた手を伸ばす。


「そっかー、悪いのは大学かあ。じゃあ来年に回そうかな」

「今から目標を下げるのは良くないと思いますよ。がんばれるところまで勉強をしてから、どうするか決めませんか」

「でも外雨さんとしては俺に勉強の楽しみってやつを知ってほしいんでしょ?今の詰め込み教育で俺が勉強嫌いになったら外雨さん的には嬉しくないんじゃないの?」

「ええ……そうなんですけど……」

「……?」


 外雨の引っ掛かりを感じる物言いが気になった中晴はせんべいを飲み込んで彼女の方を振り向く。椅子に座っていた外雨は白い手袋に隠れた機械の両手を頬に当てながら迷っているようだったが、やがて意を決したのか両手を膝の上に置いた。


「中晴君、すみません。白状します」

「?」


 いきなり神妙な顔つきをする彼女に戸惑った中晴であったが、外雨はすぐに柔らかい顔つきになって言葉を続けた。


「中晴君の学力がどれだけ伸びるのか、少し楽しみにしているのです」

「俺の学力?」

「はい。最初はあまりの頭の悪……学力の低さに驚きましたが、その一方でどんどん学んだことを吸収してくれることにも驚きました。だから、どこまで伸びてくれるのか、気になって気になって」

「えっ、俺ってそんなに才能あるの!?」

「才能かどうかはわかりませんが、このペースで勉強を続ければG大に合格すると思います」

「そっかー、よかった!」


 彼女の意外な言葉に嬉しくなった中晴はちゃぶ台の前で両手を上げて嬉しさを表現した。それを見て外雨もにっこりと微笑む。しかし、しばらく無邪気に喜んでいた中晴は何かに気づいたのか急に考え事をはじめる。


「ん、待てよ……。このペースで、ってなると……一年間ずっと朝から晩まで勉強するの?ひえー、絶対無理だ!!」

(ばれた……)


 今の生活があと一年続くことを想像した中晴はげんなりしてちゃぶ台に突っ伏した。外雨は微笑んだまま表情を変えていないが、内心ではそこに気づかないで欲しかったと考えていることだろう。とりあえず外雨は中晴をフォローしようとする。


「と言っても、私の大雑把な見積もりですからね!途中で一気に伸びて余裕が出来るかもしれませんよ」

「うーん。まあ、俺としては外雨さんがこのまま家庭教師を続けてくれれば大丈夫かな。最後まで続けられるかはわからないけど、なんとなく続けられそうな気がする。気がするだけだけど」


 中晴の言葉に対して、外雨は同意するように両手を叩いた。乾いた金属音が響く。


「そうそう。中晴君はなんだかんだ言って、私といるときはきっちり勉強をしてくれますからね。私も中晴君が途中で投げ出したりはしないと確信しているので、安心して詰め込み教育が出来るんです」

「そっかあ。じゃあ、勉強が楽しくないのは俺のせいでもあり、外雨さんのせいでもあるね」

「ふふふ。そうなっちゃいますね」


 会話のいい落ちどころを見つけたと思ったのか、二人は互いの顔を見ながら微笑んだのであった。



 ************************



 テレビからBGMと身体が裏返しになっているネコの悲鳴が流れる。中晴が振り向くとテレビの中ではネコが黄金製のアイアンメイデンによって串刺しになっていた。アイアンメイデンとは中世ヨーロッパで使われていたことで有名な拷問具の一つだ。これは内側に針を仕込んだ人形のような形をしており、この中に人間を一人閉じ込めることによってその全身を針で痛めつけることが出来る。


 実際に中世ヨーロッパで使われていたのか怪しい拷問具の一つであるが、なんと嬉しい事にこのお話の世界観の歴史ではアイアンメイデンが実際に中世ヨーロッパで使われていたことになっている。そして、テレビの中のアイアンメイデンはその隙間から赤い血を垂れ流していた。アイアンメイデンの目から流れ出る血はまるで血涙のように美しく滴り落ちていた。中晴は見る番組を間違えたと思って適当にリモコンでチャンネルを変える。


「……それとね、外雨さん。実は俺、自分をもっと勉強に追い込む方法を知っているんだ。その方法には外雨さんの協力が必要不可欠なんだけど」


 外雨はそれを聞いて目を輝かせた。


「ほほう!そんな方法があるのなら私も喜んで協力しますよ。いったいどんな方法何ですか?」

「簡単だよ。いわゆる飴と鞭ってやつ。飴が貰えるとわかっているなら、どんな鞭にだって耐えられるからね」

「なるほど、盲点でした。この場合、中晴君がG大に合格したら私が飴を与えればいいんですよね。どんな飴が欲しいのですか?」


 外雨は椅子の上でニコニコとしながら中晴に尋ねた。客観的に見て完全にお姉さんモードという感じだ。


「それなんだけど、言うのがちょっと恥ずかしいんだよね……」


 本当に恥ずかしそうなのか、中晴は頭を掻いてモジモジしだした。


「恥ずかしがらずに勇気を出して言ってくださいよ。合格プレゼントなら多少の無理でも聞き入れるつもりですから」

「そう?……じゃあお言葉に甘えて言ってみるけど、女体の神秘を……」

「却下」


 中晴が欲しい物を言い終える前に外雨の冷たい言葉によってその願い事は無残にも切り捨てられた。


「えー」

「どうせそんなところだろうと思っていましたよ」

「勉強がんばれるんだからいいじゃん!」

「それとこれとは話が別です」


 外雨は怒ったのかそっぽを向いた。客観的に描写するならば怒っているお姉さんモードという感じだ。中晴は諦める気がないのか両手を合わせて土下座のポーズをとった。


「じゃあ、保健体育の勉強でいいから……」

「駄目です。どうせエッチなことに連れ込むつもりなんでしょう」

「純粋!純粋な勉強だから!本当にただ学びたいだけだから!」

「ほーう?ちなみに保健体育には性教育には関係ないスポーツや健康に関する内容も含まれていますが、そこだけを教えるという条件でなら、いいですよ」


 外雨は椅子の上から見下した目つきで低姿勢の中晴を眺める。中晴は正座をしながら頭の中で計算ごとをしていたが、答えが出たのか諦めたような残念な顔つきで返事をした。


「……それなら自習でいいかな」

「ほら」


 中晴は正座をしたまま軽く腕組みをする。


「外雨さんは俺が間違った性教育を学んでいたらどうしようって心配にならないの?矯正できる機会はもうないかもしれないんだよ……」

「そろそろ18歳になるというのに、何をふざけたことを言っているのですか。さあ、休憩時間はもう終わりですよ。テレビを消して机の前に座ってください」

「とほほ……」


 中晴はうなだれながらリモコンでテレビのスイッチを消し、そして勉強机に戻ったのであった。



 ************************



 次の日の日曜日の朝。太陽の日差しがサンサンと降り注いでいる。


 この形容動詞『サンサン』は英語の太陽、つまりSun-Sunが由来だと一般に思われているがそれは誤りである。かつて古代の中国には燦々(Shang-Shang)と呼ばれる技術者がいた。燦々は太陽を崇拝し、時の皇帝に従わなかったために都から追放された。追放された燦々は憤り、皇帝に復讐するために太陽に住んでいる民族と共謀して国を滅ぼそうと考える。燦々は自らの手で作り上げた飛行機に乗って太陽を目指すが、結果は見るも無残、全身を太陽の炎で焼きつくされる。当時、都に住んでいたある商人の日記によれば、白骨化した焼死体が宮殿の上にぽとりと落ちてきたという。


 人々はこれを凶兆とみなした。その予感は的中し、皇帝が治めていた国は異民族の襲来によって滅ぼされてしまう。


 以上。かつての中国人なら誰もが知っている故事、『燦々之冒険』である。これが日本に伝わって、太陽が光輝くさまを表す言葉『燦々』が出来たとか出来なかったとか。



 ************************



 公園に刺さっている時計台が9時半を指している。滑り台に立っている軍服の少年がラッパを吹いている。いかにも重要そうな人物だがこの先出てくることはないだろう。公園の脇の街路樹を車椅子を押しながら歩く中晴。もちろん車椅子には外雨が座っている。二人の会話に耳を傾けてみよう。


「図書館で勉強!?」


 中晴が素っ頓狂な声を出した。きっと今日は図書館で勉強するのだろう。そのために中晴は車椅子を押しているのだろう。公園から中晴の自宅の間はそれほど離れていないが、ここまで来てようやく自分が向かう先を知ったのだろうか?滑稽である。


 外雨がにこやかな顔をして車椅子から中晴の顔を見上げる。


「はい。家の中でずっと勉強するのは気が滅入るでしょう?」

「電話越しに勉強道具をカバンに詰め込めって言われたから、てっきり今日は外雨さんの家で勉強するのかと」

「それもいいですね。私の家には何もありませんけど」

「俺はそっちのほうがいいなあ」


 中晴はラッパの音が聞こえる方向に目を向ける。軍服の少年は滑り台の上で逆立ちをしながらラッパを吹いていた。誰が見てもラッパの少年の相当な運動神経が窺えるが、それがどうしたのいうのだろう。中晴は気になってラッパの少年から視線が離せないようだが、読者は気にしなくても良いだろう。


「図書館で勉強するのはいい刺激になりますよ。皆が静かにしていますし、近くにテレビやゲーム機もありませんから集中できます。そしてなにより、たくさんの本がありますからね」

「へえ……。でも図書館って本を読むところなんでしょ?ノートを広げて受験勉強をしても司書の人に怒られないかな?」

「大丈夫ですよ。これから行くところはG大の図書館ですからね。大学生たちが当たり前のように試験勉強をしていますし、司書の人も許可しています」

「へー……って、G大!?俺まだ合格していないけど、入ってもいいのかな?」


 中晴はようやくラッパの少年から目を離し、恐る恐る外雨に尋ねた。


「ふふふ。G大の図書館は一般開放されていますから、誰が入ってもいいんですよ」

「そうなんだ、知らなかった。図書館だけでなく、大学も?」

「もちろん。図書館は大学の敷地内にありますからね。研究室や研究施設の中には入れませんが、門をくぐるだけなら問題ありません」

「ふーん」


 外雨の話を聞いて納得する中晴であったが、何か思いついたのか右手を顎に当てて立ち止まった。


「待てよ……一般人でも中に入れるなら、俺は勉強して大学に入る必要も無いのでは……?大学で戦士を集めるだけなら、俺が大学生である必要はないな……」

「……部外者が大学生を勧誘するのは、流石に怪しまれますよ」

「ですよねー。やっぱり勉強して大学に入るしかないか……」

(サークルの勧誘シーズンなら部外者でも怪しまれずに勧誘できそうだけど、それは言わないでおこう……)


 ラッパの少年は今やラッパの口を地面に置いて、そして両手を地面と平行に伸ばして、完全に顎の力だけで逆立ちをしていた。くぐもったラッパの音が公園に響き渡る。外雨と中晴は完全にラッパの少年に見とれていた。あの少年をずっと眺めていたいと思う二人であったが、車椅子の歩みは止まらない。名残惜しくもついには公園を離れるのであった。

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