おんぶ
中晴と外雨の二人はベリアル王のダンジョンから出ようとしていた。二人だけでは最深部の封印の扉を開ける手立てが無いことがわかったからである。ベリアル王のダンジョンはどこも平坦な通路で出来ているが、バリアフリーが行き届いていないので、ところどころに無造作な段差がある。車椅子で進むには少し億劫な場所だ。
そして一番厄介なのが階段だ。
ダンジョンを進むにも引き返すにも階段を使うしか無いのだが、この階段がとても大きく長く、そして急な角度になっている。車椅子を必要とする人間にとってこの階段が鬼門であるのは言うまでもない。
階段の前まで進むと、中晴は外雨の車椅子から手を離し、彼女の前に立って後ろを向いてしゃがみ込む。そして外雨は彼の背中におぶさった。
そう、あのおんぶである。
中晴が彼女を背負って階段を登っているあいだに、彼女が話しかける。
「本当に申し訳ありませんね、中晴君」
「別にいいんだけどさ、もしベリアル王と戦うことになっていたら外雨さんはどうするつもりだったの?」
「もちろん、一緒に戦いますよ。目の前で中晴君に死なれるのは気分が悪いですからね」
「それはそれは。二人で死ぬのはさぞかし気分がいいだろうね、外雨さん」
「だからですね、中晴君。私はこのボス討伐を何度も反対しているではありませんか。扉が開けなかったからよかったものの、もしボスと戦うことになっていたら、あなたに勝ち目はありませんでしたよ」
そう言って外雨は不満気に中晴の頬をぷにぷにと指でつついた。どうやら中晴は外雨の言うことを素直に聞き入れる性格ではないらしい。
「それでも外雨さんがいないほうが勝率高かったと思うな」
「断ります。私の見ていないところで死なれるのはもっと気分が悪いですから」
「結局、私がこういう性格で、あなたがそういう性格だったから、こういうことになったのです。あなたが呪いを解くことを諦めること……それだけが互いが幸せになれる唯一の方法だということを、いい加減に理解してほしいものですね」
「それはどうかな」
階段を登り切った中晴はしゃがみこんで、外雨を地面にそっと降ろす。しかし、中晴の仕事はこれで終わりではない。車椅子を階下に置いてきているので、一度戻って運んでくる必要があるのだ。もう手慣れているのか、中晴は素早く階段を往復して車椅子を持ってきた。そして外雨が礼を言って車椅子に乗り込む。中晴はハンドルに肘をついて少し休憩をする。
「ふぅ……今何階?」
「地下7階です」
「地上への道のりは遠いね。ちょっと疲れた」
「だから言ったでしょう。このダンジョンにはもう入るべきではないと」
「……本当に申し訳ないと思ってる?」
「思っていますとも。ものすごく……」
中晴の名誉のために書いておくが、別に彼は外雨の柔らかい身体の感触を背中で味わいたいがために、わざわざ車椅子の外雨をダンジョンに連れて行ったわけではないのだ。老人の助言を受けた中晴の今回の仕事はベリアル王を始末することなので、彼は足手まといになる外雨を連れて行きたくはなかった。しかし、彼女が連れて行けと何度も主張したのだ。
これにもまた彼女なりの訳があり、そもそも外雨は中晴が一人でベリアル王を討伐することに強く反対していた。それでも中晴がどうしても行きたがるので、ならば私も連れて行けと主張を変えることにしたのだ。足手まといの自分を連れながらベリアル王を討伐できる自信は流石に無いだろうという狙いからである。だがしかし、なんと中晴はこれを了承してしまったのだ。
彼女を守りきれるという若さゆえの驕りか、それとも単純にベリアル王を軽視しているだけなのか。
結局、封印された扉に阻まれてベリアル王を討伐することは出来なかったが、もし相対していたら結果はどうなっていただろうか。
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地下6階の階段にて。
中晴に背負われることに対して本当に申し訳ないと思っていたのか、外雨は無謀にも車椅子のまま階段を登ろうとした。
結果は言うまでもないが、階段では中晴の笑い声が響き渡った。
階段で派手に転んだ外雨は恥ずかしいのか、反省したのか、次の階段では大人しく中晴に背負われた。
しかし、地下4階の階段ではまた一人で階段を登りたくなったようだ。
外雨を背負おうとする中晴を静止して、彼女は車椅子を降りた。
そして四つん這いの格好で這って階段を登り始めたのだ。
なるほど、これなら外雨程度の足の不自由さでも階段を登ることが出来る。
階段を登りながら彼女は得意気に呟く。
「初めからこうしておけばよかった……」
「服が汚れちゃうよ。手伝おうか、外雨さん」
「結構!私は一人でも登れます」
中晴は心配しているのか、一人で登る外雨を階下から説得しようとするが、彼女は意に介さない。
「非効率だよ。俺に背負わればそれで済むだけの話なのに。それに危ない。手すりのついた家の中の短い階段とは違うんだよ」
「もちろん、そんなことぐらいわかっていますとも。しかしここはダンジョンの中。たとえモンスターやトラップを全て除いているといえども、あなたに全て任せきりにするのは、やはり申し訳がないですね。私もダンジョンハンターの端くれですから」
「外雨さんのその自立心の強さは尊敬するけど、もう少し自分の体を労っても……ハッ!」
中晴は話している途中で重大なことに気づく。外雨がある程度階段を登ったことによって、階下にいる中晴から外雨のスカートの中がいい角度で覗きこみやすくなっていたのだ。
外雨はスカートの下にスパッツを履いているので、覗いたところで決して下着が見えるわけではないのだが、そのスパッツの生地の薄さが、がんばって凝視すれば透けて見えるのではないのだろうかという気にさせてくれる。何より、外雨は四つん這いの格好で少しお尻をつきだして階段を登っているのだ。このようなシチュエーションにはそうそう出会えるものではない。
中晴は思い切ってしゃがみこんで、足元の階段に顔を近づけるような格好で外雨のスカートの中を凝視した。
しかし、流石はダンジョンハンターの端くれといったところか。奇妙な視線に気づいた外雨ははっと後ろを振り向く。
「何をしているんですか?」
中晴は素早く視線を移動して階段に使われているレンガを見つめた。
「この階段、よく見るといい素材を使っているね。削り出してオークションに出したら高値がつくかもしれない」
「とっさに出た理由にしては良く出来ていますが、苦しすぎる言い訳ですね」
外雨は四つん這いの格好で後ろを振り向きながら、軽蔑した眼差しで中晴を見下ろして睨みつけた。そして彼女は恥ずかしそうにスカートを手で押さえる。全く意味のないことであるが。
「スパッツを履いていますから覗いても何も見えませんよ」
「仰るとおりです。さあ、俺に構わずどうぞどうぞ」
「……!」
中晴に尻を見つめられる羞恥心に耐えられないのか、外雨は階段を登るのをやめてその場に座った。
「中晴君が下にいると気が散って仕方がありません。さっさと上に登ってください」
「そうはいかないよ。外雨さんが階段から落ちた時のための素早いフォローが必要だからね」
「そんなドジは踏まないから大丈夫ですよ」
中晴は全く姿勢を変えること無く、半分寝そべった格好で返事をする。
「流石外雨さん、力強い言葉だ。車椅子で階段を登ろうとする前に言ってくれたらもう少し説得力があったんだけどね」
「どうやら中晴君は私に喧嘩を売っているようですね」
「気に障ったのなら謝るよ。これ以上頭は下げられないけど」
なるほど。これ以上頭を下げたら地面にめり込んでしまう。外雨は頬杖をついてなおも中晴を睨み続けた。
「……だいたいですね、私は手足が不自由なんですよ。そこにかこつけていやらしい目で見ようとするなんて、人間として恥ずかしくないのですか?」
「確かに……。冷静に考えたら世界で一番カッコ悪いな、今の俺……」
中晴は反省したのか、さっと立ち上がり後ろにおいてあった車椅子に座った。
「変な悪ふざけをしてごめんね。でも一応、下で待ってるよ。落ちたら危ないから」
そして目を閉じて心の目で外雨を監視する。これで外雨のスカートを覗くことなく下で待機することが出来るのだ。もちろん中晴が目を開けなければの話であるが。
「……」
車椅子に座っている中晴を無言で見つめていた外雨だったが、しばらくすると両手を大きく二度打ち鳴らした。
「中晴君、ちょっとこっちに来てください」
「?」
中晴は目を開けて、言われるがままに階段を登って外雨の元に行く。そして外雨は丁寧な口調でさらに命令した。
「後ろを向いてしゃがんでください」
「ああ……気が変わったの?」
階段に座りながら後ろを向いて尋ねる中晴であったが、外雨の機嫌はまだ良くないようだ。彼女は後ろからかぶさるように抱きつき、そして中晴の耳元で呟く。
「下からいやらしい目で見られるくらいなら、背負われたほうがマシです」
「そう……。黙っておんぶされてくれるなら、俺はそれで構わないけど……」
外雨を背負った中晴は一歩一歩ゆっくりと、階段を登っていく。悪気が過ぎたと思ったのか、中晴は低いトーンで呟いた。
「信用されないって辛いね、外雨さん」
「同情しますが、一体どの口が言っているんでしょうね」
外雨は左腕で中晴の胸を軽く締め付けながら、右手で中晴の唇を軽くつねった。
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さて、二人が地上の入り口を目指して歩いている間に、ダンジョンの歴史について軽く語ろう。全ては無知なる読者のために。
察しのいい読者ならば、以下の文章は読み飛ばしても構わないことが読めばわかるだろう。
二人が今潜り込んでいるベリアル王のダンジョンは15の階層からなり、これはダンジョンとしては深い部類である。ダンジョンはボスの悪魔が強ければ強いほど深くなる傾向があり、5以下の階層であれば低級悪魔、6から10以下であれば中級悪魔、11から15以下であれば高級悪魔であるだろうとダンジョンハンターは大雑把に推測できる。
もちろん、より強大な悪魔であれば16階以上の深いダンジョンを作ることも可能であるが、誰もそこまで深いダンジョンを作ろうとは思わないだろう。なぜなら、深すぎるとダンジョンハンターが途中で飽きて帰ってしまうからだ。ダンジョンが深いのは強大な悪魔がいることの証だが、だからといって宝が豊富とは限らない。ダンジョンハンターが割に合わないと思ってしまえばそれまでだ。
ダンジョンはただ深ければいいというものではない。ダンジョン黎明期には腕に自信のある高級悪魔たちがこぞって深いダンジョンを作ってハンターたちを待ち構えていたが、やはりハンターたちは途中で飽きて引き返してしまい、ろくに魂を狩ることはできなかった。高級悪魔たちは引き返すハンターの後ろ姿を見てはぶつぶつとこう呟いていたらしい。
『これだから最近の人間は……』
『あの人間の魂は不味いに決まっている』
一方、低級悪魔や中級悪魔のダンジョンはダンジョンハンターで賑わっていた。彼らのダンジョンに眠っている宝は高級悪魔たちのそれと比べると見劣りするが、なんといってもその丁寧な作りがハンターの人気を集めていた(※)。序盤は弱いモンスターを配置してハンターの士気を上げさせ、徐々に難しい罠や強いモンスターを配置していくことで、ゆっくりとゆっくりと、ハンターに気付かれないように撤退不可能な奥底へと誘い込んでいく。悪魔の優しさを感じさせるような素晴らしい構成だ。
(※)リピーターは少ない。
このような悪魔たちの創意工夫は、少ない宝を補うために魅力的なダンジョン作りをする必要があったためであるが、理由はどうあれ彼らは多くの人間の魂を手に入れることに成功した。高級悪魔たちは下級悪魔達のダンジョンが賑わっているのが気に入らず、これを妬み、たまに強烈に臭くて不快なモンスターを彼らのダンジョンに放つなどの嫌がらせをした。悪魔であっても同業者の成功は憎いと見える。
しかしそれも、ダンジョン黎明期の話。悪魔が手強い存在だと知れ渡った今の世の中では、ホイホイとやってくるダンジョンハンターはそういないし、無駄に深いダンジョンを作る間抜けな悪魔もいない。悪魔たちの試行錯誤は人類が滅ぶまで続くだろう。