ダンジョンハンターと現代の悪魔について
そこは人工の洞窟だろうか?
四方八方がレンガで覆われた長い通路を進む車椅子の若い女と、それを押して歩く若い男がいた。
女は冒険者風の服装をしているが、スカートの下に黒いスパッツを履いている。そして両手の白い手袋と黒いニーソックスの組み合わせが珍しい。女の茶色の細い髪は両肩のあたりで緩く束ねられたおさげとなっており、茶色の透き通った目が真っ直ぐ前を見つめている。
一方、黒髪緑目の男は女の頭をぼんやりと見つめながら歩いているようで、あまり前の景色に注意を払っていなかった。しかし、通路全体を心の目で見渡しているかのような尖った雰囲気を感じる。男は腰まで灰色のマントで覆われており、うぐいす色のズボンと底の深い茶色のブーツを履いている。これまた冒険者風だ。
二人が進み続けると通路は行き止まりとなり、大きな大きな銅色の荘厳な扉が立ちふさがった。扉の表面には燃え盛る炎と腕を組む悪魔が彫り込まれている。扉には鍵穴も取っ手も無かったが、扉の中央下には丸い石を埋め込められそうな5つの穴が開いていた。
男は車椅子から手を離し、しばらくドアの表面を触りながら調べている。やがて、男は大きなため息をついては、車椅子の女を振り返った。
「やられたよ……外雨さん」
「どうしました、中晴君?」
女と男の名前は外雨と中晴というらしい。二人の顔を見比べてみるに、女のほうがわずかに年上だと思われる。
「この扉……封印がかかってる。この形は外雨さんも見覚えがあるでしょ」
「ええ、似たような扉を以前見たことがありますね。あれは一人ではどうがんばっても開けられないドアでした。でも、二人で力を合わせたら簡単に開けられましたよね」
「うん。恐らく、魂のエネルギーが鍵になるんだ。ほら……」
中晴はマントから左腕を出して右腕の袖をまくる。そして何やら右腕に力をこめると、手のひらから緑の凍ったような炎の宝石が現れた。男がその宝石を扉の穴に埋め込むと、扉が反応してうっすらと光を帯び始めた。そして宝石を外すと、扉は元の状態に戻る。外雨に見せたいものを見せた中晴は宝石を手のひらに戻していった。なるほど、と理解した外雨がぽつりと呟く。
「その鍵穴が5つ……」
「外雨さんもちょっと魂の欠片を出してみてよ」
「……」
外雨は目をつぶって右腕の手のひらに力をこめる。するとやはり、手のひらから赤い凍ったような炎の宝石が現れた。しかし、中晴が出した宝石と比べるとそれはあまりにも小さく、とても扉に埋め込められるようなものではなかった。
「どうやら私では鍵すら作れないようですね。こんな身体ですから」
そう言って車椅子に座っている外雨は宝石を手のひらに戻す。中晴は自分の顎に手を当てながら考え事をしている。
「鍵を作るにはそれなりの力量が必要なようだ。俺より少し弱いくらいか、それ以上の強さの人をあと四人集めないといけないな」
「四人も……」
外雨はうなだれて自分の膝を見つめた。
「そう落ち込まないでよ外雨さん。奴がこの扉の先に追い込まれているのは事実だ。ゴールは目と鼻の先だよ。なあに、四人ぐらいならすぐ集まるよ」
「……中晴君、もう諦めませんか?」
気楽な表情をしていた中晴に、顔を上げた外雨が冷静な表情で問いかける。それを受けて中晴は真顔になった。
「諦める?ここまで来て一体何を言い出すのさ」
「前から何度も言っていますが、このダンジョンの宝はほぼ全て手に入れました。この先には自分の宝を全て捨てて逃げたボスが隠れているだけ。とても命を賭けて戦うに値しません」
「だけど奴を殺せば外雨さんの呪いが解ける」
「それはあなたが命を賭けて戦うに値する理由でしょうか?」
「やだなあ、外雨さん。ここはプロポーズするにはちょっと殺風景すぎるよ」
中晴は肩をすくめて直接的な答えを避けた。呆れた外雨は目を伏せて眉間にしわを寄せた。やがて口を開く。
「……とにかく、私はこれ以上進むのは反対です。この身体は自業自得ですから、今更元に戻りたいとも思いません。いつかこういうことになるとわかった上で、私はダンジョンハンターを続けてきたんですから」
「外雨さんがどう思っていようが、俺は自分のやりたいことをするよ」
「そうですね。あなたはあなたのやりたいことを勝手にすればいいと思います。中晴君は自分勝手な所がありますからね。これ以上口うるさくは言いません」
「そうそう。外雨さんは黙って俺の背中を見つめてればいいのさ」
「でも……この先は人数が必要なのですよ。それをわかっているのですか」
外雨は再び真剣な眼差しで中晴に問いかけた。
「ああ、俺が四人の戦士を集めるんだ」
「その四人に、私のために死ねと説得するのですか?」
「死にはしないよ。奴は手負いの獣で、俺達はそれを狩るだけだ」
「強がりはやめなさい。やめないと、私みたいになりますよ」
「……」
外雨は中晴に見せるように右腕の手袋を外す。そこにはあるはずの柔らかな肌色の手はなかった。
銀だ。銀色の光沢のある機械の右手だ。
次に左の手袋も外される。これも機械の左手だった。その外観は科学技術が詰まったようなエレガントさは欠片もなく、ただただ滑稽な見た目の機械の手だった。
「そういえば、中晴君にはこの手をあまり見せたことがありませんね。私もあまり見せたくはないのですが、中晴君の理解がたりないのなら十分に理解するまで見せるしかありませんね」
そういって今度は車椅子の上で自分のニーソックスを降ろす。そこにあったのもやはり滑稽な機械の両足であった。中晴はその姿を黙って眺め続ける。
「……もちろんわかっているとも。女の子がそう簡単に素足を晒したらいけないよ」
「おや、私としたことがはしたない格好でしたね。フフ……」
そう言って外雨は手袋とニーソックスを付け直した。
「何の得もないボス殺しに無償で協力してくれる人なんていません。金で雇うにしても、あなたほどの力量の持ち主を四人を揃うにはどれだけの金が必要になるか……」
「こんな暗い場所であれこれ考えると悲観的になっていけないね」
「私は客観的事実を述べているだけです」
「ま……とりあえず、保留だ。明日のことは明日考えよう」
中晴は腰に手を当ててにらむように自分の足元を見つめた。
「保留……。このダンジョンの時を止めるのですか」
「うん。今、ダンジョンの大部分を攻略しているから、このダンジョンは俺達の支配下にある。時を止めるのも、他のダンジョンハンターを立入禁止にするのも、俺の魔法力ですべて事足りる。もちろん、奴が邪魔をしなければの話だけど」
「もし邪魔をしにきたら……」
「四人の戦士を集めるまでもない。やはりここで決着だ!」
中晴と外雨が身構えた格好で扉を睨みつける。そして中晴は右腕をゆっくりと真上に振り上げる。そしてさらにゆっくりな口調で魔法を詠唱を唱え始めた。
「トキトマーレ、ダレモハイラーナイデ、ココハオレノジンチー、ナンダッテイツダッテ、オレノマホーデコトタリール……」
「相変わらずふざけた詠唱ですね……」
中晴の振り上げた右腕からバリバリと電気のような魔力が放出されてダンジョン全体を流れていく。茶色だった風景が青白くなった。レンガが中晴の魔力によって青白い光を帯びたからである。そしてすぐに元に戻った。
「どうやら邪魔は入らなかったようだ」
それを聞いた外雨がほっと胸をなでおろす。中晴はなおも扉を睨みつけながら言葉を続ける。
「時は止まった。これでベリアル王は俺の許可なしにここを出ることが出来ない。奴の身体に流れる時間も限りなくゆっくりとなって、まともに動くことは出来ないだろう」
「そうですか。それではここを出ましょうか」
「うん」
中晴は外雨の車椅子を掴んで、レンガの通路を引き返した。
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ああ!無知なる読者のためにいくつかの説明を加えよう!
中晴達はダンジョンハンターだ。ダンジョンハンターとは世界に隠されているダンジョンを見つけて、攻略し、財宝を手に入れる職業である。なぜこの平成の世の中にダンジョンがあるのかというと、それはダンジョンボスがいるからである。ダンジョンボスとはいわゆる人の魂を食らって生きる悪魔である。
はるか昔の悪魔は人間を騙して不等な契約を結ばせ、その代価として魂を貰っていたが、ラジオやテレビ、インターネットなどで情報伝達手段が強力になった今では、悪魔に騙されるような人間はめっきり減ってしまった。これは不味いと思った悪魔たちはシンプルな契約をやめて別の手段を取り始めた。たとえば生命保険詐欺や当たり屋など。
その頃の悪魔たちは試行錯誤しながら人間たちの魂を効率よく手に入れられる方法を模索していたが、その多くは失敗し淘汰されていった。
悪魔が失敗した理由もシンプルだ。それは人間のほうが悪魔より狡猾になっていたからである。彼らの詐欺や恐喝は成功しないばかりか、逆に人間たちに毟られる情けない悪魔すらも出ていた。
生まれつきの魔力と伝統的な食料調達方法にあぐらをかいていた悪魔たちは過酷な現代社会でたくましく生きる人間の敵ではなかった。そして、数々の失敗の繰り返しからようやく、人間が猿より賢くなっていることを悪魔たちは痛感したのである。
長い試行錯誤の末に、人間たちの魂を効率よく刈り取る方法がようやく発見された。それがダンジョンである。人間というものは今も昔もお宝という言葉に弱く、そのためなら喜んで危険を冒す愚かな生き物である。
悪魔たちははるか昔からコツコツと蓄えていた金品を餌にして、自分の住処を限りなくさりげない方法で地上に晒し、そして噂を流して人間たちを誘惑した。
悪魔は喜んだ。なぜなら噂を流した後はただ待つだけで人間たちが自分の所にやってきてくれるからである。そして、人間たちが悪魔の養分にまたなり始めていると気付き始めた頃には、悪魔の住処はダンジョンと呼ばれるようになり、悪魔はダンジョンボスと呼ばれるようになったのだ。
このようにして悪魔は現代の世の中に適応したのである。
さて、人間もいつまでも馬鹿ではない。
まず各国の政府はダンジョンに入ることを禁止した。しかし、これはたいして効果がなかった。なぜなら、危険を冒してダンジョンに入るような輩は決まって法律に従わないならず者だからである。
次に、そのならず者が賢くなった。ダンジョンを攻略して宝物を手に入れるために、探検家の手法を学び、魔法使いの知識を学び、戦士の勇敢さを学んだのだ。
そうしてダンジョン攻略に特化したならず者たちもまたいつしか、ダンジョンハンターと呼ばれるようになった。このように強く賢くなったダンジョンハンターでさえも、多くが悪魔たちに殺され食べられる悲しい結末を迎えるが、逆に悪魔を殺して宝物を奪い取る成功者もぽつぽつと出始めた。
この高度に発展した現代社会の奥底でもなお、血肉わき踊り欲望が渦巻く弱肉強食の理が確かに生き残っていた。
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中晴快晴と外雨梅雨花はダンジョンハンターの成功者であった。二人は若輩であるものの、ダンジョンハンターに必要な能力をすぐにマスターした。
そんな二人の収入も決して安定していなかったが、それでもたまに大きな財宝を掘り当てて、美味しい思いをすることもあったのである。何より彼らはまだ生きていた。ダンジョンハンターの九割は最初に入ったダンジョンの最初に出会ったモンスターに食べられて死ぬという。もしくはダンジョンの第一歩目で落とし穴に落ちて転落死だ。それと比べれば、二人がどれだけ成功しているかがよくわかるだろう。
だが、そんな二人にも失敗が訪れる。それは他のダンジョンハンターを出し抜いて見つけた、いかにも大金が隠されていそうなダンジョンでの出来事だった。
そのダンジョンボスはかつてなく強力な悪魔であった。人間なら誰もが一度、お伽話や昔話で耳にしたことのある、あの狡猾なベリアル王である。
ベリアル王は数々の罠を用意して、二人の若者を迎え撃った。その罠に手を焼いて何度か撤退した二人であったが、三週間にわたるダンジョン攻略を経て、ついにあのベリアル王をダンジョンの最深部に追いやることに成功したのである。
だが、その代償は大きかった。ベリアル王は撤退の際、外雨に呪いの魔法をかけたのだ!
ベリアル王に呪われた外雨の手足はみるみると銀色の金属で構成された機械へと変化していった。その異様な現象に驚き、自らの魔法力で機械化を抑えようとした外雨は、なんとか侵食を食い止めることに成功した。
しかしながら、その機械化の侵食を食い止めるのに精一杯で、他に魔法力を割くことが出来なくなり、機械化した手足はまともに動かなくなった。こうなってしまっては、ダンジョンハンターは廃業である。
ベリアル王のダンジョンでかつてない大金を手に入れた二人であったが、それもすぐに無くなってしまった。外雨の治療に使ったからである。二人は数々の名医や高名な賢者に大金を支払って呪いを解こうとしたが、それは金の無駄遣いでしかなかった。誰にもベリアル王の呪いを解くことなど出来なかったのである。
失意のどん底にいた二人の前に、ボロボロの布を身に纏った老人が現れる。それは3月の、まだ寒く、そして珍しく霧の深い日のことであった。中晴と外雨がスーパーで晩御飯のカレーの食材を買った帰り道での出来事であった。老人は車椅子に座っている外雨を見てこう言った。
「その手足は見覚えがある。数百年前にトルコやヨーロッパの民衆を苦しめたベリアル王の呪いだな。呪われた人間は機械人形となって次々と死んでいった。そのあまりの出来の良さに死体を売り払って小金を稼いだ遺族も少なくなかったな。フォッフォッフォッ……」
中晴と外雨は驚いて顔を見合わせた。なぜなら外雨の手足は手袋とニーソックスで完全に隠れていたので、機械の手足など老人が気づくはずもなかったからである。思わず中晴は老人に尋ねる。
「この呪いを取り除くにはどうすれば?」
「簡単だ。ベリアル王を殺せば良い。未だ誰も成し遂げたことがないがな。ワシが直々に成敗してやろうと思って世界中を旅していたが、まさかこんな年端も行かないガキどもに先を越されるとは思ってもみなかったわ」
「あなたは偉大なる賢者とお見受けしました。俺達はベリアル王のダンジョンの大部分を攻略しましたが、まだ奴は死んでいません。手伝ってくれないでしょうか」
「断る。ワシはダンジョンハンターだ。お前たちにはプライドはないのか?原因がわかったのならさっさと殺しに行け、そしてさっさと殺されろ。それがダンジョンハンターだ」
老人は吐き捨てるように忌々しく断ると、再び歩き出して二人の元から去っていった。そのおもいやりのない言葉に、中晴は首を傾げて呟く。
「なんでダンジョンハンターってのはどいつもこいつもみんなプライドが高いのかな?皆で協力してダンジョンに入れば、もっと簡単にダンジョンを攻略できるのに」
「それはダンジョンハンターが魅力的な職業だからですよ。無力な人間が強大な悪魔を倒して財宝を手に入れる。誰もがあそこでなら、孤高の英雄になれるのです。たとえ世間から後ろ指をさされるとしても……」
霧はどんどん濃くなっていく。中晴も外雨の車いすを押しながら、霧の中へと消えていった。カレーの食材が詰まったビニール袋を揺らしながら。