第8話
「アルフレッド、前はお願いね!」
「任せておけって!」
前方の敵へと向かっていくアルフレッドの背後で、エルシアは魔法の準備を開始する。
たどり着いた館の裏側でも戦闘は始まっており、衛兵たちの指揮官に参戦を告げ、戦況を手短に確認するとエルシアたちは外へと飛び出した。
館の裏側には、向かって右側に大きな池がある。
エレル川から引かれた水路の水を溜めることよって形成されており、川魚も入り込んでいるため小舟を浮かべて釣りを楽しむこともできる。
また、水路を通すために裏側の塀には二箇所の空きがある。敷地内に入り込んでいる水路によって地形の一部が分断されており、そのためこの方面は比較的守りやすい。盾を構えた味方の歩兵が弓兵を守り、水路を挟んで敵と矢を撃ち合っている。
水路の反対側の敵は、馬小屋や倉庫などの建物や、木に身を隠して弓やクロスボウで射撃を加えてきているが、身を守ることを優先しているのか攻撃はさほど激しくない。
一方、左側には使用人が住むための別館がある。
現在では使用人たちの多くが一時的に屋敷を離れており、僅かに残った使用人も本館に避難しているので、この別館内に住人はいない。だが、二階建てのためここを確保できると上から弓で攻撃できるので、扉を破って中に入り込んだ敵兵との戦いが別館内でも行われていた。
戦いが激しいのは、この別館の周辺や、裏門から本館への道が続く中央部分だ。
右側は池と水路に預け、中央から別館、別館と本館の間。このラインを突破されないよう味方の兵士たちは防衛線を構築している。
右側は簡単に突破されないと判断したエルシアたちは、それ以外の戦いへと加わるべきだと判断した。最優先すべきは中央の戦いだろう。そこがもっとも敵が多い。
人数ではこちらが少ないだろうか。味方が約70人に対し、敵は100人近い。本館正面の戦いに兵が引き抜かれなければ味方のほうが多かったはずなので、そういった意味では敵の陽動に引っかかったといえるかもしれない。
とはいえ、決定的に兵力で負けているわけではないので、ここにエルシアたちが加われば撃退することは可能なはずだ。
中央で多数の敵兵に囲まれている味方を援護すべく、アルフレッドが雄叫びとともに突撃した。
単独でふたりの敵兵を相手にして防戦一方だった味方の兵を助けるため、近い方にいた敵兵へと大剣を振り下ろす。
接近を察知していた敵兵は、咄嗟に剣で防御しようとした。だが、大剣の質量と、巨大な岩石を持ち上げることが可能なほどのアルフレッドの筋力、それらが合わさったことによる破壊力は、凡百の武器と使い手に防げるものではない。
大剣を受け止めた剣は、激しく火花を散らし、次の瞬間には切断される。そして、勢いそのままに振り抜かれた大剣は、その下にあった敵兵をも両断してみせた。
さらに、敵兵をひとり倒してもアルフレッドは止まらない。仲間が倒されたことで動揺した敵兵へと体当たりし、弾き飛ばした。
地面に転がる敵兵。こうなればもう終わりである。アルフレッドは、必死に起き上がろうとする敵兵の腹部を容赦なく踏みつけ昏倒させた。
「大丈夫か」
「あ……、助かり、ました」
助けた味方の兵にアルフレッドは声をかけた。よく見れば全身に傷を負っている。
「傷だらけじゃないか。ここは俺に任せて下がった方がいい」
「そんなことは……!」
「いいから一旦退けって。その傷じゃあ満足に戦えない、治療して戻ってくればいい」
「……わかりました。お願いします」
最初は躊躇していたが、忠告を受け入れ、衛兵は一度頭を下げてから本館の方へ戻っていく。
それを確認したアルフレッドは、表情を険しくして振り返った。敵が背後から襲ってきていたからだ。奇襲してきた敵の剣を、振り向きざまに大剣で受け止め、刀身に滑らせることで受け流す。
敵兵の体が泳ぎ、そこに打ち込まれた反撃の刃が首を斬り落とした。
これで三人。
参戦してから僅かな間にそれだけの敵を倒したが、まだまだ敵は多い。次なる敵を見定めて、アルフレッドは吠えた。
「うおおおおおおーー!!」
大剣を構えて飛びかかっていく。
アルフレッドが加わったことにより、劣勢であった流れが変化しつつある。その流れをつかみ、優勢へと持ち込むための次なる一手をエルシアは行使した。
発動準備を終えた魔法――彼女がもっとも得意とする土属性、その中級に位置する魔法が放たれたのだ。
魔法の杖を突き出す。その先にいたのは、遮蔽物に隠れて弓を放っていた数人の敵兵だ。突如その足下が陥没し、バランスを崩した彼らに地面から石の槍が伸びる。ふたりは胸と腹を貫かれ、またひとりは首筋を深く切り裂かれ、それ以外の者たちも咄嗟に身体をひねったが、回避しきれず手足や胴体に浅くない傷を負った。
魔法が使われたことで、敵側がどよめいた。
魔法は大きな威力があるが、魔法使いは希少であり、だからこそ魔法使いの存在は戦況に多大な影響を与える。
だが、敵の混乱はすぐに静まり、対応は素早かった。
そのエルシアを排除するために、敵からの矢が集中した。味方の兵士たちが盾を構えてそれを防ぐ。何本かの矢は弾かれ、盾に突き刺さるものもあり、兵士たちは自らの身体をも盾として受け止める。
エルシアは味方が守ってくれることを信じて、次の魔法の準備を開始した。
前線ではアルフレッドが、全身を使った横薙ぎによって敵兵を3人まとめて吹き飛ばしたところだった。
その場所を越えてさらに後方。そこに数人の敵がいる。ひとりは指揮官だろう、しきりに指示を飛ばしている。
距離がありすぎるため、先ほどの石の槍の魔法は届かない。あの魔法は足下から奇襲的に出現するため回避が難しいのだが、その代わりに射程が比較的短い。
よって、次の魔法は土の中級魔法である点は同じだが、別の魔法を選択した。
魔法の構成を描き、魔力を込める。大気中のマナと調和し、通常の物理法則を超越した現象が発現する。
地面が隆起し、一部が千切れるように空中に浮かぶ。土塊はエルシアの構築した魔法によって姿を変え、硬質化し、十数本の槍へと再構成された。
槍の長さは2メルトを超え、攻城戦で用いられるバリスタの矢にも匹敵するだろう。
エルシアが杖を振り上げると、それに引かれたように槍は穂先を一点に向け、杖が振り下ろされると、目標である敵指揮官へと飛翔する。
前方には味方がいるため、弾道は山なりだ。直射に比べて命中率は落ちるだろうが、それは数で補う。
十数本の槍が空から降り注ぐ。
回避するのは難しいだろう。たとえ倒すことができなくても、指揮官が攻撃されば敵に動揺をあたえられるはずである。敵指揮官が負傷すれば味方は勢いづき、反対に敵は勢いを失う。ただでさえ、アルフレッドとエルシアの参戦で流れが傾きだしていたのだ。あるいはこれが戦況を決定づける可能性もある。
――だが、そうはならなかった。
十数本の槍は、その一本すら敵に届くことはなかった。それどころか地面にさえ達しなかった。
すべてが、空中で粉々に砕かれたのだ。
「――えっ!?」
エルシアは驚愕した。彼女だけでなく、味方の兵にも何が起こったかわからず、戸惑った声がいくつも聞こえる。
これは、敵にも魔法使いがいたということだろうか。いくらなんでも弓で撃ち落としたとは考えがたい。
冒険者として過ごしてきて不測の事態に慣れているエルシアは、すぐに冷静さを取り戻すと状況の把握に努めた。
そして、気がついた。敵指揮官を守るように、その前にひとりの敵兵が立っていることに。
夜であることと、距離があるため顔立ちまで見通せないが、女だった。長い髪と女性らしい体型をしているので間違いないだろう。黒装束なのは他の敵兵と同じだが、髪の色まで黒なのは珍しい。まるで、夜の闇に溶け込んでいるかのようだ。
ふと、この街にやってくるときに出会った男とその使い魔のことが頭をよぎった。そういえば、彼らも黒髪だった。
いまは関係のないことだ。余計なことは頭から振り払い、エルシアはその女の動きを見逃さないよう目を凝らした。
女は敵指揮官になにかを告げているようだった。それに従うかのように、敵指揮官は護衛だろう数人の敵兵とともに後方へと退いていく。
それが済むと、女はゆっくりとした足取りでこちらの方へ歩き出した。そこから緊張感というものは感じられない。まるで、街を散歩しているような自然体だった。
女の向かう先では、当たり前だが両陣営の戦いが繰り広げられている。いまもアルフレッドが数人の敵兵をひとりで圧倒しているところだ。それ以外の敵味方双方の兵たちも互いに刃を交えている。
エルシアは嫌な予感がした。先ほどの魔法を迎撃したのがあの女なら、控えめに見てもかなりの実力があることになる。しかし、味方が近すぎて魔法の援護はできない。
そうして次の行動に移れない間に、女は両陣営がぶつかる前線へとたどり着く。
女は左手にはいつの間にか短剣が握られていた。右腕には腕輪がはめられているが、そちらは素手だ。
その時、敵兵のひとりが女の側まで下がり、それを追って味方の兵が前進した。女はそのふたりの間に入り込んだ。仲間を守るつもりのようだ。
味方の兵は立ち塞がった女を先に倒すことにしたのだろう、前進する速度を活かして槍を突き出した。その一撃には厳しい訓練によって培われた鋭さがあった。
だが、女は一歩前に踏み込むだけで槍を回避した。それだけではない。信じられないことに、そのまま素手の右手で兵士の鎧で守られている胴体を殴りつけたのだ。
それによって起こった結果に、エルシアは目を疑った。
兵士の身体が宙を飛んだ。それもまるで矢のごとく、一直線に戦いの場を飛び越え、そしてエルシアのすぐ前に落下した。
鎧の重量が加わった成人男性が、子供が遊びで蹴ったボールのように飛ばされたのだ。地面に落ちた兵士は奇跡的に死んでいないが、ピクリともしない。その鎧の腹部には確かに殴られた証拠である、拳大の陥没があった。いっそ、鎧が砕けていないことが不思議なほどだ。
「……くっ」
今度は左手の短剣が振るわれた。横薙ぎの一撃が、鎧ごと兵士を半ばまで断ち割った。そのまま女の腕は頭上に上がり、落とされた刃が咄嗟に槍の柄で防ごうとした兵士を両断する。
まだ終わらない、短剣が閃くたびに、味方が数を減らしていく。時には最初のように拳で殴り飛ばされることもあった。
僅かな時間で失われた味方の数は10人。
そのカウントの加算が止まったのは、怒りの形相のアルフレッドが斬りかかったときであった。
後ろからの奇襲だった。普段のアルフレッドならば滅多にやらないが、よほど頭に血が上っていたのだろう。一切の躊躇なく、女の背中に大剣は振り下ろされた。
完璧なタイミングだった。女は目の前の兵士を切り飛ばした直後で、反応が間に合わなかったのだろう。右肩口から入った剣が、胴体を抜け、腰まで切断した。
女が崩れ落ちる。
周囲の味方からは歓声が上がり、エルシアは安堵の息を吐いた。
背後からの奇襲で倒したなど誇れる勝ち方ではないが、それ以上に女は危険すぎた。あのままでは、味方にどれだけ犠牲が出たかわからない。それどころか、ここを突破されて王女の身さえ危なかっただろう。
だが、安心するには早い。味方の数はもう50人程度しかいない。敵はまだ70人以上いるのだ。ここからが正念場だった。
エルシアは守りぬくと強く決意し、魔法に備えて集中を高める。
前線では体勢を立て直した味方が、人数で負けているにも関わらず敵兵を押していく。アルフレッドはその先頭に立ち、獅子奮迅の活躍を見せている。
エルシアは魔法を発動させた。それによって敵兵が倒れ、さらに味方が勢いを増していく。
倒れるのはすべてが敵だ。味方に犠牲はひとりもいない。なぜか倒されたはずの味方も復活している。奇跡だ。こんなことが起こるなどありえない。だけど、奇跡だからいいだろう。素晴らしい。
アルフレッドが突撃する。まるで先ほどの女のように、敵を蹂躙していく。負けていられない。エルシアは、自分でも信じられない早さで魔法の構築を終えた。放つのは、これまで使えなかった奥伝魔法だ。努力が実ったのだ。まるで夢のようだ。
これまで扱ったどの魔法と比べてもずっと大きな威力が、敵をまとめて吹き飛ばす。先ほど逃した敵の指揮官をも倒してみせた。
もうすぐだ。この場の勝利は目前だ。だが、この後は姉のエリーシアを助けに行かなければならないのだ。こんなところで時間をかけてはいられない。
だから、戦いはこれからだ。
「………………え?」
そう、これからだ。
――そのすべてが幻だったのだから。
その瞬間、世界は一変した。
「…………なに……これ…………」
一言で表すなら混沌だろう。そして、惨劇だ。
「うああああーー!! ドラゴンだ! ドラゴンの群れが街を襲っている!!」
「大変だ、本館が燃えているぞ! だれか、だれかいないのか! なぜ誰もいない!?」
「ぎゃあああああああああ……! 助けてくれ、だれかこの炎を消してくれ……!!」
「みんな逃げろーー! 空が、空が降ってくる!!」
「すごいぞ、こんなに沢山の財宝が! どけええ、俺のもんだ!!」
「うおおおおおおおおおおお! 総員突撃! 私に続けーーー!!」
彼らはなにを言っているのだろうか。エルシアにはわからなかった。
ドラゴンなどいない。本館もまだ無事だ。絶叫しながら地面を転がっている兵士は燃えてなどいない。他の者たちも同じだ。突撃した兵士は、進路上にあった池に落ちた。
そして、これが極めて強力な幻影魔法によるものだと思い至ったエルシアは、自分がそれまでとはまったく別の場所にいることに気がついた。
自らの認識では、本館裏口の正面にいたはずだった。そこから魔法で援護をしていたのだ。なのに、いまは池のそばにいる。いつ移動したのかもわからない。
そのとき、金属が激突する甲高い音が聞こえた。
反射的に顔を向けると、そこではアルフレッドと、女が戦いを繰り広げていた。
「――アルフレッド!!」
「くっ……! エルシア、正気に戻ったか!? 大変だ、館内に突入された!!」
女と打ち合いながら、間合いを取ったタイミングでアルフレッドは叫んだ。その身体にはいくつもの傷がついており、表情は苦悶で歪んでいる。
「あら、魔法が解けたのね。あなたには集中的にかけたのに。こっちの彼は対魔法の護符で防いだみたいだけど」
一方、女は無傷だ。両断されたはずの傷などどこにもない。いったいどこまでが現実で、どこからが夢だったのだろう。それさえもわからなかった。
いや、いまはそれどころではない。アルフレッドは館内に突入されたといった。幻覚に囚われていたなら素通しだっただろう。むしろ、なぜ命があるのかが疑問だった。
「ふふ、彼に感謝しなさいよ。あなたを抱えて、守りぬいたんだから」
その答えは女から与えられた。なぜ場所が移動していたのかもそれでわかった。状況が最悪だということも理解した。
周りを見渡せば、いまだに幻覚に囚われている少数の味方を除き、多くは地面に倒れていた。あるいは何人かは無事で、本館内の防衛へ向かったのかもしれないが、この場の勝敗は明らかだった。
そして、敵の姿はない。
「そんな……」
まだ敵は70人はいたはずだった。その全員に突破された。本館内の防衛に配置された兵の数は知らないが、それよりは少ないだろう。つまり、いまこのときも兵数で劣った状態での戦いを強いられているということだ。すぐに救援に向かわなければいけない。
だが、女がそれを許すとは思えない。
「ほら、しっかり防がないと危ないわよ」
「ぐおっ!」
矢継ぎ早に打ち込まれる斬撃を、必死にアルフレッドは受ける。流石というべきか、傷を負いならがも、常にギリギリで防ぎ続けている。
このまま黙って見物している場合ではない。女が邪魔なら、排除するまでだ。
エルシアは可能な限りの最速で魔法の構築を進めていく。大規模な魔法は必要ない。女に隙を作りさえすれば、アルフレッドが何とかしてくれるはずだ。
選んだ魔法は水の中級魔法。すぐ側に大量の水があるため、通常より魔法の威力は増大する。池から水流が立ち昇り、収束した水が鉄さえも切断する鋭さで撃ち出される。
「アルフレッド!!」
「おおっ!!」
アルフレッドはこちらが何をするのかを言葉にすることなく察してくれた。魔法の発射直前で横に飛び、射線を空けた。細く収束した水流が女へと伸びる。
女は半身になることで避けた。読まれていたのか。しかし、水の供給が大量にある状況ならこの魔法は一撃では終わらない。連続する水の射撃が女を狙い撃つ。
「ふふ、まだまだ」
それさえも女は躱した。まるで踊っているような流麗な動きで、全ての水流を最小動作ですり抜けていく。尋常ではない反応速度と体術だ。収束した水流の速度は音速を超えているというのに、掠ることすらない。
だが、命中しなくとも女も回避に専念しなければならない。この間にアルフレッドは腰のポーチから取り出した癒しの魔法薬により、回復を終えている。高価だが即効性に優れているその薬は、全身傷だらけだったアルフレッドをほぼ完全に癒した。
復調したアルフレッドが視線で告げてくる。次の射撃の後に仕掛けると。そのため次の射撃はダメージではなく、少しでも女に隙を作ることを優先した。
収束率を弱め、広範囲に水を撃ちだす。威力は大してない。当たっても、せいぜい石がぶつかった程度だろう。だが、その程度でも受ければ動きは鈍る。
女を中心に半径20メルトほどの範囲に水流が飛来する。横に飛んだが、逃れ切れずに女は水に飲み込まれた。そこへアルフレッドが大剣を振りかざして飛び込んだ。
また幻影魔法を使ってくるかもしれない。今度こそ幻覚に囚われないために、精神防御の魔法を構築する。これで先ほどのように簡単にはやられないはずだ。そもそもエルフであるエルシアには、高い魔法防御力が備わっている。それを突破してきた女の魔法力は凄まじいというしかない。
水煙が晴れると、そこでは刃を合わせるアルフレッドと女の姿があった。水の衝撃を受けながらも防御しきったのだ。肩口に打ち込まれた大剣を、短剣で受け止めている。
「ぐっ」
アルフレッドは両腕に血管が浮かび上がるほど渾身の力を込めている。だというのに、女は徐々に大剣を押し返していく。片腕だけで、アルフレッドよりも力で上回っている。
やはりあれは幻ではなかったのか。女に殴り飛ばされた兵士の姿が頭に浮かんだ。
いや、それよりもこれはチャンスだ。
「アルフレッド! そのまま抑えていて!!」
いまなら当てられる。エルシアはもう一度水流を撃つために魔法を構築し、それに応えて、アルフレッドは女を押し止めるため全身から力を絞り出した。
大量の水が浮かび上がり、収束していく。
「……仕方ないわね。もう少し時間をかけたかったのだけど」
水流が発射される。その瞬間、女の姿が掻き消えた。
目標を失った水流は地面に穴を穿ち、支えを失った大剣は地面にめり込み、バランスを崩したアルフレッドは転げそうになった。
「なっ……!?」
消えた。どこに行った。空間転移の魔法か? しかし、そんな魔法を一瞬で発動できるものだろうか。エルシアは目の前で起こったことが理解しきれず、焦りから魔法の維持をしくじった。背後で浮かんでいた水が開放され、豪雨となって池に降り注ぐ。
それでも気にせず、女の姿を探し求める彼女の視界に、黒い影が映った。地を這うような低さで、アルフレッド目掛けて突っ込んでいく。
それが視認すら難しい速度で疾走する女だと気がついたのは、反射的に反撃を繰り出したアルフレッドと女が交差した後だった。
次の瞬間にはアルフレッドは崩れ落ち、女の姿はエルシアの目の前にあった。
いつ接近されたのかもわからなかった。信じがたい速度であり、それ以上はなにかを考える時間も与えられなかった。
「かはっ!?」
腹部に打ち込まれた強烈な打撃に、急速に意識が黒く塗りつぶされていく。
それでも必死に見上げた、初めて目前で見る女の美しい顔には、気だるそうな苦笑があった。
その光景を最後に、エルシアの意識は失われた。
◆
エリーシアは歯噛みしながら、倒した家具などで作ったバリケード越しに矢を放った。だが、矢は敵兵の盾に防がれた。味方の兵士から奪ったものだ。
もう一度、その敵へと矢を放った。今度は炎の魔法を込めて。着弾と同時に爆炎が発生し、敵は炎に包まれ階下へと転げ落ちていく。
本館内の階段では一進一退の攻防が繰り広げられていた。後方から奇襲的に乗り込まれたせいで、一階は敵に制圧された。突破が早すぎたのが大きい。普通はいくつかある防衛線で足止めできるはずなのだが、一気に館の奥まで侵入されてしまった。
いまは王女がいる二階へと続く階段で敵を防いでいるが、ここを突破されたらもう後がない。ロビーの左右に階段があるせいで、守りにくい構造をしているのが恨めしい。もとから防衛を想定した設計ではないのだ。そもそも城塞都市なのだから、街の外で敵を撃退するのが本分だ。これだけの敵に入り込まれたことが異常なのだ。これも公爵が敵にいるせいだろうか。身分証などを用意したのかもしれない。あまり街の出入りを厳重にはできないというのもある。締め付け過ぎると経済が停滞してしまう。
林側の戦いに勝利の見通しがついた時点で、エリーシアは妹たちの援護に向かった。だが、そのときには既に裏口から突入されていたため、仲間の無事を案じながらも本館内の防衛につくしかなかった。
救いがあるとすれば、本館正面にはまだ味方がいるということだ。林側の敵を抑えられる兵力を残し、こちらの救援へと向かってくれたようだ。現在では外から入り込もうとする味方を、敵が防ぐという逆転現象が発生していた。
「くうっ、エルシア、アルフレッド……無事なんでしょうね?」
階下から打ち込まれた矢を、バリケードの影に隠れることでやり過ごしながら、妹たちのことを考えてしまう。集中力を削ぐということを理解しているのに、どうしても頭から離れてくれない。
打ち込まれた矢にこちらが怯んだ隙に、敵兵がまた階段を登ってくる。
二階に昇る階段はロビーの左右にふたつある。エリーシアは右側の守りについているのだが、反対側のバリケードにとうとう敵兵が取りついた。
敵を撃退するために兵士が槍を突き出す。それを敵は剣で受け止めたが、バランスを崩してバリケードから転落する。だが、そのころには後続の敵兵が進み出て、槍で攻撃した兵士を斬りつけた。
突破される。いや、もうされた。左階段へと敵からの射撃が集中する。援護するために駆け寄ろうとした兵士が矢に倒れた。左側を守っていた兵士たちが、多数の敵に討ち取られていく。
「このっ!」
エリーシアの放った矢が敵兵を倒す。だが、一人二人を倒した程度では敵を食い止めることはできない。
「敵が上がってきます!」
味方の兵が叫んだ。左階段に気を取られている間に、こちらの階段からも敵が突入してくる。どうすればいいのか。手が足りない。もう防ぎきれない。突破されてしまう。
そのときだった。
「こちらに退け!!」
声が響き渡った。
右階段から続く廊下――こちら側に王女がいる――には10人ほどの兵がいた。ただの兵士だけではない。騎士や魔法使いもいる。騎士はまだ若い青年で、魔法使いは眼鏡をかけた学者風の男だった。首に魔法石のネックレスをかけている。
その魔法使いは杖を掲げ、魔法を発動させようとしているところだった。そこまで見て取ったエリーシアは、周囲の味方に声をかけると、一丸になって廊下の奥へと退いた。
こちらを追いかけようとする敵には、爆炎の矢をプレゼントしてやった。
そうして彼らのもとへと退避が完了すると、魔法使いはそれまでに準備していた魔法を放った。
床全体が揺れた。壁にも振動のために亀裂が走る。そして次の瞬間、天井や壁、床を問わずあらゆる方向から石の破片が無数に撃ち出された。
高速で飛来する石の散弾が敵兵を次々に貫いていく。全方位からの射撃を回避することはできない。盾で防いだ敵兵もいたが、連続する石弾によって盾が砕かれ、また別方向からの射撃によって血を吹いて崩れ落ちる。
石の嵐はロビー全体に及び、ほんの数秒間だけであった魔法が効果を終えると、二階に上がった敵だけでなく、一階にいた敵兵の多くにもダメージを与えていた。生き残った者たちも血を流して痛みに呻いている。
かなり強力な魔法だ。中級魔法の上位か、あるいは上級魔法かもしれない。これだけの魔法が使えるということは、辺境伯の配下でも指折りの人材なのだろう。
いずれにせよ、これで防衛はほとんど成功したも同然だ。無傷の敵兵は少ない。また、邪魔する敵がいなくなったので、ロビーを見下ろせば外から味方が突入してくる。
「――ふう、こんな魔法使いがいるならもっと早く来て欲しかったわ」
「この魔法は準備に時間がかかるのでね。あなた方がそれまで耐えてくれたから、こうしてうまくいったのですよ」
エリーシアが不満を口にすると、魔法使いが答えた。その彼の隣にいた若い騎士は、すまなさそうに言った。
「本来ならもっと早くに駆けつけるべきだった。だが、王女殿下のお側を離れる決断までに時間を要したのだ。あそこには、お仕えするローデン辺境伯もいらっしゃるのでね」
「そう、まあ助けに来てくれたのだからいいわ」
そんなことより、エルシアとアルフレッドが心配だ。あのふたりが簡単にやられるとは思いたくないが、万が一のことを考えると胸が締め付けられる。
「私はエルシアたちのところへ行くわ」
「……そうだな、いいだろう。もうすぐ敵もすべて鎮圧されるはずだ」
騎士は少し考えてから言った。実際もう敵に戦力はほとんど残されていない。なにもしなくても、突入した味方の兵に任せておけばいいだろう。
許可が出たのならさっさと行こう、そう考えてエリーシアが足を踏み出そうとしたときだった。
「――――残念ながら、そうはならないのよね」
ロビーの中央に、黒ずくめの女がいた。
長い黒髪をなびかせ、蠱惑的な美貌に微笑を浮かべている。左手に短剣を持ち、右腕には精緻な紋様が描かれた腕輪があった。
こちらを見上げる女の周囲では、味方の兵士が倒れている。援護のために突入してきた兵士たちだ。それが全員、床に伏せている。
「なんだと!?」
騎士が驚愕の声をあげる。エリーシアも声にこそ出さなかったが、同じ気持ちだった。
いつ現れたのかもわからない。しかも、目を離した僅かな時間で味方の兵士がすべて倒されていたのだ。
敵なのは間違いない。だが、ようやく終わったと安堵した直後だけに、すぐに反応できなかった。
女が手振りで指示すると、生き残った敵兵たちは館の裏口の方へと移動していく。どうやら退却するようだ。傷を負った者には肩を貸して、全員がロビーから姿を消す。
しかし、女だけは階段へと足を向けた。ロビーはボロボロで、石の欠片が散乱しているのに足音ひとつ立てていない。
ひとりで来るつもりだ。普通なら他の連中と一緒に退くべきだが、それだけの自信があるのだろう。
「気をつけて。あの女は危険よ」
エリーシアは注意する。騎士は頷き、魔法使いは後方へと距離を取った。それ以外の、周囲にいた兵士たちが前に出て隊列を組む。
わざわざ上がってくるのを待ってやる義理はない。まだ階段の途中にいる女へ、エリーシアは弓を放った。当たると思ってはいない。牽制目的だ。
「――え?」
だからこそ、女が避けることもなく矢を受けたことは予想外だった。血を流して階段を転げ落ちていく。
まさか、あれで倒せたのか。思いがけない展開に、勝利の実感がわかなかった。
「気をつけて! 幻影魔法です!!」
だが、背後で魔法使いが叫んだ。首のネックレスについていた魔法石が砕けている。どうやら対魔法の効果があったのだろう。
彼の視線は転がり落ちた女ではなく、こちらの方を向いている。それが意味することを察して、エリーシアは引きつった顔で床に転がった。
直後、豪風が頭上を通りぬけ、ひとりの兵士が吹き飛んで壁へと激突した。それが女の攻撃によるものだと理解し、素早く後方に回転して起き上がる。
即座に精神防御の魔法を構成する。簡易的なものだが、エルフであることで有している高い魔法防御力と、自分が幻覚に囚われているという認識。それによって幻影魔法の効果からなんとか脱することができた。
すぐ前に女がいた。いままで見えていなかったが、とっくに接近されていたのだ。
困ったことに、味方は全員魔法にやられているようだ。意味のわからないことを呟いていたり、壁に向かって剣を振り下ろしている。下手をしたら味方に攻撃されてしまう恐れすらあった。
「他の者たちの解呪を行なう。時間を稼いでください!」
背後から魔法使いの言葉が聞こえた。
一対一ということだ。もう懐に入られた状況から。
「最低……」
弓使いが接近戦という時点で終わっている。多少は戦えるが、本職とは比べることもおこがましい。例えばアルフレッドと剣だけで戦えば、数合で打ち倒されるだろう。
この女はアルフレッドと比べてどうなのだろうか。もしもアルフレッドより強いならば、どうしようもない。
それでもやるしかない。覚悟を決めて、エリーシアは弓を床に落とすと、短剣を抜き放った。
――そこからは特に語ることはない。当然の結果が待っていただけだ。
エリーシアは倒れ、王女の部屋に突入された。
精神攻撃は下手な攻撃魔法よりも恐ろしいと思います。
※補足説明というか言い訳
エリーシアがシェーラのことを思い出さなかったのは
戦闘中だったからということでお願いします。