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異世界の神にさらわれて  作者: 冬道カイロ
城塞都市エーレン編
8/13

第7話

 宿屋のベッドで浅い眠りにまどろんでいると、隣のベッドから微かな物音がした。

 そちらで寝ていたのは、同じ部屋で宿泊しているシェーラだ。ゴソゴソと荷物を鞄から取り出しているようで、それから部屋から出ていった。

 トイレだろうか? まだ日は昇っていないので朝食の時間ではない。

 特に気にすることもないだろう。うたた寝の気持ちよさに身を任せることにした。

 すぐ近くからはサクラの小さな寝息が聞こえる。同じベッドの端で眠っているのだ。たまに寝返りをうって腕がのしかかると文句をいわれる。かといって床で寝ろというのは可哀想であり、自分が床に寝るのも御免だ。結局、これまでどおり気をつけて眠るしかない。

 それからしばらく半分眠った状態で過ごしている間に日が昇ってきたようで、窓にはめられた分厚いガラスから朝日が差し込んできた。この宿にはカーテンはないのだ。透明度が低く、多少向こうが歪んで見えるが、ガラス窓なのだから外から中が見える。常々カーテンが必要だと思っているのだが、宿屋の主人にそんなつもりはないようだ。

 幸いというべきか、ベッドは壁に隠れているので窓に張り付いて覗かない限り、外から寝姿を見られることはない。窓の外は路地になっているので隣家からも距離あり、最低限のプライバシーは守られている。

 部屋の外で足音がして、ドアが開く。

 寝ぼけ眼でそちらを見ると、シェーラがいた。寝間着ではなく、普段の黒服に着替えている。身だしなみが整えられており、癖になりやすいと唇を尖らせて文句をこぼしていた髪にも寝ぐせはない。

 朝日の中にいるシェーラは綺麗だった。化粧っけがないにも関わらず、陽光に照らされた顔はみずから輝いているかのように美しい。

 見とれてしまって声が出なかった。そのせいで、先に口を開いたのはシェーラだった。

「あら、起こしちゃったかしら? 許してね。それと、おはようトール」

「あ、ああ、おはようシェーラ」

 顔を振って目を覚ます。見とれていたと気がつかれては恥ずかしい。ベッドから起きてシェーラの前まで行く。

「こんな早くからどうしたんだ? まだ朝食には早いだろう?」

「ああ、私の分の朝食はいらないと伝えてきたわ」

「なんで? まさかこんなに早くから出かけるつもりか?」

 いくら何でも早すぎるのではないだろうか。まだ日が昇ったばかりだ。この世界の人々は朝が早いとはいえ、他もようやく起き始めたばかりの時間帯だろう。

「そうね、いまから宿を発つわ」

「なにかの用事か? もしも護衛だったらもう少し待ってくれよ。昨日は何も聞いていなかったからな」

「いいえ、今日は護衛はいいわ」

「あ、そうなのか」

 護衛が必要ないなら昨日何も言わなかったのは当然だ。しかし、こんな朝早くからなんの用事なのだろうか。

 そんな疑問を覚えていたが、続くシェーラの言葉にそんな考えは頭から消え、残っていた眠気も吹っ飛んだ。

「もうトールに護衛してもらうことはないわ。この宿にも戻ってこない」

「なっ!? どいうことだ!?」

「これでお別れってことよ」

「はあ!? おいおい、突然なんだよそれは!?」

 そんなことは何ひとつ聞いていない。

 シェーラは旅をしているのだからいつか別れはくるだろうが、それだって前もって知らせることぐらいはして然るべきだ。

 もしも急に発たなければならない理由があったとしても、せめて昨日のうちに伝えることはできたはずだ。

 だというのに、いきなり別れを告げられる、こちらの気持ちを考えていないのか?

 仲良くできていると思っていた。友人といってもよかったはずだ。

 別れを惜しむ気持ちがあって当然だろう。

 だが、これまでの半月の日々はシェーラにとってそんな程度のものだったというのか?

 別れの当日にいきなり告げて、それでさようなら。そんなものなのか。

「…………本当なのか?」

「ええ、急な話で驚いているだろうけど、本当のことよ」

「なんだよ、それは……」

 嘘を言っている様子はない。いつもどおりのシェーラだ。それこそ、別れを惜しんでいるようにも見えない。

 力が抜けてしまった。肩が沈むのがわかる。

「シェーラ……、これでお別れなの?」

 起きていたのだろう、サクラの声が背後でした。目を向ければ、悲しそうに眉が下がっているのが見えた。

「そうよ、お別れ。急でごめんねサクラ」

「そう、なの……」

 声は沈んでいき、目の端に涙が浮かんでいる。

 そんなサクラを困ったように見つめながらも、シェーラは一度目を閉じると、もう表情を平素のものに戻し、こちらを顔を向けた。

「トール、そしてサクラ。突然でごめんなさい。でも、もう行かなければならないの」

 言葉を切り、そしてまるで挑むように目に力を込めて言った。

「だから、これでお別れ。あなたたちと過ごした日々は楽しかったわ。嘘じゃないわよ。だから、また会えたらいいわね」

 そして、シェーラは床に置いてあった自分の鞄を掴むと、肩にかけてこちらに背を向けた。

 本当に行ってしまうのだ。

「どこに行くんだ?」

「さあ、どこかしら? でも、トールが望むならまた会えるかもね」

 それだけ言うと、部屋から出ていく。

 最後に肩越しにこちらを見てきた。目があった。

「またね」

 それでドアが閉まって、シェーラの姿を隠した。

 足音が遠ざかっていく。迷いの感じられない足取りで、それもやがて消えた。

「…………またね、じゃねえよ……」

「ご主人……」

 久しぶりに最低な朝だった。



 ◆



 宿屋から出たシェーラは、足を止めて一度だけ背後を振り仰いだ。

 視線の先は半月間を過ごした部屋だ。ここからではその部屋は見えないが、そこにいる人物が彼女にこんなことをさせた原因だった。

「サクラを泣かしちゃったわね。トールは怒っていたし」

 眉を落として苦笑した。

 彼らを傷つけてしまった。正直、そんなことはしたくなかったのだが、これからもっと酷いことをやろうとしているのだ。まったく、どの口が言っているのだか。

「トールは、ちゃんと来てくれるかしら?」

 絶対の保証はない。最終的に決めるのは彼だ。

 もし来なかったら残念だが、そのときは安堵するかもしれない。彼を傷つけなくて、また、彼に傷つけられなくて済むのだから。

 本当にこの半月は楽しかった。相手の心の裏を探る必要もなく、自然に笑うことができた。久しくなかった安らかな日々だった。

 それだけではなく、共にいたふたりは彼女から見ても底が知れないものを秘めていた。これまで殆ど無かったことだ。彼女がその力を計りきれなかったことなど。

 実に、ワクワクする。

 これまでの護衛で魔物と戦う姿を見てきたが、全力を出しているようには思えなかった。近隣でもっとも魔物が強い東の荒野に行っても余裕を保っていた。あの荒野の魔物は上位の冒険者でも苦戦するといわれているのにだ。

 もっとも、あの荒野の魔物を倒すぐらいはシェーラにもできる。トールやサクラがやっていたように、あっさり倒せるだけの実力はある。

 シェーラが知っている者たちでも、何人かは同じことができるだろう。上位の冒険者でも苦戦するとはいえ、最上位の実力者からしたら大したことはないということだ。

 だから、そんな最上位の実力者たちに匹敵するだろうトールたちの力を知りたかった。サクラは使い魔なので、特にトールの方が気になる。

 それこそ、もしかしたら最上位の実力者たちすら上回っているのではないか。突拍子もないが、そんな気さえするのだ。

 もし、トールが自分より強ければ。そして、その実力が自分の想像よりさらに上だったとしたら。

「だから、待ってるわよトール」

 顔を正面に戻すと、もう振り返らず、シェーラはまだ眠っている街を歩き出した。



 ◆



 エリーシアはピリピリした空気を感じていた。

 なぜか胸騒ぎがするのだ。培われた第六感が警鐘を鳴らしている。

 窓の外はすっかり夜だ。

 貸し与えられた辺境伯の館の一室で休みながら、心が安らぐことはない。ついつい何度も外を確認してしまう。

 窓から見下ろす敷地内では、衛兵たちが見回っている明かりが見える。厳重な警備だ。いつ襲撃があっても即座に対応できるだろう。

 視線を上に転じれば、月が見えた。半円が下に傾いている。もう夜も遅い。多くの街の人々はもう眠っているだろう。

 もし襲撃があるなら、頃合いではないだろうか。

 そんなことを考えた。

 あるいはそれが切っ掛けだったのか、月が雲に隠れた。微かに暗くなる。それでも明かりがあるため、敷地内は見える。だから、そんなことは関係なかっただろう。

 敷地の一部から喧騒が耳に届いた。

 長い耳をぴくっと動かし、音の出処を探る。窓で遮られてはっきりとわからない。思わず窓に張り付いて、敷地内に目を走らせた。

 微かな光が瞬いた。衛兵が持ち歩いているカンテラの明かりではない。場所は敷地内にある林からだ。

 窓の下を鎧姿の衛兵たちが走り抜けていく。

 そこまで見て取った時点で、エリーシアは室内に置いてあった革のベストを身に着けた。魔物の素材が使われていて、軽量でありながら高い防御力を有している。

 ベストのポケットに魔法薬の小瓶を入れ、近接戦闘用の短剣を腰に備え、続いて自分の弓へと足を向けた。

 取り回しやすさを重視したショートボウだ。素早く点検し、矢筒を肩に背負う。

 そうしたら、脇目もふらず部屋から飛び出した。

 豪奢な絨毯が敷かれた廊下に足を踏み出すのと、隣の部屋から妹のエルシアが出てきたのはほとんど同時だった。

 魔法使いのローブを着て、長い木の杖を手に持っている。


「あちらさんの、お出ましのようね」

「そうね、来て欲しくなかったけど」

「いつか来るとはわかっていたでしょ? 護衛で雇われてるんだから仕事はこなすわよ」

 まずは向かう先はクラリスの部屋だ。もしかしたらもう館に侵入されている可能性もあった。護衛のために部屋は近くにある。

 クラリスの部屋の前にはローガンがいた。装着するのに時間がかかるのでプレートメイルは着けていない。長剣を帯剣し、ミスリルの胸当てと小手を身に着けているが、それ以外は普段着だ。

 また、ローガン以外にも辺境伯の兵士がドアの前を守っている。鎧姿の衛兵だけでなく騎士らしき帯剣した人物や、魔法使いらしき者もいるようだ。

 廊下の反対からアルフレッドが駆けてくるのが見えた。革鎧を着て、愛用の大剣を背負っている。

「ローガン、クラリス様は無事?」

「無論だ。クラリス様には指一本触れさせん」

「いや、侵入者はまだ来てないのよね?」

 発言が微妙にわかりづらい。受け取り方によっては侵入者は来たが、撃退したので無事だという意味にもなってしまう。

「まだ来ていないと言っているだろうが」

「ああ、もうわかったわよ」

 こんなつまらない事で言い合っている場合ではない。そうこうする間にアルフレッドも部屋の前まで到着した。

「いま、どうなっている? 襲撃があったみたいだが」

 アルフレッドの質問にローガンが答えた。

「詳細は不明だが、現在襲撃を受けている。辺境伯の兵が対応しているところだ」

「私たちはどうすればいい?」

 このまま側でクラリスの守りにつくのか、襲撃の迎撃に出るのか。

 暫しローガンは黙った。思案しているのだろう。

「迎撃に出てもらいたい。館に侵入された様子はないので、外で撃退できるならするべきだ。お前たちが助力してくれれば衛兵たちの被害も減るだろう。ここは私たちが守り通してみせる」

「――わかった。エルシア、アルフレッドもいいわね?」

「ええ」

「もちろんだ」

 ふたりともエリーシアに頷く。

「じゃあ、クラリス様の警護は頼んだわよ。私たちは外の敵を片付ける」

「言われるまでもない。そちらこそしくじるなよ」

 これで方針は決まった。ならば動くだけだ。

 エリーシアは踵を返した。エルシアとアルフレッドも後に続く。

 ローガンと辺境伯の兵士たちに見送られながら、三人は廊下を駆け出した。

「さーて、どうしようかしら?」

「まずは戦闘が行われている場所に向かうべきだと思うけれど?」

「部屋から見た限り、林の方で戦いが行われているようだったわ」

 衛兵たちが向かっていた様子を思い出しながらエリーシアは言った。

「でも、襲撃が一方向からとも限らないだろ?」

「それはどうだけどね」

 話しながらも階段に向かって走る。途中で何人かの衛兵とすれ違った。館内の警備につくのだろう。

 こういうときに大きな館は階段まで遠いから困る。もっと階段近くの部屋にしてほしかった。貴人が滞在するような部屋が階段のすぐ側というのは変かもしれないが。

 たどり着いた階段は途中までは壁にそって降り、残りは弧を描いてロビーの中央に向かって曲がっている。駆け下りるには不便な構造だ。

 いっそ飛び降りたほうが早いが、通常の家屋より天井が高いので、万が一戦う前に足を挫いて負傷しては笑えないことになる。素直に階段を降りるしかない。

 ロビーでは衛兵たちが入り口を固めている。

「状況はどうなっているの?」

「襲撃を受け、林の方で戦闘が行われています。敵の数は不明ですが、手強いようで先程も応援を送っています」

 衛兵のひとりが答えてくれた。やはり襲撃は林の方向からのようだ。あそこは見通しが悪いので侵入しやすいだろう。エルフであるエリーシアとしては止めて欲しいが、木々を伐採してしまった方が警備上はよかったかもしれない。だが、せっかく美しく整えられた庭の景観が台無しになり、街の住人や訪問者に余計な緊迫感を抱かせる恐れがある。

 それも、ここに至っては考えても仕方ない。この後の行動へとエリーシアは思考を切り替えた。

 現在地の館の正面入口から見て左側に林はある。屋敷の周囲は塀で囲まれ、正門はこの正面入口から真っ直ぐ伸びた石畳の道で結ばれている。いまはその正門も閉ざされ、衛兵がそこから侵入されないか警戒しているようだった。

 ここはやはり、林への救援に向かうべきだろうか。だが、そうして注目を集めておいて、別方向から攻めるのも定石だ。

 そうしてエリーシアが迷っていると、館の奥からひとりの衛兵が走ってくる。

「裏門から襲撃です! 現在、そちらの兵が敵にあたっています!!」

「やっぱり!」

 これで二方向からの襲撃だ。問題は、どちらが本命かだが、そんなものはわかるはずがない。どちらも本命であることだってある。

 守る側にできることは、全てに対処するということだけだ。

 だいたい、エリーシアは指揮官ではなく、一介の冒険者なのだ。現場の人間は、その場で適切だと思う行動を取るしかない。

「二手に分かれましょう。私は林側へと行く。ふたりは裏側をお願い」

「姉さん、ひとりで大丈夫?」

「そうだぜ、裏へは俺だけで行って、正面にふたりをあてるべきじゃないか?」

「ひとりじゃないわよ。他の兵士たちだっている。それに、最初に襲撃があったからそちらにはすでに多くの兵が行ってるはずよ。なら、裏側への援護を多くしたほうがいい」

 あくまでそう思っているだけで、もしかしたら間違いかもしれないが、これが最善だと信じることにした。

 それに、アルフレッドは遠距離攻撃ができないので、広範囲をカバーするにはエリーシアかエルシアのどちらかがいるべきだ。それだったら妹をひとりにせず、自分がその役を担うべきだろう。また、単独戦闘にはエルシアより向いているというのもある。

 ふたりは少しの間、躊躇しているようだったが、やがて納得してくれた。

「わかったわ、気をつけてね姉さん」

「こっちは任せておけ!」

「そっちこそ、無理はしないでね。危なくなったら退きなさい」

 互いに言葉を掛け合い、その場で別れた。

 エルシアとアルフレッドは館の裏側へと。

 そして、エリーシアは正面の入口から戦場となっている庭へと駆け出した。




「派手にやってるわね」

 たどり着いた林では衛兵と、覆面をつけた黒装束の襲撃者たちが激突していた。

 林から出てくる襲撃者を衛兵が迎え撃つといった状勢だ。この様子では、林側の壁付近を警備していた兵士は倒されてしまったのだろう。もっとも襲撃されやすいと予想されていたので、多めに人員が割り当てられていたが、それでもそこから侵入を許してしまったようだ。

 状況を見て取ったエリーシアは、弓に矢をつがえた。

 狙いは林から新たに姿を現した敵。こちらから見て左手方向。移動速度を踏まえた未来位置へと照準する。

 放たれた矢は狙い違わず、その敵の胴体へと突き刺さった。命終した瞬間、身体を硬直させ、崩れ落ちる。

 倒した敵から視線を外し、次の敵へと目を走らせる。エリーシア以外にも味方に弓兵はいるようで、他の敵へと矢が放たれた。

 だが、それは敵も同じだった。

 自分めがけて飛来する矢を身をかがめて避け、射線をたどって射手を探す。木の影に隠れるようにして弓を構えている姿があった。

「その程度で」

 敵は次の矢を取り出しているところだった。遅くはないが、決して速くもない。そして、エリーシアからしたら遅すぎた。

 敵が次の矢をつがえる前に弓を引き、敵が狙いをつけたときには、矢はもう放たれている。弓を構えた体勢で避けられず、眉間に矢を受けた敵の射手は、衝撃に押されたように頭から後ろへ倒れていった。

「――次」

 敵の遠距離攻撃手段を先に封じるべきだろう。そう判断したエリーシアは、それからも発見した敵の弓兵を次々に射倒していった。

 そのエリーシアの活躍によって、敵側に動揺が生じた。弓による援護が失われたせいで、敵の歩兵の動きも悪くなり、そこを突いて味方が押し込んでいく。

 これでこの方面は勝てるか?

 そう思ったが、まだ敵には手札があったようだ。林へと退いていく敵を追っていた味方の衛兵が、突如出現した炎の壁に飲み込まれた。

 絶叫をあげて炎から転がりでてくる。

 燃え移った火を消すためか、ただ苦しくてそうしているかまではわからないが、激しく地面を転がっていた衛兵は、やがて動きを止めた。

 肉の焦げた匂いがあたりに漂い、残った炎が庭の草を燃やしていく。

「敵の魔法使いの仕業か……」

 そうに違いない。おそらくこちらからの狙撃を警戒して、林の奥で身を潜めていたのだろうが、劣勢になったため出てきたのだ。

 ここからは姿が見えない。だが、あちらからはどうだろうか。

 エリーシアは敵の魔法発動の前兆を見逃さないよう、警戒を強めた。同時に魔法の準備も開始する。脳裏に魔法の構成を描き、いつでも発動できる状態で待機させる。

 せっかく、こちらが優勢な流れになっていたのだ。ここで勢いを止められるわけにはいかない。さっさとこちらを片付けて、エルシアたちの援護に向かう予定なのだから。

「私が敵の魔法使いを仕留める」

「危険ではないですか?」

「危険なのはこのままでも同じよ」

 近くにいた衛兵たちのリーダーに告げる。彼は止めてきたが、エリーシアの決心は変わらなかった。

「私が前に出るから、援護をお願い。できるだけ他の敵は近づけさせないで」

「……わかりました。気をつけてください」

 それで会話は終わった。

 先ほどの火炎魔法に気を取られたためか、戦いが停止している。敵の歩兵は後退し、林の出口付近で体制を整えている。なんとなく、この連中の戦い方は暗殺者らしくないように思えた。もっとも、エリーシアも暗殺者についてよく知らないので、このようなものかもしれないが。

 エリーシアは、林を囲むように陣取った味方の前へと進み出た。まだ、魔法が放たれる気配はない。あちらも警戒しているのだろうか。

 敵の表情は覆面に隠れて判別できないが、緊張と微かな恐怖が感じられた。退却してくれれば楽なのだが、そうはいかないだろう。

 エリーシアは鋭く息を吐くと、流れるような動作で弓を構え、次の瞬間には矢を放っていた。前方にいた敵のひとりが射抜かれて倒れる。

 それが切っ掛けで、戦いは再開された。

 敵の歩兵がエリーシアに向けて殺到する。それを味方が前に出て防ぐ。剣や槍がぶつかり合い、怒声が飛び交う。

 エリーシアは戦いから一歩離れて周囲を探っていた。こうして動きを作ったほうが敵の魔法使いも手を出しやすいと思ったのだ。また、どのみち敵を倒さなければならないなら、ああして睨み合っていても時間の無駄である。

 先ほどから胸騒ぎがするのだ。早く妹たちの元へ向かわなければいけない気がする。

「――――そこか!」

 その時、エリーシアは魔法の前兆を感じ取った。魔力が放たれ、大気中のマナが収束していく。林の一角、少し奥に入ったところだ。

 敵魔法使いの場所を看破したエリーシアは、即座に弓を引き、その地点へと矢を撃ち込んだ。当てるためではなく、魔法の発動を阻害する牽制のためだ。攻撃されたことに動揺したのか、魔法の気配が揺らぐ。

 幸運に恵まれれば敵に命中していただろうが、そこまでは至らなかったようだ。それでもこれで時間は稼げた。

 エリーシアは林に向けて一気に走り抜けた。途中で敵の歩兵が邪魔をしたが、振られた剣を体裁きだけで回避し、腰から抜いた短剣で首を切り裂く。倒した敵を見ることもなく走り続け、林の中へと突入した。

 発見した敵の魔法使いは、他の敵と違って覆面もつけておらず、手には魔法使いが用いる杖があった。その表情には、発見されたことに対する焦りが強く浮かんでいる。

「くそっ!」

 それでもこちらの接近に敵は対応してきた。まだ準備中だった魔法を取り止め、素早く放つことができる低位の魔法に切り替えたようだ。

 敵魔法使いがこちらに向けた杖の先に、大きな炎の塊が発生する。下級の火炎魔法だろう。敵はそれを発射してきた。

 この程度の魔法はエリーシアの魔法防御力からしたら大したダメージはない。それでもわざわざ当たってやる必要はないので、横に飛ぶことで躱した。

 念の為に魔法の準備もしていたが、必要なかったようだ。まだ戦いは終わっていないのだから余計な魔力を消費したくない。空中で矢筒から矢を取り出していたエリーシアは、着地とほとんど同時に矢を放った。

 敵魔法使いはそれに回避行動をとることもできず、首に突き立った矢によって命を落とすことになった。それを見届けると、エリーシアは踵を返した。

 すると、先ほどの火炎魔法によって木が燃えていることに気がつき、このままでは延焼しかねないので消火することにした。脳裏に待機中だった魔法を解除し、初級の水魔法を発動させる。

 手から生じた水の塊が木に着弾し、炎を消していく。

「これで良し。でも、まだ終わってなさそうね」

 館正面側の戦いは味方の勝利で決着に向かいそうだが、もう一方の戦いの行方はわからない。嫌な予感が消えてくれない。

「無事でいてよ、エルシア、アルフレッド」

 厳しい表情で仲間の無事を祈り、エリーシアは駆け出した。



 ◆



 宿屋『二つの子羊亭』に帰り着いたころにはすっかり夜も遅くなっていた。

 今朝のシェーラとの別れのモヤモヤした気持ちを晴らすために、遠くまで出かける依頼を選んだためだ。周りに人がいないときは自動車並の速度で走ったが、それでも往復したらこんな時刻になってしまった。

 普段ならとっくに夕食を済ませ、寝ている時間かもしれない。

 それでも、宿屋の一階の食堂では客がまだいるようで、ドアを開けると酒を飲んで騒いでいるのが何人かいる。

 中に入ると宿屋の主人であるレジードと目があった。カウンターに肘をついてこちらを見ている。

 この時間からでも夕食は食べられるだろうか。余り物でもいいので出してもらえるよう頼もうとカウンターへと向かう。

 しかし、カウンターの前に立ったこちらがなにかいう前に、レジードは紙を差し出してきた。

「これは?」

「お前への手紙だ。帰ってきたら渡すように頼まれた」

「誰から?」

「お前と同室だった女からだ」

「え、シェーラからか?」

 わざわざ手紙でなんだろうか。伝えたいことがあるなら直接言えばよかっただろうに。

 それでも、こうして手紙を残してくれたのは嬉しかった。もしかしたら、今朝のことをシェーラも気にしていたのかもしれない。



『トールとサクラへ。

 急な別れは、あなたたちを戸惑わせたかもしれない。傷つけてしまったかもしれない。

 ごめんなさい。

 あなたたちと過ごした日々は本当に楽しかったわ。久しぶりに素直に笑うことができた。毎日が輝いて見えた。

 私はあなたたちのこと好きよ。それは本当――』


 シェーラがそんな風に思ってくれていたなんて。なんだか面映い。今朝の別れの素っ気なさも照れ隠しだったのかもしれない。

 いわゆるツンデレさんだろうか? そんなタイプとは思えなかったが、面と向かってはいえずにこんな手紙を残すなど、可愛いところもあるようだ。

 この時はそう思った。

 だが、続く手紙の文面を読み進めるうちに、そんな甘い感想は粉砕されることになる。


『私もね、こんなこと良くないってわかってる。でも、どうしても我慢できなくなったの。気持ちが抑えきれなかった。

 ――本気のトールと戦ってみたいって。

 だけど、あなたは嫌がるでしょうね。もしも普通に戦いを持ちかけても戦ってくれないか、戦ってくれたとしても手を抜くと思う。

 だから、私は本気で戦わなくてはならない場を用意することにしたわ。

 実はね、黙っていたけど私は盗賊ギルドの人間なの。信じられないかもしれないけど、嘘じゃないわよ。

 そして、その盗賊ギルドはクラリス王女暗殺の依頼を受け、今日その襲撃がある。

 場所は言わなくてもわかると思うけど、ローデン辺境伯の屋敷よ。

 私はその襲撃に王女暗殺の一員として参加するわ。

 いままで隠していたけど、私ってけっこう強いのよ。この前会ったエリーシアじゃあ私には勝てないだろうってぐらいにはね。


 本当はあなたに直接言えたらよかったんだけど、それは無理よね。信じてくれないか、もしも信じてくれたとしても邪魔するだろうし。

 流石に王女暗殺の襲撃が今日ありますって、あなたを通じて王女側に知られるわけにはいかないからね。

 だからこうして手紙を残すことにしたの。


 考える時間をあげられなくて悪いけど、すぐに決断してね。

 王女やエリーシアたちを助けるために私と戦うか、それともこのままなにもしないか。

 どちらを選ぶのもトールの自由よ。

 本当は来て欲しいけど、来なかったら仕方ないと諦めるわ。

 さあ、もう時間はないわよ。

 この手紙を読んでいるころには始まっているかもしれない。

 あるいは、たまたまトールが手紙を受け取るのが遅かったとしたら、もう終わっちゃってるかもね。それだったら残念だけど、縁がなかったということでしょうね。

 もし来るなら急いで。

 あなたと戦えることを願っているわ。

 シェーラより』




「なんだこれは……」

 ドッキリか? 隠れてこちらが騙されるのを見物しているのか?

 だが、食堂内を見渡してもシェーラの姿は見つけられない。

 ならば悪質なイタズラか? そうだとしたら、かなり趣味が悪い。シェーラを見る目が変わってしまうかもしれない。

 だけど、もしもそうでなかったとしたら……。

 とうてい信じられるような内容ではない。だというのに、手紙からは真実めいた重みがあった。

 シェーラが王女を狙う暗殺者の一員だと?

「おいおいおい、ふざけんな。面白くないんだよ、こんな冗談!」

 気がつけば握りつぶしていた手紙を、怒りに任せて引き千切った。バラバラになった紙片が床に散らばるが知ったことではない。

「こんな、つまらない手紙を、寄こすんじゃねえよ!」

 食堂ではまだ客がいて、突然騒ぎだしたこちらに視線が集まるのを感じる。だが、いまはそんなことは気にならなかった。

「……おい、トール」

 宿屋の主人のレジードが声をかけてくる。突然大声を出したことに対してか、あるいは床にゴミをばらまくなという注意だろうか。

 ところが、レジードはこちらの肩に腕を回すと、店の奥へと引っ張っていく。抵抗することもなく連れて行かれたのは、一階にある倉庫へと続く通路だ。

 こんな場所には客は来ないので、当然ながらひと目はない。それでもレジードは警戒するように顔を近づけて小声で話しだした。

「なにが書いてあったのかはしらないが、あの女には関わらないほうがいいぞ」

「あの女って、シェーラのことか?」

「そうだ。……いまはもう足を洗ったが、俺はむかし盗賊ギルドに所属していた」

「え?」

 思いがけない情報に固まってしまった。今まで気にも止めていなかった盗賊ギルドという単語が突然様々な方面から飛び出てくる。

「そのとき、あの女を見たことがある。盗賊ギルドでも有数の凄腕の暗殺者だ。向こうは俺のことなんて知ってるかはわからないがな」

「…………」

「あの手紙も渡すかどうか迷ったが、お前たちからは後ろ暗い様子がまったく感じられなかったから、ただの別れの挨拶かと思ったんだが……そうじゃなかったみたいだな」

「…………くそ」

 第三者からのお墨付きが出てしまった。これでレジードまでこちらを騙すための片棒を担いでいるなら大したものだ。ドッキリ企画として大成功だろう。

 だが、そうではない。

 サクラがためらいがちに言ってくる。

「ご主人、遠くで魔法が使われているのを感じる。日常生活で使うような弱いのじゃない。それも何度も連続して向こうの方から」

 サクラの指さした方向は西だ。この宿屋は街の東側にあり、そして、ローデン辺境伯の屋敷は中央エリアなので――ここから西にある。

「…………」

「手紙の内容は本当かもしれない」

 サクラまでそんなことを言うのか。これでは嘘だと思うことができなくなるだろうが。

 いまこのとき、シェーラとエリーシアたちが戦っているというのか?

 そのどちらも知り合いであり、交友があった。シェーラとは半月を共に過ごし、エリーシアたちとはこの世界に来たばかりで困っていたときに助けられた。狙われている王女であるクラリスにも借りがある。

 それが敵対し、命さえも奪い合っているというのか。

「なんだそりゃ……! ふざけんなよ、畜生が……!!」

 どうしろというのだ。手紙のとおり、駆けつけてシェーラと戦えばいいのか?

 そんなことこれっぽっちも望んでいないのに。

 だが、このまま何もせずに見て見ぬふりをするのか。そして、その結果エリーシアたちや王女が死んだらどうする。

 間違いなく後悔するだろう。

 どちらを選んでも、好ましい結果はない。最低な選択肢だ。

「…………ぐぐ」

 それでも、どちらかを選ばなければならないのなら。

「………………サクラ、行くぞ」

 せめて、何もしなかったという後悔だけは、したくない。






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