第6話
クラリスは最近ため息が増えていることに気がついた。
腰まで届く艶やかな青髪と、高貴な血筋を示すかのような美しい顔立ち。高価な絹の衣服に身を包みながら、服に負けていないどころか服のほうが彼女に釣り合っていないと感じさせるほどの気品が放たれている。
彼女こそはフレンジア王国の王女にして、王位継承順位1位クラリス・フレンジアその人である。
だが、その王女の表情は優れない。涼やかな目元も憂鬱に伏せられている。
ローデン辺境伯の屋敷に滞在するようになってもうすぐ1ヶ月になろうとしている。正しくは滞在しなければならなくなったというべきか。
部屋の窓からは敷地内を巡回する衛兵たちの姿が見えた。流石は辺境伯の兵というべきだろう。鎧を装着していながらのキビキビとした動作からも練度の高さが見て取れる。
ここにいれば安全だろう。辺境伯が守ってくれる。その代わりにここから出られない。
クラリスは命を狙われていた。それも、彼女の叔父であり、王弟でもある公爵から。
原因はよくあることだった。公爵は自分が王になりたかったが、そのためには次期女王のクラリスが邪魔であった。だから力づくで排除しようと動いているのだ。
彼女の父である現フレンジア王が病に倒れたのが切っ掛けだろうか。このまま王が亡くなれば自動的にクラリスが女王となる。
だが、クラリスまでいなくなればどうなるか。王には他に子供がいないため、王位継承順位2位は王弟の公爵である。
あるいは王が病に倒れたことが公爵の野心を目覚めさせたのか。もしも滞りなく王位がクラリスに譲渡されていれば公爵もこのようなことをしなかったかもしれない。考えても詮なきことであるが。
いまクラリスがこの場所に来ることになったのは、王の名代として国内の視察に出かけたことが始まりだった。
無論、王女なのだから十分は護衛は用意されていた。だが、公爵が敵なら話は別である。警備の体制が漏れていたか、護衛に公爵子飼いの兵が紛れていたのか、方法などいくらでも考えられる。王弟の公爵という地位はそれができるのだ。
結果として襲撃を受け、あわや命を奪われるという危機を親衛隊のローガンに救われ、逃亡することになった。
その時、助けてくれた冒険者がエリーシアたち3人だ。彼女たちは事情を知ると護衛についてくれ、こうして辺境伯の元まで連れてきてくれた。そして、いまもまだこの屋敷に滞在してクラリスのことを守ってくれている。
エリーシアたちは上位の冒険者であり、その実力は辺境伯の兵と比べてもかなり上になる。このエーレンの街の冒険者ギルドにも彼女たちほどの実力者は、いたとしても極少数だろう。だからこそ辺境伯もエリーシアたちが護衛を継続することを喜んで受け入れた。
「エリーシアたちにも迷惑をかけるわね。……叔父上は血の繋がった身内の命を奪ってまで、そこまでして王位が欲しいの……?」
窓から見える空はいまのクラリスの心のなかのように曇っている。またため息を吐いてしまった。これではいけないのに。
その時、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼致します、王女殿下」
部屋に入ってきたのは白髪の老紳士だ。ローデン辺境伯である。深いシワが顔に刻まれているが、目は鋭く頭脳は明瞭さを失っていない。父である現フレンジア王が若いころから仕えてくれている忠臣で、クラリスとも幼いころから親交があった。
辺境伯に椅子を勧め、テーブルを挟んで互いに向きあってから辺境伯は要件を話しだした。
「進めておりました貴族の調査ですが、半数の貴族は殿下の味方と考えてよいでしょう。また残りの貴族にしても公爵についているのは少数で、ほとんどの者は旗色を明確にせず様子見にまわっているようです」
「そうですか」
元からクラリスが王位を継ぐことは周知の事実であり、他の貴族もそれを受け入れていたのだから当然だろう。むしろ、それなのにクラリスに味方する貴族が半数しかいないということは問題である。よほど公爵から魅力的な条件を提示されたのだろうか。
公爵もまともにぶつかれば不利とわかっているから暗殺などといった手段を選んだのだろう。王になりさえすれば、様子見を決め込んでいる貴族たちも取り込めると考えているのかもしれない。
「幸いなことに現状でも戦力はこちらが優勢です。仮に戦になったとしてもおそらく勝てるでしょう」
「――内乱などもっての外です!」
クラリスは怒りをあらわにする。
内乱など百害あって一利なしだ。国内がまとまっていないならともかく、統治が滞りなく行われているなら、内乱によって得るものなどない。
貴族個々の持分だけに焦点を当てるなら、勝った側の貴族は領地の加増などで得るものはあるだろうが、国全体で見たら何も増えていない。むしろ戦で疲弊することで国力は内乱前より減少する。また、後々に禍根の目を残すことにもなる。
それを理解しているクラリスは、何としてでも内乱は避けるべきだと考えている。
だが、このまま公爵が諦めなければクラリスが女王に就任したとしても、将来に不安を残すことになる。
だったらどうすればいいのか? まさか向こうと同じように公爵を暗殺しろとでもいうのだろうか。
クラリスはその手段は取りたくなかった。身内の命を奪うことは望まない。
「……叔父上が私の暗殺を企てたという証拠は掴めませんか?」
「調査中ですが、以前も申したようにそう簡単にはいきませんな」
「そう……でも引き続きお願いします」
最善といえる方法は、公爵が暗殺を指示した証拠を掴み、その地位を剥奪することだ。その後は余生を不自由なく過ごしてもらう程度の措置はしていい。
――だけど、そんなに都合よくいくものだろうか。
クラリスは疲れたように目元を落とした。
◆
火球をくらった岩石の肉体をもつ巨大な魔物――ゴーレムが右腕を失った衝撃で尻餅をつく。
徹はそれを確認すると、トドメを刺すべく再び火炎魔法を放つための集中を始めた。
だが、それは上空から襲いかかってきた鳥型の魔物によって阻まれた。3メートルを超える巨鳥で、鉤爪はまさに刃物同然だ。
顔めがけて急降下してくる鳥の足を地面に転がって避けると、徹は火炎魔法の構成を取り止め、風の初級魔法に切り替えた。
転がりなら魔法の準備を終え、起き上がりと同時に風の刃を放つ。
魔物は落下から上昇へと移るために激しく羽ばたいていたが、その大きな翼が風の刃によって真っ二つになった。胴体も一緒に断たれた魔物は絶命して地に落ちる。
鳥の魔物を倒したことを把握すると、徹は倒しきれていなかったゴーレムへと視線を向けた。
既に起き上がっていたゴーレムは残された左腕を振り上げ、徹とは別方向へとドシン、ドシンと重い足音を響かせて走り出している。
その方向にいるのはシェーラだ。この位置から魔法を撃つと、シェーラも巻き込んでしまう恐れがある。
「くそっ、サクラ頼んだ!」
「わかった!」
上空にいたサクラが降下して、シェーラとゴーレムの間に割って入った。
ゴーレムと比べてあまりにも小さな姿だ。踏み潰してやるとばかりにゴーレムはそのまま走り続ける。
だが次の瞬間、ゴーレムはバラバラに砕け散った。サクラの小さな手から放たれた、大きな白く輝く魔法弾がその巨体の中心で炸裂した結果だ。
パラパラと砕けたゴーレムの欠片が落ちる。
「はい、お終い」
敵を倒したサクラは満足そうに笑うと、背後のシェーラに振り向いた。
「シェーラ、大丈夫だった?」
「ええ、サクラありがとう」
シェーラは微笑を浮かべてサクラに礼を言った。あれほど大きな魔物が向かってきたのに動じた様子はない。
肝が据わっているなと、近づきながら徹は思った。
「シェーラ、すまなかったな。危ない目に合わせた」
「平気よ、ちゃんと守ってくれたし。それに無理を言って東の荒野に連れて行ってと頼んだのは私だから」
そのシェーラの言葉のとおり、今日の徹たちはエーレンの街の東に広がる荒野に来ていた。
最初の護衛のときに徹たちの実力を知ったからか、それ以来シェーラは何度か徹に護衛の依頼をするようになった。そして、次第に魔物が強力な地域へと足を向けるようになり、今日はとうとう近隣で一番魔物が強い荒野にまで来てしまった。
「トールもサクラもやっぱり凄いわね。この荒野の魔物は上位の冒険者でも手こずるって話なのに、出会う魔物を片っ端から倒しちゃうなんて」
まるで魔物と戦う徹たちの様子を見るのが楽しいかのような言い方だ。実際、そういうのが好きなのかもしれない。好奇心から旅をしているような人間なのだから。
「こんな場所に来たって見るものもないだろ? 護衛するのも大変だぜ、ほんと」
徹は肩をすくめてぼやいた。
護衛対象が自分から危険な場所に行きたがるなど、護衛する側からしたら勘弁願いたい。もっとも、危険な場所に行くからこそ護衛を雇っているんだといわれたらそこまでであるが。
「魔物だって見るものよ。強い護衛がいるからこそ、こんなところまでこれるんだから」
あいも変わらず、シェーラはまったく気にした様子もない。
やれやれと、徹は天を仰いだ。
◆
「また警備の配置が変わったのか」
建物の4階から遠眼鏡で辺境伯の屋敷を偵察していたベサクスは、ここから見て取れる警備の配置を手元の紙にメモしていく。
使っているのは万年筆だ。最新のもので、旧式より書きやすくインクもにじみにくい。
いまベサクスがいる建物は辺境伯の屋敷からかなり離れた場所にある。辺境伯の屋敷は高い塀で囲まれていて高所からでなければ内部が見れない。しかし、屋敷の周辺では弓矢や魔法での狙撃を警戒して建造物の高さに制限がかけられている。
そのため塀の向こうを覗き見ようと思えばこうして遠くの建物から偵察するしかない。だが、これだけ離れていると細かな警備状況までは確認できない。それに、長時間偵察を続けるのは他人に見咎められる危険もある。
こうして調べていても向こうが警備体制を変更したら意味がなくなる。かといって必要になった時に調べていなかったでは話にならない。
そのため、無駄になるかもしれない偵察は今日も続けられている。
それからしばらくしてベサクスは撤収することにした。長く続けていても得るものは少なく、誰かに見られては怪しまれる。この偵察に使っている場所も空き部屋だったのを無断で借りているのだ。
部屋の外に気配がないことを確認すると、ゆっくりとドアを開けてベサクスは部屋から出た。通路の左右を見渡し、素早く階段まで移動すると足音を殺して降りる。
この時間は誰も来ないとこれまでの経験で分かっているが、いつもそうだとは限らない。誰かが階段を上がってきたら怪しまれる可能性もある。
建物の外に出てようやく一息ついたベサクスは街の住人に溶けこむように自然な足取りで歩き出した。
アジトに戻るか、それともどこかで一杯やろうか。そんなことを考えながら人混みに混じって移動する。
毒殺をしようとしても王女の食事が毒見されないはずがない。内部にこちらの人員を紛れ込ませることも無理だ。いまの状況で新しく人を雇い入れることなど、相当信用できる人間でなければありえない。当然こちらがそんな人間を用意できるはずがない。
そもそも、一度襲撃に失敗しているというのが致命的だ。よほどの間抜けでない限り、油断することはないだろう。何年もかけて準備をするというならまた話は別だが、少なくとも近日中に向こうの警戒が緩むことは考えられない。
「どうしろってんだ……」
もうこの状況では間接的な手段では不可能だ。やれるとすれば最終手段のみ。暗殺者による直接的な襲撃ぐらいのものだ。
だが、いうまでもないが襲撃はリスクが高い。屋敷には大勢の衛兵がいる。罠だってあるかもしれない。王女の護衛は凄腕だという話もある。
何より以前の襲撃の失敗でこちら側にも犠牲者がでたというのが大きい。これ以上の損耗は上も望んではいないだろう。
この状況で王女を暗殺してみせろといわれても困る。無茶な命令をされる中間管理職の悲哀にくれベサクスはため息を吐いた。
その時だった。
「ベサクス」
突然背後から声をかけられ、ベサクスは驚いて足を止めた。まるで気配を感じなかったのだ。いったい何者なのか。
数秒迷った。逃亡するか否か。だが、気配もなくこちらの後ろを取れるような相手から簡単に逃げられるとは思えない。かといって先制攻撃もナンセンスだ。敵とはまだ決まっていない。また、こんな街なかで騒ぎを起こすわけにもいかない。
結局、敵意が感じられなかったためベサクスは恐る恐る振り向いた。
そして、さらなる驚愕が彼を襲った。
「あなたは……」
◆
徹たちはエーレンの街へと戻ってきていた。まだ日も高いため門の前は多くの人でごった返している。
「はい、護衛の報酬の1千リブラよ」
「こんなにもらっていいのか? 流石に高すぎるような……」
シェーラから渡された報酬に、徹はついつい気が引けてしまう。何度か護衛をしてきたがこれほどの報酬はなかった。
「全然高くないわよ、あの荒野の魔物は上位の冒険者でも苦戦するほどよ。むしろ、上位の冒険者を雇おうと思ったらこれでも安いぐらい。今回は短時間の護衛だからこれぐらいにさせてもらったけど、長期の依頼になったら何万、何十万リブラだってありえるわ」
「マジか」
上位の冒険者というのはそんなに稼いでいるのか。新人冒険者は10や20リブラ程度しか一回の依頼でもらえないのに、上位だとあっさり報酬が1千リブラを超える。それどころか万単位の報酬もありえるとは驚きだった。どうやら冒険者は上と下で相当に格差が大きいようだ。
徹はまだレベル18なので普通なら荒野への護衛の依頼は受けられないが、依頼者から指名されるならレベルなど関係ない。シェーラと知り合えたおかげで金に困ることもなくなり、まさに順風満帆だった。
「いやー、それでもなんか悪いな」
「なによ、私は正当な報酬を払ってるだけよ? それじゃあ、もし気になるっていうならアフターサービスでこれから街なかでの護衛をお願い」
身体を寄せて「ね、いいでしょ?」と耳元でささやいてくる。離れるときに色気のある流し目までついてきた。
これはつまりデートのお誘いだろうか? 急に胸がドキドキしてきた。控えめに見てもシェーラは凄い美人だ。こんな美人とお近づきになれることなど日本ではなかった。
おまけにスタイルもよく、もうかれこれ半月近く同じ部屋で過ごしているので気心も知れている。あえて危険な場所に行きたがるという困ったところもあるが、そんなもの些細な事だ。
これはいよいよ、次のステップに進むときが来たということだろう。
初めて徹は、この世界に来る原因になった邪神に感謝した。ほんの僅か、爪の先ほどであるが。
「ご主人、鼻の穴が膨らんでるよ」
サクラからの指摘が飛んでくる。慌てて徹は鼻を押さえた。
「ぷっ」
「ふふふ」
そんな徹を見てサクラは吹き出し、シェーラも口元に手を当てている。手の後ろでニヤニヤと笑っているのがわかった。
からかわれたのか。そうに違いない。こんな男の純情を弄ぶなんて卑劣な行為が許されるのだろうか。
「うがーーーー! 笑うんじゃねーーー!!」
徹は吠えた。恥ずかしさを誤魔化すためにシェーラに飛びかかる。しかも、なぜかその手が初めから狙っていたかのように張りのある胸へと伸びる!
だが、シェーラが素早く身を引くことで手は空を切った。
「ざーんねんでしたー」
「うわ、セクハラ……最低」
軽やかにステップを踏んで距離を取るシェーラ。そして地面に手をついた徹にはサクラから侮蔑の言葉が投げつけられた。
「ちくしょう……」
徹の目からは熱い純情がこぼれ落ちた。
そんなこんながあって、立ち直った徹と女ふたりは、特に目的もなく街を散策することになった。店を冷やかしたり、広場でやっていた大道芸人の芸を見物したり、屋台で買い食いしたりと余暇を満喫している。
「次はどこに行こうか?」
隣を歩くシェーラに尋ねる。
「うーん、港にはまだ行ってないけど、少し早いけど夕食を食べてもいいし……」
シェーラは目を上によせて考えているようだった。
そろそろ空が赤くなり始めている。確かに少々早いが夕食をとるのもいいだろう。たまには宿屋の食事と違うものも食べたい。奮発して高級料理店で優雅なひとときというのも悪くない。
「なあ、サクラはどう――」
サクラにも希望を聞くべきだと反対側に振り向いたが、彼女はこちらを見ていなかった。何かに気がついた様子で、前方を指差して言った。
「ねえご主人、あれってエリーシアじゃないかな?」
「なに?」
思いがけない名前が出てきた。徹もその指が指し示す地点を注視する。
エリーシアらしき人影は確かにいた。あの美しい金髪は遠くからでもよく目立つ。また向上した視力のおかげで、人の形がどうにか判別できるかどうかというぐらいに離れた距離からでも、その顔立ちや尖った耳が鮮明に見える。日本にいた頃とは比べ物にならない視力である。
どうやらエリーシアは、かなり離れた場所にある大きな門から出てきたようだ。門の両側には衛兵が立っている。門の大きさに比例して高く頑丈そうな塀がどこまでも続き、街の一角を囲んでいる。
あそこは確か、このエーレンの街を治めるローデン辺境伯の屋敷ではなかっただろうか。なぜそのような場所からエリーシアが出てくるのか?
「どうする? 早く追いかけないと行っちゃうよ」
「そうだな、せっかく会えたんだから挨拶ぐらいしたいしな」
再会の約束もしているのだ。もしエリーシアが辺境伯の屋敷に滞在しているなら、この機会を逃したら次に会えるかわからない。
「シェーラ、知り合いがいたんだ。ちょっと挨拶をしたいんだけど、いいよな?」
「ええ、構わないわよ」
「よし、依頼主様の許可もいただいたことだし、さっさと追いかけないと見失っちまう」
徹は走りだした。後ろでシェーラがなにか言っているが、気にせずにエリーシアの後ろ姿を目指して人混みをすり抜けていく。
大声で名前を呼べば立ち止まってくれるかもしれないが、街の雑音に紛れて聞こえない可能性もあり、あまり周りの注目を集めてしまっては恥ずかしいだろう。
それに、どうせだったら突然後ろから肩を叩いて驚かせてやるのも面白い。
あと、50メートル、40メートル、30メートル……。人の数もまばらになり、もうあと少し。徹はニヤリと笑った。
だが、そこまで近づいた時点でエリーシア立ち止まった。首だけ回して、肩越しにこちらを見てくる。
「なんだ、誰が追いかけてくるのかと思ったらトールだったの」
どこか呆れた様子だった。
「げっ、気がついていたのか?」
「そりゃ気づくでしょ? あれだけ足音を立ててれば」
身体もこちらに振り向いて、やれやれとエリーシアは両方の手のひらを上に向けて言った。バカを見る目でこちらを見てくる。
「や、やめろ……そんな目で俺を見るな!!」
徹は腕で顔を隠して後ずさった。そんな徹を見てエリーシアが近づいてくる。徹はさらに下がった。そして、またエリーシアが……。
そんなことが何回か繰り返されたころ、遅れていたサクラとシェーラがようやく追いついた。しかし、謎の行動をとる二人に顔を見合わせて疑問を浮かべる。
「……なにやってるの?」
「えっ!? ……いや、なんでもない」
徹はなかったことにした。
意味もなく左右を見渡し、それからようやくエリーシアに挨拶するために追いかけてきたことを思い出した。
「エリーシア、久しぶりだな」
「ええ、久しぶり。元気にして――たみたいね」
エリーシアは苦笑した。それからサクラに顔を向ける。
「サクラも久しぶりね」
「うん」
「それで、そちらの人は?」
「ああ、彼女はシェーラ。俺のいまの依頼主になるかな」
「はじめまして、シェーラよ」
「シェーラね。私はエリーシア、よろしくね」
黒髪と金髪で片方はエルフだが、どちらもかなりの美人だ。並ぶと絵になる組み合わせである。
「冒険者としてうまくやっているようね」
「何とかな、エリーシアはどうなんだ? 辺境伯の屋敷から出てきたみたいだけど」
「そこから見られていたの? 気がつかなかったわ」
不思議ではないだろう。その時点では、かなり離れていたのだ。他にも大勢の人がいるのだから、むしろ気がつくほうがおかしい。ただでさえ、エルフということで普段から多くの視線を集めているのだろうから。
「うーん、いまは前にいった依頼を受けている最中なのよ」
「ああ、クラリス様の護衛か」
「まあね、でもそれ以上は聞かないで」
エリーシアはちょっと困った様子だ。依頼の内容を隠さなければならない理由があるのだろうか。気にはなったが、これ以上は聞くべきことではない。おそらくクラリス様も辺境伯の屋敷にいると予想はついたけれども。
「そっか、他の二人も一緒なのか?」
「ええ、そうよ。いまは無理かもしれないけど、トールがこの街にいるならそのうち会えるかもね」
「そっか、楽しみにしておくよ」
「エルシアも、サクラに会いたがっていたわよ」
サクラに顔を向けてエリーシアは言う。
「そうなの?」
「ええ、あの子ってサクラみたいな小さな可愛い子が好きだから」
どういう意味でいっているのだろうか。普通に考えるなら子供や、あるいは人形のような可愛いものが好きだということだろうけれど。
そのとき突然、鐘が鳴り響いた。時刻を知らせる鐘の音だ。午後五時になったのだろう。見あげれば空はもうすっかり夕焼けに赤く染まっている。
「あっと、それじゃあそろそろ私は行くわね。急がないと店が閉まっちゃう」
「足止めしちまって悪かったな」
「いいのよ、久しぶりに話せて楽しかったわ」
「エリーシア、またね」
「暗くなるから足下には気をつけてね」
「ええ、サクラとシェーラも元気でね」
そう言うとエリーシアは足早に立ち去っていった。
辺境伯の屋敷に滞在しているなら大抵のものは用意してもらえそうだが、わざわざ自分で店に行くということは個人的な品だろうか。自分で選ばないと合うかわからない品もあるけれど。まあ、考えてもわかるまい。
「クラリス様ねえ……」
シェーラがボソリと呟いた。
「うん? なにか知ってるのか?」
「トールこそ知らないの?」
なんだろうか。知っていないとおかしいほど有名な名前なのか。生憎とこの世界の常識に疎いのでこういう時には困る。
「いやー、俺って田舎の出身だから世間知らずでさ」
前にも使った言い訳の出番がまたやってきた。現代日本ならこんな理由は通らないが、この世界ならある程度は通じる。遠方にはなかなか情報は伝わらず、地域ごとの情報格差も大きい。
「……トールってこの国の出身?」
「そう、……なのかな? よくわからない」
なぜあっさり流してくれないのだろう。だんだん誤魔化すのが苦しくなってきた。
「なによそれ?」
ジッとシェーラはこちらを見てくる。これは、怪しまれている。
「そ、そんなことより、クラリス様って誰なんだ?」
「…………まあいいわ。クラリス様についてね?」
「ああ、教えてくれ」
するとシェーラは講義でもするかのように指を立て、話し始めた。
「まず、クラリスという名前は他にもあるでしょうね。それほど奇抜な名前でもないし」
「まあな」
「でも、辺境伯の屋敷に滞在しているという点から平民ではない。敬称で呼ばれている点からも間違いないでしょうね。なら、この国でそんなクラリスという名前の女性はひとりしかいない」
もったいぶるようにシェーラはそこで一旦言葉を切る。
「誰なんだ?」
「誰だと思う?」
「おい」
それを聞いているのだ。
「まあまあ、トールは誰だと思う? 当てずっぽうでいいから答えてみて」
「えーー、じゃあ、辺境伯の娘とか?」
これは割りといい線をいっているのではないだろうか。辺境伯の娘だったら屋敷にいるのは当たり前であり、最初にこの街に訪れたときの特別待遇にも納得できる。
だが、シェーラは指を左右に振って否定した。
「ハズレよ。答えは、クラリス様は、この国の王女よ」
「王女だって?」
まさかの王族。貴族どころではなかった。
「多分間違ってないと思うわ」
シェーラは自信ありげだ。自分では判断できないが、これだけ自信をもって言うならそうなのだろう。
しかし、本当に王女なら失礼なことをしなくてよかった。無礼討ちが平気でまかり通っていそうな世界なのだ。王族と比べたら平民の命など紙のように軽いだろう。
「でも、さっきのエリーシアが王女の護衛とはね。どういう経緯で知り合ったの?」
「ああそれは――」
簡単にこの街に来るまでの経緯をシェーラに説明した。もちろん、元の世界のことや邪神に関することなどは省いてであるが。
「――そんなことがあったの」
「ああ、エリーシアたちには助けられたし、王女様から金をもらえなかったらどうなっていたことやら」
あの出会いは本当に幸運だったのだといまならわかる。召喚されたときは空から落ちて、ドラゴンに襲われるという不運に見舞われたが、不幸があれば幸運もあるのだ。まさに禍福は糾える縄の如しである。
そんな風にしみじみと過去の思い出を噛み締めていると、シェーラが声をかけてきた。
「ねえトール」
「うん?」
「もし、その王女様が危機に陥ったとしたら、トールは助ける?」
「え? そりゃまあ、恩があるからな、俺にできることなら助けるかな」
あの1千リブラがなければ、いまよりもっと苦労していたはずだ。王女にとっては大した金額ではなかったのだろうが、それでも助けられたことには違いない。
流石に元の世界に戻るのを諦めて手助けをするというのは無理だが、できる範囲でなら借りを返すべきだろう。
「そうなんだ」
気のせいか、シェーラの表情に陰りがある。だが、口元は笑っているのでやはり気のせいだろう。
「ねえトール、話は変わるけど、もし私と戦ってほしいといったらどうする?」
「はあ?」
突然何をいいだすのだろうか。脈絡がなさ過ぎる。
「冗談か?」
「ええ、冗談よ。でも、もし私と戦うことになったとしたら?」
「そんなことしたくねえよ」
好意をもっている女だ。それが恋や愛というような強い次元にはなっていないが、半月近く同じ部屋で過ごし、護衛として行動を共にしてきたのだ。それなりに親愛の情は湧いて当然で、そんな相手と戦うなどしたくない。そもそも女と喧嘩するのは嫌だ。
「ま、そういうと思ったわ」
すると、突然シェーラはこちらに背を向けて別の路地へと歩き出した。
「ちょっと用を思い出したから護衛はここまででいいわ」
「え? おい、シェーラ?」
引きとめようとしたが、さっさと行ってしまった。
追いかければよかったかもしれないが、事態の変化についていけずに足が固まって動けなかった。
結局、シェーラは夕暮れの街へと消えていった。
「なんだったんだ?」
「さあ?」
サクラと顔を見合わせて、ふたりとも首を傾げた。
◆
ベサクスの振り向いた先には女がいた。珍しい黒髪に、蠱惑的な美貌をもった黒ずくめの女だ。
その女をベサクスは知っていた。彼自身が所属する組織――盗賊ギルドでも三本の指に入るといわれる凄腕の暗殺者のひとりだ。一度仕事を共にしたことがあるが、そのときの人間離れした力量はいま思い出しても恐怖がこみ上げてくる。
そんな相手がすぐ目の前にいるのだ。蛇に睨まれた蛙のように萎縮してしまい、まともに目を合わせることができない。
そんなベサクスの様子を気にせず、女は要件を切り出した。
「あなたのいまやっている、王女の暗殺の応援に来たのよ」
「応援ですか?」
「近いうちに上から指示がくるはずよ。私は実は少し前からこの街に滞在していたんだけどね」
「王女の暗殺なら、こちらに合流すればよかったのでは?」
「私は王女の暗殺のためにこの街に来たわけじゃないわよ。ほら、前にスライムの強化薬が失敗だったという報告を上げたでしょう?」
「え、ええまあ」
もう1ヶ月近く前のことだ。とうに記憶の片隅へと追いやられていた情報である。
「あれの開発者がね、失敗のはずないとボヤいていたのを聞いてね。もしも失敗作じゃないなら、強化されたスライムを倒せるだけの実力者がいたことになるでしょ?」
「そうなりますね」
「だから、前の仕事も終わって休みをとりたかったし、それもあってこの街に来ることにしたのよ」
流石は盗賊ギルド最高の暗殺者のひとりだ。ある程度の自由裁量を許されているのだろう。ベサクスも仕事が終われば休暇を与えられるが、それほど長期の休暇はもらえず、仕事の都合で突然休暇が取りやめになったこともあった。
「まあ、私の個人的なことはいいわ。あなた達が王女の暗殺に苦戦中なのは上もわかっているし、戦力が足りていないこともわかってる」
「それであなたが応援に?」
「いえ、私が参加するかは自分で判断しろってことだったわ。あくまでこの仕事はあなたが責任者だしね。いまのままじゃ私への報酬には足りないでしょう?」
公爵から暗殺の依頼料は受け取っているが、前回の襲撃の失敗でギルドのメンバーに犠牲者が出たことで、再び襲撃をするには割が合わない。あくまでビジネスなのだから。
「確かに、とてもあなたに襲撃に加わってくれとはいえません」
「ふふ、でも今回私は特別にタダで参加してあげる。それだけじゃないわよ、公爵はさらに依頼料を出すそうよ。今度は後払いだけどね」
「後払い? 払ってもらえる保証なんてあるんですか?」
「契約書に血判を押させて、契約の魔法もかけたわ」
「なるほど、それならとりっぱぐれはないですね」
契約の魔法によって交わされた契約からは逃れられない。もしも契約を履行しなければ呪いがかけられる。最悪の場合は命を失うことになる。
だが、公爵もよく依頼料の上乗せなどするものだ。王族の暗殺依頼など生半可な金額ではない。もっとも、王族の暗殺が安値でできるというのもおかしいのだが。
「どうしても王女を暗殺して、自分が王になりたいようね。なんでも次の襲撃には公爵の手駒も加えろって話も出ているらしいわ」
「部外者が加わっても邪魔になるだけでは? そもそも前回の失敗も公爵の兵が出しゃばってくれたおかげでこちらの足並みが乱れたことも原因のひとつですし」
「さあ? 自分の兵がいないと信用できないと考えてるんじゃないかしら?」
「それなら最初から自分の兵だけでやればいいでしょうに……」
公爵のやっていることは中途半端だ。おまけにその時々で判断が変わる。こんな人物が王になれば国が傾く可能性はかなり高い。本人が何もせずに配下に任せるなら別かもしれないが、門外漢のことでも自分の手でしたがる傾向がある。
もっともどんな人物が王になろうとベサクスには関係のないことだ。与えられた仕事をこなすだけである。
「それでは襲撃は、公爵の兵が到着してからですね?」
「ええ、近日中には着くと思うわよ。襲撃の前には私も合流するわ」
それで話は終わりだった。女は滞在している宿へと戻るようだ。だが、別れ際にふと見た女の横顔にベサクスの背筋は震えた。
「ほんと、楽しみね」
女は笑う。
その不吉な笑顔にベサクスはあらためて恐怖した。