第5話
スライム退治から半月ほどが経った。なお、この世界の1年は地球と同じ365日で月毎の日数も同じだ。
毎日依頼を受けつつ、指定魔物の討伐も同時に行なうことでレベルは12なった。ほとんど1日1レベル上げたことになる。
レベルが10を超えるとようやく一人前の冒険者扱いされるようで、これだけ早くレベルを上げる奴は珍しいとギルドでも少し噂になっていた。将来有望な冒険者だとか。
レベルが10を超えると依頼の報酬も少しは上がり、1日に依頼をふたつ程度こなせば宿屋『二つの子羊亭』の二人部屋にも余裕をもって泊まれるようになった。二人部屋とはいえ他の宿泊客がいない日も多いので、夜に他の客のいびきで寝られないといったこともない。同じ部屋を取り続けているので半分自室のようなものだ。部屋を綺麗に使うと、宿屋の主人レジードも喜んでいた。
だが、今日はそのように自分だけで気楽に部屋を使えないようだ。久しぶりに同じ部屋に泊まる客が出たのだ。おまけにそれは女だった。
この世界では珍しい黒髪がゆるく波打って肩先まで流れ、蠱惑的な美貌に穏やかな微笑を浮かべている。おまけに、ゆったりとした黒い服装で隠れているが出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいるモデル体型と容姿の面で非の打ち所はない。
まさにいい女だ。こんな相手が同室になっては徹もドギマギしてしまう。もしサクラがいなければ冷静さを保てたか分からない。
「私はシェーラ、よろしくね相部屋さん」
「ああ、俺はトール。よろしくシェーラ」
握手を交わした手も細くしっとりとした冷たさがある。旅をしているというのに傷ひとつない白い肌は美しい。
「それと、そちらのオチビさんもよろしくね」
「うん、あてはサクラ。ご主人の使い魔だよ」
最近ではサクラは自分のことを使い魔だと他人に紹介するようになった。守護精霊だそうだが、別に他人に使い魔と思われても気にしないようだ。もっともこれまでも使い魔だといわれて訂正したことは一度もなかったが。
「そう、こんな可愛い使い魔がいていいわね。トールは魔法使い?」
「大して魔法も使えないけどな」
苦笑して徹は言う。実際魔法使いと名乗っていいのか怪しいぐらい使えない。初級の火炎魔法は以前から使えたが、それ以外では最近になって使えるようになった明かりの魔法と風の初級魔法ぐらいだ。
いい加減魔力だけで無理やり強化しているのもどうかと考え肉体強化の魔法も練習中だが、肉体強化の魔法は最低でも下級魔法だ。初級魔法も満足に使えない徹では身に付けるまでにまだ時間がかかるだろう。
自分のことは答えたので次は相手に尋ねるべきだろう。何よりこのような美人さんのことは男なら知りたいものだ。
「そういうシェーラは?」
「私は諸国を旅してるの。いろんなモノが見たくて」
楽しそうにシェーラは言う。
「じゃあ冒険者? あ、ちなみに俺はそうなんだけど」
「そうなの? でも私は冒険者ギルドには登録していないから冒険者ではないわね」
旅をするなら冒険者ギルドに登録しておく方がいい。行き先で依頼を受けて旅の資金を稼げるからだ。だが、依頼になど煩わされず気ままな旅をしたい人間もいるだろう。
「そっか、これまではどんな国を回ってきたんだ?」
「色々よ、大陸西方の人間や亜人の国の大半は行ったし、魔王国にまで足を伸ばしたこともあるわね」
「そら凄いな。まさに大陸中を廻ってるわけだ。そうだ、魔王国に行ったことがあるんだったら教えてくれないか? どんな国なんだ?」
「いいわよ。でも、少しの間だけだったからそこまで詳しくはないけどいい?」
「それでもいいよ」
おそらく知りたい召喚魔法関係については期待薄だろうが、単純にどんな国か知るだけでもいつか行った時の助けになる。
こちらが聞く姿勢になっていることを確認してからシェーラは話しだした。
「知ってると思うけど魔王国はその名の通り魔王が治める国で、国の実権は魔族が握っているわ。人間や亜人のように魔族以外の種族もいるのだけど、あまり地位は高くないらしいわね」
「まあ、魔族の国だから仕方ないのかな?」
「そうかもね。それで、やはりなんといっても魔王国の首都は凄かったわ。流石大陸一の大都市というだけあった。何でも都市の人口は300万人を超えているらしいわよ」
「300万人? それは凄いな」
この世界でそれほどの大都市があるとは驚きである。日本でも300万人を超えている都市といえばそれほど数はないだろう。
「魔法の技術も進んでいて、こちらでは見ないような魔導具もあったわね、例えば食料を冷やして長持ちさせる魔導具なんていうのもあるわ」
「ほう」
つまりは冷蔵庫か。すごいな魔王国。話を聞くに魔王国に住んだほうが日本に近い生活を送れそうではある。
「でも、やっぱりそういう生活ができるのは魔族だけね。他の種族だと限られた一部の人だけになっちゃう。……いいことばかりじゃないわ」
シェーラの表情が微かに陰る。そんな表情も魅力的とは美人は特だな。それはともかく、どうやら魔族とそれ以外では経済面や待遇面での格差はかなりあるようだ。
「俺もいつかは行ってみたいと思ってるんだよ」
「そう? そうね トールは魔法使いだったわね。でも人間にあの国だとどうだろ?」
何やら嫌なことがあったのだろうか。話しているうちに過去のことを思い出してしまったのかもしれない。もうこの話題は止めたほうが良さそうだ。
「シェーラはこの街に何しに来たんだ? いや、旅をしているのは聞いたけど」
「特にこれといって。街や近隣を回ってみたいと思ってるわ」
気持ちを切り替えたのか表情から影はもう消えていた。そして、不意に良いこと思いついたとばかりに両手を合わせてシェーラは言った。
「そうだ、トールに護衛を頼もうかしら?」
「ええ、俺に? とはいっても俺もまだ冒険者レベル12だけど」
「10レベルを超えてるなら一人前なんでしょ?」
「らしいね。よく知ってるな?」
「いろんな所を旅していると言ったでしょう? いろんな事も知っているのよ」
ふふ、と笑うシェーラ。
「ねえ、サクラは私が一緒でもいい?」
「あてはいいよ、ご主人次第だね」
サクラを味方につけたようだ。それに、元から反対する理由もない。
「わかった、護衛の依頼を受けよう」
「しっかり守ってね」
シェーラはいたずらっぽく笑った。
翌日、シェーラの護衛として街の近隣を廻ることになった。
東に行くと魔物が強い荒野があるので、今回向かうのは西側だ。都市の西門から出ると街の周囲に広がる農場が目に入る。灌漑用水はエレル川から引かれており、これらの農作物が1万5千人の都市人口を養っているのだ。
街道を歩きながら左に目をやれば、初夏の日差しを受けて小麦畑では黄金色の穂が風に揺れている。反対の川では漁をしている船の姿もあった。
天気もよく、気温は穏やかで適度な風もあって絶好の旅日和だ。
シェーラは今日も黒い服装で、その上に旅用のマントをまとっている。
徹の服装は修繕した日本から着てきたジャケットと、この世界で買った頑丈なズボンだ。靴はこれまた日本製品の革靴である。
徒歩の徹とシェーラと違って飛べるサクラは、気持ちよさそうに鼻歌なんぞを歌いながら道端の花や木の上の鳥の巣などを見て回っている。小さな巫女服が風になびく。
そんなサクラの様子を見ながら、徹は隣に歩く依頼主に言った。
「さーて、どの辺りに行くつもりだ?」
「そうね、近くの村や山に行ってみたいかな。魔石の採掘が行われているんでしょ?」
「そうらしいな」
エーレンの街の近くの山に魔石の鉱脈があるというのは徹も人から聞いた。依頼や魔物の討伐で行ったこともある。
魔石とは魔力が宿った鉱石のことだ。
通常、魔力は他人に分け与えることができない。個人ごとに魔力の波動が異なるためだ。これは電圧が違うと海外で電化製品が使えない状況と似ている。
魔力の波動を変換する魔法もあるが、高度な魔法であり、変換の際に魔力のロスも生じてしまうので使い勝手は悪い。
一方、魔石に宿った魔力は開放されるまでは特定の波動を持たない。誰でも使える魔力のバッテリーのようなものである。
魔石には純度があり、高純度の魔石ほど大量の魔力を蓄えている。高純度の魔石は大変貴重であり、下手な宝石よりも高値で取引されているほどだ。
「魔石の鉱山なんてあまりないからね、採掘場を見てみたいわ」
「流石に中までは入れてもらえないと思うけどな」
「それでもいいの」
以前に行ったことがある徹としてはそれほど面白いものでもなかったが、依頼主が望むなら行くだけだ。それに、美人と一緒にいるというだけでも嬉しいものだ。
時おり雑談を交えながら旅は順調に進む。馬車や旅人とすれ違うこともあった。2時間ほど経過したころ街道を南へと曲がった。魔石の鉱山はこの方向になる。
それからしばらく歩くと、まだ遠くで霞んでいるが山が見えてくる。
だが、ここで上空を飛んでいたサクラから警告がきた。魔物が近づいてきているとのことだった。これまで順調な旅路であったが、本日初めての魔物との遭遇である。
魔物は左手方向から接近してきている。木々や地面の起伏はあっても見通しは良いので、サクラに告げられた方向を注視したら徹にも発見できた。いまは関係ないが、周囲の警戒をサクラに頼りっきりな現状は改善していくべきだろう。
野犬型の魔物だ。普通の犬とは違って目が赤く濁り、狂ったように口の端からヨダレを垂らしながら駆けてくる。
「シェーラ、下がっていてくれ。大した敵じゃないが念のためだ」
「ええ、分かったわ」
シェーラを背後にかばうように徹は前に出た。実際この犬の魔物は荒野の魔物に比べて数段格下だ。その荒野の魔物を簡単に倒せる徹の敵ではない。
せっかくだから覚えたての魔法を試すことにする。風の初級魔法だ。
魔法の構成をイメージし、そこに魔力を流す。構成は簡素だ。初級魔法だとしても他の魔法使いはもっと複雑な構成を構築するのだが、徹は基本となる構成だけで、あとは有り余る魔力に物をいわせて威力を上げている。また、簡素な分魔法の発動が早いという利点があった。
瞬時に魔法が発動するための準備ができた。もういつでも撃てるのだが、魔法の準備が早すぎてまだ魔物が近づいていない。数十メートルは離れている。
この距離から当てるのは難しい。覚えたてでそれほど練習はしていないのだ。だが、別に外しても次の魔法を準備する時間はあったので、試しに撃ってみることにした。
不可視の風の刃が前方に飛んでいく。自分の魔法だからか目には見えないのにどこを飛んでいくのかが分かる。だから分かった、これは外れると。
その予想どおり犬の魔物の前方に着弾し、地面に亀裂が生じる。刈られた草が残風に巻き込まれて舞い上がった。
普通ならこれで止まるなり、速度を落とすものだが、魔物は草のカーテンを突き破りなおも突進してくる。
もう一度風の魔法の発動準備をする。次はもっと引きつけてからと決め、徹は魔物を見据えて身構えた。
魔物が地面を蹴って飛びかかってくる。迷いなど見せずにその赤く濁った瞳はこちらの首筋に固定されている。
その魔物の首が風の刃に切断され、頭部が飛んだ。
魔物の身体が地面に転がり、遅れて頭部が落下する。
敵の撃退を確認し、徹は緊張を解いた。もう安全だとシェーラに告げるために背後に振り返る。
シェーラは微笑んでいた。嬉しそうだった。
「凄いのねトール、あんなに簡単に魔物を倒しちゃった」
「相手が弱かったからな。怖くなかったかい?」
「大丈夫よ、これまで旅をしてきたんだもの。魔物に襲われたことだって何度もあるわ」
「そっか」
魔物の死体を見ても動じていないようだ。流石に旅をしているだけはある。
徹もいまは慣れたが、最初にこのような普通の生物に近い形状の魔物を相手にした時は倒すのに躊躇した。倒した後にも罪悪感があった。
「サクラー、もう周囲に魔物はいないか?」
「大丈夫だよー」
上空でキョロキョロと見回して、サクラは言った。
サクラがそういうなら大丈夫だろう。これまでサクラが魔物を見逃したことはない。
「じゃあ行こうか」
「ええ」
ふたたび二人は歩き出した。
魔石の採掘場にたどり着くと違和感があった。妙に騒がしい。
「何かあったのかしら?」
「そうかもな」
外で働いている男たちが鉱山の坑道へと慌ただしく駆けていく。採掘現場で何かがあったのかもしれない。
「何があったんだ?」
近くにいた女に尋ねる。調理などの補助要員だろう。
「落盤があったのよ……大丈夫かしら」
女は心配そうな表情で坑道のほうを見ていたが、こうしちゃいられないと坑道とは別の方向に走っていった。おそらくどこかの手伝いに行くのだろう。
「落盤か、俺たちも手伝うべきだな。シェーラ悪いけど」
「分かってる、いまは落盤に巻き込まれた人を助けるのが先よ」
「じゃあ俺は坑道に行く。シェーラとサクラは運ばれてきた怪我人を頼むよ」
特にサクラの回復魔法はきっと役に立つだろう。
二人が頷くのを確認すると、徹は坑道へと駆け出した。まずは現場監督に手伝うことを申し出なければならない。
坑道の入り口の前で指示を飛ばしている男がいる。あれがここの責任者だろう。
「ちょっといいか?」
「なんだ!? いまは忙しい!!」
「俺は冒険者だ。力には自信があるから協力したい」
「なに、冒険者!? ……分かった、協力を頼む」
「何をすればいい?」
「力に自信があるんだったな? なら奥で岩をどけるのを手伝ってくれ」
「よっしゃ、任せとけ!!」
返事をするなり、徹は坑道の中に飛び込んだ。
坑道内は外とは違い、壁に設置された松明だけでは薄暗い。明るい場所から暗い場所にいきなり移動したことで視界が一瞬真っ暗になったが、すぐに順応して見えるようになった。
坑道内を走っていると、怪我人を運んでいる男がやってくるのが見えた。悠長に話している場合ではないのでそのまますれ違う。
たどり着いた落盤事故現場はまさに戦場だった。怒号が飛び交い、男たちが汗を流して必死に岩をどけている。
この場のリーダーを探して徹は周囲を見渡した。壮年の男が指揮をとっている。
「俺は冒険者だ、手伝いに来た!」
「冒険者!?」
「力には自信があるから岩をどけるのに使ってくれ」
「分かった、頼む!」
「おっし!」
許可を取るなり、徹は岩をどけている男たちに加わった。
◆
そこからの徹の活躍は凄まじかった。ひとりで男たちが持ち上げられなかった岩を排除し、あっという間に下敷きになった鉱夫を助けていく。
「すげえ……」
「ああ、冒険者っていってもこれほどは……」
思わず男たちも手を止めてしまい、それを見咎めたリーダーに怒鳴られて慌てて作業に戻るといった一幕もあった。
外では次々に運ばれてくる怪我人に対し、治療所で懸命な治療が行われていた。
そこで特に目立つのは、長い黒髪に巫女服を着た人形サイズの少女――サクラだ。
回復魔法が使えることを告げて、治療の手伝いと申し出た当初は信用されていなかったが、怪我人をあっという間に治していくその回復魔法の力を見せた後は誰からも文句はでなかった。
「サクラさん、次の怪我人がきた。お願いします!」
「任せて」
運ばれてきた男は何箇所も骨折し、頭や身体から血を流して見るからに重症だったが、サクラが回復魔法をかけると劇的な変化が起こった。
骨折は見る見ると治り、血を流していた傷は塞がった。苦痛に歪んでいた表情も穏やかなものになり、安らかに寝息をたて始めた。
治療された男は安静にするために別の場所に運ばれていくが、そんな必要があるのかも怪しいほどだ。
そんなサクラに、治療所の手伝いをしながらシェーラは何度も目をやっていた。
「凄いわねえ……あの回復魔法は普通じゃないわ」
少なくとも単なる使い魔に使えるような魔法ではない。あれほど強力な回復魔法が使える者など、回復魔法を専門にしている治癒術師であっても多くはないだろう。ましてや、あれほどの人数を癒して消耗している様子もないなど普通では考えられない。
ではそんなサクラと、そんな使い魔を持っているトールは何なのか?
「――面白くなりそうね」
実に楽しそうにシェーラは笑った。
2012/10/25:魔王国の首都人口を変更。
100万人→300万人。
人間・亜人国家群と一国で同等な大国の首都人口が100万人というのは
少なすぎるように思えたので、修正しました。