第4話
一階に降りると冒険者がほとんどいなくなっていた。もう依頼を受けて出ていったのだろう。
これはつまり残りの依頼が減ってしまったということだが、気にしていても仕方ないので徹はレベル指定のない簡単な依頼のボードに向かった。レベル0が受けられる依頼などそこにしかない。
レベル指定なしの依頼の報酬は最高でも50リブラのようだ。ちなみにそれは、ギルドに来た時に見ていた下水道掃除の依頼だ。
50リブラというのは『二つの子羊亭』に泊まると大部屋で食事なしでも稼ぎのすべてが吹っ飛ぶ計算だ。一日の稼ぎが50リブラ以下ならばこれ以上あそこに泊まるのは考え直すべきだろう。
ただし、一日に複数の依頼をこなせればまた話は違う。説明では一日に受けられる依頼の数については特に言及がなかったので、複数の依頼を受けることも可能なはずだ。
あの宿はサービスが良かったので、可能ならこれからもあそこに泊まりたい。別の安い宿にして食事が不味かったり、部屋が汚かったりするのは御免だ。
「つまるところ、現状維持には100リブラ以上を稼ぐ必要があるわけで]
「でも、そんなに報酬のいい依頼はここには無さそうだよ」
サクラが依頼書を眺めながら言う。
「数をこなすにしても10や20リブラの依頼ばかりだしなー」
このボードにある依頼の報酬は大半が20リブラ以下だ。これがレベル指定なしの依頼のおおよその相場なのだろう。
100リブラを稼ぐためには10リブラの依頼なら10件、20リブラの依頼でも5件が必要だ。そんなに一日でこなせるものだろうか。大部屋食事ありなら60リブラで済むので、ワンランク落とすことを許容するならまだ可能かもしれない。
だが、それでは一向に金が貯まらない。それどころか宿代と食事代以外にも色々と入用なのは明らかだ。着ている服はボロボロで下着の替えすら無い。公衆浴場も無料ではないだろうから入浴料が要る。依頼のための採取物を入れるバッグも必要になるだろう。
「なぜこうも世の中には金が要ることが多いのか」
より上位の依頼を見てみる。
東の荒野の魔物の素材採取の依頼がある。これは800リブラとかなり割がいい。しかし、レベル指定がされている。レベル30以上だ。これぐらいのレベルの冒険者は一度の依頼でそんなに稼げるのか。
「くっ、格差社会はこの世界でも変わらずか」
あの荒野の魔物ならおそらく倒せると思うのに、依頼を受けられない現実。いや、よく考えたら魔物の名前しか書いていない。姿が分からないなら探しようがない。倒せる実力があっても肝心の倒すべき敵が判別できない現実でもあった。
だが、この依頼を達成できたらいま悩んでいる金銭的な問題は一気に解決する。魔物の姿やいる場所はギルドに尋ねれば分かるかもしれない。
「元騎士の冒険者もいると言っていたよな。そんな人間まで簡単な依頼しか受けられないというのは人材を無駄にしていないか?」
「そうかもしれないけど、ご主人は違うし」
「いや諦めてはいけない。もしかしたら抜け道があるかもしれない」
聞くだけならタダだ。というわけでこの800リブラの依頼書を持って受付に行ってみることにする。
受付にいたギルドの職員は、またまた女性だった。ギルドについて説明してくれた女性より少しだけ年上でおそらく二十歳前後だろうか。長い銀髪を三つ編みにして肩から垂らし、眼鏡を掛けている。眼鏡越しに見える目付きがキツイ。
「依頼の受付ですか?」
声も外見から受けるイメージ通りで冷ややかだ。
「この依頼が受けたいんだけど、実は今日登録したばかりなんだよね」
受付カウンターの上に依頼書を広げる。
受付の女性は依頼書をザッと見てから言った。
「この依頼はレベル30以上でなければ受けられません。今日登録したということですが、説明は受けていないのですか? それとも理解できなかったとか?」
声の温度が更に低下している。
「いや、分かってる。その上で、この依頼を受けられないか聞きたいんだ」
「無理です」
バッサリ一言だ。だが、ここで負けてはいけない。
「でも元騎士の冒険者もいるって言うじゃないか。そういった人間もレベル指定のない依頼しか受けられないというのは無駄じゃないかと思ってさ」
「あなたが元騎士だと?」
胡散臭そうにこちらを見てくる。
「いやあ、違うんだけどさ。魔法使いなんだ、ほら使い魔もいる」
笑顔で友好的アピール。ほら、サクラも笑うんだ。
暫し無言で向き合う。やがて、女性はため息を吐いてから言った。
「確かに元騎士や魔法使いギルドからの紹介状がある魔法使いなど、実力を保証する証拠があるなら特例としてレベル0からでもある程度の依頼は受けられます。その実力よりだいぶ低いレベルの依頼までですが」
おお、やはりそういうのがあるのか。
「魔法使いギルドからの紹介状があるならお出しください。それとあくまで特例なので大っぴらには言わないでください」
抜け道があることが分かったのは収穫だ。しかし、当然ながら紹介状などない。
「紹介状はないけど無理かな?」
「…………冷やかしですか?」
女性の視線はもはや絶対零度だ。
「いやー、そこそこの強さはあると思うんだよね」
「自分には力あると過信して無謀な依頼を受け、大怪我や命を落とす冒険者を減らすためにレベル制度はあるのです」
理路整然とした口調で女性。まるで付け入る隙のない要塞のようだ。
「そこを何とか、お金がいるんだよ」
「たくさん依頼をこなせばいいじゃないですか」
「それじゃあ足りないんだ。もっと報酬のいい依頼じゃないと」
女性は苛立ったように舌打ちした。
分かっている、いまの自分がどれだけウザイか。明らかにこちらが間違っている。
これは入社1日目のど新人が、俺にはこんな仕事は簡単過ぎる、もっとやりがいのある仕事を寄越せを言っているようなものだ。そんな舐めた新人にはキツイ教育をくれてやらなければならないだろう。
元騎士の冒険者などは同じ新人でもすでにキャリアを重ねてきた中途入社組だ。自ずと扱いが違うのは当然である。
やはり無理かと思い始めていると、女性は何かを思いついたように口を緩めた。
「そんなに稼ぎたいなら、ダンジョンの宝でも狙ったらどうです? ダンジョンにはレベル指定はありませんよ。むしろそれこそが冒険者の本来の姿でしょう?」
女性は鼻で笑って言った。もう普通にこちらを見下している。
「え? 冒険者って依頼を受けるだけじゃないのか?」
「はぁ? あなたそんなことも知らずに冒険者になったんですか?」
呆れ果てたとでも言いたげに、女性は額に手を当てて首を振る。
「冒険者がなぜ冒険者と呼ばれていると思っているんです? 依頼をこなすだけではただの何でも屋でしょう。冒険してないじゃないですか」
確かにそうだ。先ほどギルドの依頼について説明を受けた時に、何でも屋だという感想をもったことを思い出した。
「冒険者とは元々は未知の領域や、古代の遺跡などを探索し、そこから貴重な宝物や失われた魔法技術の産物などを持ち帰ることを生業としていた人々を指した言葉です」
女性は眼鏡をクイッと押し上げて続ける。
「ですが次第に未探索のダンジョンも少なくなり、多くの冒険者が収入を得る手段を失いました。そんな彼らに仕事を与えるため、またその能力を生かしてもらうために冒険者ギルドが組織された結果、多くの冒険者には依頼が主な収入源となりました。現在の冒険者は何でも屋だというのはある意味正しいでしょう」
こちらをキッと睨んできた。何故?
「ですが、それは決して冒険者の本来の姿ではないのです。危険なダンジョンに潜り、様々な冒険を乗り越え、莫大な財宝を持ち帰る。それこそが今の時代には失われてしまった真の冒険者の姿なのです!」
次第にヒートアップしていき、最後には声を張り上げていた。密かに冒険者に熱い想いを抱いているのかもしれない。
女性はハッと自分の行動に気づいたようで、少し恥ずかしそうに一息ついて、また先程までのような冷たい声に戻った。
「今でも冒険をしている冒険者はいます。一部の地域ではまだ未探索だったり、発見されていないダンジョンが多く残っているそうです。それに新しく生まれるダンジョンもあります。魔物が巣として作ったりしたもので、奥に魔物の集めた財宝があるとか」
夢を追っている人間だな。
「最近の冒険者は初めから依頼をするために冒険者になる人達ばかりです。あなただってそうなんでしょう? 先ほどのは皮肉ですよ。通じてなかったようですけど」
最後には寂しそうに女性は言った。依頼を受けるために冒険者になったのは事実なので妙な罪悪感がある。
何だかすっかり気が削がれてしまった。もうこれ以上は問答をする気にならない。
「その、悪かった。レベル指定のない依頼書を持ってくるから受付を頼むよ」
「……ええ、分かりました。お好きなのを持ってきてください。こちらの依頼書は後から戻しておきますのでそのままで結構ですよ」
徹はバツが悪そうに頭を掻くと、依頼書を取りに向かった。
「おやっさん、次の箱を運んできたぜ!」
あれから数時間後、徹は港での荷揚げ作業に精を出していた。
この依頼の前にも既に他の依頼を終えており、この荷揚げ作業の報酬がもらえれば本日の収入が50リブラになる。
やってみればこの種の力作業は超強化された身体能力を持つ徹に向いていた。どれだけ重たい荷物だろうと逆に軽すぎて困るほどだ。ドラゴンの方がずっと重かった。
ひとりで何人分もの仕事をする徹を現場監督も気に入ったのか、特別ボーナスを出すと言ってくれた。それが本当なら更に収入が増えることになる。
「やべえな、天職を見つけちまったかもしれん」
いい汗をかいた表情で徹は額の汗を拭う仕草をした。実際は大して汗はかいていないのだが。むしろこれだけ大量の荷物を運んでほとんど疲労がないという現在の肉体は異常としか言いようがない。
だが、肉体労働をしてテンションが上がっている徹にサクラは近づいて注意した。
「ご主人、あまりやり過ぎないほうがいいよ」
「うん?」
「向こうで他の冒険者が働いてるけど、ご主人が他の人の仕事までやっちゃうから割りを食っちゃってる。下手したら恨まれるよ」
こういった仕事は成りたての冒険者がやるものなのだが、それはこれらの仕事を奪われたら収入のあてがなくなることを同時に意味する。レベル指定がない簡単な依頼の中ではこの種の力作業はまだ報酬が高い方で、新人冒険者にとっては貴重な収入源なのだ。
だからこそ徹もこの仕事を選んだのだが、他の人間の仕事まで奪ってしまうのは問題があった。依頼者は仕事が早く終わるほうがいいためむしろ喜んでくれるが、今後もこの勢いで徹が依頼を受け続けると次第に依頼者はこう考えるだろう。徹がいるなら募集人数を減らしても大丈夫だと。そうなったときは本当の意味で他の冒険者から仕事を奪うことになる。
「そうか、そこまで考えが回ってなかったな。今後はもう少し抑えていくよ」
徹も同じ苦労をしている新人冒険者に恨みはない。今日は仕方ないが、明日もこの仕事を受けるなら気をつけようと心に留めた。
その後は抑えつつ仕事を終えた徹は、報酬を受け取って街に繰り出していた。
「まさか倍額も貰えるとは思わなかったな」
ボーナス込みで本日の収入は70リブラだ。最低限のノルマは達成したことになる。明日以降も同じペースで稼げるなら、何とか暮らしていくことはできるだろう。
「だけど銅貨ばっかりが増えたせいで邪魔になってきたな」
硬貨で布袋が膨れ上がっている。振るとジャラジャラと音がする。この世界には紙幣はないのだろうか。
いい加減、荷物を入れるためのバッグを手に入れるべきだろう。他にも色々と欲しい物はある。
「そうだサクラ。お前は物をしまうような魔法を使えないのか? ほら漫画とかで何もない空間から物を取り出したりするだろ? ああいったやつ」
「うーん、いまは無理かな」
「いまは?」
「勉強したら使えるかもしれないってこと。あてはご主人が召喚された時に神様によって生み出されたんだけど、怪我や病気をした時にご主人を癒せるよう回復系の力を優先して与えられたんだ。あ、攻撃魔法もそれなりに使えるよ」
「ふーん、そっか」
将来に期待といったところだが、いま使えないのではしょうがない。やはりバッグは手に入れなければならないだろう。
というわけで、徹はバッグやそれ以外にも色々と売っている雑貨屋のような店にやってきた。
野営用のテントや頑丈なロープ、野外で使う特殊なカンテラ、簡単な傷を癒す魔法薬、虫除けの薬品、保存食や飲料水用の水筒など様々な物が狭い店内に詰め込まれている。
目的のバッグは3種類だけだった。
ひとつはバッグというか大きく頑丈な袋で、ふたつ目は肩にかけるショルダーバッグ、最後のひとつは登山に使うような大型のリュックだ。
値段もこの順で高くなっていく。大きな袋なら30リブラだが、ショルダーバッグになると一気に200リブラになり、リュックだと500リブラだ。
収納量は大きな袋とショルダーバッグで大差ないようだが、袋だけあって持ち運びには多少不便だ。袋の口をロープで縛ることで閉じるようで、持ち運びは残りのロープを掴んで行なうことになる。
また、収納物の整理では袋はただ入れるだけなのだが、ショルダーバッグとリュックは内部に仕切りがあったり、小物を入れる場所などいくつかの部分に分かれていて目的の物を取り出しやすいようになっている。
「予算的には袋になるな。でもショルダーバッグに心惹かれる気持ちもある」
「それはもう少しお金が貯まってから買えばいいと思うよ」
「まあそうかな。ところで魔法のバッグとかはないのかな?」
見た目よりたくさんの物が入る魔法のアイテムだ。ゲームとかでは定番である。
するとそんな徹の言葉を聞きつけたのか、店主の男が声をかけてきた。
「あんた、魔法のバッグが欲しいのか?」
「え? 本当にあるの? いや、そんなのがあったらなと思っただけで、実はあることを知らなかったんだけど」
「なんだそうなのか。魔法のバッグってのは空間魔法がかかってるとかで、見た目よりずっと物が入って、しかも重さも軽いって逸品だ。でもこの店にはないぞ。それに値段も普通のバッグより遙かに高い」
「いくらぐらい?」
「最低でも金貨1枚はする」
金貨1枚の価値が分からない。銀貨よりは高いのだろうが。
「金貨って銀貨何枚分だっけ?」
「おいおい、知らないのかよ? まあ、金貨なんて庶民にはそうそうお目にかからないからな。銀貨100枚で金貨1枚だ。1万リブラだよ」
「1万リブラ!?」
こっちは100リブラ稼ぐことにすら悪戦苦闘しているというのに。しかも、最低でもその値段だ。
徹の驚いた様子に男は笑う。
「冒険者で魔法のバッグを持ってるのはある程度以上のレベルの連中だからな。駆け出しには手が出せないだろう」
「あれ、冒険者って言ったっけ?」
「何となくな。駆け出しは駆け出しなりに分相応な物にしときな。稼げるようになったらその時にもっと良いのを買えばいい」
「……ああ、そうだな。じゃあこっちをもらえるかな?」
少しだけ迷ってから、徹は大きな袋を持ち上げた。
次に徹がやってきたのは服屋だ。
ちなみにここでは冒険者が使うような戦闘のための防具類は売っていない。一般的な街の人間や旅の商人などが主な客層である。
「……肌触りが良くなさそうだな」
下着の替えすら持っていないので幾つか買うつもりだったのだが、その質についてはやはり現代の日本と比べるとお粗末だ。
パンツは綿素材のようだ。ゴムなど無いので紐で締めるようになっているが、形状はそれほど現代のものと差はない。
靴下は足袋のようなものや、膝や腰まで届くタイツがある。値段はタイツのほうが高いようだ。
シャツやズボンも売っている。これも形状は現代と大差ない。ズボンは紐とベルトで留めるタイプがある。肌着として着るようなシャツはないようだ。
どれも値段の上下はあるが、あまりに安いのはすぐに破れそうだったので、そこそこの品を買うことにする。
「とりあえず下着類は2枚づつ買うか。あとシャツを2着にズボンを1本」
足袋タイプが一足で5リブラ、パンツは15リブラ。よって下着類合計40リブラ。
シャツは結構高く、一着50リブラ、ベルト留めのズボンは100リブラだ。
「合計240リブラか……」
先ほど買った袋と合わせて270リブラの出費だ。
今日の70リブラの収入はすべて消え、更に200リブラのマイナスだ。これで残金は598リブラとなる。
「痛い出費だが、一度買えばしばらくは買う必要ないからな。まあしょうがない、うん」
若干引きつったような笑顔で徹は言った。
その後、歯ブラシやコップといった小物類――30リブラした――を買った徹は、帰りにギルドに寄ることにした。
「またあなたですか。トールでしたね」
あの銀髪を三つ編みにした眼鏡の目付きのキツイ女性職員だ。
「そういうあんたは、イレーヌだったな」
受付の時に冒険者カードを出すのでこちらの名前は向こうには分かる。その時に相手の名前も聞いておいたのだ。今後もギルドの仕事をやっていくなら職員の名前ぐらい知っておいていいだろう。
「今日だけで3つの依頼をこなして頑張っているようですが、今日はもうこれ以上は止めたほうがいいのでは? この時間から受けられる依頼も少ないでしょう」
確かにもう空が赤くなり始めている。依頼には時間指定があるものがあり、今日やった荷揚げ作業のようなものは時間帯が依頼書で指定されている。
だが、今回は依頼を受けに来たわけではない。
「依頼じゃなくて、ギルド指定の魔物の討伐について聞きたい。説明ではこういった魔物を倒したら冒険者カードにポイントが加算されるんだろう? 依頼書のあるところにはなかったからさ」
「一階は依頼専用ですからね。指定魔物に関しては二階になります」
「そうなのか。よかったらもう少し教えてもらえないかな?」
イレーヌは少しだけ間を開けたが、相変わらずの冷たい声で教えてくれた。
「ギルド指定の魔物討伐は依頼の申請があったからではなく、ギルドが自発的に行なっているものです。治安改善への協力ですね」
「へー、そうなのか」
「素材に価値があるような魔物は依頼で討伐されます。なので討伐指定になるのは危険だったり、やっかいだったりするわりには素材価値のない魔物が大半です」
まさに邪魔者というわけだ。
「魔物を討伐するとギルドから謝礼が出ますが、依頼よりかなり少なくなります。代わりに加算されるポイントは高くなりますので、レベルを早く上げたいなら指定魔物の討伐をするというのもひとつの手でしょう」
「指定魔物の討伐にはレベル指定はない?」
「いえ、あります。早くレベルを上げたくで勝てない相手に挑んで命を落とす冒険者が跡を絶たなかったため、こちらにもレベルによる制限をかけています」
おのれ過去の冒険者たちめ、こちらの足を引っ張るんじゃない。
「ですが、こちらは失敗しても依頼者に迷惑がかかるわけでもないので、レベルの指定は依頼に比べて緩やかです。冒険者が死ぬだけですし」
すごくドライだ。眉ひとつ動かさず言い切った。
このイレーヌ、まさに氷の女か。
「ただ、ギルドも冒険者が死ぬことを望んでいません。犠牲は少ないほうがいいですし、登録されている冒険者の数が減るのも困りますから。そのためにレベルによる制限を設けているのです」
「俺が受けられるようなのはある?」
「それは二階の指定魔物の担当者に聞いて欲しいのですが、まあ私も把握していますのでお答えします。トールさんでしたら、差し当たって下水道のスライムになるでしょう」
別部署のことまで把握しているとは意外と優秀なのかもしれない。
それはともかく、スライムとは。パッと頭に浮かぶイメージは某RPGのマスコットになっている青いプルプルしたやつなのだが。
「スライムか、弱そうだよな」
「スライムを馬鹿にしてはいけませんよ。その粘体の肉体には通常の武器が通じませんし、高位のスライムになると魔法防御力も高く、かなり強力な魔法でなければ倒せなくなります。捕らわれたら脱出も難しく、内部で溶かされて吸収されてしまいます」
どうやら海外の作品に出てくるような凶悪タイプだったようだ。
「もっとも下水道のスライムは恐れるほどでもありません。毎年のように発生するのですが、炎に弱く、それこそ松明の炎を当てるだけでも倒せるほどです。トールさんは初級とはいえ火炎魔法を使えるようなので離れて魔法を使えば苦戦はしないでしょう」
「そいつを倒したらレベルは上がるかな?」
「レベル0ですからね、上がると思います。受けられるなら二階にどうぞ」
イレーヌは指で上を指して言った。
ギルド二階の指定魔物の窓口で下水道のスライム退治の受付を済ますと、実際の討伐は明日にして徹は宿屋『二つの子羊亭』に戻ってきていた。
本日は大部屋に泊まることにした。二人部屋に泊り続けるには手持ち資金が心許なかったためだ。
大部屋は10人が泊まれるようになっていた。
室内にはベッドが10台と幾つかの小さな椅子がある。仕切りも何もないので、どこで寝ようと周囲から丸見えだ。荷物が盗まれないか不安である。
今日は徹以外に6人が泊まっているようで、自分のベッドで荷物の整理をしていたり、椅子に座って他の宿泊客と談笑している者もいる。
徹が自分のベッドに荷物を下ろすと、隣のベッドに座っていた男が声をかけてきた。
「兄さん、使い魔を連れてるってことは魔法使いかい?」
「一応ね、あんたは?」
「旅商をしてるゲイルだ。この街へは船で来た」
「俺はトールだよ。よろしくゲイル」
軽く握手を交わす。
「そうだ、ゲイルは旅商ってことは各地のことはよく知ってるよな?」
「まあな。何か聞きたいことがあるのか?」
「実は召喚やそれに関係する魔法について知りたいんだ。そういった知識を得られるような場所に心当たりはないかな?」
「トールは魔法使いなんだろ? 魔法使いギルドには所属していないのか?」
「いやー、実はすごい田舎の出身で魔法使いギルドのこともよく知らないんだよ」
「それじゃあ、そっちの使い魔は親から受け継いだとかそんなのか?」
サクラを指してゲイルは言う。
「まあね」
「そうかい。ああ、召喚魔法についての知識が得られる場所だったな。低位の召喚魔法だったら魔法使いギルドに行けばいいとは思うが?」
「いや、できれば高位の召喚魔法や関係する魔法を幅広く知りたいんだ」
地球にまで帰れる魔法がそれほどありふれているなら、もっとこの世界から地球に来る人間も多いはずだ。もっとも来ているが気づいていないだけかもしれないが。
「それだったら中立都市リベルタスか、魔王国ぐらいじゃないか?」
「リベルタス? 魔王国?」
「知らないのか?」
「ああ、さっき言ったようにど田舎の出身でね。世の中のことをあまり知らないんだ」
知っているのは竜の聖地とこの街ぐらいだ。
ふむ、と考えをまとめるようにゲイルは口元に手を当てた。
「リベルタスってのは中立都市という名前がついているように、各国から独立した都市でね。商人ギルドによって統治されているんだが、国家から独立していることから冒険者ギルドや魔法使いギルドの本部も置かれている。学院や大図書館、研究機関なんかもあるから魔法の知識を調べたいなら最適だろうな」
「魔王国というのは?」
「こっちは魔王が統治する国だな。大陸東部を支配する最大国家でもある。人間や亜人の国々を合わせてようやく互角っていうとんでもなくデカイ国だ。といっても魔族以外にも人間や亜人も住んでるんだけどな。魔族は先天的に魔力に優れていて魔法の研究も進んでいるから、こちらも魔法の知識を得るのに適している」
「もし行くならどっちがいいと思う?」
「リベルタスじゃないか? 魔王国は魔族の国だけあって、人間にそういった魔法の知識を教えてくれる可能性は低いだろう。まあ、リベルタスであっても高度な知識などは外部の人間に公開されていないけどな」
「なるほどね、ありがとう」
その後は雑談になった。どこの店の食事が旨いとか、掘り出し物が売っていそうで実はガラクタだけの店とか、ゲイルがこれまで旅してきた国についてなど取留めのない会話が暫く続いた。
夜も深まり大部屋の宿泊客たちが順次眠りにつきだすと、二人も会話を切り上げ床につくことにした。
他の客のいびきにイライラしながらも、徹は先程の話の内容を思い出していた。
リベルタスと魔王国か。いつか行く事になるだろうか。
未来に思い馳せながら、やがて徹は眠りに落ちていった。
◆
「ちっ、酷い匂いだ」
下水道の臭気にベサクスは顔をしかめた。
平均的な体格に上質な服を着た男だ。いまは歪められている表情も普段なら人当たりが良さそうに見えるかもしれない。
暗い下水道内を注意してベサクスは進む。
強い明かりも灯せないため足下もよく見えない。もし足を滑らせ汚水の中にでも落ちようものならさぞ素晴らしい姿になれるだろう。
「うわっ」
そんなことを考えていると、背後で馬鹿が汚水に足を突っ込んだ音がした。
「静かにしろ。誰かに気づかれたらどうする?」
部下の失態に苛立ったベサクスは睨みつける。慌てて頭を下げて謝罪する部下からすぐに目を外すと、前を向いてまた歩き出した。
まったく、なぜこんなところに潜り込まなければならないのか。上から命じられた仕事の一環であり、現場の責任者が出向かなければならないとはいえ部下に丸投げしてしまいたくなる。
それからかなりの時間、無言で歩き続けた。ときおりネズミや虫が足下を這うのが見えるが、踏みつぶして靴が汚れるのも嫌なのでその都度避けなければならない。それもまた苛立ちを募らせた。
ようやく目的の物を発見したのは結局何匹かの虫が靴の裏に塗りこまれた頃だった。
「あれか」
一秒でも早くこんな場所から出たくて、すぐさま懐から小さなビンを取り出す。中に入っている液体は魔法薬だ。こんな量でとてつもない値段がするらしい。
実験と嫌がらせ。そして、万が一理想的な展開になれば本命の役目を果たすことになるのだが、そちらはうまくいけば儲けものといったところだろう。
地面にこぼさないように気をつけて、ベサクスはゆっくりとビンを傾けていった。
◆
下水道内は天井の隙間から所々陽の光が入ってくるとはいえ、基本的に暗い。そのため普通は松明やカンテラなどを使うのだろうがこちらにはサクラがいる。
小さな魔法の明かりを出してもらった。なお、徹はこの魔法をまだ練習中である。
魔法の光に照らされた下水道内はひとことで言って汚い。おまけに臭いも凄い。長くいると身体に臭いが染み付きそうだ。
「確か、スライムを見つけたらこれで撮影したらいいんだったな?」
背負っていた袋から取り出した小型の魔導具を確認する。
四角い箱の一面が鏡面になっていて、大きさは大型のカメラ程度。この鏡面に対象を映してスイッチを押すとその映像が装置に記録されるという代物だ。
これはギルドから貸し出されたもので、魔物を倒す前か倒した後に撮影して討伐の証拠とするのだ。
倒した後に撮影したほうが証拠としての信頼性が高いのだが、原型を残すために手加減して魔物を倒さなければならないのは不合理なので、倒す前の撮影でも認められている。
ただし、討伐の報告をした後に実は倒していなかったことが発覚した場合、ペナルティが課せられることになる。
なお、この魔導具は貸し出されたものなので紛失したり壊したりしたら弁償である。もし払えないならギルドに対する借金ということになる。
その値段はなんと1千リブラ。
「絶対これだけは壊すわけにはいかない。いざとなれば身を呈して守らねば……」
正直スライム退治より、この魔導具の取扱いのほうが緊張する。こんな弁償の危険があるから指定魔物の討伐をする冒険者が少ないのではないだろうか。
「まあ、さっさと終わらせよう。あとから公衆浴場に行かないとダメだろな」
うひー、と汚い地面に辟易しながら徹は下水道の奥へと進んでいった。
◆
それは自身が変化していることに気がついていた。
いままでより遙かに強く、また何より知性というべきものが芽生えていた。自身の変化というべきものを自覚できていることがその証拠だ。これまでは本能のままただ喰らい、少しでも大きくなるために増殖をするだけであった。
群体でもある肉体を総括する意識は、誕生して初めて思考という行為をしている自分がより上位の存在に変貌していることを理解した。
まさに生まれ変わったかのようだ。なぜこんなことが起こったのかは芽生えた知性を持っても不明であったが、そのようなことはどうでもいいことであった。
肝心なことは、いまの自分は強いということだ。そして、その力があればこれまで手が出せなかった獲物を喰らうこともでき、より強く、より大きくなることができる。
結局、やることはこれまでと変わっていないのかもしれない。だが、そんな自分自身に苦笑するということもできるのだ。いまの自分は。
いずれは何らかの別の、目標というものも見つけられるかもしれない。いや、なんだったらいまから目標を決めればいい。
そう例えば、自分の頭上で闊歩している多数の生物たちを喰らい、その混乱する様を見てやるのも一興だろう。これまでは喰らうだけであったが、これからは捕食対象の生物の恐怖に歪んだ表情を楽しむこともできる。
負けはしない。分かるのだ、いまの自分がこの近隣に無数にいる生物たちよりも強いということが。
それでも最強ではないかもしれない。少数だがいまの自分でも苦戦する可能性のある力の存在を感じる。だが、他の生物を喰らってより強大になれば、そのような相手を上回ることもできるに違いない。
せっかく知性を得たのだ、まずは弱い相手を見定めていけばいい。もっともこんな奴らでは大した足しにもならないが。
伸ばした肉体の一部で取り込んだネズミを瞬時に溶かして吸収すると、それはズルズルと地面を這うように移動を開始した。
◆
ようやく目的のスライムを発見した。曲がり角を曲がったら、通路のずっと先をゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。
まだ距離はあるので今のうちに撮影するために袋から撮影用魔導具を取り出す。
「これカメラより撮影しづらいよな。覗き穴はついてるけどさ」
箱の上部に視線を通すための穴はあるのだが、実際に映像を映すのは鏡面部分であり、ここに上手く映ってくれないと撮影できない。フラッシュも焚けないので暗所での撮影は工夫が必要になる。
「サクラー、どうだ? ちゃんと映ってるか?」
撮影用魔導具をスライムに向けながらサクラに確認を頼む。サクラは撮影の邪魔にならないよう斜め前からこちらを見て言った。
「ぼんやりとは映ってる……かな?」
「そんなんでいいのかね? とりあえず撮影して、倒してからまた撮影してみるか」
倒した後にスライムの原型が残っていればだが。
◆
新生した自身にとって初めての大きな獲物だ。近づいてくる獲物にそれは歓喜で沸き立った。
ろくな意識もないころに見かけたことがある二足歩行をする生物だ。隣にそれを小さくしたのも浮いている。あれは同族だろうか? どうでもいい、諸共喰らうだけだ。
どちらも大した力は感じない。しかも、油断しているようだ。こちらを警戒しているようには見えない。
もしかしたら以前の弱かった自分のことを知っているのかもしれない。それなら好都合だ。喰われる時に自分たちの愚かさを思い知るだろう。
これまであえて遅くしていた移動速度を上げようとする。その直前だった。大型の生物の方が手から火球を撃ちだしてきたのだ。避けられずに直撃を受ける。
――この程度、どうということもない。
だが、肉体に損傷はなかった。以前の自分だったらあるいはいま程度の熱量でも死んでいたかもしれないが、現在の肉体には些細なダメージにすらならない。
改めて自身の強靭さに高揚しながら、それは一気に距離を詰めると、肉体の一部を伸ばして大型の生物の腕へと巻きつけた。
「うわっ! っておいおい、服が溶けてるじゃねえかよ!?」
巻きつけた腕を覆っていた服というらしい物が溶ける。だが、その程度では済まない。このあとすぐに聞こえてくるだろう獲物の悲鳴をそれは待ちわびた。さあ、その表情がどのように苦痛に歪むのか見せてみろ。
「うげー、ヌルヌルして気持ち悪いわー」
「ご主人、油断し過ぎだよ」
「っかしいな、初級魔法でも倒せるっていうからギリギリまで威力を抑えたのに。流石に抑えすぎたのか?」
――いつまで経っても、獲物は悲鳴を上げない。苦痛に表情も変えない。いや、それどころではない。
それは驚愕した。獲物の皮膚が少しも溶けていないのだ。
なんだこの生物は!? いままで捕食したことはなかったが、これほどまでに耐久力に優れていたのか?
「やれやれ、服は直せるかな? あーあ、また出費が……」
大型の生物は掴まれている方とは反対の手に炎を出すと、腕を捉えているこちらの肉体に押し当てた。
――馬鹿な!?
今度の炎は先ほどまでとは熱量の桁が違った。腕を捉えていた肉体は瞬時に蒸発する。
痛覚を有してないそれは肉体を失ったところで痛みはないが、生まれ変わった自分の肉体がこうも容易く破壊されたことに精神的打撃を受けた。恐怖したのだ。
それは悟った。自分は手を出してはいけない相手に手を出したのだと。
だが、それを理解した時には遅かった。
「爆発させたら下水道が崩れそうだし、純粋に燃えるようにするか。サクラ見てろよ? 俺だって少しはコントロールできるようになってるんだからな」
大型の生物が最初と同じように炎を撃ちだす。しかし、最初とは違いそれの肉体を簡単に貫き、肉体内部で凄まじい熱量を開放した。
瞬時に焼きつくされ、それは僅かな時間だけ存在した意識を永遠に失った。
◆
後日、いつまで経っても何事も起こらないことを訝しんだベサクスは、部下に下水道のスライムがどうなったか調べさせた。
あの夜に投与した魔法薬はスライムを大幅に強化するものだ。まだ実験段階の代物だそうだが、薬の効力を試す意味合いもあってベサクスに与えられたのだ。
調査後に部下からの報告のよると、冒険者によって討伐されたとのことだった。
それほど強力な冒険者がわざわざ下水道のスライム退治をするものだろうかと怪訝に思ったが、報告ではまだ新人の初級魔法しか使えない冒険者が倒したことになっていた。
もしも薬が効力を発揮してスライムが強化されていたなら、上級魔法が使えるような上位の冒険者でなければ倒せないはずである。
ということは、あの魔法薬は失敗作だったということだ。スライムが元のまま変化していないなら初級魔法でも簡単に倒されるだろう。
それほど期待していなかったのでベサクスに落胆はない。
こうして、魔法薬は失敗作であったと上には報告されることになった。
スライム君は最初から死亡フラグを立てすぎていた。