第3話
城塞都市エーレン。
フレンジア王国の東部に位置し、ローデン辺境伯の領地における中核都市である。
人口は約1万5千人。
北側はエレル川に面し、残り三方を城壁で囲んだ城塞都市であり、街の北側には川を航行する船のための港がある。
港の船はこれ以上東に行く事はまずない。危険地帯が広がるだけで何もないからだ。
エレル川を航行する船の東の終着地がこのエーレンである。
また、辺境伯の領地の東にある荒野は強力な魔物が多いため開拓が進んでいない。
更にその荒野の向こうには凶悪な魔物が闊歩する人外魔境の地が広がり、その果てには多くの竜が住む山があるという伝説があるが、それを確認した者はいないため真偽は不明である。
◆
街に入るための門は東、西、南の三方にあるがそれぞれに衛兵が立っており、入市目的の確認や、違法な品を持ち込んでいないかといった検査を受ける必要がある。
どの門も検査の順番待ちに列ができているのだが、御者台に座ったローガンに操られて馬車は列に並んだ人々を横目に衛兵の元へと向かった。徹としては後ろから着いて行くしかないのだが、大勢の視線が刺さって居心地がよろしくない。
ローガンが衛兵と少し話し、何かを見せるとそれだけで通行許可が下りた。馬車の中を確かめられることもなかった。あからさまな特別待遇である。
結局ここに至るまで――半日も経っていないが――馬車の中の女性と顔を合わせることはなかったが、やはりどうやら訳ありのようである。おそらく貴族かそれに類する身分の高い人物なのだろう。
それはともかく、街の出入りに衛兵のチェックがあるとは思っていなかった。無一文の素性の怪しい人間を素直に入れてくれたかは怪しい。
エリーシアたちに出会えなかったら、もしも自力で辿り着けていたとしても城壁のない北側の港から忍び込むことになったかもしれない。それだって港にも見張りはいると思われるので、簡単には行かなかっただろう。
門を通過すると石畳の大通りが真っ直ぐ続いているのが視界に入った。道の左右には石造りや木造建築の建物が並び、露天商たちが地面に商品を広げている。
大通りは馬車が余裕を持ってすれ違える道幅が確保されているようで、小麦や果物といった食料品や大量の薬のビン、中には魔物の一部と思わしき荷物を積んだ馬車までいて、徒歩の人々も馬車の進路を遮ることも気にしないで当たり前のように馬車に並んで歩いている。
人の数は日本の街とは比べ物にならないほど少ないが、その代わりに街の規模も小さいため人口密度は高い。人間以外の種族もいて、ドワーフだろう背の低い髭面の男や、猫のような耳を頭から生やした細身の女性、トカゲ頭のリザードマンなどが極自然に街の風景に溶け込んでいる。
初めて見る異世界の街並みに徹が目を奪われていると、ローガンがずいっと袋を顔の前に差し出してきた。
「これは?」
茶色い布袋に硬貨らしきものが入っているようだ。
「クラリス様のご好意だ、1千リブラある。これだけあれば10日の宿代にはなろう」
「そんな、いいんですか?」
「受け取っておけ。まったく、クラリス様に感謝しろ」
「うう……ありがとうございます」
なんて良い人だろうか。徹は深々と馬車の方に頭を下げた。
異世界で
人の情けが
身にしみる
思わず一句詠んでしまった。季語も何もなく単に五・七・五にしただけであるが。
顔を上げるとローガンはすでにこちらに背を向け、馬車の御者台に戻っていくところだった。それに入れ替わるようにエリーシアたちが近寄ってくる。
「それじゃあトール、元気でね。また会いましょう」
「サクラちゃんも元気でね、また会えることを願っているわ」
「気をつけてな。また一緒に旅ができたらいいな」
エリーシア、エルシア、アルフレッドがそれぞれ別れの言葉をかけてくる。短い間とはいえ共に旅をした仲だ、三人とも再会を望んでくれているのが嬉しかった。
「おう、そっちも気をつけてな。また会えたらその時はよろしくな」
この広い世界だ、一度別れればもう会えない可能性のほうが高いだろう。それでも再会を期待して、徹も笑顔で別れを告げた。
馬車が雑踏の中に消えていく。徹はエリーシアたちが見えなくなるまでその場で見送っていた。
「それでご主人、これからどうするの?」
見送りも終わって妙に寂しい気持ちで行き交う人々を眺めていると、サクラが今後の予定を尋ねてきた。
「そうだな、とりあえず宿を探してみるか?」
だいぶ日も傾いている。早めに宿を見つけられなければ夜になってしまうだろう。何かするにしても明日にすべきだ。
サクラも特に文句はなかったようで、軽く頷くことで肯定を伝えてくる。
さて、宿はどの辺りにあるのだろうか。まあ、分からなければ誰かに聞けばいいか。
街並みを眺めながら散歩気分で徹は歩き出した。いつもの様に隣をサクラがふよふよと飛んでついてくる。
夕方特有のどこか切なくものんびりした空気。
遊んでいる小さな子供たちが人混みを縫うように駆けていく。今日の仕事を終えた男たちが飲みに行く店の相談をしている声が聞こえる。
こういう雰囲気は嫌いじゃない。何だか旅行に来たような錯覚をしてしまいそうだ。
「お、果物を売ってるみたいだな。あれはリンゴかな」
店先にいろんな種類の果物や野菜が並べられている。その中の赤い果実はリンゴのように見える。異世界でも同じ植物があることもあるだろう。世界は違っても人間だっているのだから。
「なんだいお兄さん、リンゴが欲しいのかい? 何個?」
店主のふっくらした中年の女性が表に出てきた。
別に買うつもりはなかったのだが、ここ最近魚だけしか食べてなかったので、久しぶりにリンゴが食べたくなった。手持ちの資金は大事にしなければならないが、リンゴぐらい構わないだろう。
「おばちゃん、じゃあ1個――いや、2個もらえるかい?」
「あいよ、2個で2リブラだよ」
「えーと、ちょっと待ってな」
ジャケットのポケットから布袋を取り出す。開けると銀色の硬貨が10枚入っていた。
これは銀貨だろうか? 確かローガンは1千リブラ入っていると言っていた。ということは銀貨1枚が100リブラとなるのか。
「その、この銀貨? でいいかな?」
「銅貨はないの? ――ない? しょうがないねえ。普通はこういう時は銅貨を用意しておくもんだよ」
文句を言いながらも店主はお釣りを用意してくれるようだ。店の中に戻っていく。
どうも常識はずれな行動だったのかもしれない。貨幣価値や相場について何も知らないので失敗した。
「ほら、お釣りはここに置いておくよ」
店のカウンターに並べられたのは小さな銀貨が1枚と大量の銅貨だ。
銅貨を数えると48枚あった。おそらくこの小さな銀貨は50リブラの価値があるのだろう。もしも店主が釣り銭を誤魔化そうとしてもこちらは気付けないのだが、おそらくこの人はそういうセコいことはしなさそうだ。
「アンタ世慣れしてないようだね。そんなんじゃ悪い奴らに食い物にされちまうよ」
そんな心配までしてくれる。きっぷの良い肝っ玉母さんという感じだ。
徹はふと思った。このおばちゃんに宿について尋ねてみよう。少なくとも悪いところを紹介されることはなさそうである。
「心配してくれて悪いね。実は宿を探してるんだけどこの街は初めてで、もし良かったら安心して泊まれる宿を教えてくれないかな?」
「しょうがないねえ。この道を真っ直ぐ行って2つ目の角を左に曲がってそのまま進みな。右手に『二つの子羊亭』っていう宿が見えてくるはずさ」
きっと面倒見の良いタイプなのだろう。嫌がることもなく教えてくれた。
「ありがとうおばちゃん。助かったよ」
「別に礼なんていらないさ、それより1個はその子にかい?」
サクラをチラッと見て確認してくる。
「まあね、よく分かったね」
「何となくそんな気がしたのさ。ボロっちい格好をしてるけどあんた魔法使いかい? まあ、使い魔を大切にしてる点は嫌いじゃないよ」
おばちゃんは笑うとリンゴを渡してきた。1個は徹に、もうひとつはサクラに。
「持てるかい?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
サクラは両手で抱えるようにしてリンゴを受け取った。
「それじゃあ、これで行くよ」
「ああ、またおいで」
「また来るよ」
リンゴを見せるように持ち上げて徹は言った。
その後ろをリンゴを抱えたサクラが追う。遠くから見たら下手したらリンゴが空を飛んでいるように見えるかもしれない。
歩き出して早速、徹はリンゴをかじった。甘い果汁が口の中を潤してくれる。久しぶりに食べたリンゴの味は格別だった。一口では止まらず、一気に食べてしまいそうだ。
隣からもシャクシャク……と咀嚼音が聞こえる。こちらはサクラだ。飛びながら美味しそうにリンゴを食べている。
「お前それで前が見えてるのか?」
「アム……、大丈夫」
「ふうん、まあいいけどな」
徹の方はもうすぐリンゴを食べ終えてしまう。サクラは身体が小さい分、リンゴ1個でもたっぷり味わうことができるのだ。羨ましいかもしれない。
教わったとおりに2つ目の角を左に曲がって進む。
もうすぐ日が完全に沈みそうだ。日本とは違って夜になると本当に暗い。建物から漏れる光や、数は少ないながらも街灯もあるため周囲が見えないというほどではないのだが、光の届かない路地の奥などは不気味な雰囲気を感じさせる。背筋がゾッとなってついつい早足になってしまった。
それから暫く進むと、ようやく目的の宿『二つの子羊亭』が見えてきた。
石造りの二階建ての建物だ。
入口のドアは押して開けるようだ。ドアの前まで来ると、ガヤガヤと賑やかな声や音が聞こえてくる。どうやら1階は食堂になっているらしい。
徹は一度息を吐いてからドアを押した。
カランカランと鐘が鳴る。来客が分かるようにドアに仕掛けてあったのだろう。
食堂にいた人間――人間以外の種族もいたが――のうち、何人かがこちらを見てくる。だが、すぐに興味を失ったようにそれぞれ食事や談笑に戻っていった。
ドアの正面にカウンターはあった。食堂を横切った対面側だ。カウンターの後ろは厨房になっているようである。またカウンターの前には背もたれのない丸椅子がいくつか並び、どうやらカウンター席のようでそこで酒を飲んでいる客もいる。
宿屋の主人だろう中年の男がカウンターの向こうに座ってこちらを見ている。一見平凡そうな男だがその目付きは鋭い。
入口で固まっていても仕方ないのでカウンターに向かう。食堂のテーブル席の隣を横切る時にチラっと食事の内容を見たが魚料理が多いように思えた。
いい加減魚にも飽きている。肉料理もあったのでそれを注文しよう、と考えている間にカウンターに着いた。
「泊まりたいんだけど、部屋は空いてるかな?」
宿屋の主人はサクラを一瞥した後、こちらに向いて答えた。
「二人部屋と大部屋に空きがある。二人部屋は今日はまだ客がいない。今なら貸切だな」
「値段は?」
「大部屋だと一泊50リブラ、二人部屋は100リブラだ。二人部屋は朝食と夕食が付く。ちなみに、朝食や夕食が要らない場合でも値段は変わらない。昼食が欲しいならどこかの店で自分で食べろ」
「大部屋で食事を頼む場合はいくらになる?」
「朝食と夕食のどちらも5リブラだ。10リブラで朝夕食べられる。大部屋に泊まっている客用の値段なんで、食事だけの客はもう少し高くなる」
大部屋のほうが食事がついても40リブラ安いのか。
節約すべきなのだろうが、大部屋で他の客と一緒に寝るというのも不安がある。とりあえず今日は二人部屋で明日以降はまた考えよう。
「二人部屋で頼む。それと、何日か泊まりたい場合は前金を払うのかな?」
「前金を払ってくれるならその金額で泊まれる日数は確実に泊まれる。毎朝その日の分を払うのでも同じだな。前金を払った場合でもキャンセルするなら残りの金は返す」
「キャンセル料は取られないのか?」
「あくまで前金として預っているだけだからな。それにキャンセル料なんて取っていたら前金を払って泊まる客が少なくなるだろ。他に質問はあるか?」
「ああそうそう、チェックアウトの時間は?」
「朝食の時間から1時間後には部屋から出ていってもらう。朝食を取らない場合でも同じ時間だ」
「そうか、とりあえず聞きたいことはそれぐらいかな。また何かあればその時に聞くよ」
財布代わりの布袋から銀貨を1枚取り出してカウンターに置く。
「ではこちらの宿帳に名前を書いてくれ。字が書けないなら代筆する」
「ああ――いや、大丈夫だ」
会話はできるようだし、この宿の名前の文字も読めた。なら後は文字が書けるかどうかだが、神様の加護に抜かりはないらしい。自分の名前をこの世界の文字で書こうと思ったら自然と書くべき文字が頭に浮かんできた。
羽根ペンを使うのは初めてだったが、ペン先をインクに浸してから書くということは分かったので、名前を書く程度なら問題なかった。
「トールだな。俺はこの宿屋の主人のレジードだ。まあよろしく頼む」
レジードが握手のために右手を出してきた。
こちらも右手を伸ばし、互いの手を握って軽く上下に振ってから離す。
「お世話になるよレジード。そうそう夕食のリクエストは可能かな?」
「ああ、うちとしては魚料理がオススメだ。エレル川の魚は旨いぞ」
「それは知ってる。でも今日は肉料理が食べたいな」
「今日は豚しかないがそれでいいか?」
「それでいいよ」
「飲み物は酒でいいか?」
「いや、今日は酒は止めておくよ」
まだこの宿が安全だと完全には信用できていないので酔うのは不味い。
「なら何か適当な飲み物を出してやるよ。そっちの使い魔の食事はいらないな?」
「うん? ああそうだな、もう要らないだろうな」
もともとサクラに食事は必要ないのだが、リンゴ1個を食べきったおかげで満腹らしく、目が半分閉じかけていて、飛行が維持できずにふらふらしている。
徹は苦笑すると、サクラを腕で抱いて寝かせてやった。
食事の後、徹は今夜宿泊する部屋にやってきた。
二階に上がって左側に並んでいる部屋のひとつだ。日当たりを考慮してなのか東に面している。
受け取った鍵で中に入ると、ベッドが二つある。手に持っているランタンの淡い光だけでは薄暗いが、暖色系の明かりに照らし出される室内は独特の趣がある。
窓にはなんとガラスが嵌っている。透明度は薄いが、ガラスがあるのは驚きだ。その窓の下に台があり、そこにランタンを置くのだろう。
ベッドのシーツは白くて清潔そうだ。異世界の宿がどんなものかと不安があったが衛生面ではそこまで悪くないらしい。
流石にトイレは一階にあるだけで、風呂についてレジードに尋ねたら公衆浴場に行けとのことだが、そこまで望むのは贅沢なのだろう。
ちなみに、これまでは川沿いの旅だったので水浴びをしていた。
服もその時に洗い、水浴びをしている間にサクラに魔法で乾かしてもらった。日本の川だったら御免だが、この世界の川は澄んでいて、おそらく大丈夫だろう。
それに万が一病気になってもサクラに魔法で治療してもらえるらしいので、病気になってお陀仏という最悪の事態は回避できそうだ。
「まあ、一日ぐらい風呂に入らなくてもいいか」
二つあるベッドの右に腰掛ける。
まだ眠っているサクラもこちらのベッドに寝させた。シングルサイズのベッドでも人形のような大きさのサクラなら余裕だ。二人部屋なのでもう一方のベッドを汚すわけにはいかない。もしかしたら倍の料金を請求される恐れがある。
手で撫でるとシーツのサラサラした感触が返ってくる。野宿が続いていた身としては、ようやくまともな寝床で寝られるだけでも嬉しいものだ。
先ほどの夕食も味付けは濃かったが普通に美味しかった。飲み物はミルクだったが、あれは牛の乳だろうか。食生活の面でも地球と大差ないように思える。
それに、よく考えたらトイレがあるということは下水道があるということだ。一見中世ぐらいの文明に見えるが、魔法がある世界なので地球の中世とはまた違うのだろう。
「さーて、明日からどうするかな」
手持ちの資金は898リブラ。
銅貨が一気に増えたせいでジャケットのポケットに入れると不恰好に膨らむ。
これが貰えてなければこの宿に泊まることすらできなかった。顔を見ることもなかったが、クラリス様という人物には感謝する他ない。
「まずは当面、金を稼ぐ手段を見つけないとな」
世の中なんであれ先立つモノが必要だ。
荒野で野生生活をするなら話は別だが、まともな食事や寝る場所が欲しければ金を稼がなければならない。また、元の世界に帰る方法を探すためにも、金があったほうが何かと有利だろう。
幸いといっては何だが、この世界である程度の力はあるようだ。
これまでのところ苦戦したのはあのドラゴンぐらいで、それ以降に出会った魔物は特に苦労なく倒せてきた。
それでも、サクラの話ではいま邪神に襲われたら勝ち目はないらしいので、目立つことは避けて地味にやっていくべきだろう。
「まあ今日はもう寝ちゃうか。アテもないわけじゃないしな」
日本ではまだまだ寝るような時間ではないが、この世界では夜は暗く、娯楽も少ない。テレビもパソコンも本すらないなら起きていてもやることはない。
早朝から活動するためにさっさと徹は寝ることにした。
翌朝、徹は朝食を食べてから宿を後にし、街を歩いていた。
まだ太陽が昇ってすぐという時刻にもかかわらず、すでに街の住人は活動を開始している。夜が早いから、朝も早いのだ。
「とりあえず金を稼がないとならんのだ」
「そうだね、ご主人は何かできるの?」
「簿記の資格はあるぞ、2級だ」
「ふーん、どこかの店で働かせてもらうの?」
店の下働きから開始して、自分で商売をするようになり、やがては自分の店を持つ。
そこからも懸命に働き、店も大きくなり、多くの従業員を従えて、各地に支店なんかも出したりして、余って余って仕方ない金に大笑いする。
悪くはない。その頃には人生の半分以上が過ぎているだろうが。それに簿記の知識があっても経営はまた別の領域だ。
「――まあ、ないな。店の下働きをしていて元の世界に戻れるとは思えん」
「じゃあどうするの?」
「冒険者ギルドに行ってみる」
エリーシアたちに金を稼ぐ手段について尋ねたら、冒険者ギルドを奨められた。トールぐらいの実力があれば十分にギルドの依頼をこなせると。聞くと彼女たちも冒険者のようで、ある依頼を受けている最中らしい。
ギルドの場所は宿を出る前にレジードに聞いた。
冒険者ギルドは街の中央エリアにある。ちなみに、昨晩宿泊した『二つの子羊亭』があるのは街の東側だ。
到着した冒険者ギルドは、二階建ての大きな建物だった。この付近は重要な施設が集まっているのか、建造物は軒並み他のエリアよりも大きい。
両開きの扉を開けて中に入る。
早朝にも関わらず大勢の人がいた。むしろ早朝だからこそか。格好からして冒険者だろう。鎧を着けていたり、剣や弓などで武装している。
建物が大きいだけに混雑している印象はないが、昨晩宿の食堂にいた客たちよりもずっと人数は多い。
向かって右側が受付のようだ。ギルドの職員が依頼を受けに来た冒険者の対応をしている。
左側の壁にはいくつかの大きなボードが掛けられていて、沢山の紙が貼ってある。受付には順番待ちの列ができているので、まずはそちらに行ってみることにした。
「えーなになに……」
目についた紙に書かれた文章を読む。
薬草採取依頼。報酬は5リブラ。期限は無期限。冒険者レベルの指定はなし。
要約するとこのような内容だった。これらがギルドに持ち込まれた依頼らしい。
「ってか報酬すくねぇ……リンゴ5個買ったら終わりだぞ。子供のお使いか」
いや、これは薬草を一定量集めれば5リブラ払うということか。よく読めば沢山持っていけばそれだけ報酬が増えるということも書いてある。
他の依頼についても見てみる。
「下水道の掃除……報酬は50リブラか」
これならリンゴが50個買えるな。
「魔物の素材採取……報酬は3千リブラ」
なんと、これならリンゴが3千個も買える。これは凄い!
これだけあったら毎日リンゴを腹いっぱい食べても大丈夫。サクラも大喜びだ。
「…………いやいやいや、俺はなぜリンゴを基準に考えているのか」
そんなに大量のリンゴを集めて何をする気だ。リンゴ業者でも始めるのか。
それはともかく、依頼書を読んでいて気がついたのだが、ボードごとに分類されてるようだ。おそらく依頼の難易度や報酬などで分けているのだろう。
冒険者レベルという単語も気になった。
簡単な依頼ではそのレベルが指定されていないのだが、難しい依頼になるほどレベルが指定されている。例えば冒険者レベル30以上のように。
「冒険者レベルの指定がない依頼ならだれでも受けられる――ってわけにはいかないだろうな」
これ以上依頼書を見ていても仕方がない。依頼を受けるにはどうするのか。
丁度、奥にある階段からギルドの職員らしき人物が降りてきたので尋ねてみると、依頼を受けるにはギルドに登録が必要で、二階の窓口に行くよう指示された。
階段を登ると、ギルドの職員たちが仕事をしている光景が広がっていた。
壁の案内図を見て、冒険者ギルドの登録用の窓口に向かうと、若い女性がカウンターの向こうに座っているのが見えた。
ギルドの職員の制服に身を包み、亜麻色の髪をまとめて後頭部から垂らしている。これはポニーテイルという髪型だろう。
「登録ですか?」
「そう。でも冒険者ギルドについて殆ど知らないから教えてもらえるかな?」
椅子に座ってから徹は言った。
「承りました。最初にお伝えしておきますが、冒険者カードの発行には100リブラが必要になります。よろしいですか?」
「おう……、いや、分かりました」
予想外の出費だ。貴重な資金が減っていく。
「では冒険者ギルドのシステムについて説明しますね。まず、ギルドで依頼を受けるには登録が必要となります」
もうご存知でしょうけどね、と言ってから女性は説明を続ける。
「ギルドに登録されたばかりの冒険者は、冒険者レベル0となります」
最初はゼロからスタートか。
「依頼を成功させたり、ギルドが指定する魔物を討伐していただければポイントが加算され、一定のポイントが貯まるとレベルが上がります。ただし、レベルが上がるほど次のレベルに上がるために必要なポイントは増えていきます」
この辺りはゲームなどのレベルと同じなので簡単だ。
女性はこちらが理解できているか伺うように見てきたので、徹は理解できていると頷くことで話の先を即した。
「依頼の難易度や討伐対象の魔物の強さによってギルドがどの程度のポイントを加算するかは決めます。なので、レベルが低い間はともかく、レベルが上がってくると簡単な依頼だけではいつまでたってもレベルが上がらなくなります」
まあそうなるだろう。
もしも簡単な依頼でも難しい依頼でもポイントが同じなら、レベルを上げたいだけなら簡単な依頼ばかりをすればいい。
だが、このレベル制度は冒険者の実力を客観的に表すためのものなのだから、高レベルの冒険者はそれだけ難しい依頼を達成できる実力が求められる。そのため高いレベルになるためにはそれ相応の難易度の依頼をこなしていかないとならないのだろう。
「次に依頼のレベル指定について説明します。これは依頼にレベル指定があると、そのレベル以上の冒険者でなければ依頼を受けられないということを意味します」
「そのレベル指定は誰が決めているんだい?」
気になったので、説明の途中だが口を挟んだ。
「それは依頼者です。また、依頼者の方がレベル指定をされない場合でもギルドの判断でレベル指定をすることがあります。ただし、それはギルドから依頼者の方への提案なので、依頼者の方がレベル指定をすることを望まれない場合はレベル指定はされません」
おや、これは思っていたのとは少し違う。あのレベルはギルドが決めているのではないのか。
「また、どの程度のレベルを指定するべきか依頼者の方が分からない場合はギルドが相談に乗り、その依頼に合ったレベルをお教えします」
この場合は少し余裕をもったレベルになるんですけどね、と女性。
ギルドとしてアドバイスをするのだから、成功の可能性が高くなるようにしているのだろう。
「依頼の受け方は、一階の壁に依頼書があるので、受けたい依頼書を持って受付に言ってください。これは他のギルドの支部でも同じです。支部によっては依頼の受付が二階だったりするかもしれませんが」
ギルドの建物の構造もやはり地域によって違うのだろう。
「依頼の形態は様々です。例えば薬草の採取だったり、荷物の運送、力仕事の手伝いや、指定された魔物の部位の採取、護衛の依頼、文字が書けるなら写本の作成の手伝いといったものもあります。詳しくは依頼書を見てください」
ようするに危険なことでもやる何でも屋か。
「ちょっと気になったんだけど、依頼を失敗した場合はどうなる? ギルドに違約金を払ったりしないとならないのかな?」
「え? いえ――」
キョトンとしたようにギルド職員の女性は軽く固まった。だが、すぐに気を取り直して答えてくれた。
「違約金が発生するかは依頼者の方との契約次第です。依頼が失敗したからといってそれは依頼者と冒険者との問題であり、ギルドは関わりません」
ギルドはあくまで仲介役ですしね、と言って女性は言葉を続ける。
「それに、もしギルドが違約金を受け取るということは、依頼者に依頼の成功を保証しているということです。それだと、とてもその支部所属の冒険者の手に負えないような依頼が持ち込まれたら、ギルドとしてはその依頼の申請を断らないといけなくなります」
「まあ、そうかな」
「ですが、ギルドが把握していないだけでその依頼をこなせるだけの実力を秘めた冒険者がいる可能性もあります。だからこそ、ギルドは基本的にどんな依頼の申請でも受け付けています。ギルドの役割はあくまでも依頼者と冒険者との間の橋渡しです」
確かに言うとおりかもしれないが、仲介役に徹することで冒険者ギルドに責任が及ぶことを回避しているという側面もあるのではないだろうか。
「あ、それとですね。そういった極めて高難易度とギルドが判断した依頼にはレベル指定はされません」
「うん? どういうこと?」
「これは冒険者レベルは低いけれど、実力は高いという方もいらっしゃるためです。例えば元騎士の冒険者などですね。全ての冒険者に機会を与えることで少しでも成功の可能性を高めるためです」
一階の依頼書のボードはおおよその難易度――指定レベル帯ごとに分かれていた。
だが、レベル指定がないなら簡単な依頼と超難易度の依頼が混ざって掲示されることにならないだろうか。
そんな疑問を覚えていると、こちらの考えを察したのか女性は苦笑して言った。
「もちろん簡単な依頼とは区別されます。そういう依頼――特別依頼というのですが、その特別依頼は滅多に出ませんが、もし出たらひと目で分かると思いますよ」
特別依頼というのか。もっともそんな依頼を受けることはないだろうが。
「そういう難しい依頼のためのレベル制だろ? 特別依頼は最高レベルの冒険者でもできないような難易度ってことなのかな?」
「いえ、そういうわけではないです。依頼は基本的には支部ごとに管理されていまして、特別依頼になるかはその支部所属の冒険者のレベル次第です。なお、他の街に活動の拠点を移されるならその地域を管轄する支部に伝えてください。新たにその支部の所属に切り替わります。あと強制ではないのですが、その際には元の支部にも事前に伝えておいてもらえると助かります」
支部ごとに所属か。つまり登録が終われば、まずはこのエーレンの街の支部所属ということになるわけだ。
「その他に公に公開されない依頼もあります。依頼者の方が冒険者の力は借りたいけれど、依頼があることを知られたくない場合です。この場合はギルドの方から依頼をこなせるだけの実力がありそな冒険者にそれとなく伝えます。この時は簡単な概要だけで、もし依頼を受けてもらえるならその後に依頼の詳細を説明します」
秘密の依頼か、何となく怪しい匂いを感じる。秘密ってところが。
「もちろん公開されないからといって、犯罪に関わるような依頼は受けませんよ。うちは盗賊ギルドではないですからね」
そう言うと、女性の表情が険しくなる。
「もしも依頼で盗賊ギルドが関わってきたら気をつけてください。あそこは犯罪者の巣窟です」
声も先ほどまでよりも潜めているように感じる。
盗賊ギルドなんてものまであるのか。異世界でも裏社会は存在しているらしい。
「っと失礼しました、説明を続けます。依頼は依頼者と冒険者との間の契約だと申しましたように、依頼を受付で受けただけでは依頼者との契約の成立はしていません。紹介状をお渡ししますので、それを持って依頼者の元に行ってください」
表情を穏やかなものに戻して女性は説明を再開した。
段々疲れてきたが、説明している方が大変だと思い直してきちんと耳を傾ける。
「紹介状を持っていけばまず大丈夫ですが、稀に依頼者から拒否される場合があります。その場合は残念ながらその依頼を受けられません」
金を出すのは依頼者なので、最終的な決定権が依頼者にあるのは当然ではある。
「あとは、薬草の収集依頼のように特定の品を持ってくるような依頼の場合は、ギルドが依頼者とのやり取りを代行します。冒険者の方はその依頼の品をギルドに届けてくだされば依頼達成です。報酬が余程高額でなければギルドが立て替えてその場で支払いますので、冒険者は依頼者からの入金を待つことなく報酬を受け取れます」
これは冒険者にはありがたいサービスである。
依頼の品さえ持ってくれば、依頼達成が確実だから成り立つのだろう。
「ギルドのシステムの説明はそれぐらいですかね。何か質問はありますか?」
「そうだな……契約違反があった場合はどうなる?」
「それは先程も言いましたが、依頼者との問題です。ただ、ギルドもその契約内容は把握していますので、契約内容の証人になります。あくまでも契約内容の正しさを保証するだけですので、たとえ冒険者に不利になろうと事実を証言します」
なんだか曖昧な説明だ。困ったときに手助けはしてくれないということだろうか?
「依頼者が依頼を達成したのに報酬を支払わない場合は?」
「それは法によって訴えることになりますね。その時にはギルドも協力します。さっき言ったように契約内容をその地を治める――たとえば領主様に証言し、冒険者が望むなら報酬が支払われるよう法律的な手続きをギルド側が代行します」
どうやら手助けはしてくれるようだ。この世界の法律なんて分からないので、その時は任せる他ない。いや、元の世界の法律も詳しくはないのだが。
とりあえずこれぐらいか。気になることがあればその時に尋ねればいいだろう。
「説明ありがとう、それじゃあ登録はどうすればいいのかな?」
「ふふ、一度の説明でちゃんと理解して下さったようですね。理解しきれずに何度も同じ事を聞いてくる人もいるんですよ」
それは大変だ。でも、この世界では教育を受けられる人間が少ないのだろうから仕方ないのかもしれない。
「登録自体はすぐに済みます。まずはこちらの書類に必要事項を記入してください。もし文字を書けないなら代筆をしますが、お客様なら大丈夫ですよね?」
何だか信頼してくれているらしい。これで書けなかったらかなり恥ずかしいが、幸いこの世界の文字が書けることは昨夜の宿屋で分かっている。
書類に目を通すと、記入事項は名前と性別、年齢、種族、所持技能。
所持技能は、例えば戦士技能という大分類があり、その中に剣や槍といった個別の技能分類があり、それぞれの習熟度を書くようになっている。経験年数とか流派とかそんな感じだ。
魔法技能だと火炎魔法や治癒魔法といった分類があり、扱える魔法の位階を書くようになっている。もっとも初級の火炎魔法しか使えないのだが。
「これって全部書かないとダメなのかな?」
「うーん、本当は全部書いて欲しいんですが、切り札を周りに知られたくなくて所持技能をあえて少なく書く方もいらっしゃるようですよ」
そんなんでいいのか。
「ギルドとしては依頼さえこなせるなら、あまり個人的なことまで立ち入るつもりはありませんしね。ただ、あまりに記入が少なすぎると信用されませんよ。依頼者に嫌がられますし、同じ冒険者からも信用されなくて、パーティを組んでもらえない可能性もあります。ギルドからの信用度も低くなるので、内密の依頼もされません」
なら特に問題はないので正直に書くことにしよう。しかし、こういう自己申告制なら嘘を書き放題ではないだろうか。
書きながら徹は聞いてみた。
「これって嘘を書く奴もいるんじゃないのか? 所持技能の水増しとか」
「嘘はすぐにバレますよ。実力がなければ依頼もこなせませんし。あまりに悪質で、他の冒険者や依頼者から苦情が来るようならギルドからの除籍処分もあります。滅多にありませんけどね」
「所持技能はすぐに分かるかもしれないけど、他の項目は? 偽名だったりしても分からないだろう」
「そういうのは実害がありませんので。名前や年齢などを偽っていても実力には関係がありませんからね」
これまで説明を聞いてきての感想だが、ギルドは冒険者個人のことはどうでもいいのかもしれない。大切なのは依頼をこなせるかどうか。多分、幼い子供が年齢を偽って依頼を受けても気にしないのだろう。日本だったら法律で禁じられているが、この世界ではそのあたりは実にドライだ。
書き終えたので書類を渡す。
女性は受け取った時は笑顔だったのが、書類の内容を確認すると表情が曇った。
「あの、これは本当ですか? 所持技能が初級の火炎魔法ひとつだけですが……」
「本当だ」
「ですが、そちらの子は使い魔ですよね? 使い魔がいるような魔法使いが初級魔法しか使えないというのも信じがたいのですが」
サクラを見ながら女性は言う。
これまでサクラは一言も口にしなかったが、説明にジッと耳を傾けていた。
「この子は他人からいただいたからね」
神様からでも他人には違いないだろう。人ではないが。それにサクラは使い魔ではないのだけれど。
そういえば使い魔とはどうやって手に入れているのだろう。話から推測すると使い魔をもっているとある程度の実力の証明になるようだが。
「そうですか……分かりました。では最後に写真を撮りますのでついてきてください」
――写真!?
驚いて固まる徹を尻目に、女性は立ち上がると通路に出ていく。仕方なく徹も後を追った。説明を受けていたのとは別の部屋に向かうようだ。
途中で何度かギルドの職員とすれ違う。歩きながら通り過ぎる部屋の中を覗いてみたが、どの部屋でも職員が忙しそうにしている。
案内されたのは小さな部屋だった。室内には一部が鏡面のようになってこちらの姿が映る何かの装置が設置されていた。
「これが写真撮影のための魔導具です。そちらの椅子にお掛けください」
装置の前には椅子があり、言われたとおりにそこに座る。
あれだ、日本の街で見かける証明写真を撮るための機械。見た目は大きく違うのだが、あれに似た印象がある。
鏡の中では自分がこちらを見つめている。どうやって撮影するのだろうと考えていると、合図されたので表情を引き締める。
すると、鏡に映っていた自分の姿が消えていった。
「えっ!?」
「あら、写真撮影は初めてですか? 大丈夫ですよ、身体に悪影響はありません」
女性は楽しそうにクスクスと笑う。
「これであとは暫くお待ちになっていただければ、冒険者カードが発行できます。お疲れ様でした」
「……そうですか」
装置をもう一度見ると、最初と同じようにまたこちらの姿が映っている。魔法で何かをやっているんだろうと徹はそれ以上は深く考えないでおいた。
「こちらがトールさんの冒険者カードになります」
差し出されたのは、運転免許証をひとまわり大きくしたぐらいの硬質なカードだった。
登録した際の記入事項が載っていて所持技能は省略表記で書かれている。そして先ほど撮影した顔写真の隣には、冒険者レベルを意味する0の数字があった。
「次のレベルまで何ポイント必要かはどうやって知ればいいのかな?」
「ギルドで聞いてくださればお答えしますよ。レベルが上がれば冒険者カードを更新します。また、所持技能に変更があった場合も更新することになります」
カードを見ただけでは次のレベルまでのポイントは分からないようだ。もっとも、ポイントが加算されるのは依頼の達成か、ギルド指定の魔物を討伐した場合だけなのでその時に確認すればいいだけではある。
「それとこれはカードを入れるケースです。ケースの端には穴が空いていますが、これは紐を通すためのものです。失くされないように紐を通しておくといいでしょう」
ケースは薄い名刺入れのような代物で、軽いが頑丈な素材でできている。早速入れてみると冒険者カードがぴったりフィットする。専用のものなのだから当たり前だが。
「もしカードを紛失された場合はギルドに申し出てください。再発行します。ただし、その場合は再び100リブラをいただきます」
「分かった、気をつける」
すると女性は少しだけ間をおいてから、笑顔で言った。
「以上で登録は完了です。では、これからのご活躍を期待しております」
徹もそれに応えてしっかりと頷く。
「ああ、ありがとう。頑張るよ」
これで登録は終わりだ。さて、早速依頼を受けてみるかな。
徹は冒険者カードを懐にしまうと歩き出した。
ものっそい説明回。
ギルドのシステムは矛盾がないようにしたつもりですが、
ツッコミどころがあったら言ってくれると助かります。