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第2話

 地平線から顔を出した朝日が世界を黄金色に染めていく。

 太陽の光を反射して輝く川の水面に時折魚が跳ねる。風が小波を刻み、舞い降りた鳥が魚を咥えて明け方の空に去っていった。

 右半身に日光を受けながら川原に座ってぼんやり風景を眺めていた徹は、炙っていた魚が食べごろになったことに気がついて手を伸ばした。

 アユに似た魚を手製の串に挿して、火の近くに立て掛け、後はジッと待つだけという素晴らしく簡単な調理方法によって調理されたこれが朝食だ。昼食も夕食も同じであるが。

 塩や調味料の類は一切使われていないのだが、それでも焼きたての味は不味くはなくそれなりに食べられる。

 あのドラゴンとの決着がついた後、徹は竜族の聖地であった山を下った。広がる森は人の手が入っていないため深く険しい。徹だけでは脱出できたか怪しかったが、空が飛べるサクラがいれば話は別だ。上空から確認してもらえば道に迷うこともなかった。

 途中、人間の倍はありそうな巨大オオカミや、肉食のお化け植物、巨大魚などに襲われたことで新たなトラウマが生まれたが、発見した川に沿って移動を開始した。

 川はやがて他の幾つかの川と合流することでより大きな流れになった。対岸までの距離はかなりのもので、これだけの幅と深さがあれば小型の船ならば航行できるだろう。

 こういった川の近くには人が住むもので、町か村でもあるだろうと期待して進んでいるのだが、数日が経っても未だに人っ子ひとりいない。出会うのはモンスターばかりだ。

 このまま進んでもいいのか不安になってくるが、かといって他に当てもなく、川があれば最低限水と食料は確保できるというのも大きい。

 魚の捕り方は力技だ。川に入って思いっきり水面に拳を叩きつける。すると爆発したような水柱が上がって魚が何匹か打ち上げられるのでそれを捕まえればいい。自然環境を破壊している気がするが食べるためには仕方のないことである。

 ちなみに、川の水を直接飲んだら怖いのでサクラに消毒してもらっている。

 あれからサクラに魔力を与えられるようになったので、サクラも力を使えるようになった。もっとも消毒の魔法程度なら魔力を与えることもなく使えるそうだが。

 なお、魚を焼いていた炎は徹が魔法で起こしたものだ。サクラに教わって覚えた初級の火炎魔法である。

 魔法とは術者の魔力と大気中のマナを結合し、世界法則を変形させることで望む現象を発生させる――といった説明を聞いてもよく分からなかったので、サクラの言うとおりにやっただけだ。未だに理屈や仕組みは理解できていないが、使用方法さえ分かれば使えるのは家電などと同じ事である。

 魚を食べながらこれからのことを考えていると、上空から周囲を偵察していたサクラがふよふよと降りてきた。

 ――ふむ、今日は白か。

 サクラは巫女装束だが、その下には普通の下着を着けている。隠れたお洒落さんなのか日によって色やデザインが違っているのだが、いったいどうやっているのだろうか。

 別にサクラは見えても恥ずかしがることはなく、ハッキリいって色気も何もないので特にどうということもないのだが、ついつい見てしまうのは悲しい男の性か。

 そんなことを考えている間にサクラが目の前にやってきた。

「偵察ご苦労さん、何かあったか?」

 いつもと同じように尋ねる。それに対する答えはいつもとは違っていた。

「あった」

 サクラは小さな指で川とは反対方向を指す。この世界でも太陽が東から昇るなら、指さされた方向は南になる。土手が視線をさえぎりここからでは地面が見えるだけだ。

「ここから少し離れた場所で誰かがモンスターと戦っている。距離は――ご主人が走ればカップ麺ができるよりは早く着くよ」

「――ようやく第一村人発見か」

 そう言って、徹は魚の残りをかじった。



 ◆



 疾走する矢が魔物の頑丈な甲殻に弾かれる。

 エリーシアは歯噛みし、距離を取りながら次の矢をつがえた。彼女の長い金髪が後を追って伸びる。その耳は人間のものと比べて明らかに長い――エルフだ。

 相対するのはジャイアントアントと呼ばれる巨大な蟻の魔物である。その上位種であるその魔物は毒々しい赤い甲殻に覆われ、危険な雰囲気を感じさせる。

 少し離れた場所ではもう一つの戦いが行われている。彼女の仲間が別のジャイアントアントと戦っているのだ。

 大剣を軽々と振り回す赤髪の男が巨大蟻と接近戦を行い、一般的な魔法使いのローブ姿のエリーシアと同じ金髪のエルフの女性が後ろから魔法で援護することで、エリーシアの方とは違って優位に戦いを進めている。

 このままこちらのジャイアントアントを引きつけておけば、向こうを片付けた味方が駆けつけてくれるだろう。チラリと戦況を確認したエリーシアは、矢尻に魔法の力を宿すと、蟻の関節を狙って矢を放った。

 彼女の仲間はそれだけではなくもう二人いるのだが、そのうちの一人は危険に晒すわけにはいかないので、護衛役のもう一人と一緒に安全な距離をとった馬車の中で待機してもらっている。

 このような街道から外れた辺境の道無き道を突っ切らなければならなかったのも、その人物のためだ。追っ手の目から逃れるためには仕方なかったのである。

 グギャアアアアアアアアアア……!

 先ほどとは違い矢がジャイアントアントの関節に突き刺さり、開放された魔法の爆炎が魔物を焼く。ダメージを与えられたことに微かに口元を緩めたが、エリーシアは油断なく敵を見据えた。この程度では倒せないことを知っているのだ。

 炎を振り払い、怒りに複眼を染めてジャイアントアントが突撃してくる。


 エリーシアは魔法より弓矢での戦いを得意としているが、エルフの恵まれた魔力によってその魔法を込めた弓矢の威力は中級魔法にも匹敵しているだろう。

 魔法はその威力や効果から段階的に分けられていて、一番下が初級魔法であり、下級、中級と続く。一般的に中級魔法が扱えれば一流の魔法使いとされる。

 上級魔法が使えれば超一流だ。魔力に優れたエルフや魔族以外でこの位階の魔法が使えるのはほんの一握りである。

 その上には奥伝、秘伝、禁術という更なる上の位階があるのだが、奥伝魔法が使えるほどの使い手は国に数人いるかどうか、大国ですら数えるほどだろう。

 秘伝魔法に至っては伝説に語られるような大魔法使いの技であり、今の世でこの位階の魔法の使い手として知られるのはハイエルフの長老と、魔王軍の魔将姫と魔王本人の三者だけだ。とある冒険者の魔法使いも秘伝魔法の使い手だという噂があるが、信憑性に欠けるので単なる与太話の類と思われている。

 最上位の魔法は禁術と呼ばれる。

 エルフや魔族であっても個人で使うのは不可能に近く、大量の生贄を使った儀式が必要であり、その威力や倫理的な面から使用は禁じられている。

 禁術クラスの魔法を独力で使える存在など数多の種族があれど、それこそ竜か精霊ぐらいのものだ。竜言語魔法――特に上位竜のそれはこの禁術にも匹敵するといわれているが、伝説に語られるだけでその実態は知られていない。

 また、上位精霊の力はその竜言語魔法に比肩するともあるいは上回るともいわれているが、これも真実は伝説の彼方である。


 いずれにせよ、そのような雲の上の話はエリーシアには関係ないことだ。中級魔法並の威力を殆ど溜めなく連射できる彼女も十分に一流の部類に入る実力者である。

 その彼女をしても、この地域の魔物は一筋縄にはいかない。

 流石は危険地帯といわれる辺境の荒野だ。上級魔法でなければ倒せない魔物がゴロゴロいる。

 速度は向こうの方が上なので突撃してくるジャイアントアントの接近を阻もうと目を狙って矢を放ったエリーシアは、精霊魔法を使うために風の下位精霊に助力を願った。

 通常の魔法は術者の魔力と大気中のマナを結合し、世界法則を変形させることで魔法を行使するのだが、精霊魔法では呼び出した精霊に魔力を与えることで、自然の力を貸してもらって魔法と似た現象を発生させる。

 威力が同程度の場合、精霊魔法の方が通常の魔法より魔力の消耗が少なく優位だとされているが、エルフのように精霊と相性のいい種族でないと習得は難しい。そのエルフとて風と土の精霊との相性はいいが、それ以外の精霊との相性はそれほどでもなく、特に火の精霊との相性は最悪である。

 風の下位精霊によって引き起こされた突風に乗って距離を離したエリーシアは、僅かな余裕を使って仲間の戦いの様子を確認した。

 丁度、赤髪の剣士――名前はアルフレッドという――が蟻の足の一本を切り飛ばしたところだった。その後方では、彼女の妹のエルフの魔法使いであるエルシアが、上級魔法の準備をしている。

 あちらはもうすぐ片付きそうだ。

 そのことで油断したわけではないが、僅かに緊張を緩めたエリーシアは、視線を戻して驚愕した。どこからともなく飛来した火球が、ジャイアントアントの頭部を吹き飛ばしたのだ。

「えっ!?」

 まるで下級魔法かと思えるほど規模は小さかったが、たった一撃でジャイアントアントに致命傷を与える威力。おそらく上級の火炎魔法だろう。

 だがそれは大きな問題ではない。彼女の仲間の残り二人は魔法が使えないので、これは第三者の仕業である。

 ジャイアントアントを倒した以上、敵ではないかもしれないが、油断していいものではない。こちらにも攻撃が飛んでくることも考えられる。先ほどの魔法からは威力に比べてほとんど魔力を感じなかったことも彼女を警戒させた。

 もう一体のジャイアントアントを倒したアルフレッドたちが駆け寄ってくるのを確認しつつ周囲を警戒していたエリーシアが、若い男が近づいてくることに気がついたのはそれから少し後のことである。



 ◆



「なるほど。エリーシアさんにその妹のエルシアさん。で、そっちのお兄さんはアルフレッドさんだね。俺はカミ……ああいやこっちでは、トール・カミヤかな。トールが名前だよ。トールって呼んでくれればいい」

 徹は久しぶりに出会えた他人にテンションを上げていた。おまけにその中にはエルフの姉妹もいるのだ。その美しい容姿に見とれて鼻の下が伸びている。

「そちらの子はトールさんの使い魔ですか?」

 妹のエルシアが尋ねてくる。

「え? ああ、そう、そんなもん」

 サクラは守護精霊といっていたが、使い魔との違いも分からないので、似たようなものかと思い話を合わせておいた。

「そう、私はエルシア。初めましてサクラちゃん」

「うん、はじめまして。あてはサクラ、よろしくね」

 笑顔で答えるサクラに、エルシアも嬉しそうに微笑む。

「ふふ、ところで変わった格好をしているわね」

「そう? あてにとっては普通だけど」

「そうなの――そうね、ちょっと気になっただけだから」

 その後もエルシアはサクラに話しかけている。魔法使いだからか使い魔である――と思われている――サクラが気になるのかもしれない。

 それを横目に、徹はエリーシアとアルフレッドと話を続けた。

 出会った当初は警戒されていたのだが、こちらに敵意がないことが伝わった後は魔物との戦いの手助けしたことに感謝され、友好的な雰囲気になっている。名前も堅苦しいので呼び捨てで構わないと言ってくれた。

 徹としては何としてでも人里への道を聞くか、もし可能なら連れて行ってもらいたい。正直に自分が現在道に迷って遭難中であることを伝えた。

「そう、それは大変だったわね」

 徹の事情を聞いたエリーシアが眉をひそめる。

「でも、いくらトールが実力のある魔法使いでも一人でこの辺境の地を抜けるのは無茶じゃない? よく今まで無事だったわね」

「……まあ、これまで大変だったよ」

 空から墜落したり、ドラゴンと殴りあったり、これまでの事を思い返した徹は暗い表情で乾いた笑いを見せた。

「おいおいトール、元気出せって」

 そう言って肩を叩いてくるのはアルフレッドだ。彼はこの中で一番背が高い。

 徹とて身長は180センチ近くあるので長身の部類だが、アルフレッドはそんな彼より頭半分ほど高いので、190センチを超えているかもしれない。

 初対面とは思えない気安いアルフレッドの態度に戸惑ったが、この世界ではこれぐらいが普通なのだろうか。徹としても下手に気を使わなくていいのは楽ではあるし、仲良くなるにこしたことはないので励ましてくれたことに礼を言う。

「ありがとうアルフレッド。ところで君たちはどこに向かっているんだ? もし良かったら一緒に連れて行ってくれると助かるんだけど」

 もしも無理だったら近くの町への道を教えて欲しい、と続けた徹に二人は少し迷ったように顔を見合わせた。

「どうする? 俺はいいと思うけど」

「そうね……後の二人に聞いてみないことにはね」

 エリーシアはこちらに顔を向けた。

「実は私たちには他にも仲間がいるの。一緒に行くかどうかはその人たちと話し合ってから決めましょう」

「分かった。その人たちはどこにいるんだ?」

「馬車で待っているわ。戦いの時は危ないから離れてもらっていたの」

 案内するからついて来て、とエリーシアは楽しげに会話していたサクラとエルシアにも声をかけると、先頭に立って歩き出した。




 馬車は丘を越えた場所にあった。

 戦いがあった場所からは少々離れすぎているようにも思えたが、魔物の速度や魔法を使った場合のことを考えるとこのぐらいの距離は必要なのかもしれない。

 馬車にいた人間もこちらが近づいてくることに気がついていたのだろう、ひとりの壮年の男が馬車の前に立っていた。

 髪に白いものが混じっていて、厳しい顔は白髪混じりの顎髭に囲まれ、まるで騎士のような白銀の鎧を着ている。プレートメイルという種類だろうか。鎧はアルフレッドも身に着けているが、彼の場合は比較的動きやすそうなレザーアーマーだったため、このような全身を覆う金属鎧を初めて見た徹は、威圧感を感じてしまう。

「ローガン、魔物は片付いたわよ」

 エリーシアが軽く手を振って男に報告する。どうやらこの男の名前はローガンというらしい。

「ご苦労だった。――ところで、そちらは?」

 ジロリと鋭い目付きで睨んでくる。思わず徹の腰が引けた。

「彼はトールよ。そっちは彼の使い魔のサクラ。私たちが魔物と戦っている時に助太刀してくれたの」

「ふむ、そうか。トールよ、助力に感謝する」

 それでもローガンの表情は険しいままだ。

「だが、お前はいったい何故ひとりでこのような辺境を旅している? この辺りは魔物も強く、街道からも外れている。普通の旅人が来るような場所ではない」

 だったらそちらは何でそんな場所にいるのかとツッコみたくなったが、余計なことは言わずに徹は素直に答えた。

「それは、道に迷ってしまいまして」

「道に迷って、な」

「いやー、魔物に襲われた時に荷物を失くしてしまいまして。逃げるのに必死で自分のいる位置も分からなくなってしまって、それで食料もなくてもうどうしようかと困っている時に、エリーシアたちが戦っているのを発見したんですよ」

 嘘八百を並べる。

 ここで異世界人だという真実を話しても逆に怪しまれる可能性の方が高く、邪神がこちらを探していると思われるので、異世界人だと周りに知られるのは危険だと判断し、この世界の人間であることを装おうと予め決めていたのだ。

 それに実際、徹は荷物を持っていない。

 水も食料も持たずに旅をするなど狂人か自殺志願者ぐらいのものなので、魔物に襲われて荷物を失くしたという徹の言葉には一定の信憑性があった。

 魔物から逃げるために道を見失ったというのも、ありえない話ではない。特にこのような辺境では開拓も進んでいないので、街道から外れてしまえば戻る道すら分からなくなり遭難することもある。

「何か身分を証明するものはあるか? もし冒険者なら冒険者カードでいい」

「冒険者? いや、違いますよ。俺は冒険者ではないです。その、身分を証明するものと言われても、荷物は全部失くしてしまったので」

「ならお前は何者だ? 何のために旅をしている?」

「俺は――そう、魔法使いです。ほら、使い魔もいるでしょ? 旅の目的は特になくて、見聞を広めるために気ままに諸国を回っているんです」

「魔法使い……、確かに魔法使いには変わり者が多いと聞くが、うーむ」

 失礼ですね、とエルシアの非難の声が聞こえた。

「ローガン、もういいんじゃない? トールも困ってるでしょ。それに流石にトールは違うと思うわよ」

 これ以上の問答はもういいとばかりに、エリーシアが割り込んできた。

「私たちは彼を一緒に連れて行っていいと思っているわ」

「しかしだな、このような素性の知れぬ者など」

 ローガンが反論する。

 そのまま二人の口論が始まろうとした時だった。

「よいではありませんか、ローガン。これも何かの縁でしょう。旅先で困ったときは助けあわなければなりません」

 馬車から涼やかな声がかけられた。上品な女性の声だ。

「クラリス様? ぬうう、しかしですな……」

 途端にローガンの態度が軟化する。どうやら馬車の中の人物は彼より身分が上のようで、おそらく一行の決定権はこの声の女性が握っているのだろう。

「――分かりました。トールとやら、特別に同行を許可する。だが、妙な真似をしたら分かっているだろうな?」

 迷った末、結局折れたローガンはしかし、脅すように言ってくる。

 もっとも徹としては初めから妙な真似などするつもりはない。近くの町まで一緒に連れて行ってくれるなら万々歳だ。

「ありがとうございます。もちろんそちらの指示には従いますよ」

 これでようやく助かったと、ホッとした表情で返事をする。

 こうして、徹はこの一行と暫し行動を共にすることになった。



 ◆



「大したものね」

 エリーシアは感心したように呟いた。

 徹の放った火炎魔法が見事に魔物を仕留めたのだ。

 ソルジャーワームと呼ばれる巨大なミミズの魔物で、全長は十メルトを超える。それをたったの一撃だ。上級魔法に違いない。前線に出たアルフレッドの出番もなかった。

 隣にいた妹のエルシアも同意したように頷く。

「あれだけの火炎魔法を、あれほど短時間で使えるのは凄いわ。人間だけど、実力は私より上かもしれない」

「そうねえ……でもまるで下級魔法にしか見えないわよね。下手したら初級魔法かも」

 徹の魔法は上級魔法というには小規模だ。小型の火球が飛んでいくだけであり、傍目には大した威力があるようには見えない。

 だが、威力は凄まじく、命中すると爆発してこの辺境の魔物の魔法防御力をも簡単に貫いて致命傷を与える。

「そんなわけないでしょう。いい姉さん、常識的に考えてありえないわ」

 より低位の魔法でもこめる魔力を増やせば威力が上がるのは確かだ。しかし、そのために費やされる魔力は、誰もそんなことを考えないほど効率が悪い。

 例えば初級魔法を下級魔法並の威力にしようと思えば、普通に下級魔法を使う際に必要な魔力の十倍を初級魔法に込めればいい。

 ちなみに通常、下級魔法を使うのに必要な魔力量は、魔力効率の悪い魔法であったとしてもせいぜい初級魔法の2倍程度のものだ。

 これが初級魔法を中級魔法に匹敵するだけの威力にしようと思えば、必要な魔力は更に跳ね上がる。それこそ中級魔法の百倍はいるだろう。

 上級魔法並にしようと思えば考えるの馬鹿らしい。おそらく上級魔法の千倍でも足りないのではないか。

 たった一発の魔法で上級魔法が千回使えるだけの魔力を消費するのだ。そこまでやっても普通に上級魔法を使う場合と威力は大差ないにも関わらず。

 だからこそ誰もやろうとはしないし、またできる者もいないだろう。

 そのことを分かっているので、エリーシアも本気で言ったわけではない。

 それでもエルシアは指を立てて言った。

「トールさんのあれは狙ってやってのものよ。魔力を隠しているのもそのためね」

 高い実力のある魔法使いにも関わらず、トールからは一般人と同程度の魔力しか感じない。また、放たれた魔法からも魔力をほとんど感じないのだ。相当高度な魔力隠避の魔法かアイテムを所持しているのだろう。

 なるほど、よく考えられている。見た目はまるで下級魔法のようでありながらその実、上級魔法なのだ。相手の油断を誘う効果的な手段である。

 あのように魔法の魔力を隠し、見た目まで変えるなど、かなり魔法の構成を練り上げているのだろう。ひとりで旅をしているのも頷ける実力である。

「しっかりしなさいよ、あんたはエルフってだけで魔法使いとして恵まれてるんだから」

「わかってるわよ」

 私も負けてられないな、と気合を入れる妹にエリーシアは口元を緩めた。

 目的地である近隣の中核都市エーレンまで後少しだ。



 ◆



 さて、徹たちはもうすぐ街に着きそうだが、もう少しだけ魔法について説明しておこうと思う。

 厳密には違うのだが、簡単に魔法の構成を説明すると以下のようになる。


 基本の構成 × 高度な構成 × 大気中のマナとの結合 + 魔力


 このうち、基本の構成は誰がやっても同じ事だ。その魔法ごとに決まっている。上級の魔法になるほどこの部分も複雑になる。

 高度な構成は、術者ごとのアレンジできる部分だ。ここで魔法の効果に変化をつけたり、魔力の消耗量を抑えるようにしたりと色々とある。魔法の極意ともいえる部分で術者ごとの差が如実に表れる。

 大気中のマナとの結合は、ここが上手くできないと必要な魔力が増えてしまう、あるいは威力が減少する。魔力が十分にあるならこの部分を省略しても魔法は使えるが、負担が大幅に増えるので推奨されていない。

 最後の魔力はある意味一番重要だ。その魔法のために必要な最低限度の魔力がなければそもそも魔法は発動しない。構成や大気中のマナによって必要量は増減するが、魔法が発動するための最低量は決まっている。


 徹はこの世界に来るまで魔法のことなど一切知らなかった。

 サクラから教わって初級の火炎魔法が使えるようになったのだが、かなり苦戦した。

 なお、初級魔法は最低限の魔力さえあれば誰でも使える。

 魔法の構成の難易度を数学に例えるなら、初級魔法は足し算、引き算レベルだ。

 下級魔法は少し難易度が上がって中学校、中級魔法で高校、上級魔法で大学の高等数学レベルの難易度となる。

 奥伝魔法で教授などの研究者レベルとなり、必要な魔力もここから一気に増える。例え制御力があっても魔力が足りずに奥伝魔法の位階に届かない者も少なくない。

 秘伝魔法に至っては世紀の大天才というべき構成の制御力と、規格外の魔力が必要になる。

 つまり、徹は足し算引き算で苦戦しているのだが、まったくの新概念を身に付けるのはそれだけ難しかったのである。

 もっともまだ数日しか学んでいないので、これから伸びる可能性は幾らでもある。まだ基礎を学んでいる段階なのだから。

 それはともかく、教師役のサクラは手っ取り早く初級魔法を覚えられるように省略できる部分は省略して可能な限り簡単にした。

 初級魔法なのだから高度な構成など不要、大気中のマナとの結合に主人が苦戦しているようだったのでそこも削った。

 その結果、徹の使っている魔法の構成は以下のとおりとなった。


 基本の構成 + 魔力


 これだけだ。これ以上シンプルにはできない。1+1=2と同レベルである。

 つまり徹のやってることは、足し算で掛け算を超えるようにしているだけだ。

 完全無欠の力技である。








今のはメラゾーマではない……メラだ……

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