第6話 ミステリアスボーイアンドガール
第6話 ミステリアスボーイアンドガール
「りーこーみーたーぞー」
翌日、教室に入るなり私は未来と穂奈美に身柄を拘束された。
「え? み、見たって何を?」
「梨子ちゃんが男の子と一緒に校門を出て行くところ♪」
え、ウソ!?
そっか……自分の事に精一杯でそんな事にまで気を配ってなかった……
穂奈美は未来と腕を組みお互い見つめあったり、耳元で囁きあったりしながら、私の前を何度も行ったり来たりする。
多分昨日の私と名倉君の様子を再現して冷やかそうとしているのだろうが、それではあまりにも事実と齟齬がありすぎる。
そもそも腕を組めるほど近づいて歩いた覚えはない。
「あれがウワサの助っ人クン? 梨子ちんはその男子高校生と一体どこに行き、何を助けてもらったのかなぁ?」
「梨子ちゃん、恋する相手を間違っちゃ駄目よ」
いつにもましてテンションのおかしい二人。
やはり女の子という生き物は、人の色恋沙汰にはとりわけ過剰な反応を示すものらしい。
……だからそれも誤解なんだってば。
「ち、違う! そんなんじゃないって! ちょっと……アドバイスをもらったようなものよ」
「私達には出来ないようなアドバイス?」
未来は顔を近くに寄せ、意地の悪い訊き方をしてくる。
「……うん、詳しくは話せないんだけど……ごめん!」
ごめんね二人とも。でもいつか絶対ちゃんと話すから……!
「そっか」
小さな溜息をついて、どうやら未来は諦めてくれたようだ。
「くそー私に隠し事をしやがってー! 梨子、今度ケーキバイキングおごりなさい!」
「あ、私もそれ参加で」
「ほ、穂奈美ちゃーん……」
クスッ――
三人の口元からそんな声が漏れたのはほぼ同時だった。
小さな笑いがまた次の笑いを誘い、それは段々大きくなって、すぐに私達の笑い声は教室中に響き渡った。
********
「でさぁ……あの助っ人クン、名倉君っていうんだっけ? ……結構カッコ良くなかった?」
昼休み。お弁当を食べていると、未来が再び朝の話題を持ち出してきた。
「カッコ良くない! カッコ良くない、カッコ良くない、全然カッコ良くない! 最低の男よ、アイツは!!」
あの男がカッコ良い!?
どんな天変地異が起こってもそれだけは信じる気になれない。
昨日の彼に受けた仕打ちを思い返すと、今にもはらわたが煮えくりかえりそうだ。
「ま、まぁ……落ち着いてー梨子ちーん……」
「なんなのよ、あの男は! 乙女の気持ちを弄ぶなんて信じられない!」
ああ、忌々しい!
「あの温厚な梨子をここまで激昂させるとは、彼は一体どんな魔法を使ったのかしら? 不思議ね……でもまたそのミステリアスさが持ち前のクールな雰囲気と相まって……」
「未来!」
「はーい、ごめんなさーい……」
「もう、バカな事言うから」未来は穂奈美にも咎められ、少し反省したようだ。
「でも梨子ちゃんはその最低だと思っている名倉君に力を借りようとしているのよね? ……大丈夫?」
「そ、それとこれとは話が別なの。ちゃんと協力してくれるって言ってくれたし……」
痛いところを突かれた……。
返事がしどろもどろになっているのが自分でもわかる。
「んーなんかよくわかんないなぁ……どうしてそこまで嫌いな相手の力を借りなきゃいけないかなぁ……」
「そりゃ私だって……!」
あんな男の助けなんか借りたくない。出来ることなら自分の力だけでなんとかしたい。
だけど……!
「未来、梨子ちゃんが決めたことなんだから、ね?」
「はーい……ナミナミは大人だなぁ」
未来は眉を下げ、拗ねた子供のように口を尖らせる。
彼女のこういうところ、私はかわいいと思う。
そして、素直で羨ましいとも思う。
********
「おい、名倉! どういう事か説明しろ!」
同じ頃、8組の教室で俺はクラスメイトの加西の詰問を受けていた。
「説明するって何をだよ……」
「おい、まさかシラを切るつもりじゃないだろうなー夏樹ちゃんよぉ……昨日の事に決まってんだろ!」
昨日? あぁ……あの騒ぎの事か。
「あれは5組の柊梨子だろ? 来栖という存在がいて、お前は一体何やってんだぁぁー!」
加西はこの世の終わりと言わんばかりに頭を掻きむしる。
「……」
突っ込むポイントが多すぎて返す言葉が見つからない。
とりあえず一つずつ消化していくか……
「その1、お前はどうして柊梨子を知っている?」
「そりゃお前5組の柊梨子って言ったら、俺達のような『西高女子ウォッチャー』の間では常識だぜ? ほんのりとブラウンに染め上げた髪から見え隠れする愛らしいフェイスはまさに秘密の花園! こんなに美しい彼女は一体どこに住んでいるのだろう? しかし誰も彼女の事を知るものはいない。同じ中学出身だったという者ですら、あんな子ウチにはいなかったと証言する始末。全てが謎に包まれた究極のミステリアスガール! それが我らが柊梨子なのだ!」
誰のものとも知らぬ椅子に勝手に足を上げ、華麗にポーズを決める加西。
「……」
突っ込みどころを増やすな。
しかし、アイツ意外と人気者だったんだな……
正直これには俺も驚いた。
あんなグズグズした女の一体どこがいいんだか……まあきっと誰も内面なんて知りやしないんだろう。
「わかった、お前が柊梨子の事を良く知っているのはよーくわかった。だが安心しろ、俺とアイツはお前の想像するような関係じゃない」
「じゃあどういう関係よ? 二人揃って学校を出て行く関係ってのは?」
……そ、そんなところまで見てる奴がいたのか。
さて、どう説明したものか。まさかありのままを話すわけにはいかないからな。まあ強いて言うなら……
「仕事仲間だ」
俺は真面目くさった表情をして、出来るだけ重々しく告げた。
いかにも重大な真実を明かしたかのように。
頼む、これで納得してくれ……!
「そうか、仕事仲間か……なるほど」
何がなるほどなのか俺には全く理解出来なかったが、加西はその言葉を一人噛み締め何度も頷いている。
ああ、こいつがバカで助かった。
「次、その2だ。お前は俺と来栖絵里の関係も誤解している。アイツはただの幼馴染だ」
これは昔から何度となく同じ誤解を受けてきたので対処にも慣れている。
「ただの幼馴染か……じゃあお前は来栖絵里が他の男とくっついてしまっても構わないんだな?」
絵里が男と付き合う? 馬鹿な話を……
「ありえない。お前も絵里の性格は知ってるだろ? あんな奴に夢中になる奴の気が知れんし、アイツの方こそ男と付き合うなんて願い下げだろう」
「わかんねーぞー。来栖は容姿だけなら校内誰もが認めるミスオブ西高だからな。あれだけの美貌のためなら多少の性格の悪さも厭わないという男子もきっといるだろうし、もしかしたら来栖だって高校生になって何か心境の変化があったかもしれんぞ!」
心境の変化? ……まさか。アイツの事ならこの俺が誰よりもよく知っている。
絵里は変わってない、昔からずっとそのまんまだ。
「わかったからもうその辺にしといた方がいいと思うぞ。命が惜しければな」
俺は黙って教室の入口の方を指差した。
「げっ! 来栖絵里……!」
俺の指し示したその先には購買に弁当を買いに行っていた絵里と、それに付き合わされていたボンの姿があった。
たった今教室へ戻ってきたところのようだ。
「くそっ! 何でお前の周りにはこう可愛い子ばかりが集まるんだよ! 羨ましいぞ、こんちくしょう!」
加西はわーわーとわめきながら、逃げるようにして俺の側から離れて行った。
結局アイツの一番言いたかったことはそれか。俺にとっちゃ良い迷惑なんだが……
「加西のやつ、なんだったんだ?」
「さあ?」
教室に入るなり加西の奇声を耳にした絵里は、事情が飲み込めず不思議そうな表情でその狂乱する男の姿を眺めていた。
********
「それで? 結局昨日のあの女はなんの用だったんだ?」
放課後、暇を持て余している俺と絵里はなんだかすぐに帰ってしまうのも名残り惜しく、いつものように教室に残っていたずらに時間を潰していた。
「あぁ……まあ平たく言えば、恋愛相談だ」
「はあ? 何でお前に? よく知りもしない女なんだろ?」
「俺はアイツの専属作家になった」
「意味がわからん。いつからお前は宇宙語を話すようになった」
「どうやら無類の恋愛小説好きという属性が買われたらしい」
「わかるように説明しろ。殺すぞ」
殺されては困るので、俺は絵里に昨日あった出来事を適当にかいつまんで説明した。
……なんとなく家に連れ込んだ事だけは伏せておく。
「ほぉ、それでお前はあのクソ芋くさい女のクズみたいな男へのバカみたいな片思いを支援するために○○○のように醜い情熱を注ぐ事にしたってわけか」
コイツ、俺の事ならまだしもよく話した事も無い女にここまでの暴言を吐けるな……
「しっかし、お前が私以外の女に興味を示すとはなぁ〜」
「おい、その表現は色んな意味で間違っている。撤回しろ」
絵里と俺のやり取りはいつもこんな感じだ。
いかに相手を貶めるか、いかに上手く切り返すかという一進一退の攻防。
しかしこんな光景でも他人から見たら、やはりカップルに見えたりするのだろうか?
「なあ、絵里」
「なんだ?」
「加西が俺達の事付き合ってるみたいな風に勘違いしてたぞ。さっき俺に言ってきた」
「明日殺す」
……すまん加西、余計な事言った。供養はしっかりしてやるから後の事は何も心配しなくていいぞ。安心して往生してくれ。
この時俺は気づいておくべきだった。既に予兆を見せ始めていた絵里の異変に。
加西に対する呪いの言葉をブツブツと唱える絵里の横顔が、ほんのりと赤く染まっていることに――
「あ、二人とも僕抜きで何の話してたんですかー!?」
学級委員の雑用をこなして戻ってきたボンは、教室の隅にいる俺達を見つけるとすぐに駆け寄って来た。
「うるさい」
「ぎゃっ!」
登場早々鉄拳を浴びせられるボン。
気の毒に……絵里は今機嫌が悪いんだ。まあその原因は余計な事を言った俺にあるのだが。
突然殴られたボンは訳もわからず頬を抑え、泣きそうに顔を歪めている。
「ボン〜お前にはまだ早い話だ。そうだなぁ……お前がR-18のマンガを一滴の血も流さずに最後まで読み切る事が出来たら話してやってもいいぞぉ?」
「ど、どういう関係があるんですかっ! というより表現が分かりづらいですっ!」
ボンが俺に噛み付いてきたところで……
「な、名倉君!」
突然背後から声がした。
やはり来たか……
振り返るとそこには案の定柊梨子が立っていて、
「じゃあ俺帰るわ。ボン! 絵里に殺されんなよっ!」
「えっ、殺されるって……な、名倉君!」
「……」
ちらっと絵里の方にも目をやったが、絵里はボンの横でずっと窓の外を眺めていた。
アイツ相当怒ってんな……俺そんな変な事言ったか?
「ほら、行くぞ」
「え、いいの……?」
「まだ何も言ってないのに……」と戸惑う梨子を連れて、俺はクラスの奴がまた騒ぎ出す前にさっさと教室を出ていった。
「来栖さん……あの女の人、名倉君の友達ですか?」
「知らん。お前もう一発殴られたいか?」
「ひっ……! な、なんでっ!」
********
「早かったな。寝て起きたらもう機嫌が治ってたか?」
「……いいえ、私はまだ全然あなたの事信用してませんから」
特に行くあてがあるわけでは無いが、校内にいるとまた変な噂が立ちそうだからとりあえず昇降口へと向かう。
「で、どうする? また俺ん家に来るか?」
「帰ります、さようなら」
「冗談だ。とりあえずそこのファミレス行くぞ」
今度は騒ぎにならないよう少々時間差を設けて、俺達は校舎の外に出た。
********
「なあ、梨子。お前まだ昨日の事怒ってるのか?」
テーブル席についた後も、梨子は俺と目を合わせようとしない。
「……気安く名前で呼ばないで下さい」
梨子はそっぽを向き、壁紙に描かれた絵をじっと見つめている。
……そこに何か面白い物でもあるのか?
どうやら俺は高校生になってからというもの、女を怒らせる才能を開花させてしまったらしい。いやはや全く望ない才能だ。
「その……悪かったな。まさかここまで怒るとは思ってなかった」
「気にしてません。私もあなたに心を開かないように決めただけです」
コイツ……本当に強情だな。
「ま、まあしかしだな、こうも敵視されると俺としても仕事がやりづらい」
「自業自得では無いですか?」
フン、と鼻を鳴らす梨子。
「……でも確かに一応依頼人という立場ですから最低限失礼の無いようには致します」
「……お前、嫌いな男の前では普通に話せるんだな」
「えっ!? そ、それは……キャッ!」
何をどう焦ったらそうなるのかわからないが、梨子はテーブルの端に立ててあったメニューや調味料の類の一切を全て通路を挟んだ反対側のテーブルにまで跳ね飛ばしてしまった。
こら、急に素に戻るな。
だけど、まあ……
「それでいい、他人行儀はやめろ。息が詰まる」
仕方なく俺は散乱したメニューに一味にタバスコ瓶に……を拾いに行く。
隣が人のいないテーブルでよかった。
「だってあなたが…………はい」
こうして俺達の関係は一応修復された。
********
「よし、まずは登場人物を教えてくれ」
彼はカバンからルーズリーフとペンを取り出し、テーブルの上に広げる。
「と、登場人物?」
「忘れたのか? 俺は小説を書くんだ。この小説には誰が登場するんだ? もちろんお前は主役なんだろ?」
そうだ、私は沢北君との恋が上手くいくような小説を彼に書いてもらうんだった。
「……うん、柊梨子」
「お前はわかった。で、相手は? 肝心の男だよ」
「さ、沢北春……くん……」
ううう、名前を口にするだけでも恥ずかしい。
彼は紙に私と沢北君の名前を書き連ねて、
「字はこれであってるか? ……よし、でコイツはなんだ? あれか? 100万人に1人の難病にかかってるとか?」
「は、はい?」
「設定だ、設定。ほら、小説の登場人物っていったら普通色々とあるだろ? 実は財閥の跡取り息子で毎日お付きの運転手に学校まで送り迎えしてもらってるとか、高校入学と同時に日本に戻って来た帰国子女で日本語があまり上手く話せないとか……あっ! もしかして超能力が使えたり……」
「しません!! 沢北君はごく普通の男子高校生です! ……多分」
この人やっぱり相当ぶっ飛んでる……!
********
「なんだよ……つまらねぇな。じゃあその普通の高校生でもいいから何か情報を教えてくれ。どれだけ人物像を正確にイメージ出来るかで話を書く時の現実味が増す。例えばどんな性格だとか、趣味はなんだとか、休み時間はどこで何をしてる、とか」
「…………性格は……優しい人、だと思う……」
「あーじゃあ一番仲の良さそうな奴は誰だ?」
「……よく男の子といる、のは目にするけど誰かまでは……」
「……」
「……」
「お前何も知らないんだな」
「だって恥ずかしくて沢北君の事見れないんだもん! しょうがないじゃん!」
あまり期待はしてなかったが、さすがにここまでとは予想していなかった。
自分の好きな男の事だぞ!? 普通陰から隠れてでも観察したりするものじゃないのか!?
……決まりだな。
「よし、明日取材に行くぞ」
「しゅ、取材?」
「この目で見た方が早い。俺とお前で明日一日沢北を張る。奴のステータスの全てを網羅するんだ」
「え? えぇ!?」
こうして柊梨子と名倉夏樹はその翌日、沢北春を徹底的にマークしその生態系の全容を解明するという何とも馬鹿げたミッションに大真面目に取り掛かる事になるのであった。