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ナツキトリコ  作者:
第一部
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第5話 夏樹の悪戯

 第5話 夏樹の悪戯


「私の為に小説を書いて下さい!」

「……はぁ?」


 不意にさっきまでの風が止んだ。唐突に。不穏に。

 俺だけでなく、きっとこの世界までもが困惑している。

 この目の前の女の桁外れの不可解さに。


 ダメだ……意味がわからん。コイツの思考がさっぱり理解出来ん。

 自分も少し恋愛小説に興味を持ったから貸してくれ、というのはまだお互い素性も知らぬ出会って二回目の相手に頼む事としてはかなり厚かましいが、まあ……100歩譲ってよしとしよう。

 しかし、自分の為に小説を書け、とはどういう論理の飛躍だ? 厚かましいを通り越して何様のつもりだ?

 というかなぜ俺が小説を「書く」? しかもお前のために? そもそもその行為に一体どんな意味がある?

 あーわからん! さっぱりわからん!


「勘違いするな、俺は別にお前と馴れ合うつもりはない。じゃあな」


 こんな女、構ってられるか……!


 ********


 彼はあっさりと私の依頼を拒んだ。

 言い終えるとすぐさま踵を返した彼の背は、すでに体育館の影から抜けようとしている。


 当然……か。

 私はどうも彼に嫌われてるみたいだし、これがどれだけ変な頼みかってのも十分わかってるつもり。だけど……


 私は一歩前に出た。

 しっかりと、地面に跡の残るくらい強く土を踏みつけて。


 ここで引けない!!

 どれだけ変に思われてもいい! どれだけ嫌われてもいい! それでも私には譲れないものがある!

 これだけは……これだけは、絶対に投げ出しちゃダメなんだ!!


 小さくなっていく彼の背中に向かって、私は声の限り叫んだ。


 ********


「言うよっ!! ……名倉君の本の趣味、バラすよ!!」


 悲鳴にも似た、耳をつんざくような叫びが俺を襲った。


 な、何!? 脅迫するつもりか……!?


 唖然として後ろを振り返る。


「お前っ……ふざけんじゃ――」

「変わりたいのっ!!」

「!!」


 その言葉を聞いた途端、俺の体は石のように動かなくなった。


 カワリタイ、カワリタイ、カワリタイ、カワリタイ、カワリタイ……


 その声が何重にも重なって俺の脳内で反響する。

 肥大し、膨張し、神経を、精神を圧迫する。

 鈍器で頭を殴られたかのような頭痛。吐き気。眩暈。


 くそっ、何でこんな奴に……!


 それは俺がずっと逃げて来た、目を逸らし続けてきた言葉だった。


 *********


「……ごめん……私だって本当はこんな事したくない! こんな汚い手使いたくないよ! でもこうでもしなきゃ私……私、前に進めないの! だからお願い……話だけでも聞いてっ! 話を聞いて、それでも名倉君がイヤだっていうなら、そのときはっ! ……そのときは……あきら……める、から……」


 次第に視界が滲んでくる。


 あれ、私また泣いちゃってる? 最近涙腺緩んじゃったのかな? もうすっかりおばあちゃんだ……はは……


 そして情けなくて笑う。


 あーあ……あんまり知りもしない相手に怒鳴っちゃって、泣き顔まで見せて……私一体何やってんだろ?


 自暴自棄になるすんでのところで、それでもまだ私は彼から目を逸らさなかった。

 諦めなければ、逃げ出さなければ伝わるものがある、ってそう信じて。


「…………」


 しかしどれだけ待っても彼の返事は無い。

 かといって背を向けることもしない。

 ただまっすぐに私を見ている。

 だけど……何も語らない。


 やっぱダメだよね、まあ無理もないか……。

 ごめんね名倉君、嫌な思いさせちゃって。

 言いつけ通り、もう二度とあなたの前に姿を見せない。あなたの趣味も絶対に誰にも話さないよ。それがせめてもの――


「話、聞いてやるよ」

「……うそ?」


 急に風の流れるのを感じた。正面から吹き抜けるようにそれは私の髪を後ろになびかせ、瞬く間に過ぎて行った風はそんな彼の言葉を運んで来た。


「ただし、まだ了承したわけじゃない。まずは話を聞いてからだ」


 信じられなかった。

 さっきまであれほど頑なに拒んでいた彼が、どういう風の吹き回しか(実際はただの向かい風)、まさか本当にオッケーをくれるとは思ってもみなかった。

 そしてそれはまた、私の意志が初めて願ったとおりに叶えられた瞬間でもあった。


「ううん! 全然構わない! ありがとう!」


 だから自然と笑顔がこぼれた。

 きっと凄く良い表情(かお)が出来ていたと思う。


 ********


 ……ったく、俺はなにやってんだか。


 目の前でさっきまで大声で泣き喚いてた女が、今はもう手離しに飛び上がって喜んでいる。


 ……これだから女は理解に苦しむ。


 だけど悪くないと思った。

 人に喜んでもらえるのも、こうして誰かの喜ぶ姿を見るのも、悪くないと思った。




 今思えば、あれはきっと梨子だったからだ。

 本当はその時にはもうとっくに答えは出てたはずで、何を思ったか俺はすぐにそれを伏せてしまったんだ。

 見えないように、隠してしまったんだ。


 暗い暗い古の森で、俺は外へと続く抜け道の存在を知りながら、それに気づかないフリをしていつまでも彷徨い続けた。


 結局はそんな道化を演じていたのだと思う。

 闇にすっかり慣れたこの身は、暖かくて、力強い、目も眩みそうなほどまばゆい太陽の光に灼かれてしまうのを恐れたから。


 そのくらい俺はどうしようもなく臆病で、どうしようもなく馬鹿だった。


 ********


「おい、お前これからヒマか?」

「え! あ、うん、特に用事は無いけど……」


 気づけばすぐ隣にまで彼が近づいて来ていた事に少し驚く。


「じゃあちょっと(ウチ)来い」

「えっ!?」


 そしてかなり驚く。


 いやっ、ちょっ、何、その急展開!?

 お、お、お、男の子の家なんて上がったことないしっ!!


「いやっ! でもでも、突然お邪魔するのは……その……迷惑! そう、迷惑だよっ!」

「ああ、親父は単身赴任中だし、母親は仕事、妹は部活で帰りが遅い。だから昼間から夕方にかけては俺一人だ、気にする事はない」


 一人!? 男の子一人の家に上がり込むの!? そ、それって……テレビとかでよくある……


「だ、駄目! 襲わないでっ!!」

「誰が襲うか、アホ」


 また、呆れた風に風が止んだ。


 ********


 どれだけ洗練された被害妄想癖だよ……


「いいから俺の気が変わらない内に黙ってついて来い。外じゃ落ち着いて話なんか出来ないだろ」

「……はい」


 目の前の少女は今にも消え入りそうな声で、小さく返事をした。


 ********


 ど、どど、ど、どうしよう……

 なんか流れでついて来てしまったけど、よく考えたら男の子と二人きりで下校するなんて初めてだし!?

 わ、私どうしたらいいの? もっとくっついて歩くべき? いや、でも付き合ってるわけじゃないんだからそれは変だよね?

 そもそも彼の方こそ一人でどんどん歩いていっちゃって、私と話をするつもりすらなさそうだし、こんな感じでいいのかな……?


 先を行く彼とは3mほどの間隔が空いている上に全く会話がない。

 カップルや友達には見えないだろうが、ずっと後ろをついて行くわけだから赤の他人とも思えない。

 はたから見ればなんとも奇妙な光景だろう。


「はぁ……」


 私が一つため息をついたところで、彼がそれに気づいて足並みを揃えてくれる事なんてもちろんあるはずもなかった。


 ********


 名倉君の家って私と同じ方向だったんだ……


 車窓から過ぎゆく景色は毎日目にする、私にとっても凄く馴染み深いもの。

 私達は電車に揺られていた。

 乗り込んですぐ名倉君は何も言わず長椅子の一番端に腰掛けたが、並んで座る勇気なんて持ち合わせているはずのない私は、たっぷりと二人分の空間を開けた場所に自分の腰を落ち着けた。


 それにしても本当に好きなんだなあ……


 名倉君はさっきからずっと本を読んでいる。

 ブックカバーをかけているから周りの人が見たら何の本を読んでるかなんて見当もつかないだろうけど、私にはわかる。

 あのサイズ、ストロベリー・ラブだ。


 ……ちょっと気になったので聞いてみた。


「ね、ねぇ、面白い?」

「……話しかけるな、気が散る」


 うっとうしそうに舌打ちまでされた。


「……ごめんなさい」


 こ、怖い……


 ********


 どこまで行くんだろう……。

 話さなくていいっていうのも確かに気はラクだけど、こうも長く続くとさすがに退屈だなあ……もう30分近くは乗ってる? 私のいつも乗り降りする駅はさっき通り過ぎたし……

 そうだ、携帯。

 そういえば学校を出てからまだ一度も携帯を確認してなかった。

 事態の成り行きを心配した未来や穂奈美から何か連絡が入ってるかもしれない……!


 カバンの中から携帯を探す。


 ガサガサ……ガサガサ……


「おい」

「ひいっ!! ごめんなさい! 静かにします、大人しくします!」

「降りるぞ」

「…………はい」


 やっぱり怖い……。


 ********


「……おじゃましまーす……」


 彼の家は駅から歩いてすぐのところだった。

 駅を降りた途端私の緊張は極限にまで達し、刻一刻と迫る彼の家への訪問に備えいかなる戦略と知略をもって挑もうか……なんて考える暇もなく着いてしまった。


 待って……まだ心の準備が……


 なんて思ってる間に、さっさと彼は門をくぐって玄関の扉を開けてしまう。

 そして「さあ、入れよ」と。


 ああ……本当に来てしまった。


 なんかとても悪い事をしているみたいで今すぐにでも引き返したい気持ちはあるが、それを口にする度胸はない。


「とりあえず俺の部屋に行くぞ」


 促されるままに靴を脱ぎ、彼に続いて階段を登る。

 顔はずっとさっきから緊張して俯けたまま、足元ばかりを見ている。

 しかしそれでも目に入るものはある。なんとなく雰囲気でわかることもある。

 ごく普通の二階建ての一軒家。

 下はリビングとキッチンにバス、上は家族の個室、それから寝室といった感じだろうか。

 二階の廊下には右手に日どり窓、左手に三つの部屋があり、彼の足はその一番手前のドアの所で止まった。


 ここが彼の部屋なんだ……


 気持ちが張り詰め、思わず喉がゴクリと鳴る。


「あ、あの……!」

「安心しろ。俺はお前に興味はない」


 うっ……


 彼の思いやりのない言葉が心の急所に突き刺さる。


 いや、これはきっと彼なりの優しさなんだ! 私の凝り固まった警戒心をほぐそうとして、ただちょっと言葉が不器用になっただけだ!


 そんな風に解釈して、これから力を借りなければいけない彼への印象を必死にプラス修正しようと試みる。


 カチャ、ギー……


 ゆっくりでもなく、普通にドアが開かれる。

 そして現れたのは初めて目にする男の子の部屋。それはとても殺風景なものだった。

 勉強机、ベッド、本棚、CDコンポの他に特に目に付くものといったらゴミ箱ぐらい。

 何一つ余分なものがない無機質な部屋。

 まあ良い意味で捉えれば整理整頓されているといえるのだろうが……なんかつまらない。


「へぇー……い、意外と普通だね!」

「どんなのを想像してた?」

「ほ、ほら! 壁にアイドルのポスターが貼ってあったり……とか?」

「アイドルのポスターを自分の部屋の壁に貼ってる男子高校生が、今日の日本に一体どれだけいる?」


 彼は部屋の奥にある勉強机の上にカバンを下ろした。


「お前はいつまでそこに突っ立ってるんだ。ほら、早く入ってこれに座れ」


 そう言って勉強机に据えてある回転椅子を私の方に寄越す。


「ど、どうも」


「おじゃまします」ともう一度小声で断って私は部屋に入った。

 そして差し出された椅子にそっと腰を下ろすのとほぼ同時のタイミングで彼は入口のドアを閉めた。


「うわっ!」


 パタンという音に思わず反応する。


「お前はいちいち驚くな。こっちの神経が擦り減る」

「……ごめんなさい」

「いちいち謝るな」

「……ごめ、……はい」


 彼はいつのまにか制服の上着を脱いでパーカーに着替えていて、私の視線を横に受けるような角度でベッドの縁に腰を下ろした。


「おい、女」


 相手に向かって本当に「女」って呼ぶ人、私は初めて見た。これにはさすがにちょっとムッとする。


「……柊梨子です」

「じゃあ梨子」


 え! 名前!? いきなり!?

 こ、この距離感全然つかめない!


「し、下の名前で呼ぶんだっ?」

「あー勘違いするな。お前を苗字で呼ぶなら『女』と呼ぶ方が早い。そう判断したまでの事だ」


 彼はまるで興味なさそうに天井の方を仰ぎ見ていて、私に目もくれようとしない。


 ううぅ……腹立つ……


 しかしここでそんな不遜な態度をみせてはいけない。私は今日彼に頼み事をしにきたのだ。

 この人、私をからかって遊んでるだけなんじゃないか……段々とそんな風にも思えてこなくもないが、私はふつふつと煮えたぎる怒りの感情を必死に自制心でセーブする。


「で、だ。話してみろよ。お前は一体俺に何をして欲しい?」


 本当に気の利かない人。

 ちょっとくらい世間話でもして私のこのガチガチの緊張を、この険悪なムードをほぐしてくれたっていいじゃない……


 しかしもちろんいつかは話さなくてはいけないことなので、私は渋々ながらも意を決して口を開こうとするのだが――結局、彼の言葉が先にそれを遮った。


「まあ大体見当はつくけどな。どうせ好きな男がいる、とかそんなとこだろ?」

「な、なんでわかるの!?」


 図星だった。


「女が誰かに相談を持ちかけるなんて大方そんなもんだと相場が決まっている。それで? それと俺がお前の為に小説を書く事と、一体どう関係がある?」


 彼に見透かされているのはなんかとても悔しい気がしたけど、私の口から説明する手間が少しでも省けたのは有難い事だった。私、口下手だから……。


「……私、その……お、男の子と、上手く会話が出来ないの……」


 その事実をまさに目の前にいる男の子に告白しなければならない今の状況というのは、本当に穴があれば入りたいくらい恥ずかしかった。


「……なるほどな」


 なによ、わかったようなフリして……。


「お前、男と付き合ったこと無いだろ?」


 ヤダ! 本当にわかってる!?


「そ、そんな事関係ないでしょ! ……ま、まあ、無いけど……」

「それもお前のその男に対する耐性の無さを見てれば簡単にわかる。見た目は派手なのに、どうしてこうも中身は小さいのか」

「……悪かったですね」


 もう憤りをいちいち隠すのも馬鹿らしくなってきた。

 あーもう、嫌な奴!!


「今までの話を整理しよう。中学では地味地味のド陰キャラだったお前は、似合わない格好をする事で上っ面だけでも着飾り、クラスでも人気者の本来なら住む世界が違うはずの男の心を何を血迷ったかは知らないが、なんとかして惹きつけたいと思った。しかしそんな上辺だけの道化じゃ当然ボロが出る。口下手なお前はそれ故に、その男と親しくなれるせっかくの会話のチャンスを台無しにしてしまった。困ったお前は何か良い方法はないかと考え、そこで俺に白羽の矢が立った。偶然書店で見かけたあの男は確か大の恋愛小説好きだった。なんとかしてアイツを利用出来ないだろうか。アイツに私を主人公にした小説を書いてもらって、何も考えることなくただその通りに私が演じていれば、私の恋は成就するのではないか? ……お前はそう考えたわけだな?」


 これでもかといわんばかりに悪意たっぷりの皮肉が散りばめられてはいたが、その推理自体は見事なまでに当たっていた。

 黙って聞いていれば私はとんでもない悪女に仕立て上げられたわけだが、これに突っ込むのは今はよしておこう。

 話がややこしくなるだけだ。我慢我慢。大人の余裕よ。


「正直に言おう。やめておけ、と俺は言いたい」

「えっ……!」


 そして頭ごなしに否定されたもんだから、私はすっかり慌てふためく。

 大人の余裕はどこへやら。


「俺がお前の為に小説を書くというのもはなはだ面倒だし、お前の恋がどうなろうが知ったこっちゃない。金を積まれてもやりたくない、というのが本音だ」

「そんなっ……!」

「ただ、」


 その時、ずっと天井に注がれてた彼の視線が初めて私に向けられた。


「お前をそうまでさせるものはなんだ?」


 私をそうさせるもの……?


 彼の目は私をじっと捉えたまま動かない。


 私を突き動かすもの。そう、それは――


「変わりたいの」


 私は彼の目を見つめ返した。

 何があっても絶対にこの目だけはそらさない。これは私の意志の現れ。

 きっと私は試されてる。名倉君だけじゃない、この世界全部に!

 なら見せてやろう。私のこの決意を、この想いの強さを!


「もちろん彼に好きになってもらいたいという気持ちもある。ううん、というかその気持ちがほとんど。でも、それは同時に私を変えること。……もう、嫌なの! 好きな人がいるのに、それが叶わない、その気持ちを伝えられない、失敗を恐れて、いつまでもびくびくしながら何も行動出来ない臆病な私。そして何もかも手遅れになってから、後悔する事で可哀想な自分を演じる私。もう何もかも大っ嫌い! キライ、私は自分が大っ嫌い! だから私は変わって、好きな人に好きになってもらって、素敵な恋愛をして、そして……そして! すごい奴だって自慢できる、誇りを持てる、そんな自分自身を好きになってあげたいのっ!!」


 そっか……私そんなこと考えてたんだ。


 口に出してみて、初めて気づくこともある。


 ********


 十分喋れるじゃないか、コイツ……


 静寂の中、少しの睨み合いが続いた後、俺はゆっくりと口を開いた。


「変わりたい、変わりたい、ってガキみたいにほざきやがって……」


 梨子の強い視線はまだ真っ直ぐに俺に向けられている。刃物のような鋭さをもって突き刺してくる。

 抉られる、痛いほどに。


「そんな簡単に人間変われちゃ誰も苦労しねえよ……」


 誰かさんみたいにな……


 俺の言葉を聞く内に、段々と梨子の表情に陰りが差してくる。


 あーあぁ……そんな顔するな。


「だけど、キライじゃない」

「…………え?」


 お前の勝ちだ。


 俺は先に目を逸らすと、そのまま仰向けにベッドへと倒れこんだ。


「変わろうとしてるやつのこと、俺はキライじゃない。書いてやるよ、小説」

「ほ、ホント!?」


 梨子は勢いをつけて立ち上がり、丸くした目で俺の顔を覗き込んでくる。


「その、悪かったな……ちょっと冗談が過ぎた」

「え? じゃ、じゃあなに? ……まさか今までのやり取りは全部冗談だったっていうの!?」


 梨子の表情が驚きから呆然に変わり、怒りを通り越して尚、憤りを表現する。


「ははっ、まあそう怒るな。……本当はな、学校を出る時にはもう書いてやるつもりでいたんだ、小説。お前が『変わりたい』って言った時からな」


 そうだ。俺はもう決めていた。

 いっそこいつに賭けてみようかと、そんな気になっていた。


「うそ……? ちょっと、ふざけないでよっ! じゃ、じゃあ私は今日何のためにここに来たっていうの!?」

「俺の暇つぶし……かな? お前も初めて男の部屋に入った感想はどうだ?」


 梨子のカバンが思い切り俺の顔に投げつけられる。


「アンタなんか大っ嫌い!!!」


 ********


「にーちゃん、ゴハン出来たよ!」


 ノックも無しにドアが無造作に開けられ、外から妹が顔を覗かせる。

 どうやら飯の準備が出来たらしい。


「わかった今行く。先に降りといてくれ」


 俺はベッドに横になりながら、今日の出来事を振り返っていた。


 あの後、怒りの収まりきらない梨子は「私、帰りますから!」と言って、自分のカバンを拾い上げるとドシドシと恐竜みたいな足音を鳴らしながら部屋を出て行った。

 あの梨子の様子を見るとさすがに少しやり過ぎたな……などと反省するはずもなく、むしろ俺はしてやったりと喜色満面の笑みを隠しきれないままに玄関のところまで見送って(?)、その後ろ姿に「まあ機嫌が治ったらまた来いよ」と声をかけたのだった。


「ねえ、にーちゃん」


 あいつの事だ、どうせまたすぐにやって来るだろう。


「んーなんだ?」


 俺にはそんな確信があった。

 梨子の「変わりたい」という気持ちはそう簡単に揺らがない。

 まともに男と会話すら出来ない駄目駄目っぷりのくせして、そこだけは絶対に曲げない図太い一本の芯みたいなのを持っている。


「今日誰か女の人来た? 廊下に長い髪が落ちてた」

「ああ……絵里が来てた」


 だから俺は梨子を手伝う気になったんだ。


「嘘つけー絵里ちゃんの髪こんな色じゃ無いよー」

「……髪の色変えたんだよ」


 アイツはアイツなりに変わろうとしてる。不器用は不器用らしく泥臭いやり方で。


「むぅ……怪しい。他人の目は誤魔化せても妹の私の目だけは誤魔化せないんだから……!」


 そのくせ俺は変わろうともしていない。

 変われるはずなんて無い、と最初(ハナ)から決めてかかってる。


「ママー! にーちゃんが今日知らない女の人を……!」


 だからせめて変われる人をこの目で見届けたいと思った。

 それで変われない自分を誤魔化そうと思った。


 本当の臆病者は俺の方だよ……


「ば、ばかっ! 秋、お前!」


 ああ、紹介しておこう。

 こいつは名倉秋(なくらあき)、中学三年生の俺の妹だ。



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