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ナツキトリコ  作者:
第二部
37/41

第36話 福田の想い 達観×誘惑

 第36話 福田の想い 達観×誘惑


「はあ……そろそろ帰るか」


 夕暮れ……なんてとうに過ぎている。陽はもうすっかり山の端に落ちて、名残のような薄暗さだけが辺りに漂う。

 体育館の壁に背中を預け、半ば放心しきったように座り込んでいた俺は、その重たい腰をようやく持ち上げた。


「イテテテッ……」


 固まってしまった身体があちこちでパキパキと小気味良い音を鳴らし、改めて全身に血が通い始めたかの如く錯覚を覚える。


 今何時頃だろう……


 さっきまで壁越しに伝わって来ていたフロア内のボールの振動や足音も、いつのまにか感じられなくなっていた。

 時間なんて携帯を取り出せばすぐにでも確認出来るのだが、なんだかそれをするのも億劫だ。第一そこまで知りたいわけでもない。


「また午後の授業すっぽかしちまったな……」


 壊滅的なテストの答案を返却されたのが昨日。しかし俺は全く反省の色を見せず、翌日にして既にこの有様。教師陣もさぞ呆れ返っている事だろう。この調子じゃ一年が終わる頃には留年、なんて話も段々現実味を増してきて少しも笑えない。いつから俺はこんなどうしようもない奴になっちまったんだ。


「……どうしようもないのは元からか」


 すっかり人気(ひとけ)の失せた構内をトボトボと彷徨う俺のシルエットは、これまたどうしようもなくみっともない。置きっ放しにしてきたカバンを迎えに、俺は一旦教室へと戻る。


「さすがに絵里はもう帰ってるよな……」


 教室は既に消灯済み。8組の生徒は俺を除いて全員帰宅した後だろう。部活組より帰りが遅くなるなんて、もしかしたら今日が初めての事かもしれない。


 俺は教室の一番左後ろ、窓側の隅っこの席へと向かう。一月ほど前に行われた席替えでも俺は相変わらずこのポジションをキープしていた。

 うちのクラスの席替えは全員でクジを引き、数字の小さい方から順に好きな席を埋めていくというシステムであるため、そこにはかなりの恣意性が含まれる。気の合う友達と並ぶ者、好きな異性と近づく者、教科書を立てれば教壇からは死角が出来る席を求める者。各々の理由は千差万別であるが、傾向としては後方の座席から埋まっていくのが常である。

 そして見事に2番を引き当てた俺は、晴れてこの窓側最後列という位置を死守した。実はこれで入学時から三度の連続防衛に成功している。今更他の席に移る気はない。居眠りは出来る、外は眺められる……なるほど、そんなだから俺の成績は下降していく一方なのか。

 絵里は9番を引き当て、俺の一つ前の席へとやってきた。本当は俺と同じ最後列に行きたかったらしいが、その頃にはもう全て他の生徒の名前で埋まってしまっていたのだから仕方ない。ちなみに絵里はクジ運が悪く、これまで二度の席決めではいずれも最前列のど真ん中という、それだけでも教壇に立つ教師陣からのプレッシャーで精神を病みかねない、なんとも不遇な毎日を送ってきたのである。そりゃ逃げ出したくなる気がわからないでもない。


 俺は教室の明かりをつけないままに自分の席へと向かった。カバンは確かに机の横に下がったままだ。


「ん……?」


 しかし近づくにつれ、俺は机の上に覚えのない手の平サイズの紙切れが置いてある事に気づいた。ノートの切れ端か何かだろうか? 紙面には黒で手書きの文字が綴られてあるようだが、ここからでは暗くて良く見えない。

 机の横まで歩み寄りその紙を手に取ってみて、俺は思わず笑ってしまった。



 馬鹿者!

 お前がおらんと前の席の私が目立って満足に昼寝も出来んだろうが!

 何があったかは知らんが、サボる時は私も連れて行け!



 そんな走り書きがしてあった。およそ女の子らしくない文字に、女の子らしくない文章。まさに彼女らしい。


「そうだよな……悪い、絵里。次からはお前も誘うよ」


 俺はその紙を小さく折り畳んでポケットにしまい込むと、カバンの紐を肩に引っ掛け教室を後にした。


「……って違うか。二人でサボったらそれこそ俺達の学力はもう救いようの無いことに……」

「あれ、名倉君?」


 一人ブツブツと廊下を歩く後ろから唐突に声をかけられた。もう校舎の中に知り合いなんて残っていないだろうと思っていた俺は、だから少し驚いた。


「こんな時間まで……一人?」

「……ああ、ちょっとな。部活帰りか?」

「うん、教室に荷物取りに行ってたの。よかったら途中まで付き合ってくれない? 友達もう帰っちゃったし」


 そう言って俺と肩を並べて歩き出したのは、スポーツ少女の福田未来。

 梨子や絵里よりも少し背が低く、肩を並べるといっても実際のところ高低差からあまり並んでるようには見えない。

 練習を終えた直後だという彼女の髪は、まだ汗で少し湿っていた。そういえばさっきボールの音が聞こえていたのは、彼女達バスケ部によるものだったのだろうか。


「今日は来栖さん一緒じゃないんだ?」


 階段を後ろ向きに降りながら福田は悪戯っぽく言う。

ちゃんと前見て歩け、危ないから。


「俺だって四六時中絵里と一緒にいるわけじゃない」


 まあ校内では一緒にいない事の方が珍しいのは確かだが。


 来栖絵里。俺の親友で幼馴染。今日もわざわざ俺のために置き手紙まで残してくれたあいつは、ちゃんと寄り道せず家へ帰っただろうか。


 なんて事を考えたりもして、


 まあ今は絵里の事なんかどうだっていい。俺が本当に気にしなきゃいけないのは……


「……なあ」

「なに?」

「梨子の事、聞いてるか?」


 そう、柊梨子だ。さっきから俺の頭の中はずっと彼女の事で占められていた。


「……やっぱ名倉君にはちゃんと話したんだね、梨子」

「いや、俺から聞いたんだけどな」


 福田の方が少し前を歩き、その背中越しに俺は彼女と会話する。小柄なくせに力は強く、部活の用意や教科書やらで一杯にまで膨らんだカバンを、いとも容易(たやす)く片手でブンブン振り回す。


「実は昼に沢北と話した」

「そっか……それでどうだった?」

「……怒るに怒れなかった」

「だろうね」


 福田はその時だけ足を止め、ちょっとだけ俺の方を振り返って笑った。


 笑った……?


 彼女のそんな反応が意外だった。


「お前……知ってるのか?」


 再び踵を返した福田に、俺は追いすがるように声をかける。


「ううん、だけどなんとなくわかる。沢北君は理由もなく人を傷つけたりしないよ。それも相当まともな理由でも無い限り」


 クルクルクルクルと何度も器用に向きを変え、踊るように軽やかな足取りで歩く彼女の姿は、それだけ見れば本当にまだあどけなさの残る少女の仕草だった。

 しかしいつかの夜みたいに、この日の俺の目にはどうしても福田がもっと大人びて映るのだ。

 何も分かってないようなフリをして、本当はなんでもわかってる。

 それが彼女の凄さであり、怖さであり、魅力でもある。


「……ったく、たまにお前のキャラがわからなくなる」

「へっへ〜ん、ギャップ萌えした?」

「するか」


「よっと」。平均台の要領で、歩道と車道の境目の少し高くなったところを器用に歩く福田。両手を左右に広げバランスを取り、わざと片目をつぶって平衡感覚トレーニングのつもりだろうか。


「それで? 名倉君はきっとちょっぴりセンチになって、今までどこかでコソコソグズってたわけだよね? いや、こんな時間まで残ってたくらいだからちょっぴりなんてレベルじゃないか」

「……勝手に人の心を読むな」


 それが出来るのは沢北だけで良い。でないと俺はとうとう本物の人間不信に陥ってしまう。


「で、どうするの?」


 俺達は自然、駅へと帰る途中にある公園で道草を食っていた。


「どうするって……何を?」


 ブランコに腰掛けた福田の正面に立ち、お互いに顔を突き合わせる。


「まさか……それを私に言わせるつもり?」

「……」


 馬鹿にされても尚、俺は彼女が自分にどうしろと言っているのかいまいちピンと来るものが無かった。そんな様子を見て福田は心底呆れたように、


「はあ……本当に名倉君は鈍感だね」


 そう吐き捨て、ブランコを一漕ぎ、ぴょんと飛び降りた。そのまま今度は滑り台へと向かう背中を、俺も慌てて追いかける。


「鈍感? 俺が?」

「じゃあもし私がここで名倉君の事を好きだと言ったら?」


 急に福田が振り返った。

 小さく心臓がトクンと跳ね上げ、次の一歩を踏み出す足が止まる。


「……そ、そうなのか?」

「バカ、そんなわけないじゃん」


 ベーと舌を出す福田を見て、俺はまたしても彼女にからかわれたのだと知った。


「だよな……」


 普通ならここでがっかりして肩を落としたりするものかもしれないが、臆病な俺は内心それ以上にずっと安堵していた。

 例えどんな内容であろうと、自分の予測のつかない事というのは気味悪く、怖い。人の気持ちを知る行為にはそういう怖さがある。

それが福田のように、何を考えてるのかわからない、掴みどころの無い相手なら尚更だ。驚天動地の新事実を知らされるくらいなら、いっそ何も聞かない方がいい。その方が心の平穏が保てるし、ずっと生きやすい。俺はそんな風に考える人間だった。


「純粋なのかなあ? 言われた事はすぐ信じちゃう? あ、だけど変なとこで頑固だよね? ん〜よくわかんない」


 滑り台の梯子をせっせと上っていく少女。


「……そう簡単に分かられてたまるか」


 自分だってよく分かってないのに、俺の事。


「じゃあ質問を変えよう」


「えいっ」。福田は一息にスロープを滑り降りると、そのまま一番下にちょこんと腰掛けた。


「ずばり沢北君に何を言われた?」


 そして俺を見上げる彼女の目が急に鋭さを増す。

 そんな福田の射るような視線に少したじろぎながらも、


「それは……どうして梨子と別れる必要があるのかとか、あいつの家庭事情とか……」


 俺は昼の様子を思い出しながら必死に言葉を繕うのだが、


「違う」


 静寂にその声はよく響き渡った。


「違うって……」

「違うね。名倉君がこんな時間までウジウジしてた理由ってそんなんじゃないでしょ?」


 姿形だけ比べれば絶対に福田の方が俺よりも幼く見えるはずのに、こんな風に精神と言葉のやり取りをしていると、実は彼女はとんでもなく年長者なのではないかと感じる瞬間がある。


「……」


 さすが。やっぱりこいつには何でもお見通しか……


「沢北に言われた。梨子は俺の事が好きだって……」


 移り気な彼女が次に選んだのはジャングルジム。

 俺も負けじとその一番下の段に足掛けながら、やっとの思いでそれだけ口にした。


 急に変な事を言うもんだから、また福田に馬鹿にされたりはしないだろうか……

「自意識過剰すぎるって!」そう笑われそうな気もしていた。

だから沢北に言われたことをそのまま伝えるのはかなりためらわれたのだが、意外な事に、対する福田の反応は拍子抜けするほどあっさりしたものだった。


「へえー」


 棒読みの、気のない返事。


「お、驚かないのか?」


 予想を大きく裏切られ、逆にこっちが戸惑ってしまう。


「別に、私知ってたもん」


 動揺の一片も見せない素振りで、何食わぬ顔の福田は鼻歌まで歌っている。

 後を追って登ってくる俺を横目に見ると、彼女は一度足を止めた。


「それ本気で言ってるのか? だってあいつは沢北を……!」

「あー!! バカバカバカバカ馬鹿ばっか!! 梨子も名倉君も揃いもそろって大バカもんだよ!」


 なびいた髪が音を立てて頬に打ち付けるくらいに、彼女は勢いよく首を左右に振る。


「福田?」

「最初からどうしてわかんないかな? 梨子が初めに喋れるようになった男子は君でしょ? 名倉君。その時点で気づくでしょ、フツー。ってか梨子も自分で気づきなよ」


 俺がやっと追いついたかと思うと、福田はまた一人でどんどん上へと登ってしまう。


「その時点で梨子が本当に好きなのは俺だったと……?」

「そりゃそうだよ。私からすれば二人とも超いい感じだと思ってた。それが何を血迷ったか、梨子はいつまでも沢北君がどうこう言い続けるし、名倉君はそれを後押しするし……私はずっと馬鹿じゃないの、この二人? って思ってたよ。ま、結局は私も友達としての立場上、そんな梨子を応援せざるを得なかったわけだけど」


 まさに冷水を浴びせられたような気分だった。


 そ、そんな……俺達は初めから全く間違った事をしてたというのか?

 俺が梨子のためにと思ってしてきた行為の全ては、結局のところそんな過ちを更に助長しただけに過ぎなかったというのか?


「も、もし仮にそうだったとして……梨子が俺の事を好きだったとして……」


 あくまで仮定、と断っておきながら、それでも俺は自分で言葉にするのが恥ずかしく、上手く福田の顔を見て喋れない。


「俺じゃ梨子をどうしてやる事も出来ないんだよ……だから俺は悩んでる」


 そして状況に絶望する。


 そうだ。

 たとえ梨子のそんな深層心理に気づけたところで、俺はそれに応えてやることが出来ない。いくら彼女を喜ばせたいという気持ちがあったところで、女に興味が持てないという事実を前にはどうすることも出来ない。


 しかしこれにも福田は蔑むような一瞥をくれ、


「あーホントに名倉君は大バカもんだよ。救いようのないくらい」


 聞こえよがしに大きなため息をつくのだった。


 ……おいおい、本当に俺が悩んでるのわかってるのか?


 馬鹿にされっぱなしでさすがに少し腹立たち始めたころ、すかさず福田は次の言葉を口にした。


「教えてあげよっか、名倉君」

「……何を?」


 気づけば彼女はとっくに頂上まで登り詰めて次なる獲物を探している。

仰ぎ見ればスカートの中身が見えてしまいそうな微妙な角度に、俺は目のやり場に困りつつ、頭を伏せながら一気に登らざるを得なかった。そしてなんとか福田と同じ高さまで達すると、俺は少々気まずい思いでその隣に腰掛ける。

とりあえずは一度気持ちを落ち着かせようと、軽く深呼吸をしたのも束の間、


「君は最初から梨子の事が好きなんだよ」

「!!!」


 彼女の核弾頭級の衝撃発言に、俺は危うく足を踏み外しそうになった。


 何を言ってくれるんだこいつは……! 俺を殺す気か!?


「馬鹿を言うな! だって俺は……」


 しかし彼女は反論しようとする俺の唇に人差し指で封をした。そして急に声音を変えて、


「ねえ名倉君……『好き』って何だと思う?」


 息がかかりそうな距離で囁くように語りかけてくる福田。

俺の瞳を下から覗き込むのは半分くらいにしか開かれていない、気だるそうなやけに熱っぽい目つき。


「……どういう意味だ?」


 慣れない距離感に、思わず鼓動が速くなる。


「『好き』って感情は誰がどう定義するんだろう? って話だよ。私はそれが知りたい」


 苦笑にも似た儚げな表情を見せる福田。彼女のこの表情の意味は一体何なのだろう?


「そ、それは色々とあるだろ。ほら、例えばその……異性の事を愛しく思うだとか、ただの友達以上の関係になりたいだとか……」


 そもそも自分がそんな感情を抱いたことが無い故に、正直上手く説明出来ている自信は無かった。ただそれでも、とにかく小説やテレビで知り得た知識を参考に、俺は思いつくままに言葉を並べる。


「私はそれも(おんな)じことだと思うんだ。いわゆる愛情ってやつ? でも私のこの異性に対する感情の、どっからどこまでが『好き』で、どこをどういじったら『愛』になるのかな? もしその答えがあるのなら、私は是非それを教えて欲しい」

「……」


 福田の話はどこか哲学的で、そうなると俺にはもう全く手も足も出ない状況だった。とてもまともな議論が交わせるレベルの内容ではない。


「名倉君、君はもしかして誰かを好きになったら頭の中に『好き』って言葉が浮かんでくるとか考えてない?」

「そ、そんなわけ……!」

「ない? じゃあなんなの? 君が梨子を大切に思う気持ち、それは何て感情なの? 説明できる?」


 福田は唇から滑らせた指を、今度は俺の顎のラインに沿わせる。


 俺が梨子を大切に思う気持ち……?


 段々と下降していく指先の感覚に、ゴクリと喉が鳴り、嫌な汗が滴る。


 確かに俺は梨子が大切だ。梨子が悲しむ顔を見たくない。笑顔を咲かせる手段があるなら、俺はどんな努力も惜しまない。

 だけど……この気持ちはなんだ?


「……わからない」

「そう、それが答えなんだよ」


 福田は満足そうに頷くと、ツンと俺の胸を一突き、ようやくその手を離した。


 ……ったく本当に何なんだよこいつは……


 とりあえずホッと一息つく。


「みんな自分の気持ちなんてわからない。だから悩むんだ。私はあの人のこと好きなのかな、どうなのかな……ってみんな悩みながら毎日を生きてるんだよ。そんな感じで、なんとなくで人は誰かを好きになる。きっとこれは好きって感情なんじゃないかって、そんな不確かな確信をもって人は誰かに恋をするんだ」


「つまりは『好き』と『好きじゃない』との間に明確な違いは無い」彼女はそんな風に付け加えた。


「俺は……梨子の事が好きなのか……?」


 散々福田の話を聞かされた後で、俺はまだ半信半疑だった。

 自分で自分の気持ちが良くわからない。『好き』って気持ちがわからない。梨子に対して、他の誰とも違う特別な感情を抱いているのは確かだ。だけどそれは……


「一般的に言えば、その子を振った相手をぶん殴りたいくらいに思う気持ちは、『好き』を通り越してもはや『愛』だよ」


 公園を抜ける懐かしい風が福田の髪を優しく撫でる。彼女はそんな風に答えをくれた。


「そうだったのか……」


 俺はとっくに誰かを好きになってたのか……

 あいつと出会ったその直後から、俺はもう柊梨子に恋をしていたのか。


「先に変わったのは梨子じゃなく、俺の方だったんだな……」


 そんな呟きが口の端からこぼれた。これを現実として受け止めようと思えるくらいに、もう気分も落ち着いていた。


 気づいてみればなんだかあっけない結末だった。

 俺が長年苦しみ、悩み抜いた挙句の事の顛末はこれっぽっちも劇的じゃなかった。

 知らぬ間に、気づかぬ間に、俺は自然と梨子に恋をしていた。

 普通に。

 ごく普通の高校生のように。


 その時、


「あー私も名倉君くらい鈍感だったらなあ!! こんなに辛い恋をいくつも経験しなくても良かったのに!! バカヤロー!!」


 突然福田が大声で叫んだ。

溜まっていた何かを吐き出すように、大人の仮面を捨てて、等身大の15歳の叫びで。


「どういう意味だ……それ?」


 あまりの出来事に呆気に取られる俺。


「……ナイショ。ただ私が君のためを思ってこうして長々と話をしてあげてるってことの意味、よく考えてみたら?」


「よっと」。福田はジャングルジムの残り三段くらいを、一気にすっ飛ばして飛び降りる。


「……俺にはまだわからない」

「かもね。ようやく恋愛に目覚めたばかりのお子様には、ちょっと難しすぎる問題だったかも」


 福田は笑う。

 こんな素朴な公園に、彼女の飾らない笑顔はよく似合うと思った。

 俺は慎重に一段一段足元を確かめながら地上へと降り立つ。


「その……ありがとな」


 そして福田に向き直る。照れ隠しに頬を掻く仕草なんかも混ぜながら。


「礼を言うのはまだ早いよ。名倉君が全ての問題を無事解決出来たその暁には、また改めて感謝されよう」


「バイバイ」と手を振って15歳の少女は駆けて行く。ここまで来れば後はもう一人で帰れるはずだ。

 だけど福田はその途中で一度振り返り、


「君と梨子があともうちょっとだけまともな感性をしてたら、悲しむ人はもっと少なくて済んだのに……正直遅過ぎだよ。私はきっと君達をしばらく許せない」


 暗くて、遠くて、うつむいた彼女がどんな表情をしていたかはわからないが、きっといつもみたいに笑って言えた言葉なんかじゃなかったと思う。


 福田の言う通り、俺は、俺達は簡単に許されてはいけないのかもしれない。

 沢北を巻き込んで、自分達の勝手で振り回して、そして傷つけて……

 この罪はきっと重い。知らなかった、気づかなかったくらいじゃ済まされないくらい、きっと重い。


 何が無知の知だ。

 知ったところで何も偉くなんかない。何も誇らしくなんかない。


 悪い、沢北……


 胸の内で色んな事を詫びる。

 だけどおかげで気づく事が出来た。


 俺は……梨子の事が好きだ!


 ようやく自分の進むべき道が見えた気がする。15年間の幽閉生活にやっと今、一筋の光明が差してきた。後はそれを信じて走るだけ。そこに向かって突き進むだけ。


 ……だけどその前にこの事を知らせたい人がいる。

 俺のこの気持ちの変化を誰よりも伝えたい人がいる。

 側でずっと見守り続けてくれたアイツに、俺は……俺は自分が変われた事を伝えたい!


 しかし最後の最後まで俺は馬鹿だった。

 福田の言う通り大馬鹿者で、救いようのないくらい愚かだった。

 結局俺は『鈍感』という言葉に込められた本当の意味を、真には理解出来てなかったのだから。

 福田の言う解決すべき問題の本質を、完全に履き違えていたのだから。


 そして俺は一世一代の過ちを犯す。

 それは絶対に許されない大罪で、

 無知故に、アイツを……傷つけてしまう。



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