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ナツキトリコ  作者:
第二部
33/41

第32話 水金地火木不得意科目?

 第32話 水金地火木不得意科目?


「あのう、来栖さん……」

「……」

「名倉君……」

「……」

「一体何があったんですか二人とも! どうしてそんなに脱力して机に突っ伏してるんです!?」


 7月15日の月曜日。

 目前に控えた夏休みを前にして、本来ならばそこの加西のように片足を椅子に、もう一方の足を机の上に乗せ、歓喜の雄叫びを教室中に轟かせるくらいが若き日の少年像としてはあるべき姿なのかもしれないが、俺達、つまり名倉夏樹と来栖絵里の若干二名はそんな浮ついたクラスメイト達とはまさに対極に位置するかのようなブルーなムーディで今日を迎えていた。

 そう、それはもうこんなに一文を長くしてしまうくらいに……


 原因は今朝のHRで一斉に返却された期末テストの答案にあった。


 結果は……惨敗。


 まあテスト直前の貴重な日曜日に浴衣を着て祭りに繰り出している時点でこうなることは薄々目に見えていたのだが、いざ事実を突きつけられてみるとやはり想像以上にショックは大きい。


 なるほど、こうして落ちこぼれは生まれていくのか……


 俺はそんな知りたくもない落第生誕生メカニズムを、いまこの身をもって証明したわけである。


「なあ絵里……お前数学何点だったんだ……?」


 前の席には机に身を投げ出し、力なきポーズのまま石像と化している絵里。呼吸する度にほんの数ミリ上下する肩の運動だけが、確認出来る唯一の生体反応である。しかしそれももはや風前の灯。


「……お前に点数を教えれば……私の成績は上がるのか……?」


 普段からは想像もつかないくらい覇気も抑揚も失くした声で、石像はいかにも億劫そうに返事をした。


「いや、それはないな……」

「じゃあ聞くな……」


 そして俺もまた、華やかでみずみずしい活気に満ち満ちたこの教室に不釣り合いな灰色の石像と化す。


 ……なんだこの残念な感じは!?

 幼馴染二人してこの学校で落ちぶれてしまったら情けないを通り越して、なんか惨め過ぎるじゃないか!

 絵里、お前だけは見かけによらず勉強もそつなくこなす奴だと思って俺はそこに一縷の望みをかけていたのに……


 自分の事は棚上げにしておいて、という点には触れないで欲しい。


 くそっ、著者のキャラ設定の気まぐれさを恨むぜっ!


 久々に槍玉に上げられた筆者であった。


「ボン、お前はどうだったんだ……」

「ぼ、僕ですか?」


 負のオーラを現在進行形で拡散させながら、俺達は机に伏せたまま顔だけをボンの方に向ける。闇の奥で目だけはギラリと獣の様に光を放つ。


「す、数学は……92点でしたけど……」

「死ねっ!!」

「はうっ……!」


 絵里の鉄槌が下された。

 哀れなボン。石へとトランスフォームした今の絵里の怒りの鉄拳は、さぞ骨身に響いたことだろう。


「ったく……なんでお前は俺達と一緒に遊んでるのに点数とれるんだよ」

「それは、きっと名倉君達と違って授業を聞いてるからだと思います……」

「……」


 返す言葉を失う。そう言われてしまえば反論のしようもない。

 俺と絵里が散々居眠りしたり、授業を抜け出したりしてる間に、真面目に黒板と教科書とに向き合ってきたボンの成績が俺達より悪いはずがない。

 その上更に、全ての授業でノートを取っておく事を強制されていたのだ。馬鹿にもわかりやすい、丁寧かつ完璧なノートを毎授業毎授業……

 それでもまだそこらの生徒より出来が良くならない奴がいるなら、そいつはきっとこの学校に裏口で入学してきたに違いない。いや、公立校なのでそんな制度は存在しないとは思うが。

 要するに、ボンはちゃんと勉強していた。そして俺達は結局ボンの取ってくれたノートを1ページも開く事は無かったのだ。


 ……そりゃこうなるか。


 当然の帰結である。

 俺は夏休みでこの勉強の遅れを取り戻す事を密かに決意したのだった。


 ……とまあそんなことは本当はどうでもよくて。


 俺は机に這ったまま首を180度回転させ、窓の外を眺める。


 俺の気分がいまいち晴れないのは、実はこのところずっと続いている正体不明のモヤっと感に起因する節がある。

 俺の前には正真正銘テストの結果で落ち込んでる絵里がいて、その隣に絵里を慰めるボンがいて、少し向こうの方には取り巻きと共に浮かれ騒ぐ加西がいて……


 だけど柊梨子はいない。


 飽きるほど見慣れたその顔も、俺はもう間近で見る事はない。

 すぐに力んで大きくなる声も、嘘をつく時は必ず左に目を逸らす癖も、だらしなく床に寝そべる姿も……おそらく二度と。


 心配せずとも梨子の側にはいつも沢北がいて、アイツはもう一人でも十分上手くやっていける。俺の助けは必要ない。


 ……それが不満なのか? もう梨子の面倒をみてやれないのが気に食わないのか?


 いつから俺はそんな世話焼きになった。もう他人の事であれこれ頭を悩ます必要は無い。好きな読書にいくらでも没頭出来る。絵里の付き合いを断らないで済む。きっと勉強だってもっとちゃんとやれる。


 願ったり叶ったりじゃないか。

 厄介事が片付いた。そう割り切ってしまえば簡単な事。

 心の中にほんの小さな穴が空いてしまっただけ。きっとすぐにまた他の何かで埋められる。

 部屋の中からある日突然物が無くなるのと同じ事だ。出来た隙間の違和感も、見慣れてしまえばそれが普通になる。気づけば別の何かを飾ってる。


 部屋……そうだ、梨子の奴まだ俺の部屋にクッション置いたままだった。

 ……まあいい、あれは秋にやろう。アイツなら、

「にゃは! 梨子ちゃんのクッションだぁ!!」

 とか何とか言って喜びそうだから。


 別になんて事はない。

 このくらい造作もない。

 感傷に浸ってなんか……いない。


 ただ一つ心残りがあるとすれば、アイツは変わって、俺はまた変われなかった。


 そうか……結局はそれを(ひが)んでいるだけなのかもしれないな。だとしたら俺は今度こそ完全無欠の最低な男だ。


 ――アイツの側にいれば何かが変わるかもしれない。


 どんどん前に進んで行く梨子を見て、そんな風に思う事もあった。このまま行けばもしかしたら自分の身にも何か起こるんじゃないか……って、そんな他人任せな事を考えてる内はいつまで経ってもダメってことか。


 また俺はこのまんまだ。


 人間、結局は落ち着くところに落ち着くのだ。いや、落ちるとこに落ちたというべきか。堕ちた。

 所詮現実なんてそんなもん。高校生マジックに変な期待を寄せるのはもうやめよう。辛い目見るのはどうせ自分だ。


 俺は俺だ。生まれた時から死ぬまでずっと俺。何も変わりはしないし、変われもしない。だから何も望まない。


 そう考えて思考をシャットアウトすると、少しだけ気分が落ち着いた。


「絵里、今日は久々にカラオケ行くか! テストなんてクソくらえだ!」


 そして無性に騒ぎたくなった。何もかもリセットしたくなった。


 真っ青すぎる空の色から目を背け、俺は体を乗り出して絵里の肩を揺すった。


「……仕方ない。私に牙を向いた学問の神々め、後悔するがいい」


 吹っ切れたように一つ大きな息を吐く絵里。


 なにをどう後悔するんだ?

 ってか先に勉強を見限ったのはお前の方だろ……


 なんか笑えてくる。


「僕も行きます!」


 傷心の絵里の無茶振りで、全く似ていないモノマネを延々と続けさせられていた(しかも絵里はそれを見てもいない)ボンが食いついた。


「あれ、でもお前……」

「今日は生徒会休みなんです! 僕、友達とカラオケ行くの夢だったんです!」


 ……お前、本当に中学の頃とか何して遊んでたんだ?


「なっちゃ〜ん、俺の事忘れてない?」


 ドンッ、と腰の辺りに体当たりをくらい衝撃でバランスを崩す。


「うおっ、加西!」


 どこから嗅ぎつけたのか、クラスの中心人物にて浮かれ組代表のチャラ男も話に割って入ってくる。


 コイツ、テストはどうだったのだろう……?


 気にはなったが、


 もし負けてたら親と死んだ爺ちゃんに合わす顔がねえ……


 怖くて聞けないのだった。


「ね、絵里ちゃんいいでしょ?」


 両手を拝むように合わせ、お願いポーズで絵里に気持ち悪いウインクを投げかける加西。


「む……神は今日パーっと派手にやりたい気分だ。許す」


 パーっとやりたい神ってのがもし実在したら今頃この世界どうなってんだ? それ、職務怠慢だろ。


「よっしゃー! じゃあ一学期終了&テストお疲れ打ち上げな!」


 加西の合図に「おー!」と拳を突き上げ意気込む俺達。

 突如湧いた掛け声に「なんだなんだ?」とクラスメイトの視線が集まる。意味も無く少し誇らしい気持ちになったりもする。


 こいつらとバカやるのもキライじゃない。これはお前と知り合ってから深まった絆だよ、梨子。


 加西達がどこのカラオケに行こうかと話し合ってる横で、俺はもう一度空を見た。外は相変わらず雲一つないくらいの快晴で、眩さに目を細めながらも、今度はちゃんと真っ直ぐに太陽を見た。


 ……大丈夫だよな。


 見えなくなる事もある。

 天候や時間によっては雲に隠れたり、地に沈んだり。あるいは自分から目をつぶったり、背けたり、隠れたり。

 だけど、ふと見上げればそれはこうして、当然のように俺の目にもまた映る。

 水星人や火星人に比べれば全然遠くにいるけれど、それでもちゃんと光は届く。

 それくらいでいい。俺の位置はそれでいい。

 熱過ぎる事も、眩し過ぎる事も無い。忘れた頃に思い出す。そのくらいがちょうどいい。


「……だとさぁ、っておい! なっちゃん聞いてる〜?」


 穏やかな表情……久しぶりだった。



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