第30話 狂い出す歯車
第30話 狂い出す歯車
「沢北君、一緒にゴハン食べよう!」
「ごめん、ちょっと用事済ませてから向かうから先行っててくれる?」
「うん、わかった」
あの七夕祭りの日以来、私達はこうして昼食を二人で食べるようになった。部活が忙しくてなかなか会う時間の取れない沢北君が、それでも……! と私のために用意してくれた時間。
いつも一緒にお昼を食べていた未来や穂奈美には悪い気もしたのだけれど、事情を説明したらすんなりと受け入れてもらえた。
「親友の恋路を邪魔するわけないでしょ」
と、むしろ二人は喜んで私を追い出したほどである。
そして大事なのは、これが名倉君の用意してくれたストーリーではないという事。
一応彼にもそういう事になった経緯は伝えてあるのだが、それは本当に後日結果を伝えただけであって、事前に何の入れ知恵をされたわけでもない。
実を言うと、驚くべき事に私はあの七夕祭りの日を境に沢北君と普通に会話が出来るようになっていた。毎日一緒にお弁当を食べてても、緊張してお箸を落としたり、のどにゴハンを詰まらせたりする事もなく、ランチタイムを他愛もないおしゃべりに華を咲かせながら楽しく過ごせるようになったのだ。
それこそ真っ当なカップルらしく。
きっかけはあの日のアレだったんだと思う。恥ずかしくてはっきりとは口に出来ないけれど、確かにあの瞬間、私の心の中で彼に対する警戒心のようなものが完全に溶けて無くなったような気がした。
どうも私が沢北君をはじめ、同年代の男の子とあまり上手く話せなかった原因は、無意識の内に私が相手との間に壁を作ってしまっていた事にあるようだ。
幼い頃から異性とほとんど交わる事無く育ってきた私にとって、彼らはUMA(未確認動物)も同然。一体どんな思考回路を有しているのか……危害を加えられることはないだろうか……などとほとんど恐怖にも似た感情でもって対峙し続けてきたのだ。
それゆえに私は彼らに歩み寄る事も、心を開く事も出来ず、結果、まともに男の子と会話すら交わせない残念な私が誕生してしまったというわけである。
しかし今は違う。私はもう沢北君相手に怯える事もない。
あの日、私達はお互いの気持ちを確かめ合った。そして私は今までどこか半信半疑であった彼の想いが嘘偽りない真実である事を確認すると共に、もう何も疑う必要が無いのだと知ったのである。
――彼はちゃんと私を好きでいてくれる。
厚かましいとか、自惚れだとか思われるかもしれない。だけどその自信は私を大きく変えてくれた。
もう言葉のやり取りの一々に彼の顔色を窺うことをしなくなったし、本当に望む事なら少し無理なお願いだって頼めるようになった。
もちろん今だって長い間目が合うと恥ずかしいし、ふとした拍子に手が触れ合ったりすると、それこそ耳の先まで赤くなったりもするのだが、まあそれくらいは他の子だって同じだろう。
晴れて私は普通の女の子らしく振る舞えるようになったのだ。
「あっ……」
突如強く吹いた風でページが一気にめくれてしまう。
「……もう」
私は一人屋上で沢北君を待っていた。私の他には誰もいない。
中庭のベンチだとさすがに人目につくので、先日二人で校内をさまよった挙句辿り着いたのがこの屋上。
別に封鎖されているわけではないのだが、ただでさえ登るのが大変な四階の一年生教室からさらにもうワンフロア分階段を登ってまで屋上に出ようという物好きはそういないもの。滅多に人はやってこない。少し風は強いが周囲の目を気にしなくて良い分私はこの場所がお気に入りだった。
「ごめん、遅くなって」
すると、すぐに彼はやってきた。
「ううん、全然待ってないよ」
本当にすぐだった。考え事をして、風に悪戯されたページを元に戻している内に彼は現れた。
私は開いたばかりの文庫本の、また同じ位置にしおりを挟んでカバンの中にしまった。
「何読んでたの?」
「ああ、これ……名倉君に借りてるの」
ブックカバーをかけた本の端を少しだけ持ち上げて彼に見せる。
そう、実は先日名倉君から借りた織姫桃子さんの小説が思いの外面白く、すっかり私もはまってしまっていたのだ。このところ暇を見つければ、ついついカバンに忍ばせた彼女の本に手を伸ばしてしまう私。なんか悔しい……
そんなわけだから以前宿題として出されていた感想文なんてのもこれまた意外にあっさりと書き上げてしまい、6月30日の期限にたっぷり一週間の余裕をもってそれを提出した私は、意図せず彼を大いに満足させてしまう結果となった。
その際「ハードカバーは持ち運ぶのが大変で……」なんて話をしてたら、上機嫌の彼は私がまだ読んでいない分を全て文庫版で貸してくれたのだ。同じ作品を単行本と文庫本の両方で揃えているファンというのも、そうなかなかいるものではないだろう。
「へえ〜どんな本なの?」
カバーをかけていたため余計に気になったのだろうか、沢北君の手が私のカバンに伸びる。が、しかし、
「だ、だめ!!」
パシッ!
私はほぼ反射的にその手を跳ねのけてしまった。
あっ……
やってしまった。と思う。
沢北君は驚いたように弾かれた手を宙で硬直させたまま、二人の間には何とも言えない沈黙が流れる。
「……そんなに見られちゃまずいもの?」
「ご、ごめん! そういうわけじゃないんだけど……」
違う……違うのっ……!
私は全然構わないんだけど、名倉君の本の趣味はばらしちゃいけないんだよっ……!
慌てて弁解を試みようとするも、上手く説明できる言葉が見つからない。
「そっか……」
そうこうする内に沢北君は少しがっかりした様子で手を引いた。
ああ……バカなことしたな私……
沢北君機嫌悪くしたかな……
罪悪感と自己嫌悪から消え入りたいと思うも、重くなった雰囲気を払拭するため私は努めて明るい声を出した。
「それよりごはん食べよ! ごはん! 私、お腹減っちゃった!」
無理に笑顔を繕う私。
これで全て無かったことにしようなんて、そんな都合のいい事を考えているわけではない。それでも、一緒にいる時は出来るだけ楽しく時間を過ごしたいというのが私の願い。
すると、
「先に食べててくれてもよかったのに」
幸い、彼も笑ってそれに答えてくれた。
よかったあ……
ここら辺が彼の賢くて、本当に優しいところ。ちゃんと私の意を汲んで、それに応えようとしてくれる。甘やかされ過ぎなのかもしれないが、今は私を甘やかしてくれる、そんな沢北君が好き。
私は心の中でホッと安堵の息をつく。
「それは嫌だよお、一人で食べるのって淋しいんだよ。沢北君は知らないでしょ?」
口を尖らせ、眉根を寄せ、少し怒ったような、拗ねたような仕草をしてみせる。
今でこそ冗談めかして言えるが、中学時代はクラスで親しかった友人が学校を欠席してしまえば、本当にそんな事になってしまう日もあったのだ。一人が淋しいからといって他の誰かの所に自分も混ぜてくれだなんて言いに行けるほど、過去の私は積極的な性格の持ち主じゃなかった。
まあ今だってそんなアグレッシブにグイグイいけるキャラでも無いんだけど……
「じゃじゃ〜ん! 今日のおかずはハンバーグです!」
「おお〜毎日毎日レパートリーが豊富だね」
「へへっ……」
沢北君の喜ぶ顔を見て、思わず顔が綻ぶ。
私はいつも自分と彼の分と二人分のお弁当を用意してきていた。手料理にはちょっとばかり自信があったから、彼女として株をあげるにこれを利用しない機会はない。ちゃんとレシピ本まで購入するほどの気合いの入れようだ。
あ、もちろん彼の好物である肉じゃがは早速初日のお弁当で挑戦済みである。
「さ、食べてみて! ……どうかな?」
「……うん、今日も美味しいよ」
「やった!! あわわっ……!」
喜ぶあまり自分のハンバーグを取り落としそうになる私。それを見て沢北君が笑う。
くぅ……こういうドジな点はもしかして変われないの……?
ちょっとだけ自分の未来に絶望する。
「ねえ、柊さん」
「……んんっ……はい、なんでしょう?」
もぐもぐもぐもぐ……ごくん。
口いっぱいに頬張ったハンバーグをなんとか飲み下してから私はやっと返事をする。
「今度の日曜空いてる? 午後からなら時間取れるんだけど……またどこか遊びに行けないかな?」
ほう、日曜の午後とな……日曜の午後……日曜の午後……
ふむふむと頭の中でスケジュールを確かめる振りをしてみて(もちろん私に週末の予定などあるはずも無い)、
え、これってもしや……デートのお誘い?
「行く!! 超空いてる!! 絶対行く!!」
泣く子も黙る、そしてまた泣き出してしまうほどの恐ろしい食いつきをみせるのだった。
もちろん! 柊梨子、断る理由がありません!
「じゃあどこか行きたいところがあったら考えといて……あ、そろそろ時間だね。戻ろうか」
「「ごちそうさまでした」」
沢北君から空になったお弁当箱を受け取ると、私達はよいしょと腰を上げた。
日曜日まであと三日か、楽しみだな……!
陽気なステップを刻みながら先行する私に、後ろから沢北君の声がかかる。
「柊さん、ちゃんと足元見て階段降りなよー!」
「大丈夫大丈夫!」
見ての通り、私は今完全に浮かれています!
……あ、でもどうしよう。
いざ階段に足をかけたところで、ふと歩みが止まった。
名倉君にはわざわざ言わなくてもいいよね……
別にもう沢北君との会話に困ることは無いし……
急に足取りが重くなる。
実はあの夜公園で名倉君と来栖さんに出会ってから、私は彼らに会うのを避けていた。
彼らというか、名倉君に……
何となく気まずいのだ。
もちろんあんな事があったからというのもある。
次に会う時はどんな顔をして会えばいいのかわからない。どんな話をすればいいのかわからない。
何もかもわからない。
だから……会いたくない。
名倉君も名倉君で私の事を避けているような気がする。
沢北君とお昼を一緒に食べる事になった報告をした時も、その返事は「そっか、よかったな」くらいのものでそっけなく、他には何も訊いてこようとしなかった。
いつもの名倉君ならどうしてそうなったかとか、次はどうするんだとか色々尋ねてくれそうな気がするのに……まあ電話じゃなくてメールで済ませてしまった私が悪いのかもしれないけど。
私達一体どうしちゃったんだろ……?
「うわあっ!」
そしてやはり最後の一段で踏み外す。
********
俺は……何がしたい?
いつかの体育館裏に俺はいた。
もう柊梨子がここに来ることが無いのを知っていて、今度こそ俺は本当に一人になりたくて教室を抜け出して来た。
あの日から俺はずっと変だ。
自分が何をしたいのか、何を考えているのかがわからない。
考えようとするといつも急に立ち込めた灰色の霧が全てを覆ってしまい、そこから先へ進めなくなってしまう。
どうして俺は梨子を祝福してやらない?
どう考えても俺は梨子の成長を、沢北との進展を喜ぶべきであった。俺はずっとそれを応援してきたはずなのだから。
しかし現実に俺はそうできていない。
なぜだ?
俺は完全に混乱していた。
あの夜、梨子と沢北がキスをするように仕向けたのは俺だ。まさかあの場所で遭遇するとは思わなかったが、そうであったところで大筋に狂いは無い。
むしろちゃんとこの目で確認出来て良かったんじゃないのか? 俺はずっと自分の書いた小説が上手く機能しているのか心配で、本当はこっそり梨子の後をつけてでもその成り行きを見届けたいと思ってたんじゃないのか?
なのに、なんだ。
どうしてこんなにスッキリしない。
何が俺をこうも狂わせる。
頭を抱え深くうなだれる。
……会いたくない。
柊梨子に。
それ以上に沢北春に……
あぶり出すようにギラギラと照りつける太陽の下、俺の心は吹雪の中で氷漬けにされたかのように冷え切っていた。
「あの馬鹿者が……」
そんな俺を陰から眺める少女。
午後の授業が始まっても教室に戻らなかった俺を心配し、ここまで捜しに来てくれた絵里の存在に俺は全く気づきもしなかった。




