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ナツキトリコ  作者:
第一部
3/41

第2話 眠れぬ夜の梨子

 第2話  眠れぬ夜の梨子


 4月11日。

 8組の教室にて。


 入学式から3日経過。

 授業も一通り始まって、なんとなく高校生活ってものがわかり始めた気がする。

 どの授業にも共通して言えることは、予習復習に関してはとりわけ口うるさく説明すること。

 中学の延長みたいな気持ちで授業を受けていると高校ではすぐに置いていかれるぞ、という事らしい。そんなものなのだろうか……。

 交友関係にも進展アリ、だ。

 絵里の気遣いに従ったのが功を奏したのか、クラスに口を利ける奴も何人かできて、とりあえずこれでもう教室で孤立して過ごす心配はない。

 まあそうは言っても結局は絵里といるのが一番気を使わなくていいからラクというか、きっと絵里の方もそう思っているのだろう、休み時間なんかは大抵一緒にいる気がする。


 そして、そこにもう一人変な奴が加わった。


「お、おはよう、名倉君!」

「んー」

「おいボン。私への挨拶はどうした」

「く、来栖さんもおはよう!」


 ボン。

 そう呼ばれた彼は小柄で気弱。俺達に話しかける時はいつもおどおどしていて、まるで蛇に睨まれた蛙のような有様だ。

 とてもじゃないが学生証でも見せられなければ高校生だと信じる気にはなれない、真面目くさったボンボンのようなガキ。

 だから俺達がつけたあだ名はボン。確か本名は……むむ、思い出せない。


「なあボン、お前本名なんてっだっけ?」

「ひどいよ名倉君……僕昨日もおとといも教えたじゃないか。種村優作(たねむらゆうさく)だよ。そろそろ覚えてくれたっていいじゃないか……」


 そうだ、種村優作。

「種」って聞いて、いかにも……って一人納得したのが昨日ことだった。あれ、一昨日のことだっけ?


「うるさい、お前はボンでいい。せっかく私があだ名を授けてやったんだ。それともなんだ、何か気に入らないことでもあるのか?」


 絵里の鋭い視線がボンに突き刺さる。


「うう……そんな事は無いけど……」


 そう言って、ただでさえ小さいボンはますますミニマムサイズに。


 絵里はことあるごとにボンをからかう。

 きっと良い遊び道具が出来たとでも思っているのだろう。

 今のように言葉でなじるくらいはまだ良い方で、時に絵里のそれは暴力を伴う。

 長年連れそった俺でもまさか彼女がここまでのサディストだとは思いもしなかった。

 しかし、これだけひどい扱いを受けてもボンは健気に俺達についてこようとする。

 一体何がコイツをそうまでさせるのかは全く理解不能だが、別に悪い奴でも無さそうなので俺達も特別遠ざけたりはしていない。


 そうだ、せっかくなのでこうなるに至った経緯を説明しておこう。


 あれは二日前、入学式の翌日のことだった。

 昼休みに俺と絵里がいつものようにくだらない話をしていると、奴は突然やってきた。


「あの……ぼ、僕と友達になってください!」

「……」


 俺達は沈黙し、この唐突かつ珍妙な来訪者を奇異の眼差しで凝視した。

 その間およそ63秒。

 光は一秒で地球を七回と半分回ってしまうらしいので、この男の発した光は実に地球を441プラス半周した後、再び俺達の網膜に戻って来たわけだ。

 ん、半周したら地球の裏側にいるわけでつじつまが合わなくないか? まあそれくらいは誤差の範疇、細かいことは気にするな。男が(すた)る。

 そしてそんな途方もない旅を経て辿り着いた人物像に俺達が抱いた感想は――


「……誰?」


 二人は互いに顔を見合わせこのアンノウンの素性についての知識の有無を確認し合うも、もちろん何の回答も得られるわけがない。なんせ双方共に初見の相手であるのだから。


「種村です、種村優作! あの、もしよかったら僕と友達になってほしいな……と……」


 最初の勢いはどうした少年、語尾が消えかかっているぞ!


 その種村とかいう少年は俺達に向かって頭を下げたまま固まってしまった。


 ……これはあれか? 良い返事が聞けるまで僕は絶対にこの面を上げません! とかいうそういうあれか?

 おいおい勘弁してくれ。事情を知らない第三者から見たらどう見てもいじめっ子グループとその対象、の構図だろう。

 よく見ると体の横にぴったりと添えられた少年の手は爪痕が残るのではないかと思うほど硬く握り締められ、なおかつ小刻みに震えている。

 どうやら画的にというだけでなく、本当に怯えているようだ。


 しかし、突然友達になれと言われてもなあ……


 どうしたもんかと考えあぐねていると、隣で絵里がポツリと呟いた。


「……ボン」


 は?


「うん、今日からお前の名前はボンだ」


 どうやら彼女の中で何かしっくりくるものがあったらしい。神妙な面持ちで一つ頷いてみせる絵里の目に、突如謎の光が宿る。


 ……いやいやちょっと待て。

 かつて地球上に多種多様な生命が誕生した際、「お前は犬だ」「お前は猿だ」とかいった具合で一匹一匹名前を授けていった神がもし存在したのだとしたら、こいつは今まさにそんな気分でいやがる。神妙ゆえに神になったつもりで。

 ……ったくお前は一体何考えて……


「あ、ありがとうございます!!」

「そして何でお前はそんなに嬉しそうなんだっ!?」


 窓から降り注ぐ陽光が俺達の目にはちょうど絵里に射す後光のように映り、そこには『女神を崇める小男』という題のついた一枚の宗教絵画が完成していた。


 その一件以来何か事あるごとにボンは俺達に付きまとうようになった。

「これだけクラスメイトがいてどうして俺達なんだ」と後になって疑問をぶつけてみた事があったのだが、なんでも俺達の会話が「楽しそう」だと感じたからだそうだ。

 こんな罵詈雑言の応酬が楽しそうと思えるコイツの神経はやっぱどうかしてると思わなくはないが、とりあえずボンの栄誉のために俺達はかくして「友達」になったと言っておこう。


「なあボン、次の数学の授業ノートとっといてくれ。私は寝る」

「え、さっきの授業も来栖さん寝てたじゃないですか……授業はちゃんと自分で……」

「何か文句が?」

「……ありません」


 このやり取りを見てなお、世間様がそれを「友達」と認めるのであれば。


********


 一方5組の教室では。


「梨子〜穂奈美〜、一緒にご飯食べよ〜♪」

「うん! えっ、穂奈美ちゃん、今日もお弁当凄いね……」


 私の視線の先で、穂奈美はサンドイッチの大量に詰まった大型バスケットを両手で抱えている。

 体積容量を遥かにオーバーし、過積載を承知の上で更に詰め込んだ結果、縁から半分以上飛び出して見える黄色や赤のそれはどう見てもバナナやリンゴのそれであり、果物を丸々弁当に持たせる彼女の家庭事情はいよいよもって常識にあらぬ体をみせてきた。


「またお母さんが張り切っちゃって。こんなに食べ切れない、って私言うんだけど……」


 彼女は困ったような照れ笑いを浮かべている。


「穂奈美、安心しな! 余った時はこの私が全部頂戴する!」


そう言ってしたり顔で胸を叩く未来を見て、私と穂奈美はクスクスと笑いをこぼす。


 私と未来、それから穂奈美の三人はこの数日ですっかり仲良くなった。

 面白い未来と、優しい穂奈美。

 彼女達にとって私はどんな立ち位置なのかまだあまりわからないけれど、なにか神の見えざる手的な不思議な力が働いて、とにかく彼女達といるとすごく楽しい。


 とりあえずは軌道に乗れた……かな?


 入学式までは上手く高校生活が送れるか不安で夜も眠れない時もあったけど、今では少し胸のつかえが降りた気がする。


 だけど……


 気になっていることが一つ。

 私は教室の隅で昼食をとっている男子グループの中の一人を目の端に捉えた。


 そう、沢北君だ。

 あの入学式の日以来、まだ彼とは一言も話せていない。

「これからよろしく」とは言われたけれど、向こうから話しに来てくれる気配は今のところ全く無し。


 やっぱりあれはただの挨拶代わりだったのかな……


 別に不思議な事ではない。

 もっと可愛い子ならまだしも、私みたいな何の魅力も取り柄もない子に人気者の沢北君が興味を持ってくれるわけなんてあるはずがない。とんだ夢物語だ。


 そんな事を考えている内にかなり長い間、そりゃもう過去に例の無いくらい長時間改め超時間彼に熱い視線を送っていた事に気づき、慌てて顔を背ける。


 もし目でも合ったら大変だ……。おそらく今度こそ私は本当に炎上してしまう。


 しかしそうして彼の方から視線を逸らしたその先で、私はまた別の双眼と遭遇したのだった。


「な、なにっ!? 未来どうしたの?」

「ふふーん♪」


 動揺する私を見て満足気な様子の未来。

 ……悪い子のする顔をしている。


「梨子さぁ……沢北君のこと良く見てるよねー」


 うそっ……ば、ばれたっ!?


「あ、それ私も思ってた!」


 と穂奈美が続く。


「な、な、そんな事ないよ! たまたま私の視線の先に沢北君がいるだけで……あはは……」

「梨子ちゃん、それを『見てる』って言うんだよ」


 ……はい、その通りです。


 私の苦しい言い訳も、聡明な穂奈美の前ではただ自ら墓穴を掘るだけだった。


「好きなんだーえぇ? どうなのよー梨子ぉ?」


 ニヤついた未来が私の脇腹を肘で小突いてくる。

 ……ちょっと本当に痛い。


「す、好きとかじゃないよ!! 全然! ただちょっと気になるな……ってだけで……!」


 恥ずかしくて顔が熱を帯びてくる。


「でも気になってるなら早い内に何とかした方がいいよ。人気あるみたいだから、沢北君。他のクラスの子も噂してるみたいだし」

「うん、わかってる……」


 そう、沢北君の人気は5組の中だけの話じゃない。

 今朝も廊下をすれ違った他クラスの女子生徒達が「沢北君ってさー……」という会話をしているのを小耳に挟んだ。


「でもどうするって、どうすれば……」

「告白なさい」


 それはもう有無を言わせぬ物言いだった。

 議論の余地も残されていないような、そんな圧倒的質量を誇る未来の言葉。

 しかし、私はもちろん抵抗する。


「こ、告白ッ!? そんなの出来るはず無いじゃない!!」

「シーッ……声が大きい……」


 あまりにびっくりしたもんだから、つい声が大きくなってしまった。

 さっとあたりを見回して周囲の注目を集めていない事を確認してから、私はうんとトーンを落として話を続ける。


「……だって、あの沢北クンだよ? 私なんかの相手してくれるわけないじゃん……」


 どうにもならない現実の壁。古来北方民族の侵入を防いできたという中国大陸の万里の長城、それと双璧を成すほどこの壁は厚く、また高い。

 頭では十二分にわかっているつもりだったけど、言葉にした途端その壁が急に眼前に迫って来て、より一層強く意識させられ途方もない絶望感に打ちひしがれる。


 私なんか……


 その時、私の手を穂奈美が上からそっと包んだ。


「梨子ちゃん、あなた自分が思ってる以上にずっと可愛いんだから。もっと自信を持って、ね?」


 私が……可愛い?

 お世辞じゃなかったらきっと何かの間違いだよ、それ。


「私も早い方が良いと思うな」


 未来が更に追い討ちをかける。


 頑張りたいとは思うよ。出来る事なら全力で恋したいとも思う。

 ……だけど私にはそんな資格なんてない。


「そんなの……無理だよ……」


 そこでちょうど昼の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 もしかしたら最後の言葉は二人には聞こえなかったかもしれない。


 告白……私が……沢北君に?


 さっきの未来と穂奈美とのやり取りがどうしても頭の中から離れてくれず、私は結局午後の授業をずっとうわの空のまま過ごしてしまった。


 そんなの出来るはずない……結果も目に見えている。


 憂鬱。陰鬱。鬱、鬱、鬱。


「人は見えるものを見るのではなく、見たいものを見るのだ」という話を聞いた事がある。

 自分の内から生み出される心象風景は、網膜が受容した実現実を時に改竄して視覚に投影する。わかりやすい例を挙げるとするならば、錯覚や幻覚が該当するのだろうか。

 私の意見はそれとは少し異なるものの、「その人の感情や欲求、その時の精神的な何かが見る景色に少なからず影響を与えている」という点に関しては賛成だ。今の私はまさにそんな感じ。

 それはいつもと変わらぬ教室の風景であるはずなのに、今日は全く色彩が感じられない。

 いや、正確には色の違いはわかるのだけど、そのことに何の違いがあるのかわからない。そんな具合に視界に入るもの全てが明らかに意味や目的を喪失している。


 そう、この景色は私の心の現れ、具現。

 喪失してるのは――私の心だ。


********


 一難去ってまた一難。ようやく平穏を得られそうだった私に、また大きな悩みが舞い込んできた。

 しかも今回の悩みは前回のそれよりずっと強敵で、この日から私はまた眠れぬ夜を過ごすことになる。


 うーん、と寝返りをうったら、ふと枕元の時計が目に入った。


「えっ、もうこんな時間!? 早く寝なくちゃ……」


 2:14


 デジタル時計の分かりやすさは時に残酷だ。深く考える隙も与えない内に、時間情報をダイレクトに脳内へと伝達する。

 暗がりでも一目で現在時刻を確認できるようにと数字が浮かび上がる仕様になった時計の液晶は、皮肉にも私に焦りをもたらし、一層の覚醒を促すのだった。


********


「ボーン、次の授業のノート頼んだ。私あの先生キライだ、寝る」

「ま、またですか……!」

「あぁボン、俺も頼むわ。ちょっとやることあるから」

「な、名倉君まで!? 二人とも僕を一体何だと思ってるんですか!?」

「友達♪」


 俺達はこぼれんばかりというか、こぼれ過ぎてもはや何がなんだかわからなくなってしまうほどのありったけの笑顔をボンに降り注ぐ。少しも余すこと無く。


「……はぁ」


 肩を落とし、しぶしぶと席に帰って行くボンの後姿。それはこの8組の教室ですっかり定着した日常の光景であった。



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