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ナツキトリコ  作者:
第二部
27/41

第26話 愛しのエリー

 第26話 愛しのエリー


「梨子、頼みがある」

「え?」


 な、何、突然改まって?


 私は名倉君から体育館裏に呼び出されていた。


「俺と……」

「ひゃっ……!」


 彼は更に一歩距離を縮め、両手で包むようにして私の手を取った。


 え、やだ!? なに? なにするの!? どうして私は名倉君に手を握られてるのっ!?

 俺と……って、まさか……まさかっ……!?


「俺と……ちょっと付き合ってくれ」


 そのまさかーっ!!!!


 柊梨子は脳天にメガトンデコピンをくらったが如く大きく後ろに()け反り、そのまま倒れこみそうになるのを後一歩のところで踏み止まった。


「え、ええっ!?」


 そして反動で起き上がる。そのままの勢いで猛烈に名倉君に詰め寄る。


 な、なに!? 付き合う!?

 ま、ま、待って、確かに名倉君の事は凄い大事なお友達だと思ってるし……いや、普通のお友達以上に大切に思ってる節はあるけれど、それはあくまでお友達って前提の上にある話で、その枠は越えちゃダメっていうか……


 そ、そう! そもそも私には沢北君がいるし……!


「ごめん! 名倉君! 私、やっぱり沢北君の事が……!」

「待て、お前は今おそらく有史以来最大規模と思われる勘違いをしている」

「へ?」


 首を傾けること斜め30度。

 かんちがい? なんのこと?

 りこ、わかんなぁーい。えへっ。


「『ちょっと』という言葉をフィルターにかけるな。『ちょっと』付き合ってくれ。つまり一緒に見てもらいたい事がある、って意味だ」


 はいはい……にゃあるほど……


「で、ですよねー……」


 照れ隠しに調子っぱずれな鼻歌を披露してみせる柊梨子だった。


 ********


 なんてやり取りを梨子と交わしたのが昨日の放課後。

 携帯を家に忘れたから直接梨子に声をかけて呼び出したのだが、それが話を余計にややこしくしてしまったようだ。


 いや、俺は悪くないよな……?


「お、そういえばこの前の日曜、中ノ宮で米女とキザ男に会ったぞ」


 ただいま絵里と仲良く(?)ランチタイムである。

 行儀悪く机の上に腰掛けた絵里は、ポロポロと口の端からカスをこぼしながら好物のカレーパンにかじりつく。多忙なボンは、今日も生徒会へと出向中。


 米女って誰だよ……

 キザ男はまあわからないでもないが。


「ああ、絵里も中ノ宮にいたのか」

「なんだ、お前は知ってたのか?」


 絵里は首を傾ぐ。


 しまった……これは不用意な発言だった。梨子と沢北の休日の予定をどうして俺が知っている? なんとか誤魔化さねば……


「いや、ただなんとなくあいつらが日曜にそこらへんをウロついているんじゃないかな〜とは思っていた」


 結論。全然誤魔化せていない。


「ふうん……」


 当然絵里はそんな説明で納得が行くわけがない。

 焦りまくる俺から目を逸らし肩をすくめてみせた絵里は、180%俺の話なんか信じちゃいなかったが、それ以上追求しようともしなかった。

「話したくないなら別にいいけど」そう言いたげな侮蔑の表情だけを残したまま。


 うわぁ……俺感じ悪……


 はあ……と一つ溜息をつく。


 俺は梨子と復縁(?)した事について、絵里にまだ話してない。隠しているわけじゃないが、特別話すような事でも無いと思っているからだ。

 別に後ろめたい事があるわけでもないのだけれど、なんとなく言い出しづらくて……なんとなく……


「……あの二人、付き合ってるのか?」


 絵里がそっぽを向いたまま俺に尋ねる。ぶすっとした仏頂面は尚も健在。


 そうか……絵里はまだその事実を知らないのか。

 これは別に隠しておく必要もないだろう。誰の損になる話でもない。


「ああ、そのようだ」


 俺はあえて断言するのを避ける。

 噂で耳にした、くらいのニュアンスでぼかしたのは、梨子とのつながりを悟られないようにするため。


 どうして俺はそんな面倒な事をしているのか……

「実は最近また梨子と話しててさぁ〜」なんて一言説明してしまえればどれだけラクかはわかってる。だけどなぜかそれが出来ない。


「ほお、なんか意外だな……」


 振り返った絵里はさっきまでのむくれ顔はどこへやら、目を丸くし、本気で驚いているようだった。


「そうか?」


 お前も一緒に旅行に行っていたなら、沢北の方はまだしも、梨子が沢北に気があるって事くらい気づいていると思っていたのだが。

 ……なんかそっちの方が意外だ。


 そして絵里はなぜか何も言わず、ただじいっと俺の顔を見つめる。


「な、なんだよ……?」


 別に睨まれてるわけでもないのだが、全く意図の読めない気味悪さに全身が強張る。

 しばらくそんな状態が続いていたのだが、不意に、


「……いや、なんでもない」


 絵里は興味を失ったかのように首を振り、ようやく彼女の視線から解放された俺はホッと一息ついた。


 ********


「うーん……まずはどこから見ようか……」


 またまた場面が変わり、俺達は中ノ宮にいた。


 失礼。

 小説でいきなり俺達と言われてもそれでは不親切か。俺達とは名倉夏樹と柊梨子の事である。失礼。

 時間は梨子を体育館裏に呼んだ翌日、絵里と梨子関連トークをしたその日の放課後だ。

 俺達はつい先日梨子と沢北がデートをした、まさにその場所でデートしていた。


 案ずるな。もちろんこれはデートなんかではない。


「付き合わせて悪いな」

「いいよ、名倉君にはいつもお世話になってるし」


 もちろん梨子にもそんなつもりはない。

 見よ、このフランクさを。

 沢北とのデートの時とは大違いの気の抜けようだ。


「しかし名倉君も殊勝だね〜女の子の誕生日にプレゼントあげるなんてさ。なんか意外だったけど、ちょっと見直しちゃった」


 そう、今日俺達は誕生日プレゼントを買いに来たのだ。


 梨子の? まさか。

 秋の? 死んでも買うか。

 そう、絵里のためのプレゼントだ。


「俺も毎年あげてるわけじゃない。今回は……特別だ」

「へえ〜今年は何かいい事あったのかな〜なっちゃん?」

「くっ……」


 この睨めつけるような視線の嫌らしさは、いつかのダークサイド梨子を彷彿とさせる。


 絶対俺をからかって楽しんでやがるこいつ……


 しかし、そんなプレゼント選びに付き合ってもらってる立場上、俺は何も言い返せない。


「とりあえずはfeminine見てみる? 服はサイズとかわかんないから無理にしても、カバンやアクセとかの小物類なら女の子だもん、きっと喜ぶと思うよ!」


「来栖さんもこのお店好きなんだよね?」そう言って梨子はさっさと店の中へ入って行ってしまった。


 ********


 ここか……


 俺も来た事がある。

 いつか絵里の買い物に付き合わされた時に入った店の一件だ。

 確か……どちらの服がいいか選ばされたのがこの店だったような気がする。


「いらっしゃいませ」


 相変わらず平日だというのに、店内は客で賑わっていた。


「さ、可愛いの探すよ! これでも私来栖さんにセンスが良いって褒められたんだから!」


 早足でどんどん店の奥へと進んで行く梨子はかなりの上機嫌だ。

 自分の買い物じゃなくても、女子ってのは服とか靴とかをただ眺めてるだけでも楽しくなってくる生き物なんだろうな、きっと。


 ああでもない、こうでもない、と意見のやり取りをしながら、俺達は店内の商品を隈なく見て回った。

 途中近くに寄って来てくれた店員が、俺と梨子をなんか意味ありげな微笑ましい目つきで見やり、「彼女さんへのプレゼントですか? 羨ましいです」なんて言うもんだから、俺達は全力でそれを否定しなければならなかったのだが。


「やっぱ難しいね」

「う〜む……」


 そして俺達は行き詰まっていた。


「来栖さんお洒落だからね」

「う〜む……」


 結局はそうなのだ。

 絵里はセンスが良すぎる。

 どれだけ俺達が気に入って選んだ品物でも、絵里も同じようにそれを気に入るとは限らない。

 店員も「これなら絶対喜んでくれますって!」なんて言うのだが、正直そんな彼女よりもずっと絵里の方が綺麗でお洒落なのだから、いまいち説得力に欠ける。


 はあ……美し過ぎるってのも罪だなあ……


 こんなんじゃアイツの彼氏になった男は身が持たん。そんな心配、絵里にとっちゃいいお節介なんだろうけど。


「とりあえず出るか」


 店内を散々物色した挙句何も買わずに出ていくのは流石に気が咎めたので、俺は今日のお礼に、と梨子に1000円程度の可愛らしい靴下を一足買ってやった。


「いいの? やったー!」


 思わぬ収穫に梨子は一層ご機嫌な様子だった。


 *******」


「しっかしなー……」


 浮かないツラを引っ提げて、ベンチでうなだれる二人。


 その後も似たような店を数件覗いたのだが、結局プレゼントを選ぶ事の出来ないまま、俺達は外で敗北宣言にも似たアイスを食べていた。


「やっぱりこの路線は厳しいかな? 来栖さんのセンスには敵わないもん……」

「だな……」


 梨子の考えに俺も同意。

 最初はどんな女の子でも喜びそうな衣服とか装飾品の類で考えていたのだが、見れば見るほど自信を失ってきた。

 例えどれだけ悩み抜いて選んだものを持っていっても、絵里には、

「ふん、こんなクソださい物を身につけて……私に生き恥をさらせというのか?」

 なんて一笑に付されそうな気がしたからだ。


 くそ……何だったらあいつは満足するんだ?


 そもそもどうして俺はここまで苦心して絵里の誕生日プレゼントを考えてやってるのか。

 その理由。

 絵里は16歳に特別な感情を抱いている。

 俺はその事を知っている、からだ。

 特別な感情……ただの憧れといった方がいいかもしれない。

 とにかく絵里は今年の誕生日を最高に楽しみにしているということ。


 簡単にエピソードを話そう。

 あれはまだ小学校低学年くらいだった頃……


 ある日、絵里がえらく興奮した様子で俺のもとへと駆け寄って来た。


「おい、なつき!」

「なに?」


 この頃から絵里は男勝りな喋り方をする子だった。

 そして人とちょっと感性のずれた子でもあった。


「しってるか!? おんなは16さいになったらけっこんできるんだ! おとこは18なのにおんなは16なんだぞ!」


 そんな感じで彼女はらんらんと目を輝かせていたのを覚えている。


「うん、やっぱりそうだ。わたしはずっとおんなのほうがえらいとおもってたんだ。おとこよりはやくけっこんできるってそうだろ? おんなのほうがはやくおとなってみとめられるってことだろ!?」


 絵里にはその事実がとても喜ばしい事のようだった。

 しかし当時7、8歳だった俺はもちろんそんな話に全く興味が無く、なぜ絵里がこんなにも嬉しそうにしているのか雀の涙ほども理解出来なかった。

 まあ正直、今でもあまり理解出来てないのだが……


「なに? えり、けっこんしたいの?」

「ばかやろー!」

「はぅっ……!」


 殴られた。小学生とは思えぬ腕力で。

 絵里の暴君としての悪名は、既にこの頃から周囲を脅かして止まなかったのだ。


「わたしはおとなになれるのがうれしいんだ! いま8さいだろ? だからいままでいきてきたのともうあとおんなじだけいきたら、わたしはもうおとなだ! もうこどもじゃない、おとななんだ!」


 舌がもつれそうになりながらも、必死にまくし立てる絵里。

 その姿を思い返してみて、変わってないな……と思う。彼女は幼い頃からやはり天使のように愛らしい顔をしていたのだ。




 なぜか絵里はひどく大人に憧れていた。

 いや、子供であることにコンプレックスを抱いていたと言った方が正しいかもしれない。


 知らないとは思うが、絵里が一番嫌いな事は子供扱いされること。

 小学生の時から絶対に子供料金で切符を買おうとしなかったし、中学生の時はなにかの折に「子供なんだから」と言われた事に腹を立て、担任に殴りかかった事もあるくらいだ。


 異常なまでの大人への執着。

 絵里が大人びた服装を好むのも、その意識の現れだろう。


 そんなものは幼い頃だけの可愛い憧れにすぎない。


 俺も正直そう思っていた。

 ついこの間まで。


 現実に16歳になったからと言って社会で大人と認識されるかというと、もちろんそんな事はない。

 酒やタバコは20からだし、車も18から。少年法も18まで適用されるし、16で認められることといったら、せいぜいおもちゃのような50ccバイクと、それこそこれまた年齢不相応な結婚くらいだ。

 だからさすがに絵里ももう今更16歳がどうこうとは言わないだろう。

 と、そんな風に考えていた。


 しかし、そんな俺の予想は大きく裏切られた。

 絵里は今でも馬鹿正直に「16歳=大人説」を信じていたのだ。


 数日前、ふと絵里の手帳を目にする機会があった。何も意図して覗き込んだわけじゃない。俺の隣に座った絵里が手帳を開いたから、たまたまそれが目に入っただけ。

 絵里は自分の手帳の6月26日、すなわち誕生日の日のスケジュール欄に、ただ一言「大人!」とだけ書き込んでいたのだ。目立つように、極太の赤で。


 きっとあれから8年間絵里はずっとこの日を待ち侘びてきたのだろう。

 絵里の考える大人になれる日。

 子供であることから卒業出来る日。

 それがもう明後日のことだった。


 なんかそんな健気な絵里を見てたら、少しくらいあいつのために何かしてやりたい……って、そんな風に思ったって変じゃないよな?


 なんてったって俺は絵里の唯一無二の幼馴染なのだから。




「なるほどね……」


 俺は梨子にも同じ事をかいつまんで話した。

 絵里としてはプライベートを他人に明かされるのをあまり快くは思わないだろうが、この際は事情が事情だ。俺一人分の脳みそではもう対処しきれない状態だった。


「……うん、そうだよ。やっぱりそう」

「ん?」


 梨子は俺の話から何かヒントを得たようだ。自分の考えを一つ一つ検証するかのように、一人で何度も頷く。


「名倉君にしか出来ないこと、あるじゃん!」


 ********


「梨子ちゃ〜ん、ちょっと手伝って!」

「はーい!」


 6月26日の放課後。

 俺達は梨子の親戚が経営するフォトスタジオにいた。


 今回の俺達とは、俺と梨子、それに絵里の事だ。


 ……結局あれだけひた隠しにしてきた梨子との関係も、今日の一件で絵里には説明せざるを得なくなった。


 こんな事なら初めから誤魔化すんじゃなかった……


 という思いと、


 絵里に話すきっかけが出来て良かった……


 という二つの思いでプラマイゼロ。


「あ、待って! 梨子ちゃんもまだ見ちゃダメよ! 合図したらこの紐を引っ張って。そしたらカーテン開くから」

「は、はい!」


 俺達は一体ここで何をしているのか。それはもうすぐ明らかになる。


「じゃあ準備OK? 絵里ちゃんもいいね? はい、いくよー! せーの……!」


 梨子の親戚のスタッフのお姉さんの合図で、勢いよくカーテンが開かれる。


「……おおぉぉ……」


 中から現れたのは、

 この世に舞い降りた天使だった。


「綺麗……」


 どんな天使よりも美しく、どんな天使よりも凶暴で、だけどどんな天使よりも側にいる、俺の最も良く知る大天使。

 純白のウェディングドレスに身を包んだ来栖絵里がそこに立っていた。


「ど、どうだ?」


 絵里は恥ずかしそうに頬を掻き、視線は俺達の誰とも交わらないまま宙を彷徨っている。


「正直ヤバイ……」


 大きく覗いた肩はドレスとの境界が分からなくなるくらい真っ白で、綺麗に浮き出た鎖骨は彫刻のように完璧な美を演出する。

 斜めに流された金の前髪と、色素の薄いブラウンの瞳。日本人離れした端正な顔立ちを、さりげないシルバーのイヤリングが一層引き立てる。


 あまりの美しさに見惚れ、俺は思わず本音を洩らしてしまった。

 何の面白みもない本音を。


「来栖さん、最高! 超綺麗だよ!」


 梨子は感激するあまり目に涙を溜めている。


「そ、そうか」


 少し頬を赤らめ、照れ臭そうに白のグローブをはめた指をいじり回す絵里。


「へっへーん、絵里ちゃんは私の自信作! 凄く大人っぽいよ!」

「……私は大人だ」


 ようやく気持ちも落ち着いてきたのか、後ろに控えたメイクさんの言葉に絵里は軽口で応える。いつもの生意気な口調で。


「さ、夏樹くん! そんなとこにいつまでも突っ立ってないで、こっちに来なさい」


 スタッフに促されて俺は何がなんだかわからないまま、絵里の側へと歩み寄る。


「うーん……やっぱり君にはちょっと早かったかな……」


 上から下まで値踏みするように眺め回された挙句の不合格。俺の心は今にも折れそうだった。

 ああ、なぜか俺もタキシードを着せられていたのだ。流れで。勢いで。


「こいつはまだ子供だからな」


 絵里は両手を腰に当て、ふんぞりかえるくらいに胸を反らして俺を鼻であしらう。


「……悪かったな、子供で」


 そんな俺達の様子を見て周囲に笑いが起こる。


「はい、じゃあ……夏樹くん! これを絵里ちゃんに!」


 そう言って俺はティアラを手渡された。頭上のライトに照らされ、銀色にキラキラと輝く冠。

 初めて手にしたそれは思ったよりも軽く、ずっと小ぶりだったが、絵里の小さな頭にはこれくらいでちょうどいいのかもしれない。


「羨ましいぞ! この幸せもん!」


 梨子も空気に飲まれ、すっかりその気になっている。


「いいか?」


 俺は絵里に向き直って、その目を真っ直ぐ見つめた。

 普段あまり意識する事の無かった彼女の丸い瞳は、驚く程に澄んでいて少しドキッとした。


「ああ」


 絵里はこくっと頷いて、静かにまぶたを下ろす。

 俺は手に持ったティアラをそっと彼女の頭の上に載せた。15年間分の感謝の気持ちも込めてそっと、優しく。

 小指に軽く触れた彼女の髪は、流れるように艶やかだった。


「もういいぞ」


 俺の声で、絵里はゆっくりと目を開ける。

 眩しそうに、こわごわと持ち上げられたまぶたからは、少しの淀みもない真っさらな水晶体が顔をのぞかせた。

 宝石のような輝きを発して生まれ変わった二つの瞳は、他の何よりも真っ先に俺だけを見ていた。


「夏樹」

「ん?」

「私は……大人になれたか?」


 しかし、気づけばどこか不安げな表情を浮かべる絵里。


 ずっと待ち望んできた今日。

 絵里は大人に憧れ、大人になるための準備をずっと続けてきた。

 本を読んで難しい言葉も勉強したし、酒を舐めた事もある。暴力は昔に比べたら少しは控えたし、化粧の仕方だって覚えた。

 早く大人になりたい、その一心で思いつく限りのことは何でもやってみた。


 だが、どうだ?

 今日、私は今本当に大人になれているのだろうか……?

 これで私は本当に大人を名乗っていいのだろうか……?


 絵里はきっとそんな事を考えて、今ここにいる。

 不安になって、怖くなって、俺に確かめている。


 まったく、らしくねぇ……


 俺はティアラを落とさないよう注意しながら絵里の後頭部に手を添える。


「ああ、お前は大人だ。どっからどう見ても見紛うことない、立派に綺麗な大人の女性だよ。誕生日おめでとう」


 そして軽く引き寄せ、その額を胸で受け止めた。


「!」


 驚いたように絵里は少し肩を強張らせ、だけど徐々にその緊張が解けていくのがわかった。


 ああ……笑ってやがる。


 胸の中で俺は絵里の笑顔を感じた。

 きっとそれは、あどけなさを廃した、大人のする笑顔だったんだろう。


「はーい、二人とも〜いい感じのとこ悪いけど、写真撮りたいからこっち向いてー!」


 いつの間にかカメラを構えたスタッフのお姉さんが手を振っていて、


 パシャッ


 フラッシュが焚かれる。


「もう一枚いっとこう! はーい、いくよー」


 パシャッ


「ねえねえこっちもこっちも!」


 梨子も負けじと携帯のカメラを向ける。

 どちらに目を向ければいいのかわからない俺達は、結局また顔を見合わせ、


 笑う。


 パシャッ


 絵里は頭半個分背の高い俺を、少しあごを持ち上げるようにして下から覗き込む。


「なあ夏樹、このまま結婚するか?」


 シャッターが何度も切られる。

 眩しい。


「ばーか、俺はまだ結婚出来ねーんだよ」


 そんなに撮ってどうすんだ?

 有名人じゃあるまいし……


「ふっ、お前はまだ子供だもんな」

「子供で悪かったな、大人のお姉さん」


 ……背はまだ俺の方が高いけどな。


 こうして絵里は16歳の誕生日を迎えた。


 ********


 後日。


「いや、この前はホントありがとな。あんな嬉しそうな絵里も久々に見た」


 梨子は俺の部屋に来ていた。

 いつもの定例作戦会議だ。


「ううん〜私もあんなに綺麗な来栖さん見れて大満足! うっとりしちゃった……」


 そう言って梨子は目をトロントロンさせる。


 と、溶けてこぼれたりしないよな……?


「でも本当にタダでよかったのか? 衣装のレンタル代とか撮影代とか結構高いんだろ?」


 そう、実はあの日、俺は結局一円も払わされなかったのだ。梨子の親戚のご好意で。


「それがね……」


 梨子はカバンからなにかを取り出し、俺に見えるようにしてそれをテーブルの上に置いた。


「これ……パンフレットか?」

「そう、この前のスタジオのパンフレット。お姉さんが新しく作ったんだ。中、開けて見て」


 梨子に言われるがままに、ページを開く。


「…………なるほど、そういうことか」


 俺の目には、見開きいっぱいに引き延ばされたドレス姿の絵里の写真が飛び込んで来た。


「ほら、こう見ると来栖さん全然高校生に見えないでしょ? そこら辺のモデルさんよりずっと綺麗だし。むしろお姉さん喜んでたくらいなんだよ、いいモデルが見つかったって」


 写真の中の絵里はやっぱり美しく、綺麗で、スタイルも良くて、


 いい顔してやがる……


 16歳の絵里はちゃんと大人の女性の仲間入りを果たしていたのだ。


「しかしあれだけ撮っといて俺の写真が一枚も無いってのはどういうことだ……」

「それはキミがお子様だからだよ、名倉君」


 梨子に額をつつかれた。


 なんだか少しくすぐったかった。




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