第25話 プニクリ・プリクラ
第25話 プニクリ・プリクラ
というわけで沢北君の休日の予定を尋ねておくように命じられた私は、早速その晩彼にメールを送った。
『今週の土日どっちか空いてない? 午後だけ、とかでもいいよ』
今はその返事を待っているところ。ベッドの上にうつ伏せになって、両手に握りしめた携帯電話を相手に何やらじいっとにらめっこ。
もうちょっと可愛いメールにした方が良かったかな……?
でももう中学生じゃないんだし、いつまでも子供っぽいって思われるのは嫌だしなあ……
そんな事でおうおうと悩みながら。
そういえば今日名倉君の妹さんに初めて出会った。
確か名前は……秋ちゃん。
私が名倉君の家を出ようとした時に、ちょうど学校から帰ってきた彼女と玄関先でばったり。
最初は誰だろうこの人? みたいにちょっと怪訝な顔をされたけど、名倉君が簡単に紹介するとすぐに私に笑って挨拶してくれた。
礼儀正しくて可愛い子だったなあ……
なんか名倉君からは想像つかないくらい。
私は一人っ子だから、そんな妹のいる名倉君がちょっと羨ましくなりましたとさ。
そこまで考えて私はふと思い出した。
そういや名倉君にお土産代わりの宿題紛いの小説を手渡されていたのだ。
机の横に添えるようにして置かれた紙袋の中身は、例の織姫桃子さんの小説である。正直重かった……
まあ本を読む事自体は嫌いじゃないから、時間の空いた時にちょっとずつでも読んでみるか。名倉君との話のネタくらいにはなるだろう。
――クスッ
ベッドの軋み以外何一つ物音のしない部屋に、小さく漏れ出た息が響き渡る。
私って変だな。
本命の沢北君との会話もままならないくせに、先に名倉君とのおしゃべりの話題作りをしようと柊梨子は奮闘中。
そんな自分を想像すると、なんだか可笑しくてちょっと笑ってしまった。
でも……
名倉君と仲直りできて本当に良かった。
いや、別に喧嘩別れしてたわけじゃないんだけどね。
その時、
「あっ、来た!!」
手の平に確かな振動が伝わり、液晶がパッと明るくともる。
なんとなく気分がウキウキして、そこに沢北君から返事が来たもんだから、それはもうウキウキウキウキしてしまった。
『日曜日なら午後から大丈夫だよ』
********
というわけで今日は日曜日。
沢北君との初デートの日です。
当然の事ながら昨晩はなかなか寝付けず、その反動で今朝は寝坊。少々慌てながら現在身支度を整えているというわけです。
「あらぁ? 梨子、今日はおでかけ?」
目一杯おめかしして昼食の席についた私を見て、お母さんがいつもより2割増しのハイトーンで尋ねてくる。
「うん、ちょっと……」
少しモジモジする私と、あまり関心なさそうに昼のワイドショーを見ているお父さん。
実はまだ沢北君との事は両親には知らせていない。お父さんはまあいいとして、お母さんには話したい気持ちもあるんだけど、恥ずかしくてなかなか報告出来ていないのだ。
……またいつか話すね! お母さん!
「ごちそうさま!」
私は食事を終えると自分の部屋に戻り、もう一度名倉君のノートを読み返した。
「……よし!」
もう一通り頭に入っているつもりではいるが、念のためそれをカバンの一番上に放り込んで私は家を出た。
約束は二時に中ノ宮駅の改札。
旅行の時に私達が集合し、解散したあの駅だ。
本日は誠に晴天なり。
絶好のデート日和である。
********
「あ、沢北君!」
待ち合わせの時間より少し早く着いてしまった私は、落ち着いてベンチに座っている事も出来ず、心臓をバクバクさせながら改札の前をただひたすら行ったり来たりを繰り返していた。
「おかあちゃん、あのおねえちゃんみちにまよってる!」4歳くらいの女の子に後ろ指を差され、もはや動く事も封じられた私はこの先どうやってこの緊張と戦っていけばいいのか……。
そんな絶望の淵に立たされかけたまさにその瞬間、遂に私の待ち人が改札の向こうに姿を見せたのだ。
「ごめん、待たせちゃった?」
デニムのパンツに、胸にワンポイントの入ったグレーのポロシャツというシンプルな出で立ちながら、爽やかな沢北君のイメージにぴったりの清潔感で文句なしに良い。
うへへへへ……かっこいい……
清楚な笑顔を振りまくその裏で、少し気を緩めればヨダレが零れ出そうになるのを懸命にこらえる私がいたり。
「ううん! 沢北君こそ、朝部活だったのにごめんね……疲れてない?」
練習の後一度家へ帰って汗を流したいという沢北君の要望があったので、待ち合わせは少し遅めの二時となった。
私とすれば沢北君に会えればそれだけで特大満足なので、時間なんて全然気にしない。
「大丈夫だよ。さあ行こうか」
そして私達は並んで歩き出した。
恋人っぽく、カップルっぽく、アベックっぽく。
まだ手をつないだりは出来ないけれど、それでも心踊る、浮き足立つような人生初めてのデートが始まった。
********
それにしても緊張するなあ……
さっきからソワソワしっぱなしの私。
意味もなくカバンの掛け方を左右逆にしてみたり、後ろを振り返ってみたり……
変に思われてないかなあ……
会話は沢北君が一方的に話を振ってくれるので、私はうんとか、そうだねとか、適当に相槌を打つだけで今のところは済んでいる。
優しい彼の事、きっと私が会話下手なのをわかってそういう話題を選んでくれてるのだろう。嬉しいやら情けないやら。
私達は駅前というよりかは、もうほとんど駅に隣接した大型ショッピングモールの中を散策していた。
特に何が欲しいっていうわけでも無かったのだけど、この辺りで一番賑やかで、およそ私達のような若者がデートするような場所といったら、百人が百人まずこの場所を挙げるだろう。
そして名倉君も例外なくその一人。彼の小説にもまた、私と沢北君はここで午後を過ごす事になっていたのだ。
「柊さん、どこか入りたいお店ある?」
「へっ!?」
それまでふんふんと話を聞くだけですっかり油断していた私は、突然沢北君に意見を求められ20センチくらい肩を跳ね上げた。
実はここらへんは私のアドリブパート。
名倉君の小説にも、
『柊梨子と沢北春は彼らの記念すべき初デートの場所を中ノ宮のショッピングモールに選んだ。彼女達は初々しいカップルよろしく、手をつなぐ事も、寄り添う事も出来ず、少し緊張で固くなった雰囲気をぎこちない笑顔で埋め合わせながら午後を過ごす事になった。』
としか書かれてない。
……ってか私が緊張でガチガチになるのがわかってるなら、もうちょっと上手くフォローしといてよね!
「そ、そだねぇ……」
私は極度の緊張で声が裏返りそうになるのを、「落ち着けー……落ち着けー……」と心の中で大エールを送りながら辺りを見回した。
なんか適当なお店ないかな……女の子が入りたいっていっても不自然にならないようなお店……正直なんでもいいんだけど……
「あ、あそこ!」
feminineという店の名には聞き覚えがあった。確か女子高生の間で割と広く支持されているブランドだとか。
イメチェン(なんかこう言うと俗っぽくて嫌なんだけど)を図ろうと躍起していた春休みに、どこの情報筋だったかは定かではないが、そんな事を小耳に挟んだ覚えがある。
結局は実際に店を訪ねるまではしなかったのだけど。
「入ってみる?」
私の視線の先にあるお店を沢北君も認めたらしく、いつまでも外をぶらぶらするわけにもいかない私達は、とりあえず中へ入ってみることにした。
********
「うわあ……すごい人……」
中は騒然としていた。
新規開店オープンセール中の某衣料量販店でもこうはならないだろう。
人気がある、という程度には認識していたが、まさかここまでとは思わなかった。
日曜ということも手伝ってか、店内はどの陳列棚にもしっかりお客さんが張り付くくらいに混みあっており、私達のような男女連れがのんびり恋人トークをしながら商品をチェックして回るなんて事の出来そうな雰囲気ではとても無かった。
まあ心配しなくたって恋人トークなんて初めから出来てないんだけど……
「ん〜……長居は出来なさそうだね」
と、苦笑いの沢北君もこの混雑にはちょっと気後れしてしまっている模様。
しかしまあせっかくなので、軽く店内を一周してみる事に。
真剣に品定めをしているお客さんになんとなく申し訳ない気がして、商品を手にとったりなんて事はしなかったが、遠巻きに眺めるだけでもこのお店の扱う品の良さがわかった。
センスがいい。
普通のお店なら十着見て、一着でも気に入るのがあればいいかな的な感覚だけど、この店には外れが無い。どの品物も直球で勝負しに来てる。純粋に興味を惹かれる、そんな商品ばかりが置いてあった。
きっとシーズンの変わり目に売れ残りとか無いんだろうな……
次から服買う時はここに来てみよっと!
なんてこっそり思ってみたり。
もちろん沢北君に見てもらいたいから。
「みんな僕達と同い年か、ちょっと上くらいだね」
一方さっきから左右をキョロキョロ見回していた沢北君は、どうも店内のお客さんの様子を観察していたようだ。
多分ほとんどが私達と同じ高校生。それも結構お洒落に関心のある子達で、服装の気の入りようを見ればわかる。
私にはとても真似出来ないようなカラーの組み合わせとか、アイテムの合わせ方を実践している子も多い。
私ももっと勉強しなくちゃなあ……
いっぱしの女の子らしくそんな事を考えた。
あ、あの子可愛い……
沢北君にならってそんな風に周りのお客さん達を眺めていたとろ、中でも一際目を引く一人の少女が。
細くしなやかな身体に、長い手足。鼻筋のしっかり通った嘘みたいに小さな顔に、艶のある綺麗な金髪。服装も主張の強いアイテムを中心にうるさくならない程度に上手くまとめていて、プロのモデルかなにかを思わせる圧倒的なオーラを周囲に発散していた。
ここまで来れば気づく人は気づいているでしょうか?
「……あ! 来栖さん!」
そう、誰もが認めるミス西高。来栖絵里がそこにいたのだ。
ちなみにこのキャッチフレーズは、GWに加西君に教えてもらったやつ。
私の声に反応して沢北君が足を止めると同時に、来栖さんがこっちを振り向いた。
「ん? ……ああ、芋女にキザ男か」
芋女……キザ男……?
私はちょっとだけ彼女に声をかけたのを後悔した。いや、かなり。
だってその言いようは無いでしょ……
「く、来栖さんもお買い物?」
しかし私とてそう簡単に打ちひしがれるわけにはいかない。ここでやられてしまえば彼女の思うツボだ。いや、来栖さんはきっと何も狙ってなんかないのだろうが、沢北君の手前このままじゃみっともない。
負けない、負けないわよっ!!
滅入りそうになる気を奮い立たせ、なんとか背筋だけでもしゃんと伸ばして前を向く。
来栖さんは手にしていたデニムパンツを棚に戻すと、こちらへと歩み寄って来た。
「いや、今日は別件だ。たまたま近くに寄ったから覗いてみた」
彼女は私達の前まで来ると腰に手を当て、軽く休めの姿勢をとる。さっと斜め前に出された左脚が、信じられない細さと長さでもって他を凌駕する。
ヒールのある靴で長身は更にプラス補正され、薄い唇には桜色のグロス。いつにも増して大人っぽい彼女に思わず息を呑む。
「それよりお前……」
そう言って来栖さんは徐に私の腕を捕まえた。
「わっ! なに……!?」
本能が身の危険を察知したのか、意識せずとも半歩後ずさり自然と身構える。
「この時計どこで買った?」
視線の先、私が手首にはめていた腕時計に彼女は興味があったようだ。なんだ、ちょっと安心。
「あ、こ、これ? これはあのhermanって知ってるかな……?」
この時計は先に述べたように私が絶賛(?)イメチェン中であったその当時、高校合格祝いとしておじいちゃんおばあちゃんに買ってもらったものだ。
およそ中高生の手が出るような値段の代物ではないのだが、お母さん達に内緒って事でこっそり買ってもらった。つまり凄く良いやつ。
「hermanか、なるほど……」
来栖さんは何かに納得したように一人頷く仕草をする。彼女のお気に召したのだろうか。
「おい、芋女!」
「……はい」
だから公共の場でそんな呼び方しないで! 恥ずかしいから!
「お前にも少しはセンスがある事を認めてやろう。お前は今日から米女だ! 二階級特進だ!」
米女って……何が二階級特進なのかはよくわからないけれど、おそらく穀物の国内消費量的なイメージで、芋→小麦→米のようにステップアップしていくキャリア体系がそこにはあるのだろう。
「はあ……どうも」
「じゃあな米女、おお、キザ男の存在をすっかり忘れてた。ではな、二人とも」
その言葉を最後に嵐は過ぎて行った。
「……相変わらず強烈だね」
翻した身の、自信に満ちあふれた背中を呆然と目で追いかける私の横で、沢北君がさりげなく感想を述べる。
そういえば私と来栖さんが話している間、彼は一言も口を挟んでこなかった。
もしかして沢北君も来栖さんを苦手としているのだろうか……
「と、とりあえず私達も出よっか!」
次からこの店に入るのは来栖さんがいないことを確認してからにしよう……
柊梨子は心の中で強く誓ったのだった。
********
まあそんな感じで目的も何も無いまま、時折店に入っては何を買うでもなく出て来てを繰り返し繰り返しして、どこかぎこちない(99%私の緊張が原因なんだけど)初デートをそれでも思う存分満喫していた私達だった。
そろそろ歩き回るのも疲れたなあ……
人の往来も4時を過ぎたあたりから減少に転じ、代わりに目に付くようになったのはガラス越しにコーヒーをすする喫茶店の客。
私達もちょっと休憩しませんか? どうやってそんな風に切り出そうかと思い始めた頃、唐突に視界の端に現れたある物体に私の目はとらわれた。
あ、ゲームセンター……
いや、もっと言えばその中にあるプリクラの機械を私は凝視していた。
そして次の瞬間にはもう、柊梨子は通常哨戒モードから任務遂行モードへとシフト完了。それこそ条件反射的に。
「ねね、沢北君! 今日楽しかったよね?」
私は隣を歩く沢北君の前へ突如として回り込み、後ろ歩きしながら向かい合うフォーメーションへと移行する。
「え? うん、楽しかったよ……ってまだ終わってないよね?」
沢北君は急変した私の態度と、その不可解な言動とに少し首を傾げる。
しかーしっ!! 一度ミッション完了に向けて動き出した私は、もう何者にも止める事はできないのであーるっ!!
「せっかくの初デートなんだし思い出残そっ!! ほら、あれ!」
私は顔から笑みを絶やさぬよう、家で練習した微笑みトレーニングの感覚を思い出しながら、さっきのゲームセンターの方を指差した。
このとき実は向きが入れ替わった事により、反対の方向を指差してしまったのではないかと内心不安を感じていたり。
沢北君は少し目を細め、私が指したその先に目をやる。
「プリクラか……」
「うん! 一枚撮っていこ!」
そう言って足を止めた沢北君の手を少し強引に引っ張るようにして、私達は中へ入って行く。
小説に書いてあると、こんな思い切った事も出来ちゃうんだけどな……私。
柊梨子・アサルトモード恐るべし。
********
プリクラ機の周りはこれまた女子学生で溢れかえっていた。
日曜だというのに制服を着てる子もいる。わざわざプリクラを撮るために制服を着て来たのだろうか、ご苦労な事だ。
「沢山あるけど……どれにする?」
沢北君に尋ねられたものの、正直どれが良いのか皆目見当もつかない。
私だって女の子だからプリクラくらい撮ったりはするけれど、いつも友達に選んでもらってたりするし、私って結構地味な子だったからあんまりこっち方面詳しくなかったり……ほら、そういうのなんとなくわかるでしょ!
というわけで……
「あ、あれがいい! あれにしよう!」
タイミング良く中の人が出てきた機械に、沢北君を押しやるようにして私達は流れ込んだ。
********
『いくよ〜3、2、1』
パシャッ
『じゃあ次はハートを作ってみよう、ハイ』
パシャッ
『次はアップ。もっと寄り添ってカメラに近づいて〜3、2、1』
パシャッ
「………………」
迂闊だった。
プリクラに対する危機意識が低過ぎた。
というか全く対策をしていなかった。
『ボーナスショットだ〜3、2、1』
パシャッ
恥ずかし過ぎて身動きがとれない。
中途半端に出される指示を意識してまた余計に固まってしまう。
もちろん言われた通りのポーズなんてのも出来るはずがない。
やばい、超絶恥ずかしい……
顔から火が出るどころの騒ぎじゃない、今にも全身発火しそうだった。
『これでラストだ〜3、2、1』
パシャッ
終始無言のまま、私達はシャッターが切られる度に芸もなくただ同じピースを繰り返すのだった。
********
「いや、最近のプリクラって……なんかすごいね」
気まずーい雰囲気を思う存分共有し合った私達は、撮影が終わると逃げるように機械の外に飛び出した。
さすがに名倉君も私達の動揺までは読めていなかったらしく、この沢北君の発言に類するセリフは原文に無く。
「と、とりあえず落書きは私がやるね! 沢北君はちょっと外で待ってて!」
私達が今日受けた辱めはきっとトラウマになる……
そんな遺恨を私の胸に深く刻み込んだのは、まさかのお馴染み直方体機械。
昨日の友は、今日の敵。
********
「やっぱりかあ……」
案の定というか、写真はどれも二人もしくはどちらか片方の顔が引きつっていて、不自然な笑みを浮かべているものばかりだった。
「まあ最初は……ね」
その中でもわりとマシだと思われる何枚かを適当に選んで、落書きを始める。
「……」
柊梨子真剣モード。
私が沢北君を追いやって、一人で落書きを買って出たのには理由がある。
『あと30秒だよ』
「……」
一心不乱にペンを動かす。
なぜか今にも火を吹きそうなほど、頬を真っ赤に染めながら。
『残り10秒、9、8……』
「こ、こんなもんよね」
私はそこでペンを置いた。
もし沢北君が隣にいたら、私は絶対にこんな事書けなかっただろう。
********
「お待たせー♪」
プリントされたシールをハサミで二等分してから、お店の外で待つ彼のもとへ。
「はい、これ沢北君の分」
私は手に持った片方を裏向けたまま彼の前に差し出す。
「見ていい?」
「そ、その、笑っちゃダメだよ……」
沢北君はそれを受け取ると、私の顔を見ながらそれを裏返した。
いや、元々裏だから表返す?
私はじっと沢北君の反応を窺う。
「……!!」
初めはニコニコと微笑みながらシールを眺めていた沢北君だったが、すぐさま驚いた風に目を見張る。
気づいた……!
そして少し照れ臭そうに鼻を掻き、
「ありがとう、柊さん」
手元に視線を落としたままちょこんと頭を下げた。
「えへへ、どういたしまして」
こんな風にする沢北君はなんか新鮮で、なんか可愛かった。
彼の横に並んで、私ももう一度自分のプリクラを眺める。
複数のカットに紛れて「超大好き 沢北君♡」と、もはや完全に二人が隠れてしまうほど大きな文字で書かれたシールがそこにはあった。
きゃっ♪
********
「じゃあ柊さん、また明日学校で」
私達は再び中ノ宮駅の改札前にいた。
今度は私が沢北君を見送る形。
本来ならば私もホームまでは一緒なんだけれど、お母さんから頼まれたおつかいがあって、帰るのはもう少し後になる。
今は18時過ぎ。
沢北君は部活で明日の学校の予習にまだ手が付けられていないので、これから家に帰って必死に取り組むそうだ。
「ごめんね」と彼は言ったけど、これだけ付き合ってもらえれば私はもう何も望む事はない。
「うん、今日は本当に楽しかった! ありがとう!」
「僕も楽しかったよ、ありがとう」
改札を抜ける彼。
明日も会えるというのになんか名残惜しい。
恋人ってそんなものなのかな……
そして最後にミッションがもう一つ。
「沢北君、また遊んでくれる!?」
私は彼の背中に声をかけた。
次のデートの約束を取り付けるために。
いつもの柊梨子じゃ、きっと誘えないから。
「うん、喜んで」
振り返って笑顔をくれる彼。
「へへ……やった!」
思わず頬が緩む。
これは素直な感情表現。
私も嬉しい時に喜ぶくらいは出来るようになってきた。
ちょっと成長……かな?
「じゃ、また明日」
「うん、バイバイ!」
彼の姿が見えなくなるまで、私はずっとその場を離れなかった。
すると、ホームに上がる階段の手前で、沢北君はもう一度こっちを見て手を振ってくれた。
私は嬉しくて、周囲の目も気にせずに、超特大のバイバイをした。
********
『ああ……幸せ……超幸せなんだよ! わかる!? 名倉君!?』
「はいはい、わかるわかる」
そして俺は梨子からその報告というか、ただのノロケ話を聞かされてかれこれ一時間。
『いやー名倉君にはわかんないだろなあ……血の通っていない名倉君には……』
「おい、人を人間じゃないみたいに言うな」
どうして俺はあの日、梨子の話をいつまでも聞いていたいなどと思ったのだろう……
前言撤回。
読者の皆様、いつかの俺の発言を黒く塗りつぶしてくれ。
いや、いっそその前後のページごと破り取ってくれてもいい。
『プリクラも撮っちゃったしさ! 沢北君に愛のメッセージ書いちゃった! きゃー梨子大胆!』
「それは俺の指示だ」
……ってかお前キャラ変わるにもほどがあるぞ。中学時代までの陰キャラでクラスから浮いてたという設定はどこへ捨てた。
『沢北君それ見て照れちゃってさ〜頬もポッて赤くなっちゃって。も〜見ててたまんなかった! 今すぐ抱きしめたいって感じ!?』
じゃあ抱きしめてみやがれってんだ。
それが出来るなら俺は何もこんな苦労しなくて済むんだよ。
……と思ったところで口には出さないのが俺の優しさでもあり、弱さでもある。
『でね、沢北君何て言ったと思う? 「ありがとう、柊さん」だよ!? キャー!! ――』
その後も梨子トークは延々と続き、更に時計の長針がもう一回りしそうになったところで俺は強制的に電話を切った。
何かの操作ミスかと勘違いされて掛け直されないように、即座に電源も落とした。
……ったく、あいつ俺が同じキャリアだからって見境なく長電話しやがる。
そう、最近は同じ携帯のキャリア同士だと通話が無料になるサービスがあるのだ。全く迷惑な世の中になったものである。