第24話 桃子センセと梨子ニャン
第24話 桃子センセと梨子ニャン
「まずはこれ、『恋花火』。織姫桃子先生のデビュー作だ。発表当時はまだあまり注目されてなかったのだが、一部のファンの間ではこの作品が最初にして最高傑作だとの呼び声も高い。まあ俺としては織姫先生はこれからも素晴らしい作品をたくさん書いてくれると信じているから、その意見には賛成しかねるんだけどな」
名倉君は本棚の中から分厚い単行本を一冊引き抜き私の目の前に置いた。一見黒にも思える深い藍色の背景に散りばめられた色とりどりの大小様々な点。それは夜空に浮かぶ星のようにも、咲いた花火の残滓のようにも見え、いかにも女性受けしそうな綺麗で可愛らしい装丁だった。
私はというとパステルカラーの愛らしいクッションを膝に抱き、丸テーブルのど真ん中に仰々しくディスプレイされたハードカバーの存在感に気圧されながら、またもや本棚に向かって何やら思案顔の彼を横目に盗み見ていた。
そう、ここは名倉君の部屋である。訪ねるのは実に一月ぶり。
体育館裏でばったり久々の再会を果たした後、せっかくだからと少し話込んでいたら、なぜかこういう流れになってしまった。
「その次はこれだな。『漣のアルタイル』『泡沫のベガ』『潮騒のデネブ』の三部作。単作としても十分良作なのだが、それぞれの作品が一つの物語を互いに補完し合う形で書かれてあり、全てを読む事で読者は立体的にストーリーを理解する事が可能となる。この手法が話題となり、織姫先生の名は出版界外でも時折噂されるようになった」
テーブルの上に次々と本が積まれていく。
見ての通り、私は名倉君から織姫桃子作品についての熱い講義を受けていた。
私がストロベリー・ラブを読みたいなんて言ったばかりに。
「そして織姫先生の名を世に知らしめた作品がこれだ! 『双眼鏡の君』!」
そしてまたもう一冊。
既に私の目の前にはハードカバーが五冊。
そろそろ崩れちゃうって。
目の前のバランスタワーを不安げに眺める私の正面に立ち、名倉君の解説には一層熱が入る。
別にそんなつもりじゃなかったんだけどな……
本心から読みたかったわけじゃないんだけど。
「これは直木賞候補にまで挙がった作品だ。惜しくも受賞こそ逃したが、ノミネートされたことによって織姫先生の知名度は一躍全国クラスに。それまで本なんて手にとった事もないような中高生にも分かりやすい表現、共感しやすい内容で、この本は売れに売れ増版に増版が続いた」
きっと名倉君もそんな事とうに気づいてる。だから私にこんな意地悪するんだ……
そうじゃなかったら何?
さっきからずっと浮かべてるその不敵な笑みは。
テーブルを挟んだ向かいに腕を組んで仁王立ちする名倉君の顔色を窺うように、下からそっと視線だけを上げる。
「まずはこれだけの本を全部読んで来い! そしてその感想を作品ごとに原稿用紙にまとめ、今月中に俺に提出しろ!」
「えっ! ストロベリー・ラブは貸してくれないの!?」
「馬鹿野郎! ストロベリー・ラブにたどり着くまで織姫先生は他にどれだけの作品を書いてると思ってるんだ! その全ての作品においてそれぞれ表現される愛の形が違うんだぞ! お前はもっとそれを勉強しろ!」
こっぴどく罵倒される。容赦なく一蹴される。
ううう……なんか無茶苦茶な事を言われてる気もするけど、恋愛に関して突っ込まれちゃ何も反論出来ない。確かに私はまだ男女の恋の在り方を全然理解出来てない。
「……はい」
だから沢北君とも距離を縮められてない。
そう、実際付き合い初めてもう一ヶ月も経つのに、私達の関係には何の進展も無かった。
まあ沢北君が忙しいからってのもあるんだけど、学校の外で遊んだ事は一度も無いし、二人きりになる機会すら未だもててない。
気持ちだけが繋ぎ止めてる、たったそれだけの恋人関係。
……これってもしや結構ピンチ?
唐突に不安の波が押し寄せてきた。柊海洋は大シケだ。
「さ、沢北君に愛想つかされちゃったらどうしよう……!?」
「は?」
動揺を思わず口にしてしまった。
ついでに……と本棚の整理を始めていた名倉君の手がビクッと跳ねて止まる。
「お前……自分の発言の脈絡の無さ自覚してるか?」
確かに……
突然私が変な事を言い出したものだから、名倉君は呆気にとられたようだ。呆気にとられて、アルパカみたいな顔をしてる。
「……いま自覚しました」
少し反省し、座ったままうな垂れる。しかし俯いて下りてきた髪で顔を隠すようにして、
アルパカ……ふふふふふ……
こっそりほくそ笑む。
「沢北と上手くいってないのか?」
そんな事とは露知らずの名倉君は、すっかり片付けをする気が削がれてしまったのか、いつのまにかベッドの端に腰掛けていて、ちょっぴり心配そうな声をかけてくれた。
「……」
私は返答に窮する。
別に上手くいってないわけじゃない。……と今の今まで思ってた。
デートなんか出来なくったって、二人きりになれなくたって、沢北君は私の彼氏で、私は沢北君の彼女なんだ、ってそれだけで十分満足してた。
でもそれは私の事情であって、もしかしたら沢北君の思いは違うかもしれない。
こんな形だけの恋人関係に内心辟易しているかもしれない。
「おい、梨子……?」
「……」
私、このままじゃフラれちゃう……?
そんな不安が頭をもたげて焦燥感ばかりが募る。
ヤダ……なんとかしなくちゃ……!
だけど何したらいいんだろう……
恋人って何するもん?
手繋いだり?
チューしたり?
でもそれっていつするの?
どの場面でするの?
何て言ってするの?
わかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんない!
わかんない梨子はそこで考えるのを投げた。全部丸投げした。
「名倉君お願い!!」
「うおっ……突然大声出すな。ビビるから……」
私にはやっぱり君が必要だよ……!
「小説の続きを書いて! まだノート半分以上余ってるじゃん!」
多少強引でも、傲慢でも、勝手でも構わない。私はせっかく掴んだこの幸せをそう簡単に手放したくない!
「と、とりあえず落ち着け。近いから」
「うわっ!」
慌てて身を引く。
勢い余って名倉君の顔スレスレのところまで接近してしまっていたのだ。
しかし場違いにも私はその時、
チューってこんな感じなのかな……
なんて思って一人顔を赤らめていたりして。
『いや、違うと思う』
すぐにそんな声が天から降ってきた気がしたのだが、聞こえなかったフリをしよう。
「その……付き合ったはいいものの、結局自分一人じゃ何もアクションを起こせず今日まで過ごし、今になって不安になって来たってとこか?」
「ご明察!」
……って別に威張るところじゃないんだろうけど。
********
「それで俺にまた小説を書いて欲しいってか……」
俺は困ったようにこめかみのあたりを掻きながら、
なんていうか……変わってないな。
そんな思いで梨子を眺める。
「欲しい! プリーズ!」
……ちょっとだけユーモアのセンスが上がってる気もするが。
梨子は両手を摺り合わせ、拝むように何度も俺に頭を下げる。
ま、なんか安心した。
俺はまだ梨子の側にいてもいい。
こいつが変わるのを助けてやれる。
「仕方ない」
内心ウキウキしてるにもかかわらず、外面だけはめんどくさそうに溜息をついてみせた。
そういう事なんだよな、これは?
誰に尋ねるわけでもない。
自分で自分を納得させるための問い。
結局はこのポジションが一番居心地いいんだ。
「やった!!」
いつかと同じように跳び上がって喜びを表現する梨子を、俺は眩しそうに目を細めて見ながらもう一度問いかけた。
これが本来あるべき姿、でいいんだよな?
その日から柊梨子と沢北春の、柊梨子と名倉夏樹の、第二幕が始まった。
********
「で? 今度の小説の結末はどうしたい? つまり、お前の目標だ」
織姫先生の作品群を手頃な紙袋にしまってやり、代わりにテーブルの上にはルーズリーフ。そして俺の右手にはペンが握られる。
そう、まずはそれをはっきりさせておかなくてはならない。
物語の結末だけは明確なイメージを持っていないと、筋を書くのが難しい。
……というか不可能だ。
何の気なしにつらつらと書き続けていて、おおっとこの展開だと二人は別れてしまうぞ! なんて事になってからではもう取り返しがつかない。
梨子の現実は俺の小説とリアルタイムで同期しているため、途中で軌道修正しようにもなかなか思うように勝手が効かない。危険は出来るだけ未然に取り除いておくに限る。
ちなみに前回の俺達の目標は「柊梨子と沢北春が恋人関係になる」事であって、それは見事達成済みだ。
「ほら、こういう事がしたい、とかもっと具体的な事でもいいから、何か思いつくこと言ってみろ」
「…………」
ペンの頭の方で指先を軽く叩き発言を促そうとするも、梨子はすっかり黙りこくってしまった。
そんな考え込むような事か?
彼氏とどうしたいだとか、そんな事の一つや二つ、お前も女ならすぐに思い浮かぶだろ。
もしかして俺に話すのを恥じらっているとか……?
「……私……」
照れからか、俺の握ったペン先に視線を落としたまま梨子は口を開いた。
ああ、お前はどうしたいんだ?
何でもいいから言ってみろ。
まるで子供の言い分を聞いてやる親のようなつもりで、うんうんと頷いて続きを誘う。
そして梨子は思い切ったように言い放った。
「私、沢北君と結婚したい!!」
「無理!!」
即答。
前方に乗り出すようしてテーブルについた梨子の手を、ぺチンと軽くはたく。
いや、流石にそれは無理だろ。
ってか何年先のヴィジョンまで見てんだよ。俺を一体いつまで付き合わすつもりだ?
「ええぇ無理なのォ……?」
そんなしょぼっくれた顔をして、指をイジイジして、上目遣いで人の顔を覗き込んできても俺は絶対に書かんぞ!
ってかどこでお前はそんな技を覚えた!
「当たり前だ! お前はもっと現実を見ろ! まともに会話すらできん奴が、なに結婚だとか夢のまた夢、ドリームジャンボ宝くじもびっくりな世迷い事をほざいてやがる!」
大体そんな人の一生にまで関わる事、安請け合い出来るか!
俺に頼らず、神頼みでもしてろ!
自分を絶対神だと謳って止まないイ絵里・来栖トなら何とかしてくれるかもしれないな!
「……しゅん」
梨子は唇を尖らせ、いかにもという風に肩をすぼめてみせる。
しゅ……しゅんって何だ!?
効果音を自ら発音するな!
いつからお前はそんな萌え要素をふんだんに取り入れたキャラになった!?
俺の知らないこの一ヶ月で、一体お前の身に何があった!?
「……いいか、もう一度しか聞かないからな。お前は何がしたい?」
次とんでもない事言ったらお前をこの窓から投げ飛ばしてやる……
シャーペンごと拳を握りしめ、俺は鬼気迫る表情で返事を待った。
「……デート」
顔を林檎みたいに真っ赤にして、梨子は最後にボソッとつぶやいた。
目の前の少女はどこまでも乙女だった。




