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ナツキトリコ  作者:
第二部
23/41

第22話 カムバック日常

 第22話 カムバック日常


「……」


 どれだけ待っても、スピーカーからはもう名倉君の声は聞こえてこない。

 ツーツーと無機質な電子音のみが耳内にこだまする。


「……」


 しかし、私はいつまでも携帯を耳に当てていた。

 彼との端末間での電波のやり取りはとうに終わっている事を知りながら、私は1分、2分……ひたすらに待ち続けた。


 その行為にどんな意味があるのかはわからない。

 だけど私の身体はそれを強制し、私もそれに抗おうとはしなかった。

 そうするのをやめた途端、私は私の中で何かが終わってしまうような気がしていたから。


 ……ううん、本当はもう終わってる。これは諦めの悪い私の意地でしかない。


 現実と向き合う覚悟ができた時には、部屋の時計で既に5分が経過していた。

 私は頬に添えられた携帯をようやく解放してやり、そっと机の上に置いた。


「付き合わせてごめんよ」


 そんな労らいの言葉と共に。


 柊梨子と名倉夏樹の不思議な関係は終わった。

 恋人でもない、クラスメイトでもない、お友達でもない、だけど知り合いではある、不思議な不思議な関係。

 それはたった今この瞬間をもって終了した。


 ――契約満了。


 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。


「はあ、なんだかなあ……」


 出るべくして出た溜息が一つ。私はベッドに体を投げ出した。


 さっきまであんなに興奮してた自分が嘘みたいに、今はもうすっかり冷め切っている。


 ……むしろちょっと落ち込んでいる。


「こんな気分になるなら電話なんかしなきゃよかった!」


 憂さ晴らしにそんなセリフを吐いてみるが、


 ……これは嘘。


 自分の心はそう簡単に騙されてくれない。

 私は誰よりも先に名倉君に知って欲しかった。

 感謝の気持ちも伝えたかった。


「名倉君の馬鹿……」


 これは本当。真実の気持ち。


 何も今日言わなくてもいいじゃん……

 もうちょっと幸せな気分でいさせてくれたっていいじゃん……


「……はぁ」


 そして溜息第二弾。

 今日はこの部屋の温暖化に大きく貢献できそう、な予感。


 ……でも結局は一緒か。

 きっとへこむのはいつだって一緒。

 遅いか早いか、それだけの事。


「なにしてんだよ柊梨子〜せっかく夢叶って沢北君と付き合えたんだぞ、もっと喜べ〜」


 自分を叱咤してみるも、間延びした声はどこか頼りない。


 名倉君……


 出会った頃はあんなに嫌いだったのにな。何でも見透かしたような振りをして、平気で嘘をついて、人をからかって……


「馬鹿……」


 結局はそんなありきたりな言葉で片付けてしまうのだった。


 ********


「おっはよー!!」


 GWも明け、久々の登校日。

 未来のエネルギッシュな挨拶は、今朝も例外なく教室中に響き渡った。旅行の疲れなんて、彼女にとってみれば階段の昇り降りくらいの疲労にも満たないのかもしれない。


「おはよう、梨子ちゃん」


 一方、こちらはさすがに少し疲れた表情の穂奈美。口調こそ普段と変わらないが、その笑顔にいつもの華やかさはない。

「私ベッドの上じゃないと寝れないの」そんなお嬢様体質かと思われた彼女ですら、帰りの電車の中ではスヤスヤと寝息をたてていた。その疲れは相当なものだったのだろう。


 そして私は……


「おはよう二人共……」


 最悪だった。おそらく高校入学してから一番ひどい表情をしていた。肉体的な消耗はもちろん、なんか色々な心労が重なったからだ。


「うわっ……梨子、超お疲れだね」


 うわっ……ってなによ、うわっ……って。


 しかしそんな事を言い返す元気もない。

 硬く絞ってそのまま放置されたカピカピのボロ雑巾のように、生気を奪われた私は干からびていた。まだ15歳だというのに……


「さっ、さあっ」

「もう押さないでっ、わかってるよ……」


 二人に促され、私はてくてくと教室を横切る。途中から足取りは重くなり、たどり着いた頃にはすっかり腰が引けていて……それでも、


「さ、沢北君、おはよう!」


 私はちゃんと挨拶をした。

 彼、沢北春は私の彼氏だから。


「ああ、柊さんおはよう」


 振り返った彼はいつもと変わらぬ王子スマイル。

 特別何も変わらない。

 だけど私はそれでいい。

 こうして沢北君のそばにいるために、もはや何の理由も必要ない。

 その事だけで私はもうお腹いっぱいなのだから。


「少し疲れてる?」

「うん、実はまだちょっと疲れが取れなくて……」


 相向かう沢北君はいたって平気そうだというのに……

 若々しくなくてごめんなさい。


「無理しないでね。今日は早く帰って休むんだよ」


 そんな言葉を彼からもらった。


 ヤダ! 心配してくれるの!?

 あぁ……なんて幸せ……


「うん、わかった」


 瞳をウルウルと潤ませ、への字にひん曲げられた唇の意味が沢北君に伝わったかどうかはわからない。


 柊梨子、初めて恋人のありがたさを実感した瞬間だった。


 未来と穂奈美には昨夜の内にメールで事情を軽く説明しておいた。

 本当は電話でちゃんと報告したいところだったのだけど、疲れていたし、名倉君に電話した後だったからいまいち気分が優れなかったというのもある。

 すぐに返ってきた二人の返信には、当然驚きと混乱の様子が色濃くあらわれていたのだが、詳しい話はまた学校でちゃんとするから……! って事でその場をおさめたのが昨日。

 そんな訳で私は今朝学校に来るなり、未来と穂奈美から矢継ぎ早に質問を浴びせられることになったのだ。


 かくかくしかじか、カクカクシカジカ……


 一通り説明を終え彼女達に納得してもらう頃には、また一段と疲労感の増した今日。


「おめでとう、梨子ちゃん」

「梨子ー! 愛してるぞー!」


 しかしそんな風に祝福してもらえて、私は素直に嬉しかった。

 もう一度自身の幸せを噛みしめる事が出来たのだ。


 ********


 後日談。


 沢北君と付き合ってからというもの、別段私の生活が大きく変化するような事は無かった。

 連休が終わり本格的にサッカー部に入部した沢北君は毎日練習で忙しく、とても私に構ってる暇なんてない様子だった。

 私達に出来る恋人らしい事なんていったら、毎日学校で挨拶したり、たまに夜メールしたりするくらい。電話は私が話せないから避けてもらっていた。

 だけど私はそれで幸せだった。沢北君と心のどこかでつながっている、そう考えるだけで自然と心が安らぐのだ。


 部活。


 そういえば未来はバスケットボール部に入部した。

 もう何度か一緒に体育を経験してるから知ってるけど、彼女の運動神経の良さは段違い。きっとどんなスポーツをやらせたって、第一線で活躍する選手になるに違いない。


 穂奈美は学校とは別に週に1、2回バイオリンの稽古をしてるということで部活には入らなかった。

 本当は華道部や茶道部など文科系の部活に少し興味があったみたいだけど、あまり忙しくすると噂のお兄さんが悲しむ、らしい。美しき兄妹愛?


 そして私は……実はまだ何も考えてない。元々が趣味の少ない人間だから、あまり興味を惹かれる部活も無く。


 中学の時は書道部に所属していた。なんとも地味な……と思われるかもしれないが、まあ実際地味な人間だったのだから仕方ない。

 字を書くのも別に好きだったからというわけでなく、なんとなく自分のイメージにあった部活を探していたらそこに行き着いたというだけの事。だから高校でも書道を続けようという気はない。

 けれど、人間関係が希薄になるのは嫌だから、何かの部活には入らなけりゃなあ……くらいには漠然と考えている。まあ周りの子の評判を聞いて、色々検討した上でまた判断しよう。


 ……そう言えば8組の人達はどうするのかな?


 旅行以来彼らとの交流はパッタリと途絶えた。まあそもそも名倉君以外の人達とはあの旅行で初めて出会ったのだから、元々交流があったわけじゃないのだけど……

 結局は私と名倉君の間で交流が無くなった、というだけの事に他ならない。


 名倉君どうしてるかな……?


 時折そんな風に気になった。

 そしてちょっぴりセンチな気持ちになったりもするんだけど、その内そんな事も無くなるだろう。

 時間が経てばきっと彼の事も忘れて……


 ――え?


 待って。

 なんで私は彼の事を忘れようとしているの?


 ぼんやりと廊下を歩いていた私の足が止まった。


 駄目だよ、そんなの……

 彼が私にしてくれた事、私はその全部を忘れてしまうつもりなの?


「ってお母さんがね……梨子ちゃん?」

「ん……梨子、どした?」


 少し先でそれに気づいた未来達が振り返る。


 私は沢北君と一緒にいられる幸せに溺れて、そんな大事な事が見えなくなっていた。


 ……嫌。

 彼の事、このまま忘れてしまうなんて嫌。


「あっ、ごめん! で、なになに? お母さんが?」


 すぐに二人の後を追いかける。


 彼は、名倉君は、沢北君と同じくらい大切な人だから……


「お母さんがまたお弁当にフルーツタルトを入れようとしたって話」

「はははっ! それもうお弁当じゃないから〜っ!」


 お腹を抱えて笑う未来。


 だったら……!

 また8組の教室を訪ねればいい。

 携帯から電話をかければいい。

 なんなら家まで自転車で行けばいい。

 いくらでも手段はあるのに、

 それだけの事なのに、

 私はまだ彼と繋がれずにいた。


 私は彼の、彼は私の、

 ……なんなんだろう?


 その答えが見つけられずにいたから。


 ********


「よお」

「神に向かってその口の利き方はなんだ」


 お前、まだそのキャラ引っ張るつもりか……


「生憎、俺は来栖教には付き合ってらんねーよ」


 来栖絵里。

 俺の幼馴染、にして最高の理解者。


 ……だと昨日までの旅行で改めて実感させられた。

 なんか悔しいけど。


「おはよう、名倉君。思ったより元気だね」


 ボン、こと種村なんとか。

 俺の友達というか絵里の従僕というか……まあそんな感じ。


「ああ、やっぱ家のベッドが一番だわ」


 梨子との電話の後なんか色々と思う事があったはずなんだけど、気づいたら寝てた。


 ……なんだったっけ?


 まあ昨日はそんくらい疲れてて、そんくらい爆睡してたってことだ。


「なっちゃ〜ん! おっはよ〜!」


 ああ……朝っぱらから騒々しい奴が来た。


「なんだ……? お前と違って俺は低血圧なんだよ。8時台からそのテンションは、辛い」


 加西秀明。

 一回しかフルネーム登場してないのによく覚えてるな、ってのは聞くな。

 ボンの名前だけはいつまで経っても覚えられないって設定を際立たせるために、実際著者すらも忘れていた下の名前を、駅のホームでの自己紹介のところまで読み返してから書いている。……なんて事情なんざ誰も知らなくていい。


「それよりさ……これ、買わない?」


 そう耳打ちして、加西は一枚の写真を俺の顔の前に横から滑り込ませた。


「……ぶふっ!」


 な、なんだこれはっ……!?


 思わず噴き出した。何も口に入れてないのに噴き出してしまった。


「お、お前! こんなのいつ撮ったんだ!?」


 そこにはソファの上で折り重なり、絡み合うようにして横たわる俺と絵里の姿があった。

 絵里のジャージのへその辺りが微妙にめくれ上がってる感じが何ともいやらしく、俺の腕を枕にして心地良さ気に唇の端を持ち上げている寝顔はまだあどけなさの残る少女のようで……


 ってそんな事じゃなくてっ!!


 俺達はこんなだったのか……


 愕然とすると同時に、皆に誤解された理由を今ようやく思い知ったのだ。


「一枚1500円でどう? 焼き増しもするよ」

「……いらん。なんか呪われそうだ」


 こんな写真が現存してる事を絵里に知られてみろ。

 今度こそ本当にお前の命は無くなるぞ。


「ちぇっ、せっかく朝コンビニに寄ってこれだけプリントしてきてやったのに……」


 そんな不平を言いながら、加西はその写真を俺のカッターシャツの胸ポケットに押し込んだ。


「ばか……! 何すんだ……」

「やるよ。どうせ俺が持ってても意味無いし」


 そんでもって意味大アリ気な視線を俺に寄越す。


 まあくれるって言うなら……もらっとくか。


「他の写真も出来たら見せるわ!」


 俺の肩をポンと一つ叩いて、


「未来ちゃんとのツーショット、楽しみだな〜」


 加西は鼻歌を歌いながら側を離れて行った。


 元々俺達と加西は特別仲が良かったというわけではない。というか加西は誰にでもこんな感じで、今もまた同じような調子でクラスの別の男子に話しかけている。


 写真……か。


 今思い返せば、旅行中ずっと加西の首にはカメラがぶら下がっていた気がする。いつシャッターを切っていたのか、あまりそんな姿を見た憶えはないのだけれど、口ぶりからするに気づかないところで俺達は結構写真を撮られていたのかもしれない。

 正直加西が旅行に来てくれて俺としては助かった。福田と二人でリーダーみたいにみんなを引っ張って場を盛り上げてくれた場面もあったし、少なからず感謝はしている。

 まあ本人に言わせれば、ただ自分が楽しんでいただけなんだろうけど。


 にしても梨子の次は福田か。

 加西の奴、女なら誰でもいいのかよ……


 いや何も福田に魅力が無いとか、そんなつもりで言っているのではない。

 むしろそういう意味では、明るく、活発で、無邪気な性格の福田は最も万人受けするタイプの女子だと言えよう。愛嬌もあるしそれなりに可愛いとも思う。

 よく考えてみれば神宮寺も生粋のお嬢様系美人だし、それに絵里と梨子が加わるとなれば、本当に錚々たるメンバーだ。今回の旅行の話を加西が嗅ぎつけてきたのも無理ないか。

 俺を含め、ボン、沢北、と男性陣がそういうのに疎そうな奴らで助かった。


「なーにぼうっとしてる馬鹿もん。HR始まるぞ」


 ポカッと頭に紙クズをぶつけられ、いつのまにか席についていた絵里の姿を横目に俺は自分の机へと戻る。


 これが俺の日常だ。


 絵里がボンをからかうのを見て、

 とばっちりで俺まで罵られ、

 加西がクラス全体を煽るのに巻き込まれ、

 なんだかんだで一日が終わって行く。


 それが俺の日常。

 本来あるべき日常。

 そこに俺は帰ってきた。


 居心地はいい。

 退屈もしない。

 刺激は無いけど、平穏な日々。

 それに俺は再び慣れつつあった。


 ……ただ、新しく本を買う時は必ず地元の書店を利用するようにした。



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