第21話 ハッピーエンドバイバイ
第21話 ハッピーエンドバイバイ
「……気になる」
毎度の事ながら律儀に絵里を家まで送り届けてから名倉家へと帰り着いた俺は、夕食を済ませるとすぐに風呂に入り、荷物の片付けもそこそこに、早くもベッドの上に大の字に突っ伏した。
さすがに疲れた……
間違い無く人生で最高かつ最悪にハードな二日間だった。肉体的にも精神的にも疲労はとっくに限界を超えている。
さっきもそこの廊下で妹の秋が興味津々といった様子で旅行の事を色々と尋ねてきたのだが、俺はただ「ああ」とか「そんな感じだ」とか適当な返事をするだけで、さっさと部屋の中へと引っ込んでしまった。
「なんだよ、にーちゃんのいけずー!」そんな声がドア越しに聞こえたが、それに関してはもはや構ってやる気力すら残されてなかったのである。
ああ、今日はもう早く寝よう……
と、さっきからずっとそうは思っているのだが、
「…………寝れるかあっ!!」
とうとう枕相手にヘッドバットを決めてしまうほど(のれんに腕押しとはよくいったものだが)、俺は彼女の事が気になって仕方なかったのだ。
帰りのホームで梨子は俺達と同じ電車には乗らず駅に残った。おそらくは沢北を誘い出すためであろう。
だが、
「ちゃんと告白……出来たのか?」
俺は気が気でなかった。
朝の梨子の態度を見ているとどうしても、本当に俺の指示に従ってくれたのかと不安になる。駅に残った理由だってもしかしたら別の用事があっただけかもしれない。実はそもそも俺の小説なんて読んですらいないかもしれない。
そんな疑惑が次々と頭をもたげ、俺はなんとも言えない不安に駆られる。
しかし、今は梨子を信じよう。
梨子は俺の事を信じてくれた。と、そう信じようと思った。
あいつは人の思いを無下にするような奴じゃない。それは梨子本人も言っていた。俺の気持ちも背負ってあいつは全力で戦ってくれてるんだ。沢北と、過去の自分と。
大丈夫だ……梨子はきっとやりとげたはずだ……!
不安が徐々にそんな確信へと変わる。梨子への信頼へと変わる。
しかし俺にはもう一つの不安材料があった。
「沢北のやつ……ちゃんと言ってくれたかな……」
実はコテージを発つ前に俺は沢北に一つ頼み事をしていた。
「万が一梨子から告白される事があったらその時は最後にこう言ってやって欲しい」と。
沢北はその言葉の意味を理解しかねていたようだが、何か事情があるのだと察して、深く尋ねる事はせずに了承してくれた。
ちゃんと届いてるといいが……
それは頑張った梨子への、俺からのプレゼントのつもりだった。
とまあ、そんな小説には書かなかった演出を加えるというサプライズも画策していたものだから、余計に事の成り行きが気になった。
できる事なら俺も梨子の後ろからついて行って、その一部始終をこの目で見届けたい気持ちではあったが、さすがにそれはルール違反というものだろう。梨子も許してくれるはずがない。
「だあぁーもうっ!!」
よって俺は如何にもしがたいこのやり切れなさを、ここでクネクネと気味悪く身をよじることで発散するしかないのだ。
しかし、
ブーブーブー……
突如、俺は身悶えから解放される。
枕元に置いてあった携帯が震え出し、俺は反射的にそれに手を延ばした。
液晶には「柊梨子 着信」と表示されている。
り、梨子……!
やはり梨子は当初の予定通り計画を実行したのだ。きっとこれはその報告……
さあ、どうなった……?
俺は気持ちを落ち着けるために一度ゆっくりと深呼吸をし、それから電話に出た。
「もしも……」
『あ、な、名倉君!?』
あ――
その梨子の第一声を聞けば、俺にはもうそれで十分だった。
よかった……上手くいったのか。
頬の筋肉が弛緩するのを感じ、俺は自分が相当に緊張していた事を知る。
『わ、私やったよ!! 沢北君に告白したよ!!』
うっ、うっせえ……!
スピーカーからの音が割れる。
梨子はかなり興奮の模様。
「そっか……頑張ったな」
月並みだが俺にはそんな労いの言葉しか言えない。もっと気の利いた事が言えるといいのかもしれないが、周知の通り俺はそんなことのできるタマじゃない。
……ってかお前今どこにいるんだ?
この時間だと、さすがにもう家へと帰ってる頃だろ?
そんな大声出したら家族が驚くだろうが……
『そしたら……そしたら沢北君OKしてくれた!! 私の事好きだって言ってくれた!!』
相変わらずのバカ声に俺は携帯を少し耳から遠ざける。
梨子の笑う顔が目に浮かんだ。
どんな表情してるかなんて大体想像つくんだけれど、どうせなら実物を拝んでおきたかった。きっとイイ顔してるんだろうな……
「な? 俺の言った通りだろ?」
つい流れで調子の良い事を言ってしまう。
『うん! ホントに! 名倉君すごい、天才だよ! ありがとう! 大好き!!』
「『好き』という言葉を練習し過ぎて口癖にでもなったか?」
バカか、お前は。
そんな簡単に二人目に告白してどうする。
『え、あ! ちがっ……違う! ひ、人としてだよ! それに名倉君には来栖さんがいるし……って、あれは私の勘違いだったんだっけ? あ、あの時は怒ったりしてごめんね!』
そういえば今朝以来梨子とはまともに口をきいてなかった。
喧嘩中の相手の事を気にかけて、疲れているのに寝る事すら出来なかったなんて、俺は一体どれだけお人好しなんだ。
……そういう意味では、俺も変わったか。
梨子と出会った頃は、俺はむしろコイツに関わる事を避けていたくらいなのに。
そんなちっぽけな変化が精一杯の自分に思わず笑ってしまう。
梨子が眩しい。
『でもいいな〜名倉君と来栖さんずっと一緒だったし、なんか二人の世界があるっていうか……凄い楽しそうだった!』
ああ……
『私もあんな風になりたいなあ……沢北君と一緒に楽しくお話したり、笑いあったり……なんか気早過ぎかな!? まだついさっき付き合ったばっかなのに! ……キャッ! 私今「付き合った」なんて言っちゃった!? ヤバイ、どうしよ〜嬉し恥ずかし過ぎて死んじゃう!!』
本当に幸せそうだ……
さっきから電波に乗って飛んで来るのは一方的なノロケ話で、俺としては全く面白味もなく、正直勘弁してもらいたい限りなのだが、今日くらいは我慢して聞いてやってもいいか……ってなんだかそんな気になれた。
こういうの初めてなんだろ?
15年間生きてきて、誰かにこんな風に恋人の話できるのなんて初めてなんだよな?
クラスの女子が集まってクリスマスやバレンタインの予定で盛り上がってるのを見て、本当はずっと羨ましかったんだよな?
自分もその輪の中に加わりたい、ってそう思ってたんだよな?
よかったな。
明日からお前も晴れてその仲間入りだ。
だからしっかり練習しとけ。
沢北春が、自分の彼氏が、一体どれだけ素晴らしい人物なのか、いつでも自慢出来るようにな。
いや、違う……か。
そこまで考えて俺は首を振った。
本当は聞きたいんだ。
俺はお前の話を聞きたい。
もっと聞きたい。
嬉しそうなお前の声をもっと聞いていたい。
お前が幸せだと、なぜか俺もそんな気持ちになれるから。
俺の心も幸福で満ちていくような気がするから。
『……それでさーほんっと沢北君優しいんだよ! 帰りもわざわざ私の駅まで電車乗ってくれてさ! 逆方向なのにだよ!? ああ……本当に夢みたい……』
そこで梨子の声が途切れた。
どうせまた沢北の顔でも思い出しているのだろう。きっと今まで何度もそうしてきたように。
もういい。
十分満足だ。
「これで俺の役目も終わりだな」
俺の携帯のマイクが久々に音声を拾う。
そう、いつ切り出そうかと思ってなかなか機を捉えられずにいた言葉。
『……へ? 終わり?』
梨子はすっとぼけたような声を出す。
「終わり……だろ? 俺は柊梨子の物語を完成させた。自分で言うのもなんだが、なかなかいい作品だったんじゃないかと思う。ちょっと分量が少なかったのが問題だけどな。あれじゃ出版は出来ん」
そう、結局B5のキャンパスノートの半分も使わずに終わってしまった小説。
『え、出版するつもりだったの!?』
「冗談だ。俺にはやっぱり書くのは向いてない。これを機に作家の道は諦めて、読者に専念しようと思う」
いくら頭をひねってみたところで、結局俺は尊敬する織姫先生の足元にも及ばない。同じ世界で勝負しようなんざ身の程知らずもいいところだ。侮辱に値する。
『そ、そっか……これで終わり、なんだね……』
「ああ、当初の契約通り俺はお前に望み通りのハッピーエンドを提供したぞ。まだなにか不満か?」
思えば梨子と出会ってまだ一ヶ月も経っていない。けれど振り返ってみれば俺と柊梨子の間にもまた様々な出来事があって、確かに一つの物語があった。
『ううん! そんな事無い! 大満足だよ! いくら感謝してもしきれないくらい……』
「じゃあこれで仕事終了だな。俺からも礼を言う、柊梨子。なかなか楽しかったよ」
だが、それも今静かに終わろうとしている。
『そっか……もう名倉君の小説読めなくなっちゃうんだ……なんか残念だな……』
いつか加西に説明したように、俺と梨子は単なる仕事仲間だったのだから。
「なんなら波乱万丈ドロドロのアフターストーリー書いてやってもいいぞ?」
元々交わるはずの無かった存在。
それが本来あるべき姿に戻ろうとしているだけの事。
『ふふ、遠慮しとく』
梨子は笑った。
『また……8組の教室にも遊びに行ってもいい?』
「ばーか、そんなヒマあったら沢北と少しでも会話の練習してろ」
『うう……意地悪』
入学当初の、まだお互いの存在すら知らなかった頃に。
本来あるべき姿に、戻ろうとしているだけ。
「……じゃあな」
『……うん』
ただそれだけの事なのに、
「……切るぞ」
『……うん』
「……」
どうして俺はこんなに淋しいのだろう。
「……ホントに切るぞ」
『な、名倉君!?』
「ん?」
『……ありがと』
何故、梨子の言葉がこれほど胸に響くのだろう。
「ああ、じゃあな」
俺は自分の言葉が言い終わるか言い終わらないかの内に電話を切った。
逃げるように切った。
これ以上話を続けていると、もうずっとその機会を逃してしまうような気がしたから。
俺はこの手で柊梨子との物語を終わらせた。
いつも梨子が座っていた、その場所を眺めながら。
俺の中で強制終了させた。




