第1話 クラスメイツ
第1話 クラスメイツ
緊張を持続させるには少々尺の長過ぎた入学式を終え、各クラスごとに体育館から教室へと戻る途中……
「ひーいらーぎさんっ♪」
「え?」
後ろから肩を叩かれ、並んで廊下を歩き始めたのは私よりちょっとだけ背の低いショートカットの女の子。
「その髪かわいいねー、西高ってもっと堅いイメージだったから驚いちゃった! いいなー私も染めよっかなー」
彼女は愛想よく私に笑いかける。
まん丸とした瞳に、屈託のない笑顔。
初対面だというのに、どうも彼女はかなり人なつっこい性格であるらしい。
「え、そ、そう? 変……じゃないかな?」
「ううん! すごい似合ってるよ!」
「へへ……ありがとー」
やはり容姿を褒められるのはどうも慣れてなくて気恥ずかしい。
でもこうしてクラスの子が話しかけてくれるきっかけになったと思うと、思い切って染めてみて正解だったかな、と思う。
「えと……確か福田さん? 名簿後ろの……」
「正解! 福田未来(ふくだみらい)、未来でいいよ! よろしくねー梨子ちん♪」
梨子ちん、って……
思わず苦笑してしまう。
本当に人見知りをしない子だ。
少し小柄だけど、元気いっぱいで底抜けに明るいスポーツ少女って感じ。いい友達になれそう……。
「うん、よろしくね、未来」
私は新しい出会いに少しドキマギしながらも、なんとか彼女に笑顔を返す。
********
同じ頃、8組の教室にて。
「なっちゃん、私達同じクラスだね! 嬉しいっ! はぁと♡」
作り物ではないかとこの目を疑いたくなるほど端正な顔立ちと、少し高めの身長に程よい胸の膨らみ。
新人類の誕生かと思わせる足の長さは、男の俺よりも腰の位置を高く据えさせ、片手で覆い隠せてしまいそうな小顔と相まって夢の八頭身を形成する。
持ち前の美しさを一層引き立てる外人のように綺麗に染め抜かれた金髪を有した彼女からは、そんな可愛い言葉よりもずっとクールビューティな印象を受ける。
だけどこういうのも悪くない。
俺の席の前でくるっとターンを決め、胸の前で小さなハートを作る。
その声はハニーチョコレートのように甘く、その笑顔はダイヤモンドの輝きのように眩しい。彼女はまさに天使のような……
「気持ち悪い声出すな、朝っぱらから」
「ちっ、せっかく人が珍しく優しくしてやったんだから少しは感謝しろ、このクズが」
悪魔。
「勘違いしないで欲しいが俺は別にお前に優しくされる事を望んじゃいない。むしろ同じクラスになってしまった事を不運に思い、激しく落胆している」
おそらく本物の天使を期待した大勢の読者の失意の分も。
「ああそうかよ」
目の前の少女はつまらなさそうに俺の前の席に勝手に腰掛ける。
「……にしても入学式後のこの時間にお前はどうして本なんか読んでるんだ。そんなんじゃ友達作りに失敗するぞ、馬鹿者」
「……」
確かに。
朝の電車の中で読んだ本の続きが気になって、つい教室に戻るや否や自分の席でカバンから文庫本を取り出してしまっていた。
こいつはこいつなりに俺の事を気づかってくれたのか。少しは感謝しとくかな……
「……そうだな、サンキュ」
本を閉じ、俺は顔を上げる。
「わかればいい」
股を開き、背もたれの上に頬杖をつく形で後ろ向きにだらしなく椅子に座った彼女は、得意気な様子でフンと鼻を鳴らした。
彼女の名は来栖絵里(くるすえり)。家が近所で幼稚園に通う前から付き合いのある幼馴染だ。
とにかく口が悪く、ガサツ、粗暴で、とてもじゃないが女の子らしいとは言えない。
ただ見た目だけはなかなか良いので、事情を知らない気の毒な男子が交際を申し込み、返り討ちにされたという話も何度か耳にしたことがある。
まあ正直なところ、そんな性格だから男の俺としたら付き合いやすいというのもあるのだが。
「しかし……お前まだあんな本ばかり読んでるのか?」
絵里はバカにしたような目で俺を覗き込んでくる。
「……うるせー、ほっとけ」
俺はそんな絵里の視線から逃れるようにして顔を背ける。思春期の若者には触れて欲しくない事だってあるのだ。
「そんなんだからいつまでたってもお前には彼女が出来んのだ」
グサッ。容赦ない追撃。
くそっ、腹が立つ……腹が立つけど、きっと絵里の言う事は正しい。だから俺は何も言い返せない。
「……お前、わかってるよな?」
「ああ? ……言わん、安心しろ」
呆れた、とでも言いたげに大きな溜息をつく絵里。
わかってる。本当はコイツは俺の事をバカにしてるんじゃない。心配してくれてるんだ。
絵里しか知らない、俺の秘密。幼馴染だからこそ知ってる俺の秘密。
絵里はずっとそれを秘密にし続けてきてくれた。だから俺は絵里を信用できる。
改めて教室を眺め回す。
あちこちで談笑する生徒がいて、緊張してぎこちないやり取りが続いてる二人組もいれば、すっかり打ち解けた様子で連絡先を交換し合っているグループもいる。
窓から差し込む力強く暖かい春の日差しに包まれて、皆が皆これから始まる新生活に大きな希望と不安を織り交ぜた表情を浮かべている。
何だか清々しくもあり、心許なくもある。今日だけの儚い一瞬の風景だ。
ふと視線を戻すと、絵里は俺と同じように教室を眺めていた。
まるで自分達だけはその光景から取り残されてしまったかのようにどこか遠い目をして。
「なぁ、絵里」
「んー?」
紙パックのジュースを口に加えたまま、返事ともなんともつかない声をあげる絵里。
「俺、変われる……かな?」
「なにが?」
「……いや、何でもない」
変わりたい。
こんな雰囲気の中にいるとちょっとぐらい自分も希望を持ったって許されるような、何とかなるような、そんな気持ちになった。
……まったく、俺らしくもない。
絵里は空になったジュースのパックを膨らませたりへこましたりして弄びながら、相変わらずそこに腰かけている。
そういや、コイツ勉強も出来たのか……
ふとそんなことが頭をよぎる。
意外というかなんというか……キャラ設定的にあり得ないだろ、普通。
負けじと俺は俺で自分の取り柄を探してみる。
「……はあ、やめやめ」
もちろんそんなもの何一つ見つからない。
これが俺。等身大の今日の俺。
********
「ねぇ梨子、今日一緒に帰ろ?」
あの後、教室に担任が戻ってくるとクラス全員の簡単な自己紹介が始まった。
人前で話すのはあまり得意では無いけれど、なんとか大きな失敗をすることもなく無事に自分の番を終え、私はほっと胸を撫で下ろした。
続く未来はやはりこの時も元気いっぱいで、「私の名前は福田未来。福に未来でなんか超幸せな感じでしょ!!」なんてユーモア溢れる自己紹介で教室中の笑いを誘った。
この子はムードメーカーだな……
名前と出身校を言うだけで精一杯だった自分が情けなくなって、思わず笑ってしまった。
そうそう自己紹介で忘れてはいけないのがあの沢北君。席から立つなり周りの子達がざわつき始め、未来までも「あの人カッコイイよね」って耳打ちしてくるほどの人気っぷり。
中学校の時はサッカー部のキャプテンに生徒会長を掛け持ちしていたという事実が知らされると、いよいよクラスの女性陣から「へぇー!」とか「すごーい!」とか黄色い声が入る始末。あれじゃ他の男子はさぞ面白くなかったことだろう。
そして私はというと彼の発表中、何故かずっと恥ずかしがってうつむいているだけ。
今思うとすごく後悔。なんの気兼ねもなく沢北君で目の保養ができるせっかくの機会だったのに……
そんな事を考えていたらいつのまにか初日のHRが終わってた。
Time flies so early.
「うん、いいよ。帰ろっか」
「よーし、ちょっと待っててねー」
そう言うと未来は席を立って、どこかにパタパタと駆けていった。
本当に上履きの底をパタパタと鳴らしながら走っていくのだから、彼女はアニメ化されるに相応しい素質をそのままもってして生まれて来たのだ。
おお……と低い唸りにも似た感嘆の声をあげざるを得ない。
教室の隅に集まって会話をしてた女の子三人組の前で足を止めると、未来はその中で一際目を引く一人の少女となにやら話を始めた。
二言三言言葉を交わして会話を切り上げると、彼女はその相手の女の子と一緒に私のところへ舞い戻ってきた。
「はじめまして、梨子ちゃん」
肩の近くまである綺麗な巻髪。少し垂れがちな目はおっとりとした印象を与え、柔らかく丁寧な物腰からは彼女の上品さ、育ちの良さがうかがえる。
まるでどこかのお嬢様のようだと私は思った。
「あーえっと……神宮寺さん! ……だよね?」
「穂奈美、でいいよ」
少しおずおずとした私の訊き方に、彼女は落ち着いた笑顔で応えてくれた。
彼女の名前は神宮寺穂奈美(じんぐうじほなみ)。確か音楽鑑賞が趣味だと言ってた気がする。
自己紹介の時に「綺麗な子だな……」なんて思いながら話を聞いていたのを思い出した。
「穂奈美は中学校のとき私と塾が一緒だったんだ! ね、ナミナミー!」
ナミナミ? この子のあだ名かな? 少し変わってる……
穂奈美は未来の言葉を受け、「もぅ、何その呼び方」と言ってふくれっ面をした。
か、かわいい……
彼女の少し間の抜けた仕草には女の私でも思わず魅入ってしまう。
穂奈美はそんなどこか優しい魅力を持った子だった。
「そういうわけで、私も御一緒していい?」
「うん、もちろん!」
――こうして高校生活初日は無事終わった。
無事、どころか自分でも信じられないくらいの大成功といってもいい。
未来に穂奈美……まさか入学式初日から早速友達が出来るとは思ってもみなかった。
しかも相手の方から話しかけてきてくれるなんて、中学校までの私じゃ絶対に考えられなかったこと。
見た目だけでも明るく思われるようにしようって髪の色を変えて、それがきっかけで未来達とも仲良くなれて、なんだか怖いくらい出来すぎている。
でも中身はまだ全然ダメなあたしのまんまだ。
彼女達みたいに初対面の人に話しかけていく勇気は無いし、沢北君に話しかけられたときだって緊張して何一つまともに話せなかった。
本当に頑張らなくちゃいけないのはここから……!
「……よし!」
ベッドで仰向けになり、上に突き出した手を硬く握り締める。
それにしてもカッコよかったな……沢北君。
掲示板の前で見た今朝の沢北君の笑顔を思い出し、私はまた一人恥ずかしくなって枕に顔を埋めた。