第16話 GW大作戦(5) シュガーライクサワーナイト
第16話 GW大作戦(5) シュガーライクサワーナイト
気がつくと寝ていた。
あの後、あの事件の後、どうも俺は皆の所合流する気にもなれず、着替えを終えて出てくる梨子を待つ気にもなれず(なんというか、これは顔が合わせづらい)、一人部屋へと戻った。
そしてすることもないのでベッドに倒れこんでいたら、気がつくと寝ていた。
ふと目が覚めたので部屋を見回してみると、残りの三つのベッドもすでに全て埋まっていた。天体観測組も適当な所でお開きとなったのだろう。
部屋の時計を確認する。
四時だった。
俺が小説を書き終えて下へ降りてったのが一時前だったから、福田と話をしていた時間を除いても三時間弱は眠っていたのだろう。
そこで俺は自分だけが寝間着でないことに気づく。
そういえば結局風呂入り損ねたんだった……わけあって。
「シャワーでも浴びに行くか……」
皆を起こさないようにそっと部屋を抜け出る。
住人の寝静まった夜のコテージは静かだった。
周りに民家も無いこの辺りでは、音の発生源といえばもっぱら俺達くらいなもの。
普段の生活じゃ絶対に味わう事のできない静かで幻想的な夜。
廊下に出てみると、電気は全てつけたままにしてあった。
まあ自分の家でも無いので節電にそこまで気を使う必要もない。むしろ下手に照明をいじってしまうと、スイッチの位置がわからなくなり、夜トイレに行きたくなっても行けなくなってしまう。
そんな風に誰かが考えたのだろう。差し当たり沢北か神宮寺あたりだろうか。
俺としてもそれは有り難い限りで、おかげさまで何の迷いもなくバスルームを目指すことができる。
まだ意識がもうろうとする中、とりあえず変な角に小指をぶつけない程度には注意をしながらふらふらと板張りの床を歩き、ようやく目的地へと到着。
俺は夜気でひんやりとした金属の取っ手に手をかけると、無造作にその扉を開いた。
…………ん?
部屋の中は明るく、奥には何やら人影のようなものが。
それは目を丸くして驚いている少女のようでもあり……って……絵里?
「き、貴様っ!!」
「すまん!!」
彼女の悲鳴によって俺の意識は一気に覚醒し、開けた扉を慌てて閉める。そして中から開けられないよう、両手で取っ手を必死におさえ込んだ。
逆上した絵里なら本当に殺されかねない。先ほどまでとは一変、俺は鬼気迫る思いで絵里に対する謝罪と自己弁護の文章を頭の中で構築する。
なんだか今日は嘘みたいな事がよく起こる日だ。アニメ化するならこれほど面白い回は無いだろう。
しかし、絵里のやつもよく発育して……ってあれ?
そこまで考えて俺はふと違和感を覚えた。
絵里、服着てたよな……
俺はもう一度扉を開ける。そして再び絵里と目が合う。
…………
二人の間に沈黙が流れる。
絵里は生まれたままの姿なんかではなく、着の身着のままの、いわゆるパジャマ姿だった。
期待した読者の方申し訳ない。
「……なんでお前怒鳴るんだよ」
「いや、何となくそんな展開を期待されている感を察した」
普段空気の読めないお前が、そんな訳も分からん読者心情を察するな。
はあ……
絵里が珍しく披露した茶目っ気のせいで、まったく俺は無駄な気苦労を被ってしまった。
というか、そもそもここはバスルームでもない。寝ぼけて俺は隣の洗面所の扉を開けていたのだ。
「どうした、寝れないのか?」
何はともあれ、そこでボーっと突っ立っている絵里に声をかける。
「いいや、多分お前と同じだ。寝てたが、目が覚めた」
ああそうか、こいつかなり長いこと外で昼寝してたんだっけ。そりゃ調子狂うわ。
「んじゃ、少し話でもするか?」
「付き合ってやってもいいぞ」
まあ結局はお互いすぐには寝付けなさそうな予感がしてたのだろう。
少しのやりとりで二人とも何となくそれを望んでいたことがわかった。
「じゃあちょっとシャワー浴びてくるからリビングで待っててくれ。あ、寒いから上羽織っとけよ」
俺は今度こそ間違いなく脱衣所の扉を薄く開け、そこに生まれたままの神宮寺穂奈美がいない事を確認してから中へ入った。
********
「よっ、待たせた」
絵里はリビングのソファに膝を抱えて座っていた。
結局俺の言いつけ通りに上を羽織ってこそいなかったが、部屋の暖房は入れていたようだ。
しかし、なんでこいつはこんな暗がりにいるんだ? 電気くらいつけろよ……
そう思って照明のスイッチに手を伸ばしかけた俺を、絵里は制した。
「いい」
彼女は相変わらず背中を向けたまま、言葉だけを投げて寄越した。
「この方が……落ち着く」
俺は一瞬逡巡した後、上げた手をそのまま下ろした。
……まあそうだな。
確かにこんな時間に部屋を明るくしたら、余計感覚が狂って目が冴えてしまう。
暗いといっても廊下の電気はついているので何も見えないというわけではない。
相手の表情まではわからないにしても、どこにいて、どんなポーズをしているかくらいは十分に見分けがつくくらいの明るさだ。
「よいしょ、っと」
俺は絵里の隣に腰を降ろす。こちら側のソファからだとちょうど正面にウッドデッキが見える。
「親父くさい声出すな」
「はいはい」
相槌を打つようなつもりで、絵里の言葉を軽く聞き流す。
しかし、こいつも意外性が無いな……
絵里は普通のジャージ姿だった。
どこのブランドまでかは暗くて良くわからないが、おそらくナイキとかアディダスとかそのあたりのメジャーブランドの物だろう。
まあ福田みたいなあんな服を着て欲しいとまでは思わないけれど……
本人はただラクだからという理由で着てたのだろうが、あの服はどこか殺人的でもあった。
あの後ちゃんと福田は上から何か羽織ってくれたのだろうか? 保護者的な立場で心配になる。
絵里が女の子らしくうさぎやクマの絵の描いたパジャマを着てたらそれこそ別の意味で殺人的だな……
なんて下らない想像をしていると、
「なに人をジロジロ見ている。今更になって私に発情したか? この下等生物が」
「いーや、発情じゃなく発狂しそうだったのさ。ん、発育……」
「意味分からん事を抜かすな、下衆」
案の定絵里に罵倒された。
発育ねぇ……
絵里のスタイルの良さは昔から嫌というほど間近で見せつけられてきたが、改めて思い返すと梨子のアレも意外となかなかのもんだった。
いや、何も裸を比べてるわけじゃないぞ。いくら俺でも絵里のヌードは見た事がない。
……ってなんか俺この数時間ですっかりエロキャラへと転じていないか? なんだ! このキャラ崩壊!
沢北といい、福田といい、今日は皆自分のキャラを忘れ過ぎだ!
ラスボスが沢北だったと知ったら、裏ボスが福田だった! まして、真に倒すべき相手は自分だった! 的な、そんな一昔前の王道RPGのシナリオにでもするつもりか、著者は?
頼む、お前だけはそのままでいてくれよ……絵里……
「なにかお前の目からとんでもないプレッシャーを感じるのだが、気のせいか……?」
高校生の夜は長い。
「なあ絵里。お前どうして旅行に来る気になったんだ?」
「私が来たら迷惑だったとでも?」
うう……来たか、来栖節。
俺の口を出た時は何でもない質問だったのに、一度絵里を介してしまうと、それらは全て聞いてはならぬタブーであったかのような、そんな質問にすり替えられる。
「そんな事は言ってないだろ。俺はお前が来てくれて喜んでんだ。ほら見ろ、俺はこんなにも笑っている」
「今すぐにその顔面の皮を穿いでこい。薄気味悪くて殺意を覚える」
くそ、精一杯の笑顔のつもりだったのに、何だってんだ。
しかし、俺は挫けん。来栖絵里という名の生物兵器に対する耐性だけは、俺はこの世の誰にも負けない自信がある。
「いや、なんつーかお前こんな風に人と馴れ合うのって昔から嫌ってただろ? 煩わしい、とか言って」
来栖絵里は極端に友達が少ない。俺以上に少ない。というか俺は友達で無く幼馴染で、ボンはどちらかと言えば従僕に近い存在だから実質その数は0か。
嫌われてる訳じゃないんだけどな。
前にも話したとおり、絵里は中学の頃からファッションリーダー的存在であって、女子の憧れの的でもあった。
実際今のクラスでも絵里に話しかけてくる女子は大勢いるし、彼女達は絵里の事をおそらく「友達」だと思っているだろう。
しかし他人から「友達」だと思われるのと、自分が他人を「友達」と思うのはまた別の話だ。絵里にはその後者の意味で友達がいない。
何故そうも人と馴れ合うのを嫌うのか。
絵里は究極のところ自分が他人と相入れる事のできる人間では無い事を理解しているのだろう。
絵里の性格の悪さは、視点を変えれば桁外れな不器用さの現れだ。
彼女は他人にお世辞を言ったり、話を合わせたり、愛想笑いをしたり、そんな現実世界を生きて行く上での必要最低限の社交辞令の一切をしない。
普通の人間なら全く意識せずとも口にしている小さな嘘の一つや二つもつく事が出来ない。
……不器用さゆえに。
優しくしたいのに、思いと裏腹の事を言って相手を傷つけてしまう。一緒にいたいと願えば願うだけ、願った相手を自らの手で切り刻んでしまう。
だから絵里は求めなくなった。関係を。人と人との暖かい触れ合いを。
気付けば絵里は一人だった。そして口癖のようにこう言うようになったんだ。
――煩わしい。
だから絵里が、彼女にとってこんな「煩わしい」ことこの上無いような旅に参加しているという事自体、俺にはまだ信じられなかった。
中学の修学旅行でさえ、あの三年間で最大の学校行事で、おそらく一生記憶に残るであろう大イベントでさえ、ただ「煩わしい」の一言で欠席したあの絵里が、である。
しかし絵里は笑った。
そんな「煩わしさ」の中に身を置きながらも、あろうことか笑った。
「変わろうとしてるのが自分だけだと思うな、この馬鹿者が」
そう言って俺に少し苦いような笑みをみせた。
そうか、絵里も変わろうとしてるのか。
中学を卒業して、高校に入って、彼女も彼女なりに色々と考える事があったのだろう。
今までの自分にちゃんと向き合い、見つめ直し、反省し、そして変わろうと決意した。
俺は同じような人物を他にもう一人知っている。
そう、柊梨子だ。
形は違えど、ありたいと思う姿は違えど、彼女達は結局の所同じなんだ。
過去の自分を振り返り、それを克服する事で目指すべき大人になろうとしている。どこまでも不完全な子供から、ちょっとだけ完璧な大人に。
不器用ながら、不細工ながら、それでも一歩ずつ泥臭い努力を重ねている。
惨めかもしれない、スマートではないかもしれない、だけどそんな彼女達は何よりも輝いていて、美しい。
近づき過ぎると灼かれてしまう太陽みたいな眩しさを俺達は羨ましくも思い、同時に嫉妬する。
いや、本当はみんなそうなのかもしれない。
あの福田だって、沢北だって、加西だって、神宮寺だって、ボンだって、皆変わろうとしているのかもしれない。
いつまでも子供じゃいられない。そんな事とっくにわかっていて、何か内に秘めたる決意を持って、今を生きているのかもしれない。
皆が皆のあるべき自分を目指して。
変わろうとしてないのは、俺だけだ。
自分だけが被害者面して、不幸な運命を演出して、悲劇のヒーローを気取って……
それで一体俺は誰の同情を誘おうとしてるんだ?
くだらない。
どうして俺はこんなにくだらないんだろう。
人が変わろうとしているその姿を、誰よりも近くで見ているはずなのに、どうして自分には無理だと決めつけ、最初から努力もしないのだろう。
くだらない。
これだけわかっているのに、変わろうとしない自分のくだらなさをわかっているのに、それでもまだ俺は一歩を踏み出せない臆病者だ。
くだらない。
こんなくだらないお前なんか……
「俺も……俺も、変わりたい……」
気付けば俺は泣いていた。
暗がりの中、絵里の腕に抱かれ、嗚咽を噛み殺すのに必死だった。
「知ってるよ」
絵里は優しく俺を受け止めてくれる。何もかも許してくれる。俺の弱さも、醜さも、くだらなさも、全部。
ああ、思い出した。
昔から俺は泣き虫だった。
……そして側にはいつも絵里がいた。
弱い者同士、そうやって傷を舐め合いながら育ってきたんだ。
暗くてお互いの表情もよく見えないのを良い事に、俺はいつまでもそうやって絵里に甘えていた。