4. 進言(T)
久々にナディアとの逢瀬を楽しんだ翌日の夜、エルディックはテミスリートの部屋を訪れた。
「こんばんは、兄上」
「あ、ああ」
「どうぞお入りください」
異母弟に部屋に招き入れられ、勧められるまま、エルディックは席に着いた。程なくして、ゆらりと湯気を立ち上らせるカップを目の前に置かれる。
「どうぞ」
「あぁ・・・」
歯切れの悪い返事をするエルディックに、テミスリートは目を瞬かせた。
「何か?」
「いや・・・」
あまりにも普段と同じ対応に、戸惑ってしまうとは言いがたい。気分的に負い目がある分尚更だ。
更に顔を顰めるエルディックをしばし眺め、テミスリートは溜息をついた。
「ここ数日、いらっしゃれなかったことを気にしておられるのですか? 気にせずとも良いと申し上げたはずですが」
「・・・・・・しかし・・・・・・」
前日にナディアの所でゆっくり過ごしたエルディックとしては、何となく後ろめたさがあったため、いくら気にしないと言われても感情がついていかない。
眉を顰めるエルディックを見て、テミスリートは説得を諦めた。
「・・・冷めないうちに、お召し上がりくださいね」
心の中で溜息をつくと、テミスリートは自分のカップにも茶を注ぎ、席に着いた。1人でカップを睨みつけるエルディックを余所に紅茶を堪能する。やがて、まだ顔を顰めているが顔を上げたエルディックに、テミスリートは気づかれないよう忍び笑いを漏らした。
「・・・・・・テミス」
「はい」
「ナディアが、お前の祝辞を気にしていたぞ。一体、何のことなんだ?」
「その内、分かりますよ」
ニコリと笑うテミスリートに、エルディックは眉を寄せた。
「・・・理由を言わぬなら、祝辞も言わなければ良かっただろう」
「思わず、口に出してしまったのです。反省しております」
「ならば、理由を告げても良かろう。良い話であれば、ナディアも喜ぶのだし」
祝辞なのだから、少なくとも良い話の筈だ。言わない理由が思いつかない。胡乱げなエルディックの視線に、テミスリートは言葉を濁した。カップを置き、エルディックから視線を逸らす。
「・・・・・・まだ、あまり知られたくは無いのです。どこから漏れるか分かりませんから」
感情の見えない静かな目が、エルディックを射抜く。
「一月もすれば分かると思います。多分・・・ナディア様の方が早く気づかれると思いますので、ナディア様からお聞きください」
「・・・・・・分かった」
エルディックは大きく息を吐いた。
「(頑固者め)」
テミスリートなりに考えがあってのことだろうが、1人で抱え込んでしまうのを見ているのは辛い。前は何でも相談してくれていたから余計に。
エルディックは再び紅茶を楽しむテミスリートを眺めた。
「(・・・・・・少し、痩せたか?)」
1週間ぶりに顔を合わせたからそう思うのかもしれないが、また少しやつれたように見える。顔色はそれ程悪くはないが、覇気が無い。単に寝起きだからだろうか。
「(侍女を付けられれば良いのだがな・・・)」
テミスリートの部屋には側室付きの侍女は来ない。シェーラが部屋に施した力により、テミスリートの存在を知るものにしか部屋を見ることも入ることもできないようになっているため、気づかないのである。あまり存在を知られない方が良いため、そのままにしているが、その分エルディックの目が届きにくい。自分が来ない限り、倒れていたとしても気づかれないだろう。幸い、ナディアが茶会の時の様子を伝えてくれるため、多少は安心だが、自分もナディアも暇ではない。
まめに気遣ってくれる者が欲しい。
「(あれには・・・頼みたくは無いしな)」
エルディックは視線を寝室の扉に向けた。
以前紹介された、口の悪い隼姿の魔物を思い起こし、ギリと奥歯を噛みしめる。
「(・・・まさか、あれのせいで調子が悪いのか?)」
人間や魔女を糧とする魔物を傍に置いているのだ。疲れていても不思議ではない。
テミスリートは辛いことがあっても自分で何とかしようとしてしまうことが多いため、自分に何も言わないだろうことは簡単に予想がつく。
だからと言って、手をこまねいているつもりはない。
エルディックは険しい顔をテミスリートに向けた。
「テミス」
「はい?」
「あれに何かされたら、すぐに言え。力ずくでも追い出してやる」
「・・・・・・・・・・・・はい」
憎憎しげに寝室に目を向けるエルディックに、テミスリートは肯定を返さざるを得なかった。
何せ、扉を壊しかねないほどの視線である。ついでにその周囲に渦巻く、徒人には見えない瘴気も濃い。
ここで異を唱えれば、怒り出すのは明白だった。
何とか関心を逸らせようと、テミスリートは寝室の扉を注視しているエルディックに慌てて声をかけた。
「あ、あのっ」
「ん?」
「兄上にお願いしたいことがあるのですが」
テミスリートの言葉に、エルディックは顔をそちらへ向けた。一瞬にして、渦巻いていた瘴気が霧散する。
普段の無表情でまじまじとテミスリートの顔を凝視すると、少し言い辛そうな、それでいて縋りたそうな様子でこちらを軽く上目遣いに見上げている。
エルディックは思わず自分の頬を抓った。
「あ、兄上?」
「(・・・・・・痛い)」
夢ではない。エルディックの目尻が軽く下がった。
以前からあまり願望を語らないテミスリートに"お願い"されることは、エルディックのみならず家族全員にとって最も嬉しいことだった。まだ自分と家族の立場を理解していなかったテミスリートが「家族皆で一日過ごしたい」と言ったため、父ランバートは政務を一日自主的に休み、そのせいで臣下たちから大目玉を食らうという出来事もあった。そのせいで自分から"お願い"することを全くしなくなった異母弟に、エルディックは何度も「何か願いはあるか?」と尋ねたが、「もう充分」と返されて切ない思いを味わっていた。
もうほとんど諦めかけていたときに言われた、しかも、魔物にではなく、自分への"お願い"である。
「私に出来ることなら、何でも言うといい」
目に見えて上機嫌なエルディックに、テミスリートはたじたじになった。
「え、えぇと・・・・・・」
「遠慮しなくていいぞ」
どう切り出してよいか悩むテミスリートを眺め、エルディックは滅多に崩さない相好を崩した。穏やかな心地で紅茶を楽しみ、次の言葉を待つ。
「・・・・・・サリヴァント伯爵嬢のことなのですが」
「ふむ」
「お父君から、後宮辞退を促されたそうです」
その言葉に、エルディックは軽く眉を顰めた。
「それで?」
「彼女は辞退したくはないそうなので、兄上からサリヴァント伯に強制辞退が叶わぬよう進言しては頂けないでしょうか?」
「ふむ・・・」
エルディックは考え込んだ。
サリヴァント伯は野心家であるが、その娘であるイオナが正妃の位や王との関係に興味が無いことは、後宮内では知らない者はいないほど有名である。それに、ナディア経由でテミスリートと仲が良いとも聞いている。
野心のない側室を追い出すつもりはないが、大抵そういった側室は余所に嫁ぐために後宮辞退を望むことが殆どであるため、イオナの後宮に留まりたいと望む気持ちはエルディックには理解しがたかった。
「・・・何故、辞退を拒むのだ?」
「以前も申しましたが、彼女は男嫌いですから。後宮では兄上がナディア様一筋でいらっしゃる限りはお手つきにされる心配もありませんし、帰還して他家に嫁がされるよりは良いと考えているようです」
「・・・・・・そうか」
エルディックとしては、ナディア以外と関係を持つ気は全くない。無事世継ぎが生まれてしまえば、事情があり帰還の適わない側室以外は全員実家へ帰還させるつもりでいる。
だから、イオナが後宮に残ったとしても全く問題ない。
「・・・分かった。サリヴァント伯にはこちらで話をつけよう」
娘を気に入っていると暗に匂わせば、サリヴァント伯もあえて呼び戻そうとはしないだろう。それでも呼び戻そうとするなら、虚言になってしまうが関係を持ったと口裏を合わせてしまえばいい。部屋で一夜過ごせば、後は周囲が勝手に噂を撒いてくれるだろう。
エルディックは大きく頷いた。
「よろしくお願いいたします」
安堵したように表情を和らげるテミスリートに、エルディックは口の端に笑みを乗せた。
「・・・しかし、お前もなかなかやるな」
「え?」
「サリヴァント伯爵嬢を帰還させたくなかったのだろう?」
今までほとんど頼ってこなかったテミスリートが自分に進言を頼むのだから、彼にとってそれは余程重要なことだったのだろうとエルディックは感じていた。
しかし、本人は困ったように目を瞬かせている。
「・・・否定はしませんが、彼女がそう望んでいたから叶えてあげたいと思っただけです。帰還を望んでいたら、進言しようとは思わなかったでしょう」
「・・・・・・自覚が、ないのか?」
「?」
「サリヴァント伯爵嬢を好いているのではないのか?」
エルディックの問いに、テミスリートは軽く俯いた。
「・・・良く・・・分かりません」
「分からない?」
「帰還するかもしれないと言われた時、それを嫌だと思ったのは確かです。ですが、彼女が自分の意思で帰還を望んでいたのなら、無理に引き止めたくはなかったのです。彼女には・・・自由でいて貰いたいですから」
そう言って微笑するテミスリートにどのように声をかければいいか分からず、エルディックは空のカップに視線を落とした。
「・・・・・・そうか」
読んでくださり、ありがとうございます。