1. 祝辞(N)
あらすじにも載せましたが、ここにも載せさせて頂きます。
この作品は『正妃様の憂鬱』、『弟君の受難』の続編となります。
どちらかをご一読した方向けの作品なので、どちらかをお読み頂くか、『アトランド国設定資料集』で登場人物と用語集を一読してから読まれる事をお勧めします。
<追記>
この作品は主人公視点ではなく、時系列で物語が進みます。そのため、各話が繋がっていない場合もあります。
分かりにくさを少しでも解消するため、主にナディアが関係する話には(N)、主にテミスリートが関係する話は(T)、主にイオナが関係する話は(I)と題名の後ろに記述し、それによってページごとの色分けを行っています。
ナディアとエルディックが帰還して、一月が経過した。ナディアは時折王宮と後宮を行き来し、正妃としての役割を果たしていた。役割と言っても、まだ子をなしていないナディアにはそれほどの大役が回ってくるわけではない。せいぜい、国の重役に就いている貴族の挨拶を受ける程度だ。
しかし、貴族同士の交流はなかなかに骨の折れる仕事である。本心を隠しこちらを伺う者や、こちらを自分の勢力に取り込もうと弱みを探す者の中で、相手に有益な情報を掴ませないように立ち回るのは慣れていても難しい。
そんな狸の化かし合いに疲れたとき、ナディアは一通の手紙をしたためる。
「こんにちは、ナディア様」
見慣れた灰色のローブを纏い、包みを持って訪れた義弟をナディアは笑顔で迎えた。
「テミス様、お待ちしておりましたわ。さ、お座りになって」
「畏れ入ります」
言われるまま、包みを侍女に頼み、テミスリートは席に着く。机の中央に用意された空の皿と茶器を見、心の中で苦笑した。
「(何てあからさまな・・・)」
ちらりとナディアに視線を向けると、侍女が包みを開き、中から取り出した菓子を空の皿に盛りつけるのを目を輝かせて見ている。テミスリートの視線に気づき、ナディアはバツが悪そうに笑った。少し頬が赤らんでいる。
「だって、楽しみだったのですもの」
「先日もお持ちしましたのに・・・」
「でも、同じものではありませんでしょう? それに、テミス様のお菓子は絶品ですもの」
「・・・・・・ありがとうございます」
力説するナディアに、テミスリートは困ったように微笑した。
ナディアのストレス解消法の一つ。それはテミスリートとの私的な茶会である。本音と建前を使い分ける貴族の付き合いの中で、エルディックの弟であるテミスリートは自然体で接することができる数少ない人物である。それに、訪問の度に持ち込まれる菓子も、ナディアはかなり楽しみにしていた。貴族御用達の店では置かれないような素朴な菓子も珍しくて嬉しいし、それ以外の菓子も出来立てを持ってきてくれるため、とても美味しいのだ。
後宮では甘味を作れる料理人は少ないし、店から取り寄せると時間が経ってしまって味が半減するため、出来立ての菓子を楽しめるのは贅沢なことであるから何よりもありがたい。
侍女が退出し、目の前に切り分けられたレアチーズタルトをナディアは軽く断りを入れて口に運んだ。
「美味しいっ」
「ナディア様、毒見は・・・?」
「大丈夫ですわ。テミス様のお手製ですもの」
「・・・・・・」
警戒心0で幸せそうにタルトを食べているナディアを眺め、テミスリートは困ったように眉を顰めた。
信頼してくれているのはありがたいことであるが、第三者が毒を仕込む可能性は全くないわけではないのだ。疑いたくはないが、侍女が毒を仕込むこともありうるのである。侍女にそのつもりが無くとも、用意された食器に毒が塗られている可能性は無いわけではない。
「(今回は大丈夫だったけど・・・)」
一度だけ、焼き菓子の詰め合わせを持ってきた時に、その中の一つに毒を仕込まれたことがある。こっそりと回収し、事なきを得たが。
「(正妃としての責務はきちんとこなされているけど、詰めが甘いな)」
正妃になってから、あからさまに増えた嫌がらせや刺客の類のことをナディアは知らない。気づかれる前にテミスリートが対処しているためだ。
しかし、危機感だけは持っていて欲しいものである。
「(世継ぎが生まれてしまえば、大丈夫なのだけど・・・)」
実は、正妃に決まってから世継ぎが生まれるまでが最も正妃への襲撃率が高い。正式に正妃と認められても、世継ぎを生む前に亡くなれば他の正妃を立てる必要があるためだ。シェーラの時は、後宮以外の場所ではランバートが必死になって守っていたらしい。魔女の技を持っていたシェーラと違ってナディアは自分の身を守る手段を持たないため、常時エルディックに守ってもらった方が良いのだが、エルディックは政があるため後宮までは手が回らない。そこを補うのは自分の仕事である。
「テミス様は召し上がりませんの?」
「いえ・・・頂きます」
きょとんと小首を傾げているナディアに軽く笑みを向け、テミスリートは自らの前に置かれたタルトを口に運んだ。チーズの酸味と砂糖の甘さが程よく混じり、上品な味に仕上がっている。
しかし、先程居候にしこたま食べさせられてきた身としては、少しむつごい。
「(イーノ、最近色々作るからなあ・・・)」
自分でいくつか菓子を作って味を占めたのか、ここ数日はレシピを引っ張り出して勝手に作っている。それも、一つや二つではない。
その上、食べろと強要してくるのである。幸い自分で食べてから勧めてくるため、生焼けであったり、黒焦げであったりといった危険物はないが、次から次へと出してこられるととても困る。成人男性といっても捌けない量だし、テミスリートの場合それより更に食べられないのだから。
テミスリートはゆっくりとフォークを下ろした。
「(食べきれるかなぁ・・・)」
目の前のタルトが大きな壁に見える。
眉を下げ、タルトを眺めているテミスリートを見、ナディアは目を瞬かせた。
「どうか、されましたの?」
「・・・・・・あまりお腹が空いていないもので・・・」
恥ずかしいのか、少し顔を赤らめ、困ったように微笑するテミスリートに、ナディアはくすりと笑いを零した。
「まだ、昼食の時間からあまり経っていませんものね。私は甘い物は別に入ってしまいますから、大丈夫ですけど」
「・・・そう言って頂けると助かります」
「テミス様があまり召し上がれないのでしたら、少し侍女達の分を頂いてもよろしいかしら? きっと喜びますわ」
「是非、お願いします」
帰ればまた、菓子を持ったイーノの襲撃にあう気がする。少しでも減らして帰りたかったので、ナディアの提案はとても嬉しかった。
「テミス様のお菓子は人気ですのよ」
「そう・・・なんですか?」
「ええ。お菓子を食べたくて私の侍女に立候補してくれた子もいるくらい」
「え・・・」
くすくすと笑うナディアに、テミスリートは困ったように眉を顰めた。
正妃には、専属の侍女がつけられるようになる。側室はある程度の周期で侍女が変わることになっていて、その頃に気に入った侍女がいれば正妃の一存で専属の侍女にすることが可能だ。もちろん、生家から自分の侍女を呼び寄せることも許される。ナディアは生家から呼び寄せた侍女を1人と後宮の侍女を2人専属としてつけていた。
「以前、お茶に付き合ってもらった時にテミス様に頂いたマドレーヌを出したら、とても気に入ってくれて。正妃になった途端に「側仕えにして欲しい」って言われてとても驚きましたわ」
「許可・・・されたのですか」
「ええ。とても気が利くし、同じものが好きな子なら、一緒にいても楽しいですもの」
「はぁ・・・(そんな理由で、側付き決めちゃうのか)」
当然だが、正妃付きの侍女の競争率は高い。後宮の侍女と違い、正妃付きの侍女はその待遇も地位も変わる。よほど正妃の性格に難があるわけでなければ、どの侍女も正妃付きを望む。
逆に言えば、ナディアは気に入った侍女や有能な侍女を好きに選べるということである。
別にナディアの決め方が悪いわけではないのだが、もう少し選び方があるのではとテミスリートは思う。
「今は後宮に居ませんが、そのうちテミス様にも紹介しますわね」
「居ないんですか?」
テミスリートは首を傾げた。
普通、正妃付きの侍女は正妃から離れることはない。ナディアが人払いをしたため、今は部屋の中に侍女は居ないが、外で待機しているはずだ。
不思議そうな視線を向けるテミスリートに、ナディアは苦笑した。
「私に少し熱があったみたいで、王宮にお医者様を呼びに行ってしまったの。平気だと言ったのだけれど・・・」
「そうでしたか・・・体調は、悪くないのですか?」
「ええ。言われて初めて気づきましたわ」
テミスリートはじっとナディアを見つめた。顔色が悪いということもなさそうであるし、タルトも普通に食べれている。特に異常はなさそうだ。
念のため、テミスリートはナディアの身体の中を流れる力を"見た"。
魔女の力を受け継いだため、彼は自分や他者の身体を流れる力を"見る"ことができる。身体に異常があれば、その力の流れが弱くなっていたり、力の色が濁っていたりといった変化が見られる筈だ。
と、あることに気づき、テミスリートは目を瞬かせた。
「(あれ?)」
力の流れが常人とは異なっている。本来なら身体の中を巡る力が、ある1点に集まるように力強く流れていく。だからと言って、身体に異常があるというわけではなさそうである。
「(もしかして・・・)」
「テ、テミス様? どうされましたの?」
急に顔を赤らめた義弟に、ナディアは目を丸くした。
「い、いえ、何でもありませんっ」
首を振って顔を両手で隠し、俯いてしまったテミスリートを、ナディアは困ったように眺める。
「・・・・・・・・・ナディア様」
「はい?」
「・・・おめでとうございます」
顔を赤らめたまま、テミスリートはポツリと呟いた。
読んでくださり、ありがとうございます。