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堅物風紀委員:山本董子の、甘い弱点  作者: 竹屋 兼衛門


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8/8

【番外編・文化祭③】風紀委員は、役割を越えない

 文化祭も、そろそろ終盤だった。


 教室の空気は、昼間の熱をほんの少し残したまま、

 どこか気の抜けたものになっていた。


 客足も落ち着き、

 俺――新人メイド・タポルンは、給仕の合間にひとつ深呼吸をした。


「……ほら、タイが曲がってますよ」


 低く、落ち着いた声。


 山本董子――いや、今は執事・バイオレット君だ。

 彼女は迷いのない手つきで、俺の乱れたタイを整えてくれる。


 指先が布地を滑り、

 そのたび、胸元にかすかに触れる。


「忙しかったでしょう……ウィッグも」


 そう言って、ずれた前髪をそっと直される。

 慣れた動きだった。


 董子の息が、額にかかる。


 働き続けて、少しずつ崩れていた“役割”を、

 彼女は無言で、元の形に戻していく。


 ――ありがたい。


 整え終わったあとも、

 彼女の手は、すぐには離れなかった。


 親指が、俺の髪を軽く撫でる。


「タポルンさん……」


 名前を呼ぶ声が、いつもより柔らかい。


「……似合ってますよ」


 思わず、聞き返してしまう。


「本当に?」


「本当です」


 董子は、真剣な顔で頷いた。


 言葉に詰まって、

 それでも、何か返さずにはいられなくて。


「……バイオレット君こそ」


 ようやく絞り出した声。


「執事、似合ってる」


 一瞬、彼女の耳が赤くなる。


「……ありがとうございます」


 口調は執事のままなのに、

 どこか照れが滲んでいた。


 ふたりの間に、静かな熱が広がる。


 役割の外側で、

 ほんの少しだけ。


 ――その時だった。


「……あの」


 どこかで聞いたことのある男の声。


 振り向くと、花束を抱えた男が立っていた。

 赤いバラ。紙に包まれた、やけに立派なやつだ。


 妙に張り切った笑顔。

 視線が、やけに近い。


「えっと……その……」


 嫌な予感が、背中を這う。


「俺、ずっと見てて……すごく、その……」


 言葉を探す間、花束が少し揺れた。

 どう見ても安物じゃない。


「一目惚れ、ってやつでさ」


 ――来た。


「もしよかったら……俺と付き合ってくれませんか」


 ……なるほどな。

 山本董子――いや、執事・バイオレット君に惚れる男がいても、別に不思議じゃない。


 凛としてて、格好良くて。


 だが、なぜか胸に暗いものがよぎる。


「付き合ってください!タポルンちゃん!」


 教室の空気が、ぴたりと止まった。


 ……。


 ……え?


 俺?


 な、なに――っ!?


 視線が、一斉に集まる。

 逃げ場が、ない。


「え……あの……」


 どう返せばいい。

 断る?

 笑って流す?


 頭が、追いつかない。


 好意なんて、どう扱えばいい。


 ――ふと、記憶がよぎった。


 拳を交えたことのある顔。


 他校の不良死天王の一人。

 鉄拳王てっけんおう・村上。


 そうだ。


 こいつは、村上だ。


 名前が思考に落ちた瞬間、

 背筋が、ほんの少しだけ強張った。


 好意にしては、距離が近すぎる。

 善意にしては、熱がありすぎる。


 ――罠かもしれない。


 そう思った時には、

 もう、探るしかない状態になっていた。


「……なんで、私を?」


 まずは理由だ。

 作り話なら、どこかに綻びが出るはず。


「それは……仕事してる時の姿だよ」


 村上は、少し照れたように言った。


 ……そこか。


 俺の、働き。


 評価してくれるのは、正直ありがたい。

 だが――


 殴り合ったよな、俺たち。


「はーい、注目ー」


 間の抜けた声と一緒に、メイド服姿の秋山が店の看板を持って現れた。

 俺を大爆笑させた下手くそメイクのままだ。


「なんだテメェ!」

「メイド・執事喫茶がどうした!?コラ!」


 一瞬で、村上の顔が“いつもの”それに戻る。


 ……うん。

 これだ。俺の知ってる村上。


「まあまあ、落ち着けって」


 秋山は、看板の文字を指差した。


 ――《メイド・執事喫茶(性別逆転)》。


「性別逆転?」

「なんだそれは?意味わかんねぇぞ」


 ……どうやら、本当に知らなかったらしい。


「メイドやってるのが男で」

「執事やってるのが女、って意味な」


「……な、なに――」


 一瞬、言葉を失ったあと。


「……それでも」

「俺の気持ちは、変わらない」


 ……変わらないのかよ。


 正直、少し驚いた。


「こんな気持ちになったの、初めてなんだ」


 なんだよ。お前、硬派気取りだったろ。


 よりにもよって、俺に来るか。


「本気なんだ」

「文化祭が終わったら、連絡先――」


「そこまでです」


 低く、静かな声。


 その場の空気が、ぴたりと凍った。


 執事服の山本董子――バイオレットだった。


「当店は、個人的な交際を目的とした場所ではありません」


 間に、すっと立つ。

 距離を、正確に切る。


「これ以上は、他のお客様のご迷惑になります」

「ご退場ください」


 低く、落ち着いた声だった。


「俺はまだ――」


 村上は言いかけて、バイオレットの肩に手を置く。


「――タポルンちゃんの答えを聞いていない」

「どけっ!」


 その瞬間。


 空気が、変わった。


 ――次の動きは、あまりにも早かった。


 バイオレットの体が、半歩だけ前に出る。

 触れられた腕を、絡め取る。

 次の瞬間、重心が崩れていた。


 気づいたときには、

 村上の腕は後ろに回され、

 関節が、正確な角度で極まっていた。


「っ……!?」


 声にならない息が漏れる。


「暴れないでください」


 淡々とした声。

 力は入っていない。

 だが、逃げ場もない。


「これは、制圧です」


 そのまま、静かに方向を変える。

 まるで、通路を案内するように。


 客席から、どよめきが起きた。


 バイオレットは振り返らない。

 視線も、表情も、崩さない。


 ただ――

 役割を、果たしているだけだった。


「……っ、なんだこりゃ!?」


「ご安心ください。怪我はさせません」


 声は冷静だった。


「ですが、これ以上の迷惑行為は見過ごせません」


 男はそのまま、出口の方へと誘導されていく。


 ――その背中を見て。


「……待って」


 俺は、思わず声を出していた。


 バイオレットが、振り返る。


「大丈夫です。処理は――」


「いや、そうじゃなくて」


 俺は、ゆっくりと花束を受け取った。


 紙が、くしゃっと音を立てる。


 そして――


 ウィッグを外し、

 メイクを、さっと拭った。


 教室が、ざわつく。


「……あれ?」


 男の動きが止まる。


「……もしかして……」


 目を細め、顔を覗き込む。


「……よう、村上」


 その名前に、村上は目を見開いた。


「え……え?」


「やっぱり、分かってなかったか」


 俺は、軽く肩をすくめる。


「昔さ。河原で殴り合ったこと、忘れたか?」


 一瞬の沈黙。


「……あ」


 間の抜けた声。


「……世間って、狭いな」


 それだけ言った。


 否定もしない。

 肯定もしない。


 村上は、俺が手に持った花束に視線を落とし、

 頭を抱えた。


 一拍。


 何かを思いついたように、顔を上げる。


「……くくく」

「我が宿敵よ。よくぞ見破った」


 髪をかき上げ、無理に格好をつける。


「これはキサマを呼び出すための――罠だ」


「無理無理」

「それじゃ誤魔化せないって」


「むぐぐ……」


「俺もさ、こんなお前を見たくなかった」


 少しだけ、真面目に言う。


「だから――忘れよう。お互い」


 村上は、しばらく黙っていたが、

 やがて小さく頷いた。


「……分かった」


 その瞬間、

 バイオレットが、静かに技を解く。


 拘束が外れ、村上は一歩下がった。


「……絶対に忘れるんだぞーーっ!」


 半ば叫ぶように言い残し、

 彼はそのまま教室を飛び出していった。


 ……つかれた。


 俺は、その場にへたり込む。


 ざわついていた空気が、

 ゆっくりと、元に戻っていく。


「大丈夫ですか?」


 差し出された手。


 バイオレットだった。


「……助かりました」


 その手を取って、引き起こしてもらう。

 柔らかくて、温かい。


 さっきまで張りつめていた緊張が、

 指先から、ゆっくりほどけていく気がした。


 ――信じがたい。


 この穏やかな手が、

 さっきまで、あの村上を迷いなく制圧していたなんて。


 強さを誇るでもなく、

 力を見せつけるでもなく。


 ただ、必要なことをしただけ。

 そんな手だ。


 ……頼もしい、と思った。


 俺が立ち上がると、彼女は一言だけ


「役割ですから」


 それだけ告げて、静かに背を向ける。


 言葉を重ねる必要がないと、

 分かっているみたいに。


 ……


 俺だったら、タポルンちゃんなんかじゃなく、

 バイオレット君に言い寄ってただろう。


 村上は、やはり気の合わないやつだ。


 そんな事件もあったが――

 文化祭は、無事に終わった。


 ……そういうことにしておこう。




 夜。


 打ち上げは、駅前のカラオケだった。


 机の中央には、例の花束。

 立派な包装だからか、なぜか捨てづらくて、

 このメイド・執事喫茶を象徴するみたいに置かれている。


「で、次。タポルンだけど、何歌う?」


 リモコンが回ってきた。


「……もう、メイド喫茶は終わっただろ」


 言い返しても無駄だった。

 誰も彼も、自然に俺をタポルンと呼ぶ。

 訂正する気配すら、もうない。


 どうやらこの一日で、

 俺は“タポルン”として定着してしまったらしい。


 恨めしく、山本董子を見る。


 彼女は俺の視線に気づくと、

 少しだけ、いたずらっぽく笑った。


 ――そのときだった。


 イントロが、流れ出す。


 ああ。

 これか。


 田舎者が都会に憧れる、

 少し間抜けで、どこか切ない、

 昔からあるコミックソング。


 選曲したのは――

 山本董子だった。


 俺は、何も言わずにマイクを取る。


 視線が合う。

 彼女は何も言わない。


 ただ、ほんの少しだけ、笑う。


「この学校――」


 歌い出す前に、俺は言った。


「面白いよな」


 一瞬の間。

 それから、誰かが笑って、

 誰かが「だな」と頷いた。


 歌が、始まる。


 文化祭は、終わった。


 役割も、衣装も、

 今日だけの出来事だったはずなのに。


 でも――

 悪くなかった。


 タポルンと呼ばれるのも。

 この騒がしさも。


 そう思えた。

 タポルンとしても――俺としても。


 この一日は、きっと忘れない。


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