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堅物風紀委員:山本董子の、甘い弱点  作者: 竹屋 兼衛門


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1/8

第1話 ドーナツは校則より甘い

 校門の前には、朝の空気みたいに澄ました顔が立っていた。


 風紀委員だ。


 しかも、ただの風紀委員じゃない。

 校則という名の聖典を胸に抱ているタイプだ。


 彼女は、俺を見つけると一歩、こちらへ踏み込んだ。


「おはようございます。……そこのあなた」


 呼ばれる前から分かってた。

 この学校で「そこのあなた」と言われる確率が高いのは、たいてい俺だ。


「何ですか、風紀委員さん」


 俺は片耳のイヤホンを、わざと外さないまま答えた。

 音量は小さい。ほとんど環境音みたいなものだ。

 それでも――彼女の眉間に、絶対に許さないシワが寄る。


「校則を読みましたか? 登校中のイヤホン使用は禁止です」


「両耳じゃないですけど」


「片耳でも、イヤホンはイヤホンです」


 きっぱり。


 ああ、出た。

 融通ゼロの正論。勝ち目ゼロの理屈。


 俺は肩をすくめて、イヤホンを外す。

 外しながら、内心で舌打ちした。


 別に、音楽がないと死ぬわけじゃない。

 ただ――朝からこういう“正しさの圧”を浴びると、妙にムカつく。


 彼女はそれで満足したらしく、次に別の生徒へ視線を移した。

 シャツの裾、ネクタイの長さ、スカート丈。

 人間チェックリストみたいに、次々と“正しい姿”へ整えていく。


 ……風紀委員って、そんなに偉かったっけ。


 俺はそのまま教室へ向かい、席に座った。

 イヤホンはポケットの中。

 朝の静けさがやけに耳につく。


 それでも、いつも通りの一日が始まるはずだった。


 ――昼休みまでは。


 俺は教室の隅で机に突っ伏しながら、ぼんやりと周囲の声を聞いていた。

 すると、教室の前方で聞き慣れた声が弾んだ。


「えっ、あの限定ドーナツ? すごかったよね!」


 風紀委員――彼女が、クラスの女子数人と話している。

 しかも表情が、朝の校門とはまるで別人だった。


 笑ってる。

 普通に。

 楽しそうに。


「お母さんが買ってくれたんだけどさ、箱を開けた瞬間、香りが……もう!」


「分かる。あれ、休日にしか買えないって聞いた」


「そう、放課後には売り切れちゃうんだって。早いよね」


 女子たちがうんうん頷く。


 風紀委員は、腕を組んで真面目に聞いている。

 ……真面目にドーナツを。


「それなら、日曜日に行きませんか? 朝なら在庫があるはずです」


「えっ、行く行く! 一緒に行こう!」


 盛り上がる声。

 笑い声。

 その輪の中心にいる彼女は、ちょっと誇らしげで、少し照れていた。


 俺は机に突っ伏したまま、目だけを細めた。


 ……へえ。


 朝の校門で、俺の片耳イヤホンを取り締まっていた時とは、まるで別人だ。

 校則、校則って正しさを振りかざすくせに、ドーナツの話になると、あんな顔をする。


 別に悪いことじゃない。

 甘いものを楽しむのは健全だ。


 ――でも。


 胸の奥に、ちょっとだけモヤっとしたものが残った。


 校則、校則、って。

 正しいことばっかり言われると、

 それはそれで、なんかムカつく。


 ……1回くらい、

 あの澄ました顔を、悔しがらせたい。


 校則とか、風紀とか、

 あいつが大事にしてるものを破って。


 ……いや、深い意味はない。

 俺だって、そんな大層なこと考えてない。


 ざまあって思える顔が見られたら、それでいい。


 翌朝。


 俺はいつもより早く家を出て、学校とは逆方向へ向かった。

 目指すのは、昨日の会話に出てきたドーナツ屋。


 開店前から並ぶ。

 真面目じゃないとできない不良行為だ。


 シャッターが上がって、甘い匂いが街に広がる。

 俺は限定ドーナツを買い、紙袋をぶら下げた。


 時計を見る。

 完全に遅刻確定。


 でもいい。

 今日は、校則より優先することがある。


 ……もちろん、ただの嫌がらせじゃない。

 俺だってドーナツは食べたい。

 つまりこれは、正当な食欲を伴う作戦である。


 学校に着いたのは、二限目のチャイムが鳴り終わった後だった。


 職員室で遅刻届を書き、担任に軽く睨まれ、教室へ入る。

 クラスの視線が刺さる。


「まーた遅刻かよ」


「うるせ」


 席に座って、紙袋を机の中に隠す。

 甘い匂いが、そこだけ春みたいだった。


 そして放課後。


 風紀委員の集まりが終わる時間を、俺はなんとなく把握している。

 彼女は真面目だ。委員会の仕事をサボらない。

 だからこそ、狙える。


 俺は人のいない教室に残って、机に座った。

 紙袋からドーナツを一つ取り出す。

 袋越しでも分かる。表面の砂糖がきらきらしている。


 ……やっぱり、うまそう。


 俺はドーナツを口にくわえたまま、彼女が戻ってくるのを待った。

 バカみたいだ。

 でも、こういうバカが一番楽しい。


 ガラッ。


 教室の扉が開く音。

 足音。

 そして――硬い声。


「……何をしているんですか」


 くわえたまま振り向くと、彼女が立っていた。

 腕には委員会の書類。

 顔はいつもの“正しさモード”。


 俺はドーナツを口から外して、にやっと笑う。


「見て分かんない? ドーナツ」


「校内での飲食は禁止です」


「禁止だけどさ」


 俺はドーナツを掲げた。


「これ、限定。朝から並んで買った。素晴らしい。だから仕方ない」


「仕方なくありません」


 即答。


 だが、彼女の視線がドーナツから離れない。

 ほんの一瞬。

 ほんの少しだけ。


 ――その時。


 ぐぅ。


 静かな教室に、はっきり響いた。


 彼女の腹の音だった。


 風紀委員の顔が固まる。

 耳まで赤い。


「……っ、い、今のは!」


「聞こえた」


「聞こえていません」


「聞こえたって」


 俺は笑いを堪えながら、ドーナツを少し差し出した。


「食べる?」


「……いりません」


 彼女は胸を張って言った。

 だが、視線がまたドーナツに落ちる。

 落ちて、戻って、落ちる。


 ……勝てる。


 俺はドーナツを、わざとゆっくり近づけた。


「これさ、外はサクッてしてて、中がふわっとしてて。甘いけど、くどくない。しかも限定」


「うるさいです」


「日曜に行くって言ってたじゃん」


 彼女がぴくっと反応した。


「……なぜ知ってるんですか」


「たまたま聞こえた」


「盗み聞きですか」


「盗み聞きじゃない。勝手に聞こえた」


「言い訳が最低です」


 それでも、彼女の喉が小さく動く。

 唇が少しだけ、悔しそうに結ばれる。


 俺は一歩も引かず、ドーナツを差し出した。


「一口だけ。誰も見てない」


「校則は――」


「校則より、腹」


 彼女は俺を睨んだ。

 その目は、朝の校門の鋭さと同じ。

 でも、その奥に揺れているものがある。


 正しさと、食欲と、好奇心。


 数秒の沈黙。


「……一口だけですから」


 彼女はそう言って、俺の手にあるドーナツを睨んだまま、少し身を乗り出した。


「え、ちょ――」


 言い終わる前に、彼女は口を開けて、

 俺が持っているドーナツに直接かじりついた。


 指先越しに、かすかに温度が伝わる。


 もぐ、もぐ。


「……」


 彼女の目が、さっきと同じように少しだけ丸くなる。


「……ふん」


 目を背けて、ぶっきらぼうに言った。


「……やっぱり、おいしいじゃないですか」


 その声は、思ったより柔らかかった。


 俺は一瞬、言葉を失った。


 あれ?

 悔しがらないの?


 ざまあ、って顔じゃない。

 ただ、普通に嬉しそうだ。


 ……なんだ、それ。


 校門で見せる、あの正しい顔とは違う。

 今、目の前にあるのは――

 ただドーナツを美味しそうに食べて笑う、普通の女の子の顔だった。


 その笑顔が、思っていたよりずっと可愛くて。


 その瞬間、俺は手元のドーナツを見た。


 一口、欠けている。


 ――あ。


 遅れて、気づく。


 これ、俺がさっきまで食べてたやつだ。


 つまり――


 ――間接キスじゃん。


 ……いや、落ち着け。

 俺が意識しすぎてるだけだ。

 向こうが気づいてるわけ――


「……恥ずかしい」


 小さく、彼女が呟いた。


 頬が、ほんのり赤い。


 ……え?


 まさか。

 いや、まさかだろ。


 気づいた?

 今の、間接キス。


 一瞬、教室の空気が止まったような気がした。


 いやいや、違う。

 俺は別に、風紀委員とこんな恋愛イベントを期待してたわけじゃない。

 ……はずだ。


 なのに。


 顔が、熱い。

 自分でも分かるくらい、熱がこもってる。


「食欲に負けちゃうなんて……」


 彼女は俯いたまま、悔しそうに言った。


 ……ん?


 そっち?


 恥ずかしい理由、そこ?


 間接キスで気まずくなってるの、

 もしかして俺だけか?


「今回だけは……見なかったことにしてあげます」


 彼女は咳払いを一つして、

 校門で見せる、あの“正しい顔”に戻った。


「だから、そのドーナツは持って帰って、家で食べなさい」


 悔しそうに。

 でも、頬はまだ赤いまま。


 ……ああ、そうそう。


 これだ。

 これが俺の見たかった、風紀委員の悔しがる顔。


 ――のはず、だった。


 なのに。


 胸の奥から、

 「ざまぁ」って気持ちは、まるで湧いてこなかった。


 それどころか、

 さっきの小さな声と、赤い頬が頭から離れない。


 ……これ、負けじゃないか?


 いや、違う。

 まだだ。


「なにを偉そうに。共犯のくせに」


「……うぐっ」


「だったら、ここで一緒に食べ切って、なかったことにしよう」


 俺は勢いで、ドーナツを彼女の手に押し付けた。


「ど……どんな理屈よ!」


 いい反応だ。


 一口食べたなら、

 好奇心も空腹も、もう満たされてるはず。


 今度こそ突き返してくる。


 そうしたら俺だけが食べて、ざまぁって…


……いや、待て。


 それなら別に、

 突き返されるのを待たなくても、

 このまま俺が食べて終わりでいいはずだろ。


なんだ、この行動。


 ……もしかして。


 俺、こいつと

 一緒に食べたいと思ってしまったのか。


 ……風紀委員。


 そう呼びかけようとして、言葉が止まった。


 違う。


 今、目の前にいるのは——


「……山本、とうこ」


 自分でも驚くほど、自然に名前が出た。


「……“すみれこ”だから」


 小さく訂正される。


 彼女が、ぴくっと肩を揺らした。


 呼ばなきゃよかった、なんて思ったのは——

 たぶん嘘だ。


 その時。


「お前たち、何をしている」


 低い声が背後から落ちてきた。


「……っ」


「……」


 振り向くと、担任教師が教室の入口に立っていた。

 顔が完全に“説教モード”。


 俺の手にはドーナツ。

 彼女の口元には、砂糖の粉。


 完璧な現行犯だ。


「校内で飲食禁止。何度言ったら分かる」


「すみません」


 俺は即座に頭を下げた。

 こういう時、反抗しても得はない。


 だが隣で、風紀委員が固まっている。

 目が泳いでいる。

 完全に想定外だという顔。


「……風紀委員の山本さんまで、何をしている」


 教師の視線が、風紀委員へ移る。


 彼女は、ぷるぷる震えながら口を開いた。


「こ、これは……!」


 言い訳が見つからない。


 教師はため息をついて、二人を廊下へ出した。


 説教は短く、しかし痛かった。

 遅刻と飲食。

 風紀委員の立場。

 反省文の提出。


 全部、しっかり刺さった。


 放課後の廊下。

 夕焼けが窓を赤く染める。


 教師が去った後、彼女は俺を睨みつけた。


「……私まで叱られちゃったじゃない!」


「一口食べたの、そっちだろ」


「あなたが勧めるからです!」


「腹が鳴ったの、そっちだろ」


「うるさい!」


 彼女は顔を真っ赤にして、くるりと背を向けた。

 そのまま早足で歩き出す。


 だが数歩進んだところで、立ち止まり、振り返った。


「……次」


「ん?」


「次は……」


 彼女は唇を噛んで、悔しそうに言った。


「私が、あなたを正してあげますから」


 宣戦布告。


 俺は思わず笑った。


「いいね」


 夕焼けの中で、風紀委員はぷいっと顔を背けて去っていった。


 机の中には、もう一つドーナツが残っている。

 甘い匂いが、まだ少しだけ残っていた。


 俺はそれを取り出しながら、思った。


 ――この学校、思ったより退屈じゃない。

 いや、もしかしたら……俺の方が、ちょっとヤバいかもな。


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