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自称クールな氷凪くん、隣のお嬢様にだけは完敗な件  作者: aria


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プロローグ

 嶺南れいなん高校。


 もともとは県内屈指の進学校として知られ、地元では『嶺南の門をくぐるのは誉れ』とまで言われた古豪だ。

 

 統合によって校舎が現代的なデザインへと生まれ変わってからは、かつての堅苦しさは薄れ、今では伝統の規律と自由な校風が混ざり合う、この辺りでは珍しい活気に満ちた学び舎となっていた。


 校舎の裏手から聞こえる蝉時雨と、時折教室まで吹き抜ける土の匂い。そんな新旧が入り混じる真新しい廊下を、優雅な影が一つ、音もなく横切っていく。

 

「え、あんなかわいい子この学校にいたっけ?」

「お前、情弱すぎ。この前美少女転校生が来た、って一年で話題になってただろ」

「マジか……。あんなの、住む世界が違うだろ」


 透き通るような白磁の肌に、窓から差し込む朝陽を浴びて煌々と輝く卵色のロングヘア。丸みを帯びた澄んだ空色の瞳は、見る者すべてを優しく包み込むような慈愛に満ちている。

 また、やや高めの身長に、制服の上からでもしなやかさが伝わる肢体。それはまさに、理想を具現化した絵画のような美しさだった。


 浮世離れした容姿を持つ彼女の名は、箱入詩織はこいり しおり

 

 一学期までは都会の進学校に通っていたが、とある事情によりこの嶺南高校へ転校してきた。一挙手一投足に品格が滲む、生粋のお嬢様である。

 

「……なあ、俺、ダメ元で告白してみようかな」

「やめとけ。あのサッカー部の森永ですら、玉砕したらしいからな」

「嘘だろ? あのイケメンが?」

「ああ。しかも変な噂があってさ。彼女に振られた奴らは全員、憑き物が落ちたみたいに勉強や部活に打ち込み始めるらしいぜ」

「え、何それ。……洗脳か何かか?」

「さあな。まあ、あくまで噂だけどよ」


 背後で囁かれるそんな喧騒を気にする様子もなく、詩織は柔らかな微笑を湛えたまま、教室へと続く階段を静かに上っていく。


 教室に着くと、扉を開けた彼女にクラスメイトたちの視線が一斉に集まる。

 

 彼女はそれらを優しく受け止めるように一度足を止め、教室全体へ向けて静かに会釈をした。


 そして、自分の席へ向かい机の横に鞄をかける。それを待っていたかのように、女子生徒たちが一気に彼女の周りを囲んだ。

 

「おはよう箱入さん!」

「箱入さん! 昨日の『君僕』見た? もう最高だったよね!」

「今日も詩織ちゃん、ビジュ良すぎ」


 そんな羨望と親愛に満ちた言葉たちが、次々と彼女に注がれる。

 もはや毎朝の習慣となった光景。彼女はまるで散らばったパズルのピースを一つずつ丁寧に嵌めていくように、穏やかな微笑みと共に答えていく。


「おはようございます、宮沢さん」

「すみません、昨日はそのまま休んでしまい、拝見できなかったのです。……今日こそ、帰宅してから楽しませていただきますね」

「びじゅ……? それは、何か不思議な呪文か何かなのでしょうか?」


 そんな風に、いつものようにクラスメイトたちと柔らかな談笑を広げていく。

 やがて八時の予鈴が近づくにつれ、彼女を取り囲んでいた輪も自然と解け、生徒たちはそれぞれの席へと戻っていった。


 それと入れ替わるように、一人の男子生徒が教室へ入ってくる。

 彼は迷いのない足取りで、一直線に彼女の元へ歩を進めた。周囲の男子たちが隠しきれない羨望と、どこか複雑な視線を送る中、彼は彼女の机のすぐ横で足を止める。


 そのまま、右隣にある席へと鞄をかけ、背後にある扇風機の方へ椅子を向け直して、だらしなく体を預ける。首筋を伝う汗を飛ばすように、首を左右に振って風を求めていた。


 彼の名前は氷凪燈真ひなぎ とうま

 誰もが羨む彼女の隣という特等席を、転校早々から独占し続けている少年である。


「おはようございます! 氷凪くん」

「……」

「氷凪、くん?」


 詩織の丁寧な挨拶にも、燈真は一切の反応を見せない。ただ無言で目を閉じ、首を振る扇風機の風とだけ向き合っていた。


「おーい氷凪、箱入さんが呼んでるぞ。……って、こりゃ駄目だ、聞こえてねえな」


 見かねた他の男子生徒が横から声をかけるが、それでも燈真は微動だにしない。

 挨拶を完璧に無視された形となり、詩織の穏やかだった瞳がだんだんと細められていく。周囲のクラスメイトたちも、呆れたような、あるいは同情するような視線を燈真へと送っていた。


 ふと、詩織は燈真の少し長い髪の隙間に目を留める。

 風に煽られ、不規則に揺れる彼の髪の下――。その耳の穴に、何か小さな機械が嵌まっているのを彼女は見逃さなかった。


「……えいっ」

「うぇっ!?」


 詩織の可愛らしい掛け声とともに、燈真は一瞬だけ体を大きく跳ねさせ、情けない声を上げた。

 彼が驚愕の表情で耳を押さえながら隣を振り向くと、そこには奪い取ったイヤホンを指先でつまみ、少しだけ不機嫌そうに微笑む詩織の姿があった。


「おはようございます、氷凪……くん?」

「お、おはよう箱入。……って、え、どうした? 」


 もはや朝の習慣と化した、二人のやり取り。女子たちは、まるで懐いた子猫を見守るような微笑ましい視線を送り、対する男子たちからは、隠しきれない羨望と若干の殺気がこもった視線が突き刺さる。

 

「『どうした?』ではありません。 何度もご挨拶を差し上げているのに、どうして無視なさるのですか」

「ああ、悪い。……イヤホン外すの忘れてた」


 ムスッと子供のように頬を膨らませる詩織と、淡々とクールに答える燈真。

 

 ……だが。


(いやいやいやいや、心臓止まるかと思ったわ! っていうか指先冷たっ、それに一瞬触れたよね? 柔らかかったよね!?)

 

 内心は大慌て。そんな完璧なポーカーフェイスの下に隠された絶叫を見抜くことが……


「忘れていた、ではありません。人からご挨拶を受けたら、きちんと目を見て返すものです」


 できるわけもなく、詩織は追求の手を緩めない。


「はいはい。次から気をつける」

「氷凪くん」

「……気をつけます」


 詩織にじっと見つめられ、燈真はわずかに視線を逸らしながら言い直した。その瞬間、教室のあちこちから小さなざわめきが起こる。


 無理もない。誰もが遠巻きに眺めるだけなのに対し、氷凪燈真だけは以前から知っている相手のように接し、彼女もまたそれを当然のように受け入れているのだ。


「……なあ、やっぱあの二人って」

「知らねえよ。転校してきてから、ずっとあんな感じだし」

「箱入さん、氷凪にだけ妙に距離近くない?」

「いや、氷凪が遠慮なさすぎるだけじゃね?」


 そんな囁きが、教室の端々でこぼれる。


「……で。朝っぱらから何の用だよ」


 氷凪はわざと低めの声で、ぶっきらぼうに問いかけた。耳に残る彼女の指先の感触を、強引に意識の外へと追いやる。


「用、ですか? ご挨拶をするのに、何か特別な理由が必要なのですか?」


 詩織は不思議そうに目を丸くし、奪い取ったイヤホンを胸元で大切そうに抱えながら身を乗り出してきた。


(近い近い近い! 理由がないなら離れろ! なんでそんな『純粋に疑問です』みたいな顔で覗き込んでくるんだよ……!)


 ただでさえ近い距離が、さらに数センチ縮まる。


「いや、そういうわけじゃないけど。普通は、なんかあるだろ。……忘れ物したとか、プリントの連絡とか」

「では、ただのご挨拶です。氷凪くんの今日一番のお顔を拝見したかったので。……ふふ、任務完了ですね」


 ふわり、と花が綻ぶような笑顔。

 本人は「良いことをした」と本気で信じている、濁りのない誇らしげな表情。


「……そりゃどうも」


 氷凪はふいっと視線を窓の外へ投げた。

 頬が緩みそうになるのを、奥歯を噛み締めて必死に抑え込む。


(「任務完了」じゃねーよ、こっちは「致命傷」だよ! なんだその破壊力抜群の笑顔は……!)


 淡々とした燈真の返答に、詩織は満足げに微笑んだ。

 満足げに微笑む詩織の姿に、近くの男子生徒が「くっ……」と小さく呻く。


「氷凪め……」

「なんであいつだけあんないい思いを……」

「しかも箱入さん、ちょっと楽しそうだし……」


 そんな恨みがましい視線が燈真の背中に突き刺さる。


(お前ら、全部聞こえてんだよ! こちとら全力で氷河期ばりのクールを気取ってんのに好き勝手言いやがって……)


 沸騰寸前の心臓をなんとかポーカーフェイスで覆い隠し、彼はスッと細めた目で隣を見やった。耳たぶに宿った熱がバレないことを祈りながら、最大限に「いつものクールな俺」を演じ、口を開く。

 

「なあ箱入」

「……はい?」

「そういうの気を付けた方がいいぞ」

「そういうの……ですか?」

「はぁ……」


 心底不思議そうに小首をかしげる彼女を見て、燈真は今日一番の重いため息を吐き出した。

 

 普通なら、肩を叩くか前を横切るなど、注意を引くための段階を踏むものだ。だが彼女にとってそれは、「閉じている窓を開けてあげる」程度の、ごく当たり前の振る舞いに過ぎないようだった。


 自分の行動が相手を困らせる可能性も、周囲を騒然とさせる可能性も、彼女の頭の中には存在していない。ただ「氷凪燈真に挨拶を返す」という目的のためだけに、最短距離で彼のパーソナルスペースを突破してくる。


「あのな、普通は耳に直接触れるのは、もっとこう……特別な相手だけなんだぞ」

「あら。……ふふ、そうなのですか?」


 詩織は少しだけ意外そうに目を丸くしたが、すぐにまた、陽だまりのような温かさで微笑んだ。


「でも、私は氷凪くんのことをとても尊敬していますし……それに、私たちはもう『お友達』でしょう?」


 一点の曇りもない笑顔で、さらりと言ってのける。本人は至って真面目に、親愛の情を伝えているつもりなのだろう。


 悪意のない領域への蹂躙。

 あまりに無垢で、けれど圧倒的に世間とズレた「お嬢様」の論理。


 これは、少し――いや、かなりズレた世間知らずなお嬢様、箱入詩織。

 そして彼女に懐かれてしまった、外面は氷、内面は騒がしい男子高校生、氷凪燈真。


 そんな二人が織りなす、少し変わった日常の物語。

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